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西アフリカ横断③(日本大使館のない国での旅券紛失)

0001. MM 2006/01/05_19:40:07
photo1 西アフリカの内陸国「ブルキナファソ」の首都ワガドゥグ。コートジボアールから列車で北上し、はるばるやってきた。フランス語圏の中では好印象の国だった。しかしこの街を出発し、隣国マリヘ移動しようとした日の朝だった。
photo2 まだ夜明け前の6:30。宿から約1キロ離れたバスターミナルへ歩いて向かった。
 ひとりの男が僕のあとをつけていたようで、気がついた時には男が後ろからナイフを突きつけてきた。そして持っていた僕のウエストバッグを強引に奪おうとした。しかしウエストバッグはたすき掛けにしていたのですぐに奪い取ることは出来ない。犯人は何か怒鳴っていたがわけが分からない。こっちも荷物を盗られないようにいろいろ考えてしまった。一番危険なパターンだ。しかし犯人はしびれを切らしてバッグのひもを切断してそのまま逃走してしまった。いわゆる路上強盗。回りには誰も人がいなかった。そんなこと今さら気づいても後の祭りだ。手元にはカバンのひもだけが残った。
photo3 盗まれた物はパスポート、イエローカード、カメラ、ロンリープラネット(ガイドブック)。パスポートは1月13日に新しく作ったばかりの新品だ。そしてイエローカードを失ったことで今後、移動が不自由になる。カメラは高級コンパクトカメラ「コンタックス」。そしてガイドブックを失ったのは痛い。日本語のガイドブック「旅行人」は盗られずにすんだが、あれだけでは不十分だ。しかしガイドブックなどどうでもよい。今まで海外旅行を6年やってきたが、今回最悪の事態になってしまった。それは「日本大使館のない国でのパスポート紛失」という問題だ。どう対処していいのか見当もつかない。前例も聞いたことがない。途方に暮れてしまった。
photo4 とりあえず、どうしようもないのでもと来た道を歩いて宿へ戻った。こんな事になってしまった以上、当分この宿の世話になりそうだ。これから何をすべきなのか、とりあえず警察届けがないと話にならないと思い、警察に行くことにした。歩いて中央警察に出向いた。しかし英語をまともに話せる警官はおらず門前払いだった。警察の受付は大使館に行けと一点張りだ。しかしこの国に日本大使館はない。「コートジボアール大使館が兼轄している」と言うと、「それじゃあそこに行け」と言われた。とりあえずここにいたのでは話が進まない。とはいえコートジボアール大使館に行ったところで再び門前払いになるのは目に見えている。この地域で絶大な力を持っているフランス大使館に助けを求めてみよう。

0002. MM 2006/01/05_19:44:34
photo1 フランス大使館は8:30から営業が始まり、受付へと向かった。受付はフランス人。ワケを説明したが結局フランス大使館が何か助けてくれるわけはない。ここでもまずコートジボアール大使館へ行くことを進められた。そしてコートジボアール大使館で渡航書を作ってもらい、それを持って飛行機で移動するしかないらしい。アドバイスありがとう。
 最後にコートジボアール大使館へ向かった。しかしというか予想通り警察証明がなのでまったく相手にされなかった。そもそもこの国ではフランス語を話せない人間は厄介者として位置づけられているようだ。結局、午前中ずっと走り回ったにもかかわらず結果はゼロ。宿に戻ろう。
photo2 この国には日本大使館はないが、唯一の救いは日本人旅行者が案外多いということだ。僕の泊まっているワガドゥグ最安値の宿には他に3人の日本人が泊まっている。彼らはみんな筋金入りの貧乏旅行者で僕よりは多くの知識を持っているだろう。彼らと同じ宿に泊まっていたのでそれだけでも心強い。今まで数々のトラブルに巻き込まれてきたが、今まで全て自分自身で解決することが出来た。だが今回はまったく解決のすべが見つからない。人には頼りたくないが、どうしようもない壁がとうとう僕の前に立ちはだかった。
photo3 宿に戻り、3人の日本人相談することにした。しかし日本大使館のない国でのパスポート紛失は前例はなく、誰も対処方法は知らなかった。日本企業もろくに進出していないこの国で一体どこに助けを求めればいいのだろうか。その時、一人が「JICA(国際協力事業団)に助けてもらった人がいるのを聞いたことがある」と言った。もしかしたらこの国にもJICAが活動しているかもしれない。とりあえず彼らも一緒について来てもらうことにし、観光案内所に向かうことにした。案内所の場所はすぐに見つかり、オフィスのおやじに「JICA」の事務所はないか聞いてみた。しかしわからないとのことだ。その時横にイエローページ(電話帳)が置いてあるのが目に入った。とりあえず調べてみることにした。すると「J.I.C.A.」という文字が目に入った。本当に日本のJICAなのか少し不安だったが電話番号を控えて急いで電話のあるビジネスセンターへ走った。
photo4 電話を掛けた。「ボンジュ、ジュ・スィ・ジャポネス。ドゥー・ユー・スピーク・イングリシュ」。いったい相手は何国人が出るのだろうか。すると「もしもし」と言う返事が返ってきた。日本人だった。安心感から一気に緊張が解けてしまった。救われた気分だった。
 

