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西アフリカ横断④(マリ、セネガル、ガンビア)

0001. MM 2006/01/06_18:56:39
photo1 マリに来た。西アフリカの横断旅行もゴールが見えてきた。しかしパスポート紛失というトラブルのおかげで時間がなくなってしまい、ドゴンの村はあきらめることにした。モプティのガイドはドゴンへ行こうと勧めてくるがもはや必要はない。
photo2 とりあえず今夜はオーストリア人と一緒にモプティーに泊まろうと思い。モプティで一番安い「バルマリ」に向かった。ガイド他3,4人の男が僕たちの後をつけてくる。約2キロ歩き、バルマリという宿に着いた。しかしまだ朝早いということで部屋が一つしか空いてなかった。僕は早くジェンネに向かいたかった。モプティーは場合によってはまた戻ってくる街でもあるので無理してここで1泊する必要はない。この部屋はオーストリア人に譲り、彼とはまたジェンネでの再会を約束し、僕1人でジェンネ行きのブッシュタクシーが出る場所へと向かった。ついでに警察でレジストレーションを済ませることにした。
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0002. MM 2006/01/08_22:56:06
photo1 マリではトラックの荷台に椅子を取り付けた乗り合いタクシー(ブッシュタクシー)を「バッシェ」と呼ぶ。しかしこのバッシェ、人が集まらないと出発しない。
photo2 僕と同じくジェンネへ行こうとしているフランス人の3人組がすでに待っていた。再び英語の出来る人と一緒に移動できることでまた気が楽だ。やはり観光国マリは欧米人旅行者が多いので今後旅行はかなりしやすいかもしれない。今までがひどすぎた。3人のうち1人はアジア系のフランス人だ。アメリカやヨーロッパではルーツを聞くのは歳を聞くのと同じぐらい遠慮してしまう。そのことについて質問。みんなアジアには行ったことはないらしい。彼女たちはNGOの職員でバンディアガラで活動しているらしく、今回は週末の休みを利用してジェンネを観光するらしい。
 
photo3 それにしても出発しない。結局4時間以上待たされ、バッシェがモプティーを出発したのは11:30になってからだ。車の荷台には17人が詰め込まれている。信じられないが事実だ。中ではほとんど身動きがとれない。これで事故ったら最後だ。バッシェは途中エンジンに冷却水を入れるため停まったり、休憩したりでなかなか進まずジェンネへの分岐点に到着したのがすでに午後3時過ぎだった。
photo4 幹線道路からそれ、そのままジェンネに向かった。途中この先本当に村があるのだろうかと疑ってしまうほど交通の往来が無く、またあたりには広大な湿地が続いている。そして最終的にバニ川と呼ばれるニジェール川の支流を渡し船で渡った。ジェンネの街はこの川の中州にある。水上交通の要所として栄えたので陸路で行くのは今でも大変だ。

