旅BBS (テキスト版)
tabibbs.com
旅BBS(本体) は、 ここをクリック
※このページは、旅BBS『画像掲示板』のテキストページです。 旅BBS『画像掲示板』本体へは、ここをクリックしてお進み下さい。

旅BBSメニュー>海外情報ノート
西アフリカ横断①(ベナン・トーゴ・ガーナ)

0001. MM 2005/12/24_20:06:17
photo1 この地域は日本人にとってなじみが薄く未だにこれといった日本語のガイドブックは発行されていない。頼れるのは英語版の「ロンリープラネット」だけだ。しかしこのロンリープラネットも長い間改訂版が出版されず、古い本が洋書屋に並び、最新の情報を手に入れる事は難しい状態だった。そんな中1999年になってロンリープラネットが「WEST AFRICA」の改訂版が出版された。それによって僕は妙にこの地域を意識するようになった。そして行きたくなった。そんな中旅行人のガイドブック「アフリカ」も出版されると言うことを知りいてもたってもいられなくなってきた。
photo2 出発の2ヶ月前、航空券を買うことにした。航空会社は迷わずアエロフロートにした。というよりアエロフロート以外の選択枠がない。とにかく値段の安さだけが魅力だ。コトヌー(ベナン共和国)へ入りダカール(セネガル)から帰ってくる。これと同じようなルート設定はヨーロッパ経由のサベナベルギー航空(現在倒産)でも可能だったが、値段が25万円ととても手が出ない。ちなみにアエロフロートロシア航空は¥89000だ。ただし週1便。所要時間の長さと往路モスクワでの1泊など条件は厳しい。しかし他に選択の余地はないのでアエロフロート以外考えることは出来ない。
photo3 西アフリカでの移動ルート
photo4 アエロフロートの客の大部分は東京を出発する時点でアフリカ系が目立った。僕が利用するガーナ・ベナン便と共にセネガル・ギニア便も同じ木曜日出発なので集中するのも無理はないだろう。モスクワまではエアバスA310なので比較的楽な移動だがその先が心配だ。機内食はかなりボリュームがあり、サービスもそんなに悪くはない。日本路線は競争が激しいからアエロフロートも結構無理をしているのだろう。
 

0002. MM 2005/12/24_20:11:30
photo1 モスクワに到着したのは10時間後、現地時間の夕方だ。外の気温はマイナス19度。人間の活動する場所ではない気がする。
 ロシアの玄関口モスクワ・シェレメチボ国際空港。予想以上に立派で免税店も充実していて種類も豊富だ。床で寝ている人がたくさんいるので、予想通りトランジットホテルは必要なかったようだ。
トランジットの場合食事だけはタダで付いてくるらしい。しかしこの夕食、給食のようなアルミの皿にビーフカレーとライス。そしてサラダとコーラ。はっきり言ってマズすぎる。しかしタダなので文句を言うのはやめよう。とりあえず腹は満たされた。
photo2 7:05発のマルタ、アクラ経由コトヌー行き。機材は旧ソ連製ツポレフ154型機。旧ソ連製の飛行機に乗るのは初めてだ。通路を挟んで三人掛けの機内はかなり老朽化が進んでいる。オーディオなど有るはずもなく、リクライニングもぐらぐらだ。
 マイナス30度の早朝のモスクワ。出発前、翼が凍っているらしく、解凍剤のような液体を翼に吹きかけていた。本当にちゃんと飛ぶのか心配になってきた。離陸後こんなボロい飛行機から信じられないほどまともな機内食が出た。チキンと魚が選べボリュームも満点だ。
 
photo3 アエロフロートの欠点は機材と客層のガラの悪さだ。着陸の際、機体が完全にとまっていない状態でまだ滑走路を走っているのに、ほとんどの客が立ち上がり荷物を出そうとする。また禁煙席にも関わらず平気な顔でたばこを吸うレバノン人のおやじもいる。紙コップをそこら中に散らかし、でかい声で立ち話をする黒人など。スチュワーデスもそれらを気にしていないようで何も言わない。機内の秩序は乱れまくっている。やりたい放題だ。アフリカの飛行機は空飛ぶ乗り合いバスだと誰かが言っていたが、まさにその通りだ。こう考えるとアジアや中南米の航空会社はかなりしっかりしていると改めて感心。
 
photo4 途中マルタのバレッタを経由。地中海のさわやかな気候だ。ここで何人かの客が降りていった。その後サハラ砂漠上空を通過、ガーナのアクラ空港に寄港した。
写真はアクラに立ち寄ったアエロフロート機。目的地のコトヌーに到着したのはモスクワを出てから12時間後の現地時間17時のことだった。