0003. MM 2006/01/05_19:50:29
photo1 結果としてJICAはまだ活動しておらず、1999年4月にスタートする予定で現在は調査や準備をしている段階らしい。電話の相手は日本政府から派遣されたGさんという方の奥さんだった。電話をした30分後にはブルキナファソに駐在しているそのGさんという方に会うことができ、話は進んだ。待ち合わせ場所に選んだのは「ホテル・インディペンデンス」。そこでいろいろ事情を説明し、JICAの調整員をしているFさんという方を紹介された。Fさんのおかげで僕は救われた。一時は「一生この国から出れないのではないか」とさえ思ったが、その事がずいぶん昔のことに思えてきた。
photo2 しかしこれからパスポート受取までの道のりは容易ではない。方法は二通りある。
1.兼轄している国にある日本大使館から職員(日本人でなくても構わない)に被害者のいる場所に来てもらう。その際パスポート再発給申請書を持ってきてもらい、それに記入し各種書類を職員に提出する。職員に一度日本大使館に帰って再発行手続きをしてもらう。そして後日再発給されたパスポートを持参した職員に再度来てもらう。そしてパスポートを受け取って無事旅行を続けることができる。職員の渡航費はもちろん被害者負担(5万円以内の場合は保険がおりる)
2.兼轄している国にある日本大使館まで移動するため、その国にある大使館で渡航書を発行してもらい移動する。(パスポートなき国境越え)
 
photo3 もちろん後者も方法がベストだがそれはコートジボアール大使館次第だ。
 Fさんの話ではこの国で強盗にあった日本人は2人目とのことだ。旅行者としては僕が初めてらしい。ブルキナファソは周辺国に比べて確かに治安が良い国といわれていた。しかしコートジボアールで2カ月前(12月末)に起こったクーデターがいろいろ影響していたようだ。クーデターの際、反乱軍によって刑務所の壁が破壊された。それによって中にいた囚人が大脱走し、周辺国にも逃亡してしまったらしい。つまりコートジボアールに接しているブルキナファソ、マリやガーナなどにも犯罪者が逃れてきているというわけだ。確かにコートジボアールのクーデターは僕自身も今回の旅で最大の難点だと思っていた。しかしコートジボアール国内は平穏を保っていたので次第に気が緩んでいたのだ。
photo4 まさか思わぬ形でその被害にあってしまうとは思っていなかった。まさか周辺諸国まで影響しているとは。早速Fさんと行動を共にすることになった。移動はFさんの公用車を使わせてもらうことになった。まず警察へ向かい盗難証明書を作ってもらうことになった。フランス語が出来ると、こうも対応が違うものなのだろうか。今朝いたイヤな警官がいい人に見えた。紙に必要事項を書き、証明書は午後4時に受け取れるらしい。その間にコートジボアール大使館へ向かった。しかし3時まで昼休みなので出直すことになった。一度宿に戻り、旅行者3人を誘い、昼御飯を食べることになった。Fさんおすすめの店でネズミのシチューを食べさせてもらった。最近は屋台でしか食べてないので少し落ち着かなかったが、実に洗練された味で満足。