0003. MM 2006/01/08_23:00:10
photo1 午後4時過ぎジェンネの街に到着した。ジェンネの街の入り口に当たるゲートだが、今は使われていない。
photo2 壁に囲まれた町中は人は多く、しっかりとした一つの街だ。とうとうジェンネにやってくることが出来た。ここは僕自身今回の西アフリカ旅行のハイライトと考えていた場所だ。ワガドゥグで強盗に遭ったときはもうここには来られないのではないかと思ったが、たくさんの人の協力があって何とかここにたどり着くことが出来た。ここに到着したことによって今後の予定にもかなりゆとりが出来た。
photo3 バッシェはジェンネを象徴する建造物「グランモスク」の前に到着した。
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0004. MM 2006/01/08_23:08:09
photo1 ジェンネでは「シェ・ババ」という宿に滞在する事になった。この街のハイライトであるモスク同様この宿も土壁で造られていた。室内は埃っぽくマットレスがあるだけの簡素な部屋だが、ここ以外に泊まる場所はない。部屋に水道はないが、共同のシャワーや水道は水が豊富に出るようなので安心だ。
photo2 グランモスクの広場は静かだ。しかし毎週月曜日に開かれるマルシェになると辺りは一変するはずだ。
photo3 夕暮れのモスク
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0005. MM 2006/01/11_22:44:19
photo1 ジェンネといえばモスク。ホテルの屋上からもモスクが見える。
photo2 しかし小さな街だ。街を歩いているとガイドをやりたいという奴がいるが、他に案内される場所なんかないだろう。やがて日差しが強くなってきた。路地裏では子供が自転車のタイヤで遊んでいた。
photo3 ジェンネは川の中州にあり街をはずれると水が豊かな風景に出くわす。
photo4 昨日たくさんいた欧米人はみんなジェンネに1泊だけして帰ってしまったようだ。昨日一緒だったフランス人も今朝会い、ちょうどモプティーに戻るところだった。ジェンネに残された外国人は僕だけになってしまった。でも明日月曜市が開かれるので午後になってから昨日以上の観光客がこの街にやってきた。モスク前には次第にバッシェやミニバス、チャーターされた車、または物資を乗せたトラックが続々と到着しつつある。夕方になって再び活気が出始めた。

0006. MM 2006/01/11_22:48:09
photo1 夕暮れのジェンネ
photo2 朝7時広場に出てみた。そして自分の目を疑った。一体どこからこれだけの人が集まってきたのだろうか。
photo3 辺りは昨日までの静けさとはうって変わって人と物で溢れかえっている。足の踏み場もない状態でまっすぐ前に歩くこともできない。マーケットは10時過ぎから始まるらしく、まだ準備段階だった。ジェンネの月曜市といってもとくに買いたい物があるわけではない。とにかく雰囲気を味わいたかっただけだ。日差しも強くなりマーケットは始まりつつあるようだ。
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0007. MM 2006/01/11_22:51:08
photo1 ジェンネの月曜マルシェは西アフリカを代表する名所だ。今回の西アフリカ旅行の最大の目的地がここ「ジェンネのグランモスクと月曜市」。世界遺産にも登録されている。
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0008. MM 2006/01/15_19:44:00
photo1 ジェンネのマルシェを見て満足し、バマコへ移動することにした。
 バマコへのミニバスは13時頃から頻繁に出るらしい。昨日からチケットを予約してやるという奴がいたが、アフリカで予約ほど信用できないものはない。鉄道の予約ならある程度信用できるのだが。案の定バマコ行きのミニバス(ワゴン車)はすぐに見つかった。座席は横向きだがスペースに余裕はあるし、今回は楽な移動になりそうだ。ワゴン車はかなりのハイペースで飛ばし、バマコへ向け走り続けた。
 
photo2 やがて日は暮れ、21時にセグーに到着した。そこでなぜか僕だけ別のバスに乗り換えさせられた。同じワゴン車の客は全員セグーへ行く人たちだったみたいだ。はめられた。これで別に金を請求されたらもちろん切れていただろうが、その心配はなかった。乗り換えさせられたバスは現地人ばかりの中型バス。回りの視線が冷たい。バスはさらに4時間走り続けた。
photo3 結局バマコに到着したのは深夜1時半。数日前モプティへ向かう時利用したガルルティエール(ターミナル)は通り過ぎて、橋を渡り到着したのはバマコの中心部だった。しかし到着したもののこれからどうすればいいのだろうか。同じバスに外国人は乗っておらず不安だ。1台のタクシー運転手が当然のように僕に近づいてきた。とりあえずどこでも良いから近くのホテルに行ってもらうことにした。しかし5件以上回ったが全て満室だった。どうなっているんだ。バマコの宿事情はもしかして悪いのか。それとも深夜だから込んでいるだけか。結局郊外の宿にも行ってみたが全て満室だった。最悪だ。
photo4 ジェンネで同じ部屋にいた日本人がバマコでソフィテル系の「ラミティエ」に泊まったと言っていた。1泊100ドル弱。心が動いた。ここまで苦労してきたのだからたまには最高級ホテルに泊まるのもいいかもしれない。時間も時間だから割引もきくかもしれない。タクシー運転手に「ラミティエへ行ってくれ」と告げた。タクシー運転手には1時間以上つきあってもらったので825円払うことにした。こんなホテルに泊まろうとしている人間がセコいことを考えてはいけない。
 しかし甘かった。この高級ホテルでさえ満室だ。一体この街はどうなってるんだ。またラミティエのフロントは高級ホテルのくせに態度が悪い。「部屋はない」という言い方にも礼儀があるだろう。アフリカ人の冷たさはなんだ。アフリカでは安宿より高級ホテルの方がサービスが悪いというのもおかしな話しだ。