0003. MM 2005/12/26_17:55:49
photo1 とうとうやってきたアフリカはベナン共和国のコトヌー。ターミナルビルは小さくエアコンも効いていない簡素な建物だ。ヨーロッパからの直行便が比較的多いのでもっと立派な空港かと思っていたが予想が外れた。イエローカードを見せターミナル内で入国審査を受けた。ビザは持っているので手続きは早い。
税関を抜け到着ロビーに出た。タクシー運転手が声をかけてくる。この国のことがまったく分からないので少し怖い。この国は比較的人が良いとの噂だがどこまで信用して良いのだろうか。とりあえず空港の外へ歩き出すことにした。すると一台のバイクタクシーが追いかけてきた。このバイクで行くことに決めた。
photo2 空港から中心部までの海岸線の道路は舗装され快適だった。ココナッツの木、夕暮れ時の湿った空気が案外心地良い。南国へ来たなと実感。しかし中心部に近づくにつれ排気ガスと砂埃がひどく、空気の悪さはワースト水準だ。車よりバイクが多いところが東南アジア的だがやはり黒人ばかりなのでアフリカだ。僕の存在がかなり目立つらしく、全員こちらを見ている。しかしそれは仕方ない。
photo3 HOTEL BABO。1泊600円弱。ファンなしだがシャワー付きだ。ベランダからの景色はなかなかすばらしい。この宿に決定だ。
photo4 ホテルのベランダからはコトヌーの街を眺めることができる。ほとんどが未舗装だ。

0004. MM 2005/12/26_18:47:22
photo1 コトヌーの街角にて。
photo2
photo3 コトヌー中心部。バイクが入り乱れるところがベトナムっぽい。
photo4 コトヌーの青空市場。はっきり言ってこの街に見所はない。

0005. MM 2005/12/26_18:54:17
photo1 世界遺産・アボメーの王宮へ行くことにした。コトヌーからアボメーまでの距離は約100キロだが2時間半もかかった。道路は完全舗装で快適だったのだが。
photo2 アボメーは有名な観光地とはいえ、予想通りの僻地だ。とりあえず昼食を食べたかったが、食堂すら見つからず、バイクタクシーで10分くらい走ったところにある食堂に連れていってもらった。しかし米やパンはなく、ウガリ(トウモロコシの粉を蒸したもの)とチキンカレー。お世辞にも美味いとは言えない。
photo3 アボメーの王宮。ここはヨーロッパへ奴隷を売却することで17世紀から18世紀にかけて栄えたダイホー王国の都だった場所だ。今は宮殿だったところが博物館として保存されている。
photo4 中心地に市場があり、人々の表情も明るく活気がある。しかし写真を撮ると相変わらず金を要求される。困った国だ。

0006. MM 2005/12/27_20:10:22
photo1 コトヌーの商店で店番をしていた少年。
photo2 コトヌーの宿で知り合ったシェラレオネ人のスタンレーとその女友達。西アフリカを旅しているとリベリア人など難民らしき人と知り合うことが多いが、彼らに難民という雰囲気はない。
photo3 トーゴのロメに乗り合いタクシーで移動することになった。しかし客は一向に現れない。1時間待っても他の客は誰一人として現れなかった。もし12時まで待っても誰も来なかったら1台貸し切って出発しよう。さらに30分ぐらい待っていると突然客が集まりだしたらしく、そのタクシーに便乗させてもらい、出発することになった。しかし荷物代で揉めた。
アフリカ人はいつも金、金、金、まったく。でもこの考えは先進国の汚い考えなのかもしれない。アフリカ人は金を得るために必死で正直なのかもしれない。しかしこちらもできるだけ金は払わないように必死になっているつもりだ。西アフリカではアジアと違ってタクシーなどで交渉した額があとで変わることはほとんどない。しかしはっきりと金額提示して「金をくれ」と言い、ワイロを要求してくるのはインドと同じだ。
photo4 11時にコトヌーを出発した。しかしトーゴに行けるのが確実になったわけではない。本当に国境でビザは取れるのだろうか。今回の旅で最初の山場がいきなり立ちはだかった。1時間強で国境に到着。車は荷物を積んだまま先に行ってしまった。もし入国できなかったらどうするんだ。
ベナンの出国手続きは遅い。英語のできるトーゴ人が通訳してくれ、何とかスタンプが押された。とりあえずベナン出国。しかし役人が2000F(330円)を要求してきた。「理解できない。レシートは発行できるのか。日本のベナン大使館は出国時、金はいらないと言っていたぞ」ごねていたら相手は観念した。ざまぁみろ。しかし通訳してくれていたトーゴ人が時間がかかりすぎだと怒り出して先に行ってしまった。何なんだ一体。