0004. MM 2006/01/05_19:55:03
photo1 午後3時、再びコートジボアール大使館へ向かった。もしここで渡航書が発行されるのならアビジャンの日本大使館でパスポートを再発給してもらいそのまま旅行を続けることが可能だ。とりあえずFさんに交渉してもらうことになった。やはりここでもフランス語が喋れると対応がまったく違うようだ。結果として渡航書が発給されることになった。写真2枚と3300円、基本的には観光ビザの取得と変わらない。とりあえず写真を取りに宿へ戻り、その足で警察へ盗難証明を受取に向かった。そしてアビジャンまでの飛行機の空席状況も確認し仮予約をしておくことにした。ビザの受取は月曜日なので火曜日の8:00発。一番安いのはブルキナ航空で11797円だった。
photo2 盗難証明を持って再びコートジボアール大使館へ出向いた。そして写真とビザ代を提出した。本来ビザの受取は翌日午後3時以降となっているが、15分ほど待ちその場でビザがおりた。しかし手渡されたのは盗難証明書の裏にコートジボアールのビザが押してあるただの紙切れだった。写真も付いていない。これがいわゆる「コートジボアールへも渡航書」だが、本当にこれで出入国審査を通過できるのか、かなり不安になってきたが、他にどうする事もできない。
photo3 とにかく全てが自分の考えていた最良の方法で事が進んだ。フランス語が出来る出来ないでここまで対応が違うとは。
 今日一日でやるべき事は全て終わった。驚異的な早さだった。これも全てFさんのおかげだ。丸一日僕のために時間を裂いていただいてなんとお礼を言って良いのか。神様、仏様、F様といった感じだ。一生忘れることの出来ない人が新たに1人増えた。
 
photo4 もういつでもブルキナファソを出発できる状態になった。とりあえずアビジャンで月曜日の朝から行動を開始できるように日曜日のうちにコートジボアール入りしたい。そんなわけで日曜日のブルキナ航空を予約することにした。航空券の受け取りは明日の午前中。とりあえず明日の土曜日はここブルキナファソでのんびりしよう。夜は世話になった日本人3人と近くの屋台へ33円のぶっかけご飯を食べに行くことにした。安い。

0005. MM 2006/01/05_19:59:33
photo1 嵐のような一日だった翌日は土曜日。今日すべきことは航空券の受け取りだけだ。とりあえず9時に旅行代理店に向かった。しかし航空券はまだ届いてないので10時半以降に来てくれとのことだ。それまで電話局に行って保険会社に保険の条件(パスポート再発給待ちの間の滞在費支給)について質問しようと思ったがコレクトコールが使えなかったのでやめた。モスクやマルシェをぶらっとし、再び旅行代理店に向かった。しばらく待たされたが11時には航空券を受け取ることが出来た。
photo2  夕食は同じ宿の旅行者のNさんが雑炊を作ってくれた。午後は何もすることがなく洗濯をし、旅行者同士で雑談をしながら時間は過ぎていった。夕食もNさんがカレーを作ってくれた。今日は夜ビールを飲みに行っただけでほとんど金を使わなかった。自炊はもちろん割り勘で1人あたり29円/2食は安い。
photo3 朝7時宿を出た。2日前の朝6時に宿を出て強盗に遭ってしまったが、その時はまだ薄暗かった。でも1時間遅い今はもう明るい。でもまた強盗に遭うのはいやなのでタクシーで空港へ向かった。実際空港までの距離は中心部から2キロもないので歩いていけるのだ。速やかにこの国を離れたい。
 
photo4 ワガドゥグ国際空港はアフリカの首都の空港としてはまだましな気がする。コトヌーよりは大きい空港だ。しかしここも空調はない。今回の移動における最大の問題点はパスポートがないことだ。唯一僕の身分を証明してくれるものは盗難証明の裏にコートジボアールのビザが押してある紙切れだけだ。これがいわゆるコートジボアールへの渡航書だ。写真も付いてない頼りないものだ。もし入国管理官がフランス語しかわからずもめたら最悪だ。そんな不安からも空港には早めに来てしまった。