0009. MM 2006/01/15_19:55:19
photo1 野宿でもかまわない。ホテルラミティエの前には広場がある。しかし一度は高級ホテルに泊まろうと決心したのだ。さっきのタクシー運転手が心配そうにやってきた。ぼくは「どこでもいいからホテルにつれて連れて行ってくれ」と頼んだ。
まず向かったのはバマコ駅の裏にあるグランドホテルで外観はぼろいが内部はかなり豪華な雰囲気だった。フロントの対応も丁寧だ。しかし満室。ちなみに1泊8250円だった。
他にもノボテルがある。ノボテルも満室。
photo2 どうなっているんだ。天を仰いだ。
今夜は野宿だとあきらめていた僕に運転手が「まだある」と言ってきた。タクシー運転手は猛スピードでニジェール川を渡り、街の南側に向かった。そして到着したのは1軒の民家だ。辺りは閑静な高級住宅街。どうやらここはプライベートルーム(民宿)のようだ。僕はこんないいところがあるなら最初から連れてくてくれとうれしい悲鳴を上げた。ちなみに1泊1650円と今まで歩いてきた安宿の中では一番高いが、一番きれいでお湯もふんだんにでる。スタッフも英語が堪能で不自由しなさそうだ。
眠りについたのはすでに4時前だった。
写真はバマコのプライベートルーム。
photo3 翌日は歩いてニジェール川を渡りバマコの中心部へ向かった。
photo4 バマコ中心部の教会。

0010. MM 2006/01/15_19:55:31
photo1 野宿でもかまわない。ホテルラミティエの前には広場がある。しかし一度は高級ホテルに泊まろうと決心したのだ。さっきのタクシー運転手が心配そうにやってきた。ぼくは「どこでもいいからホテルにつれて連れて行ってくれ」と頼んだ。
まず向かったのはバマコ駅の裏にあるグランドホテルで外観はぼろいが内部はかなり豪華な雰囲気だった。フロントの対応も丁寧だ。しかし満室。ちなみに1泊8250円だった。
他にもノボテルがある。ノボテルも満室。
photo2 どうなっているんだ。天を仰いだ。
今夜は野宿だとあきらめていた僕に運転手が「まだある」と言ってきた。タクシー運転手は猛スピードでニジェール川を渡り、街の南側に向かった。そして到着したのは1軒の民家だ。辺りは閑静な高級住宅街。どうやらここはプライベートルーム(民宿)のようだ。僕はこんないいところがあるなら最初から連れてくてくれとうれしい悲鳴を上げた。ちなみに1泊1650円と今まで歩いてきた安宿の中では一番高いが、一番きれいでお湯もふんだんにでる。スタッフも英語が堪能で不自由しなさそうだ。
眠りについたのはすでに4時前だった。
写真はバマコのプライベートルーム。
photo3 翌日は歩いてニジェール川を渡りバマコの中心部へ向かった。
photo4 バマコ中心部の教会。