0007. MM 2005/12/27_20:17:27
photo1 さてトーゴビザはもらえるのだろうか。早くしないと荷物が心配だ。しばらくして印紙が用意され正規のトーゴビザが発行されるらしく申請書を書かされた。そして手続きが始まった。とりあえず一安心。手数料は10000F(1650円)で写真は不要。1週間ビザがおりた。トーゴの役人はベナンより信用できそうだ。タクシーの運転手が迎えに来ていて遅いと文句を言って怒っている。僕はビザが取れた喜びもあり、運転手に1000F(165円)握らせ、機嫌を直すように言った。それによって運転手の機嫌が急に良くなり、味方につけることに成功した。実に単純な奴らだ。何事もすべて金で解決する。アフリカでは常識だ。いちいち気分が悪いと言っていられない。
photo2 トーゴ共和国の首都、ロメに到着したのは午後1時過ぎのことだった。黄色いビーチが延々続く海岸線の道路で車を降ろされた。ロメはビーチリゾートでもあるらしい。のんびりできそうな街だ。
photo3 ロメでもやはり最安値の宿に行く事にした。ホテルの名前は「HOTEL MAWULI」。料金はコトヌーの宿と同じだが、ここは水がガンガン出るし、部屋の電気も明るくファンもある。スタッフもフレンドリーだ。アジアにあるゲストハウスタイプの宿で快適に過ごせそうだ。
photo4 ロメの見所はマルシェとその中にあるカテドラルぐらいしかない。トーゴの市場もベナン同様買いたい物は何もない。スーパーマーケットもあったが日曜日だったので休みだ。今日はとりあえず宿に戻ってゆっくりしよう。今日は日曜日と言うこともあって人が少なく街全体に活気がなかったが、明日から通常通りに戻るだろう。

0008. MM 2005/12/27_20:27:49
photo1 ロメの街角にて。パンを売る女性。
photo2 カトリック教会。カテドラル。
photo3 下校途中の女の子たち。
photo4 不思議な形をしたロメの建造物。辺りが未舗装なので違和感がいっそう強い。

0009. MM 2005/12/27_20:35:11
photo1 ガーナ大使館でビザを受け取ったあと、一度ホテルへ荷物を取りに行ったあと国境へ向かった。トーゴの首都ロメとガーナ国境は隣接している。海岸線の道路を快走し、国境を目指した。さわやかなロメの海岸線ともお別れだ。
photo2 ガーナ側の国境の町はアフラオ。国境は人でごった返していた。到着するなりアクラへの客引きがまとわりついてきた。しかし彼らはただの案内人で、あとあと金を要求してくるただの物乞いだ。人は多いが外国人は別の場所で手続きができたので比較的スムーズだった。ワイロ要求もなくガーナ側の街アフラオへ抜けることができた。
photo3 アフラオからアクラ行きのバスに乗り込んだ。西アフリカで初めてのバスによる移動だ。しかし安いから文句は言えないが快適とはほど遠い。ガーナの道はベナンやトーゴより狭くガタガタだ。途中検問が2カ所、外人の僕はそのままバスに乗っていられたが地元民は全員バスから降ろされ、かなり時間がかかった。国境を出たのは15時半。しかしもう日が暮れてきた。まだアクラは遠いようだ。Temaという街をすぎたあたりからいきなりハイウェイが現れ、スピードをあげ走り出した。中央分離帯を挟んで2車線、そして道路を照らす街路灯。あまりの近代的な風景に自分の目を疑った。本当にここは西アフリカのガーナなのだろうか。完全に目が覚めてしまった。
photo4 そのままアクラ市内へと道路は続いていた。整備された道、立体交差の橋を通り過ぎ、建設中の高層ビルと街路樹が続く道路をひた走り、終点のトゥドゥ・マーケットに到着した。ここからホテルまで歩くことにした。ガーナと日本との関係は深いようで、僕に対して「JAPANESE」という人が増え「CHINA」と声がかかることが少なくなった。南米旅行中、ブラジルに入ったときの感覚と同じだ。