0006. MM 2006/01/05_20:05:29
photo1 出発の2時間前である7:30からチェックインが始まった。空港の中に入り搭乗券の受取までは何の問題もなくスムーズに進んだ。ブルキナ航空はコンピューター化されていないので手書きの搭乗券が手渡された。そのままイミグレーションへ向かった。ここさえ通過し、コートジボアールに着いてしまえばもうこっちのものだ。とにかく最後の難関だ。
photo2 イミグレーションで搭乗券と盗難証明書を差し出した。入国管理官は「これでは行けない」と言いだした。相手は多少英語を理解できたようだが、こちらからややこしい会話をしてしまうと相手が面倒くさがって相手にされない可能性があるので短く簡単な単語だけ並べ、説明することにした。「日本大使館はこの国にない」「コートジボアールに行かなくてはならない」「これがコートジボアールへの特別ビザだ」といい盗難証明書の裏に押されたスタンプ(ビザ)を見せた。相手は少し考えてから盗難証明書に出国のスタンプを押し「行っていい」と言った。かなりヒヤヒヤしてしまった。もうこれ以上Fさんを頼るわけにはいかないし、なんとかなってよかった。すごい経験だがこういうことは人の話を聞くだけで十分だ。
 
photo3 9:30発のブルキナ航空。機材はフォッカー28で一応ジェット機を使用していた。途中ボボ・デュラッソを経由、そしてアビジャンに向かった。途中飲み物とサンドウィッチ、バナナの干物が出た。アフリカの航空会社にしてはまともなサービスだった。
11:30にアビジャン国際空港に到着した。もうここまで来てしまえば引き返させられることもない。問題が起きたら日本大使館が営業を開始する明日の朝まで空港に泊まることも可能だ。
 
photo4 アビジャンの空港は西アフリカ最大の都市のわりには貧相でエアコンも効いておらず蒸し暑い空間の天井にはファンがむなしく回っている。隣りに立派な空港ビルがあるがあれはエア・アフリカやヨーロッパ系航空会社専用のビルらしい。要するにコンピューター化されていないブルキナ航空やイボアール航空などの二流航空会社がこの貧相な建物を利用しているらしい。
やがて緊張の入国。蒸し暑い室内で汗をかきながら入国審査に並んだ。でもあっさり入国スタンプが盗難証明書に押され、拍子抜けしてしまった。会話はなかった。
 

0007. MM 2006/01/05_20:08:55
photo1 とにかく無事入国。あとは明日からのパスポート再発給手続きだけだ。とりあえず蒸し暑い空港ビルから出た。空港の前にはタクシーの客引きかなんだかよく解らない連中が声をかけてくる。トレッシュビルまで495円だと言っている。しかし相手にせず少し離れた場所でタクシーを拾った。メーターを使い結果として247円とかなり安かった。アビジャンでは今後もタクシー生活になりそうだ。
久々のアビジャンはやはり大都会だった。
photo2 宿は奮発して825円のホテルアトランタに泊まることにした。その理由としてこれからはじまるパスポート再発給のため、日本大使館からの連絡を受けるための電話があるホテルでないといけないからだしかしこのホテル値段のわりにシャワーが付いているだけであまり良くない。相変わらず泥棒よけの鉄格子は窓にないし、もしクーデターで逃げ出した囚人が入ってきたらどうするんだ。とりあえず日本大使館から連絡を待つ間だけここに滞在し、いずれは移動するつもりだ。とりあえず明日次第。
photo3
トレッシュビルは日曜日でも活気があり人の往来も激しいので散歩することにした。しばらくするとガーナ人に出会った。その後彼の家に遊びに行くことにした。そこはガーナ人居住区になっていて、みんな英語を話していた。基本的には独自の部族語を話しているが英語が普通に通じるのでここだけアビジャンの中で異質の雰囲気がある。今サッカーのアフリカン・カップというのが開催されていてカメルーン−ナイジェリア戦が始まるらしく、一緒にテレビを見ることになった。ガーナ人のことだから同じ言語のナイジェリアを応援するのかと思っていたらみんなカメルーン派だった。カメルーンが点を入れると大喜びだ。なんでナイジェリアはそんなに嫌われているのだろうか。
 