0011. MM 2006/01/15_20:07:45
photo1 バマコからセネガルのダカールへは列車で向かうことにした。今回の旅行で2度目の鉄道移動だ。バマコを出発したのは予定より2時間遅れの11時40分だった。どうも対向の列車が遅れて出発できなかったようだ。
窓の外は延々と草原が続き単調ですぐに飽きてしまった。途中の駅で買い食いするのが唯一の楽しみになっる。
photo2 列車は出発した翌日の16時にセネガルの首都ダカールに到着する予定だった。しかし遅れに遅れてまだ内陸部のタンバクンダだ。
やがてこの列車に乗って2度目の夕日を見ることになった。結局ダカールに到着したのは日付が変わり深夜の4時前だった。バマコからの所要時間は42時間だった。
photo3 ダカールは今までの国にはない洗練された雰囲気がある。アビジャンのように高層ビルなどはないが街並みじつに自然だ。誇りっぽくなく、商店もきれいでゴミも落ちてない。ヨーロッパに来たみたいだ。
とにかく普通の国に来たという感じだ。
photo4 ダカールで滞在したホテルコンチネンタル。

0012. MM 2006/01/15_20:16:34
photo1 セネガルのダカールからガンビア共和国へ行くことにした。ガルルティエールからブッシュタクシーで3時間、国境のカオラックに到着した。ガンビアビザは国境で取得可能だ。ガンビアは公用語が英語なのでホッとする。西アフリカではガーナとともに安らぎの国だ。やがてブッシュタクシーの終点のバラに到着した。ここからガンビアの首都バンジュルにはフェリーでわたることになる。船は超満員で難民船のようだ。
photo2 やがてバンジュルの港湾施設が見えてきた。けっこう近代的だ。
photo3 バンジュル港は大型船も停泊できる。しかしその近くの浜辺では子供の遊ぶ姿も。
photo4 バンジュルで滞在した宿。「DUMAゲストハウス」1泊1000円。今思えばボロボロの宿だが、これでもかなりまともに思え、朝食付でバンジュル滞在はずいぶん快適だった。

0013. MM 2006/01/15_20:20:31
photo1 ガンビアの首都自体見るべきものはなく、海のあるバカウという街へ行ってみた。ここはリゾート地で欧米人のツーリストもちらほら見かけた。英語圏ということでイギリスなどからダイレクトでこの国に来る人も多いようだ。
バカウのビーチにて
photo2 バカウにはワニをさわれる池がある。ここのワニはおとなしいが噛まれないという保証はない。
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0014. MM 2006/01/16_20:32:32
photo1 ダカールに戻った。西アフリカ旅行もあとわずか。最後に向かった先はダカールの沖合に浮かぶ世界遺産の「ゴレ島」だ。
ゴレ島まではダカールの港から20分で到着する。案外大きな島だ。
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photo3 奴隷の家。ここはアフリカ系アメリカ人にとっても重要な場所でアメリカ人の姿も多く目につく。ここは人気の場所で入場制限があり、午後になってやっと入ることができた。この場所から多くの奴隷が新大陸へと積み出されたのだ。
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0015. MM 2006/01/17_22:39:05
photo1 帰国の日、1ヶ月以上を過ごしたアフリカともお別れだ。タクシーで空港へ向かうことにした。30分で空港に到着しメーターで446円だ。少し早めに到着したつもりだがちょうどいい時間でチェックインが始まった。相変わらず手続きはのろいおまけに受け取った搭乗券の席は自由席だった。やれやれ。
photo2 モスクワからの疲れた客を乗せた飛行機はすでに到着しているようでトランジットルームはざわついていた。モスクワからの西アフリカ便は三角に飛んでいる。いわば終点のない便だ。そんなわけでアクラ・コトヌーとどうようにダカールからコナクリまではモスクワからの乗客とモスクワへ向かう乗客が重なることになる。ダカール線の機体は往路同様旧ソ連製だが、機体は比較的新しく足下も広々としていて快適だ。しかし荷物棚に扉がない。これでは列車のようだ。振動で荷物が落ちてくるのではないかと不安になったがしかたない。ロシアの飛行機では国際基準の常識が通用しない。
 さて離陸。荷物が落ちてこないか注意していたが問題なかった。経由地のコナクリまでは一時間半ほどだ。途中のサービスはコーラのみ。
photo3 12時半にコナクリに到着した。ターミナルビルはそれなりに立派だ。空港内にエアコンは効いていたが空気は悪い。一時間のトランジットののち飛行機に戻った。そして全員席に着き出発するのかなと思っていたら(フランス語のみで意味不明だったが)放送が流れた。どうもエンジントラブルが起こったらしく、再び飛行機から降りなくてはならないらしい。しばらくするとエンジンが止まり機内のエアコンも止まり汗がだらだら出てきた。とりあえず荷物をまとめて機外へ出るしかないようだ。再びトランジットルームに戻り待機。説明がないので状況が全く把握できない。一時間以上待たされ今日の出発は無理だと知らされた。出発は明日。今夜のホテルは用意してくれるらしいが困ったものだ。今回は帰国を急ぐ必要もないので、滅多にできない経験だとひらきなおろう。
photo4 ダカールからは僕たち以外に三人の日本人が搭乗していた。そしてここコナクリからも三人の日本人が加わった。全員で7人の日本人がいることになる。空港はいろいろ混乱しているらしくホテルへの車が手配されたのは夕方5時だ。それまで何も食べることができず、ビーナッツで空腹を紛らわすことにした。
やがて空港からワゴン車に乗せられコナクリの中心部へ向かった。
ギニア共和国。オスマン・サンコンの出身国でもある。旧フランス植民地の中で唯一セーファーフラン(西アフリカ統一通貨)を使用しない独特の国。突然訪問の機会がやってきたのはすこしうれしい。ここもイスラム教の国らしく巨大なモスクが見える。