0010. MM 2005/12/27_20:46:46
photo1 アクラではホテルカリフォルニアに泊まることにした。1泊500円弱。周辺は平屋の建物が目立ちニカラグアのマナグアを思い出させる。アクラは今までの首都(コトヌーやロメ)と違い大半の家がちゃんとしていて、バラックで出来た家はあまり目立たない。(コトヌーやロメは大半がバラックだった気がする)ガーナは比較的豊かな国のようだ。とりあえず夕食は中華レストラン。この町にはスーパーマーケットなどもあり、不自由のなさそうだ。中華で焼きそばを食べ約300円。量が多く二人で行くべきだ所だった。
 
photo2 シャワーを浴びようと思ったら水が出ない。やられた。まさかこんな所でも断水に遭遇してしまうとは。でもそういうときのためにこの宿ではタンクがあり、バケツに水を汲み体を洗うことは出来た。西アフリカでは今後もちゃんと水が出るのか、ちゃんと電気はつくのか、こんな事ばかり悩みそうだ。
photo3 ベナン、トーゴではバイク中心で車の数は少なかったが、ここは完全な車社会でバイクタクシーも存在しないような気がすす。
photo4 ロータリーを猛スピードで車が通過する。

0011. MM 2005/12/27_21:06:20
photo1 インディペンデンス広場。
photo2 アクラの新市街は建築ラッシュだ。ガーナは西アフリカでもっとも発展しつつある国だと感じる。
photo3 中心部にはビルがそびえる。
photo4 利用しなかったが、ガーナは比較的鉄道網が充実している。アクラ駅にて。

0012. MM 2005/12/27_21:08:23
photo1 アクラ発祥の地である港町ジェームスタウンに向かった。そこは野口英世も最初に上陸した場所で今では、砦や灯台などが観光用に残っている。しかし今ではコロニアル調の家々もほとんどなく、スラム街になっていた。しかし海を臨む絶壁にへばりつくスラムはなかなか見応えがある。
photo2 ガーナ人は写真を嫌がらないし、警官まで写真を撮ってくれと言うくらいだ。実にピースフルな国だ。しかしこういうときに限ってフィルムの予備がない。言語が違うだけでなぜこんなに人が違うのだろうか。
photo3
photo4

0013. MM 2005/12/27_21:12:24
photo1 西アフリカの中でもガーナの人々がとりわけ親日的なのは、野口英世のおかげなのではと勝手に僕は思っている。その野口英世が黄熱病の研究をしていた場所が今、ガーナ大学医学部付属病院の敷地内にあり、今でも細菌の研究が行われている。その一角には「野口メモリアルガーデン」があり、日本庭園には銅像も建っている。
タクシーでその病院へ向かった。20分ぐらいしてガーナ大学病院に到着した。かなり大規模な病院だ。この国で死にそうになっても少し安心だ。西アフリカではかなりまともな方だろう。その一角に日本庭園(あまりたいしたことない)があり、ドクター野口の銅像が建っていた。
photo2 その横に臨床医療技師学校の実験室があり、その一角に部屋があり、たいして広くないが、野口英世が実際に使っていた顕微鏡、そして写真や新聞などが展示されていた。驚いたのは母であるシカが英世に一度だけ宛てた直筆の手紙が展示されていた事だった。僕は生家のある福島かロックフェラー大学にあるものだと思っていたが、まさかこんな所に置いてあるとは。
 
photo3
photo4

0014. MM 2005/12/27_21:46:37
photo1 ケープコーストに向かうことにした。ガーナ最大の見所であるのは当然として西アフリカでも有数の観光スポットになっている場所だ。
ケープコーストまでの所要時間は3時間だ。
 途中、道はいいが(交通量が多いため)空気が悪く、頭が痛くなってきた。やがてケープコーストの街に入った。ずいぶん坂の多い街だ。地方都市の割にずいぶんにぎやかだ。
photo2 西アフリカ屈指の観光スポットなのにずいぶんのんびりした漁村だ。観光客はあまりいないみたいだ。とりあえずケープコースト博物館に行ってみることにした。
photo3
photo4