photo4 アビジャン・トレッシュビルの街並み。

0008. MM 2006/01/05_20:12:50
photo1 月曜日の朝、タクシーでプラトーへ向かった。9時前に日本大使館に到着。場所はアビジャンで一番高いSIBタワーの8階だ。ビルは老朽化が進み、エレベーターは横揺れが激しく少し怖い。さて評判の悪い大使館の内部はどうなっているのだろうか。少し待たされたあと旅券再発給申請書に記入、領事の代理という人が出てきて再発給の手順について説明を受けた。そして旅行の内容や被害の状況を詳しく説明した。これと言って冷たい対応を受けることはなかった。パスポートが本当に発給されているか確認がとれるまで早くて翌日、遅くても今週の金曜日には確認が取れパスポートを受け取れるということだ。
photo2 一度トレッシュビルへ戻ることにした。タクシーばかり使うのも問題なので市バスで戻ることにした。しかし全てのバスが超満員だ。今まで市バスに乗るのを敬遠していたのはあまりにも込みすぎで乗り込む勇気がなかったからだ。しかしこれからはアビジャンでの生活が長くなりそうなのでバスは必需だ。しかしバスターミナルに行ったもののトレッシュビルに行くバスがわからない。親切な学生のおかげで目的のバスは見つかったがバスの中に入るのがやっとで、始発から超満員だ。全員スリに見えてしまう。これで料金はいくら位なのだろうと思っていたら、33円もとられた。この最悪な状況でなぜこんなにとられるのか納得できない。タクシーでも82円前後なのにもう2度と乗らないと誓った。
photo3
photo4

0009. MM 2006/01/05_20:14:56
photo1 夕方までガーナ人の家に遊びに行くことにした。
photo2 ガーナ人居住区の靴職人。みんな気さくだ。
photo3
photo4

0010. MM 2006/01/05_20:19:22
photo1 翌日火曜日は朝から予定がなく、今日はひたすら大使館からの連絡待ちだ。朝9時に大使館から連絡があればいいのだが、そんなにスムーズにはいかないだろう。予想としては今日連絡が来る可能性は少ない。10時過ぎまでホテルでうだうだしていたが、とりあえず朝食だけ食べに外へ出た。するとそこでいつものガーナ人に会った。午後に遊びに行く約束をしたが体がだるい。結局約束はすっぽかしてしまった。まだ当分ここにいるし、いつでも会えるだろう。何もしないまま夕方になった。
photo2 5時過ぎ、部屋にいたらホテルの人が電話がかかってきたと部屋へ呼びに来た。大使館からだろうか。もしガーナ人だったら怒るぞ。一目散に階段を駆け下りフロントに向かった。電話は大使館からだった。確認がとれたので明日の朝9時に大使館へ来て欲しい。その際写真3枚を準備しておいてほしいとのことだ。これで一安心。明日パスポートを取得後、その足でマリ大使館にビザ申請をすれば木曜日にビザを受け取ることが出来る。すると週2便しかないマリ航空のバマコ行きに乗ることが出来る。金曜日の夜にはバマコに到着だ。
photo3 ガーナ人の居住区にて
photo4

0011. MM 2006/01/05_20:24:15
photo1 翌日朝9時前に大使館に到着するように今日もタクシーでプラトーへ向かった。とりあえず橋だけは歩いて渡りたくない。今日もBICICIの前で降り、SIBへ歩いた。9時前にSIBタワーのロビーでインフォメーションを見ていたら領事代理の高村さんが現れ一緒に9階へ上ることになった。高村さんのおかげでまだ9時になっていないのに大使館の待合室に入ることができた。そしてその場で写真を提出した。しかし受付のおばさんは写真のサイズが合わないから取り直してくれと言いだした。このおばさんがアビジャンの大使館の評判を悪くしているのは明らかだ。対応が事務的で喋り方が冷たく、それに加えてマジックミラーなので相手の表情がわからないことで一層感じが悪い。しかたない、取り直してこよう。
photo2 今からでは時間がないのでポラロイドしかないだろう。結局昨日と同じ写真屋に行き、ポラロイドで撮影してもらうことになった。写真屋は自分の撮った写真が失敗だった事を悪く思ったからか412円のところを247円にまけてくれた。日本大使館の細かさが申し訳ない。出来た写真を持って再び日本大使館へ向かった。しかし今度の写真も陰があるだのポラロイドは色が変わるだの文句を言われたが何とか使えることになった。その場で1時間ほど待ちとうとうパスポートを受け取ることが出来た。
photo3 盗難から6日目にして国境を越えたパスポート再発給は全て完了した。パスポートの再発給自体は案外早く2,3日で発給してもらえるということもわかった。今後の参考になりそうだ。また新たに手にしたパスポートは在コートジボアール日本大使館発行になっている。これはなかなか珍しいかもしれない。しかしこのパスポートで10年過ごすのはなかなか不自由かもしれない。写真は張り付けで東南アジアでは偽造ではないかと疑われ質問は増えるだろうし、記載データはコンピューターに通すことは出来ないので出入国審査にかなり時間がかかってしまう。
photo4 その足でマリ大使館へ向かった。1650円を払い受取は明日の15時以降。その後マリ航空のオフィスへ行き金曜日のバマコ行きの便に予約を入れることにした。マリ航空もコンピューター化されておらず分厚いノートに自分の名前が書き込まれた。
 結局これで本来のルートに限りなく近づくことはできたが、「ドゴンの村」には行けなくなってしまいそうだ。とりあえずマーケットのある月曜日にジェンネに行ければ満足だ。