0016. MM 2006/01/17_22:39:58
photo1 はたしてどこに連れて行かれるのだろうか。そのときノボテルの看板が目に入った。この一ヶ月安宿ばかりで高級ホテルとは無縁だった。少し期待がふくらむ。
ワゴン車はコナクリの中心部を通り過ぎ、海に面した広い敷地にある建物の前に到着した。そこは「ノボテル・コナクリ」。期待が現実となった。
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0017. MM 2006/01/20_19:40:20
photo1 到着した客はフロントで順次名前を登録し、部屋のキーを受け取った。さすがに空港から大量の客が押し寄せたのでフロントはパニック状態だ。サービスはおろそかだが無料なので文句を言うのはやめよう。基本的にアフリカの高級ホテルでサービスを期待するのはやめたほうがいい。バマコでひどい目にあった。
とりあえず今夜は豪華な空間でリラックスだ。
部屋の窓の外には大西洋が広がる。
photo2 客室。
photo3 それにしても夕食の情報が全然来ない。本来なら部屋に連絡が来るはずなのだが。仕方ないのでホテルで両替し、ホテルの外へ買い出しに行くことにした。パスポートをフロントに預けているのであまり遠出はできない。そもそも今回のギニア入国はビザもないのでどのような扱いなのか把握していない。ギニアは賄賂大国だ。警官に捕まってパスポート不携帯などと知られたらどんな目に遭うかわかったのもではない。トラブルはご免だ。
photo4 結局この日夕食を食べたのは9時頃だった。チキンとフレンチポテト。サラダもつけることにした。支払いはすべてアエロフロートだ。もっと注文しておけばよかったと後悔した。結局よくわからない1日はこれで終わった。1ヶ月ぶりのバスタブに体を浮かべ、CNNをみて就寝。