0015. MM 2005/12/27_21:50:09
photo1 博物館になっているケープコースト城塞は各地から集められてきた奴隷が出港まで閉じこめられていた場所で、今はどのように新大陸まで運ばれたのかなど生々しい資料が展示されている。出港まで奴隷が閉じこめられていた地下壕は圧迫感がある。
それにしてもこの砦、改築を重ねているらしく、新しすぎて歴史が感じられない。とはいえ悲惨な歴史を軽視することはできない。
photo2
photo3 砦の下の浜辺では漁が活気を帯びている。
photo4

0016. MM 2005/12/27_21:52:40
photo1 街を歩きながらウィリアムフォートという砦に登ってみた。そこからは街が一望できた。砦の上は子供に占拠されていた。頂上に登るには子供に案内してもらわなければならない。でも金は要求されなかったので実に教育の行き届いた国だと感心した。砦を降りることにした。ボスらしい子供がお金じゃなくて何か物が欲しいと言ってきた。仕方ないので持っていた武富士のポケットティッシュをあげることにした。
photo2 ケープコーストの市場からエルミナへの乗り合いタクシーに乗り込んだ。20分後ビーチリゾートらしいエリアを通過し、漁村の一角にエルミナの要塞があった。
photo3 ここも小さい博物館になっている。要塞を臨む丘の上にも要塞があり、登ってみることにした。
photo4 要塞と海岸をつなぐ回廊。

0017. MM 2005/12/27_21:57:04
photo1 要塞からはエルミナの街を眺めることができた。コロニアル調の建築様式が美しい。
photo2 漁村に入ってしまった。浜の中に人垣が出来ていた。何だろうと思い近づいてみるとウミガメが浜に打ち上げられていた。可哀想に完全に子供たちのおもちゃにされていた。
photo3 木の枝をムチがわりにして女の子がピシピシやっている
photo4 亀はまだ元気があるようで手足をバタつかせている。ウミガメは貴重な生き物だ。岸に戻ってこれるのは何百匹に1匹。でも僕に「海に帰せ」と言う権利はない。この亀をどうするのか近くにいたおやじに聞くと。「We will eat」。

0018. MM 2005/12/27_22:03:51
photo1 コートジボアールに移動することにした。朝6時には出発の準備を整え、乗り合いタクシーでケープコーストのマーケットへ向かった。そしてタコラディー行きのトロトロ(乗り合いタクシー)を探した。すでに人は何人か乗っていたが、しばらく出発しそうな気配はない。僕より早くからいた女の人が早く出発してくれと怒りだしたところを見ると6時ぐらいから待っているみたいだ。早く宿を出なくて良かった。結局1時間ぐらい待ち出発したのは7時半を過ぎてからだった。タコラディーには9時に到着。着いた場所からコートジボアール国境のエルボ行きが頻繁に出ていた。アビジャンへダイレクトで行くワゴンもあったが人の集まりがいまいちだ。それに国境越えは一人の方が気楽だ。とにかく待つのも待たせるのもいやだからだ。とりあえず目指すのは国境だ。
photo2 9時30分にタコラディーを出発したあと、道がだんだん悪くなってきた。トーゴからガーナに入ったときもそうだったが、ガーナは国境の道路整備に力を入れてないようだ。140キロ先のエルボに着くまで2時間以上かかった。もう正午だ。
 エルボからコートジボアール国境まで歩かなくてはならない。ガーナの出国はスムーズだった。入国審査官に「次はいつガーナに来るんだ」と質問され「分からない」と言うと「何だガーナは嫌いなのか?」とほのぼのとした雰囲気の中、気分良く通過。そして約500メートル歩いた。
photo3 そしていよいよコートジボアール入国だと思いながら入国審査官にパスポートを差し出した。するといきなり役人が「5000F(1000円)出せ」とワイロを要求してきた。相手は「とにかく出せ」とほとんど脅しに近い状態だった。とりあえず冷静に対応するしかない。「それは何に使われるのか?ビザ取得時にも同じぐらいの額を支払ったのにどういうことか説明してくれ。レシートは出せるのか?」相手はとにかく出せとまだ言っているが、事務所の奥に入っていった。でもパスポートにスタンプを押してくれている。そして手続きをはじめた。あきらめたのだろうか。パスポート返却時さらにもめると思ったが、すんなりパスポートを返してくれそれ以上言い寄ってこなかった。まったくスタンプを押される前のワイロ要求ほど心臓に悪いものはない。コートジボアール旅行、先が思いやられる。
photo4

旅BBSトップ旅BBS(テキスト版)スレッド一覧