0012. MM 2006/01/05_20:25:32
photo1 そのままトレッシュビルに戻った。こんなに早く事が進むと思っていなかったので今日のホテル代は今朝払ってしまった。明日移動しよう。午後はガーナ人の家に遊びに行った。パイナップルの食べ過ぎか腹が痛くなってきた。
photo2 子供がかわいい。
photo3
photo4

0013. MM 2006/01/05_20:31:11
photo1 翌日午後2時過ぎ、タクシーでマリ大使館に向かった。無事ビザを受け取り、銀行にも寄ることにした。ここで全てのフランスフランのトラベラーズチェックを両替することにした。次の訪問国であるマリは両替手数料が高いからだ。ワガドゥグでも同じ事を考え実行した気がする。その時のお金は無事だったが、これでまた盗まれたら本当に一文無しになってしまう。
photo2 ワガドゥグで強盗に遭って以来、自分の思い描いていた最短の方法でマリに向かうことが現実のものになりつつある。いよいよ今日マリへの移動だ。出発は夕方15:30なのでまだしばらく時間がある。ホテルのチェックアウトは12時、それまで出発の準備をして屋上でくつろぐことにした。空港へは12時半頃タクシーで向かった。空港には13:30に来るように言われていた。でも早く着いてもどこか時間をつぶせる場所はあるだろう。なんせ西アフリカ最大の都市なのだから。近くでタクシーを捕まえ「アエロポールへ」。空港まではメーターで247円。アビジャンのタクシー運転手はメーター以上に料金を請求してこないので気分がいい。
photo3 アビジャンの巨大な空港ビルに入ろうとした。しかし入り口で止められマリ航空の客は中に入れないと言われた。そしてマリ航空は向こうだからあちらへ行けと言われた。あちらとは二流航空会社専用のボロい建物だ。ここで待てと言われても座るところすらない。道路の縁石が椅子代わりらしい。航空機利用者がなぜこんな惨めな思いをしなくてはならないのだ。やはり安い航空会社にはそれなりのリスクがある。ちなみにエアアフリカなどのメジャー航空会社に対してマリ航空やブルキナ航空などの二流航空会社は3割ほど安い。結局チェックインが始まるまでの1時間、蒸し暑い建物の前で汗をかきながら待つことになった。物乞いや胡散臭そうな連中が声をかけてくるので全然落ち着かない。こんな事ならもっとホテルでゆっくりしてくれば良かった。少し後悔。
photo4 やがて出発の2時間前になり、チェックインカウンターのある建物内部に入ることになった。相変わらずエアコンはきいておらず、扇風機だけがむなしく回る薄暗い空間だ。建物の中に入ってもまだ胡散臭い正体不明の連中が話しかけてくる。そして僕のチェックイン手続きを手伝おうとしてくる。関わりたくないがかなりしつこい。結果的に奴らは全て物乞い。金を要求してくる。「頼んでない」と怒鳴りつけ相手にせず搭乗口へ向かった。イミグレーションの役人は問題なかったが、まったく油断の出来ない国だ。しかし僕のチェックインを手伝おうとした奴は飛行機の客だったらしく搭乗口の中でも「なんかくれ」とか言いだした。なんなんだこいつらは。一体何を信じていいのかわからない。悲しい話だが、とりあえず全員泥棒と思って行動するのが安全であるのは確かだ。