0018. MM 2006/01/20_19:43:48
photo1 翌朝朝食の連絡を待っていても仕方ないのでこちらから食堂に様子を見に行くことにした。そのままレストランに入ることができるらしい。朝食はバイキングを期待していた。しかしアエロフロートの客は2階の質素な専用レストランに案内された。パンとオレンジジュース、コーヒーとパイナップル。食べた気がしなかったが、オレンジジュースは本当の生搾りであまりのうまさに目が覚めた。
出発はいつになるのかわからないが、しばらくコナクリの街を散歩することにした。しかしやけに警官や兵士の姿が多くあまり遠出はできなかった。
photo2 9時前になったら出発のめどがついたようでフロントでチェックアウトすることになった。キーを返し、レシートにサインをした。レシートに書かれた金額は100$弱だった。
photo3 ホテルが用意したワゴン車で空港へと向かった。2台で向かったのだが、もう一台の方がパンクして立ち往生。でも予備のタイヤがあるらしくすくに取り替えることができた。
空港に到着。X線の検査も受けず出発ロビーに通された。これではハイジャックも用意だ。
その後パスポートが返され飛行機に乗ることになった。
photo4 駐機場にはアエロフロートの同機種が2機停まっていた。手前にあるのは昨日ダカールからここまで利用した飛行機だ。そして向こうにある機体は昨日急遽モスクワから呼びよせ、今朝到着したばかりの飛行機だ。今日我々はこの飛行機でモスクワへ戻ることになる。コナクリには機体を修理できる技術者がいないようで故障すると面倒だ。
12時に離陸。今度こそモスクワに行けそうだ。結局モスクワに到着したのは現地時間の深夜2時だった。

0019. MM 2006/01/21_19:04:20
photo1 1ヶ月ぶりにモスクワ・シェレメチボ2空港に戻ってきた。アフリカから戻ってくると実に洗練された最新設備を誇る空港に思える。3月初旬のモスクワはそれほど寒くなく、氷が張っているがせいぜいマイナス5度くらいだろう。
それはさておきセネガルからの便が大幅に遅れてしまい乗り継ぎの便は存在しない。これからどうなるのだろうか。
photo2 どうやら出発は1日遅れの東京行きを確保してくれるようでそれまで過ごすホテルを用意してくれるらしい。ホテルに案内されたのは午前4時。出発は今夜の19時だ。12時間以上ホテルに滞在することになる。
連れて行かれたホテルは再びノボテル。
「ノボテル・シェレメチボ2」。普通に宿泊すれば300$はする超高級ホテルだ。しかしアエロフロートの客の部屋は乗り継ぎ客も利用するトランジットフロアーだ。ここは12000円で日本で予約できる。噂には聞いていたが、まさに監禁状態のホテルだ。ホテルの外に出られないどころかフロントのある1階にも行けない。通路には監視カメラがセットされすごいセキュリティーだ。とにかく出発の2時間前までフロアから出られないようだ。
photo3 トランジットルームだからといって部屋が劣っているわけではない。300$の部屋とは差はあると思うが12000円のトランジットホテルとしては値段相応で設備はしっかりしている。
NHKも久々に視聴した。
photo4 朝9時朝食の準備ができたと電話が入った。エレベータ前に集合して係員に連れて行かれた先は1階の会議室のような場所だ。ここで朝食をとることになった。ユースホステル並に質素でパン3枚と紅茶だけだ。無料とはいえ頭にきた。おまけに食べている間も監視が付き勝手な行動はできない。囚人になった気分だ。食べ終わったら再び客室(牢獄)のあるフロアへ引率された。まぁ出発直前まで部屋でごろごろできるは楽だけど。

0020. MM 2006/01/21_19:10:46
photo1 昼過ぎまた電話があり、昼食の準備ができたとのこと。昼食はチキンのフライとスープ、サラダと紅茶。量は少ないが味はなかなか行ける。一応高級ホテルのシェフが作っただけのことはある。
photo2 部屋に戻りた退屈な時間が過ぎていった。窓の外にはターミナルビルと航空機。
最終的に16時に出発の準備をしてくれ連絡が入った。いよいよ空港へのバスが出るらしい。東京行きの搭乗券を受け取り、やっと帰国だ。終わってみればアエロフロートにはいい経験をさせてもらったと感謝。
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