0014. MM 2006/01/05_20:34:59
photo1 バマコ行きマリ航空はブルキナ航空と同じでフォッカー28を使用していた。機内は自由席なのでアフリカ人が搭乗タラップに殺到、押し倉まんじゅうだ。もうちょっと何とかならないものだろうか。アフリカの飛行機はまさに空飛ぶ乗り合いバスだ。途中のサービスは飲み物が出ただけだった。1時間半後バマコに着陸。ここもブルキナファソ同様湿度が低いのでさわやかだ。空港も実にのんびりした感じだ。入国はスムーズだった。しかしクオランティーンでイエローカードを見せろと言われた。僕は今までイエローカードがないことをすっかり忘れていた。やばい。そんな物はない。とりあえず警察証明を見せようとしたら検査官はその紙をイエローカードと間違えたらしく、内容も確認せず通っていいと言われた。一安心。
photo2 荷物を受け取り外へ出た。しかしタクシーの客引きはほとんどおらず、拍子抜けしてしまった。バスはないのだろうか。しばらくするとタクシーの運転手らしき男が話しかけてきた。とりあえず交渉することにした。バマコ中心部まで990円と言っていたが、825円に下げ僕は中心部まで行かずガルルティエール(バスターミナル)まででいいので660円にしてくれと粘った。しかし競争がないのでこのタクシーに乗るしかない。
photo3 今夜バマコに泊まるつもりはない。このままバスターミナルへ向かい、そこからモプティーへ向かう夜行バスに乗るつもりだ。空港から直接バスターミナルへ向かった。市内まで17キロと聞いていたが、バスターミナルはかなり空港寄りにあったようで案外早く到着した。バスターミナルに入った僕のタクシーに客引きが群がってきた。時速20キロぐらいで走っている車に客引きが飛びつき、しがみついてきた。危ない。めちゃくちゃだ。間違ったらひき殺されてしまうぞと思いつつもその熱心さに少し感心してしまった。またそれと同時に今後のマリ旅行を悲観してしまう光景でもある。これから観光立国マリの旅は大変そうだ。
photo4 バスの料金に関しては料金表もあり、ぼられる心配はなかった。しかし荷物代は適正価格がわからない。でも利用することになったバスにはフランス語の出来るオーストリア人が一緒なのですごく安心だ。とりあえず道中、現地人の集中攻撃を受けずに済みそうだ。バスは途中検問だらけ。しばらく走るとまた検問。他のバスは先に行っているのなぜこのバスは検問が多いのだ。バス会社によってコネがあるのだろうか。僕は飛び込みでこのバスに乗り込んでいるので諦めもつくが、オーストリア人は前もって予約し出発予定時刻の16時にはここへ来てバスを待っていたのだ。結局バスが出発したのは3時間後の19時だった。そしてこの検問地獄。まあのんびり行くか。

0015. MM 2006/01/05_20:38:44
photo1 バマコからモプティーは距離にして約600キロ。12時間かけて走り、モプティーに到着したのは朝7時過ぎだった。
これで1週間前にブルキナファソでパスポートを盗まれ、再発給のためにコートジボアールを経由して、やっとあの日の朝向かおうとしていたモプティーに到着したことになる。実に遠回りをしてしまったものだ。
モプティーのモスク
photo2 これで予定通り西アフリカ横断を継続できることになった。次の目的地はジェンネのモスクだ。
photo3
photo4

0016. MM 2006/01/06_19:05:42
photo1 本来ならワガドゥグからダイレクトでモプティーにはいるはずだった。地図上の点線が予定していたルートだ。しかし空路アビジャンに飛び、さらにバマコに飛んだあとバスでモプティーに戻るような感じで、予定のルートに復帰することができた。
もう二度と経験したくなかった出来事だが、今となってはいい思い出だ。
photo2
photo3
photo4

0017. MM 2006/01/21_21:34:19
photo1 この旅行は1999年1月〜3月に行ったものです。2006年1月現在コートジボアールは政情不安から内戦の状態にあり、アビジャンの日本大使館職員にも退避勧告が出され、一般旅行者には陸路での移動は難しいかもしれません。現在この界隈でパスポートを失うといったいどうなるのか想像もできません。誰か試しにパスポートを盗まれてみてはどうでしょうか。情報お待ちしています。
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0018. MM 2006/01/21_21:41:05
photo1 このスレッドの写真が白黒なのはカラーフィルムを入れていたメインカメラを盗まれてしまったため、サブとして持っていたカメラに入っていた白黒フィルムを使い切る仮定でこうなりました。続きはまたカラーに戻ります。
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