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ウズベキスタン(アラル海とシルクロード遺跡)

0001. MM 2006/04/04_23:23:39
photo1 2006年3月。約2週間ウズベキスタンを旅行してきました。航空会社は韓国のアシアナ航空で韓国にも立ち寄りましたが、ここではウズベキスタンの旅行を中心に綴りたいと思います。
photo2 成田からソウルで1泊し、ウズベキスタンの首都タシケントに到着したのは夜10時過ぎでした。日本や韓国との時差は4時間遅れだ。
 タシケント空港到着後、タラップを下り、バスでターミナルビルに運ばれた。ターミナルビルに到着した時、自分の前の扉が開いたとき、到着ゲートに一番近く、一番乗りで入国審査を受けることができ、並ばずにすんだ。
 ウズベキスタンの税関は妙に立派で申告書を提出しX線検査を受けた。そして人集りの到着ロビーに出た。人は多いが静まりかえりみんなおとなしく到着客を待っている。
photo3 早速タクシー運転手が声を掛けてきた。僕はとりあえず両替所を探そうとしたら運転手はそれを察知したようで案内してくれた。航空券オフィスの中に両替所があり、ここでまとまった額を両替することにした。ついでに明日のヌクス行きの航空券を買おうと思った。しかし便は1日1本しかなく明日は満席とのことだ。タクシー運転手はバスなら今からでも出発できると言っている。
 タシケントで明後日までダラダラしていても仕方ないので、この運転手にバスターミナルへ連れて行ってもらうことにした。言い値は10$。バスターミナルまで遠そうなのとバスターミナルでバス探しを手伝ってもらいたい(この運転手は英語を話せるのでバスの運転手とも話をつけることができるかもしれない)。そう思い妥協した。
photo4 かなりの距離を走り、バスターミナルに到着した。ターミナルといっても照明もないだだっ広いただの空き地でそこにバスが不規則に停まっている。この中からヌクス行きのバスを探すのは至難の技だ。運転手の助けがあり、何とか目的のバスは見つかった。しかしそのバスだけ人でごった返し、車内に我先にと乗り込もうとする人たちでバスにも近づけない状態だ。暗闇の中この人集りを見て一人だととてもじゃないが乗る勇気はわかなかっただろう。でもタクシー運転手はバスの運転手に20$の賄賂を払い、運転席の扉から割り込ませてくれるよう話をつけてくれた。外国人の特権だ。結果すんなり運転席の後ろの足を伸ばせる快適なシートを確保できた。空港でたまたま声を掛けてきたタクシー運転手への10$は決して無駄ではなかった。

0002. MM 2006/04/05_16:21:47
photo1 バスの乗客は全員がヌクス行きではなく、途中のサマルカンドなどに行く人たちが大半のようだ。週末の金曜日の夜ということでこの混雑にも納得できた。週末を利用して里帰りをする学生も多く、英語で話しかけられ、少し気分も楽になった。
photo2 バスの運転手に払った20$にバスの運賃も含まれているのかと思ったら別に車掌のおばさんがいてしっかり8000ソム(800円)請求された。バスは深夜0時過ぎにタシケントを出発。検問所などで扉が開くたびに冷たい空気が入ってくる。でも走っているときは隙間風もなく快適だ。しかしトイレ休憩がない。頻繁にバスは停車するがいつも乗客の乗り降りだけだ。なぜみんなトイレを我慢できるのか不思議だ。結局日が昇り7時頃になって初めてのトイレ休憩となった。しかし男性陣のみで女性には無理だ。その後しばらく走ったガソリンスタンドで女性陣もトイレ休憩となった。
写真はヌクスへ向かうバス。
photo3 日が昇り暑くなってきた。でも乾燥しているのでカーテンを閉めればジャケットを着ていてもちょうどいいくらいだ。外は風が冷たく涼しい。そんな中、朝9時にブハラに到着した。バスの乗客は4分の1に減っていた。
 とりあえずバス停のチャイハネでマントウを食べることにした。マントウとは羊肉の蒸し餃子だ。ちょうど出来たてで美味い。
写真はブハラで長時間の休憩に入ったときのもの。みんなヌクスへ行く人たち。
 
photo4 それにしてもヌクスまで行くはずのこのバスいったいいつになったら出発するのだろうか。最初午後1時と言われたのが3時になり、さらに4時半になった。何度も嘘を付かれたあげく5時半になってやっと出発した。しかし街を出たあとしばらくして1軒の民家の前でまた待たされることになった。故障ならわかるがワケのわからないやつを待つのは勘弁してもらいたい。他の客はなぜ文句も言わず待てるのか不思議で仕方ない。ソ連崩壊の激変の時代を生きた人々にとってこのような待ち時間など屁のカッパなのだろうか。
 バスが本格的に出発したのは日が暮れた午後7時を過ぎてからだった。もう今日中にヌクスに到着するのは無理だ。宿代がさらに1泊節約できるということで納得しよう。バスは猛スピードで走り出した。
 

0003. MM 2006/04/06_22:38:16
photo1 途中大きな町はほとんどなく日付が変わった深夜2時にヌクスに到着した。
めちゃくちゃ寒い。昼間の格好なので無理もないが今ここで着替えるわけにもいかないし困ったものだ。ヌクスは大都市らしいが深夜の今、街灯も建物の明かりもなく真っ暗だ。こんな所で降ろされたら野犬の餌食になってしまう。タクシーおろか他に車も走っていない。
そんな中、バスの運転手がうちに泊まりに来てもいいと言ってくれた。これはうれしい。バスの乗客全員を降ろしたあと、運転手の家に向かった。バスはこれから世話になる運転手の所有物ではなく、運転手は一労働者に過ぎなかったようでバスはもう一人の運転手の手によって走り去っていった。ちなみに運転手の名はハムラートさんという。
 
photo2 今までたくさんの家にホームステイしてきたが、今回の滞在先の生活環境はかなり厳しいかもしれない。部屋の中は暖かかったので救われた気分だったが、この家には水道がない。正確には水道はあるが水が通っていないのだ。ソビエト時代は最低限の生活が保障されていて、水道もちゃんと開通していたのだろう。しかしソ連崩壊末期あるいはウズベキスタン共和国として独立したあと生活環境は悪化してしまったようだ。水道の蛇口が錆び付いているのを見ると現在の生活の苦しさが伝わってきて悲しくなってしまう。かろうじて電気は通っているがいつ停電してもおかしくない様な頼りなさだ。暖房は電気に頼っている。
写真は運転手のハムラートさんと長男のサンジェル
photo3 家の中は広々としていて部屋も多いが、何もなく壊れたテレビやステレオが隅に置かれていた。水は家の裏にある給水タンクに貯めてあるようで洗面器一杯の水をもらうのも気が引けて申し訳なく思うが、温かいお湯をもてなされて感激した。
夜食としてパンと目玉焼きそしてお茶が出され運転手のハムラートさんと共に口にした。ハムラートさんの長男(サンジェル)が起きてきて少し話したあと、サンジェルの部屋で眠ることになった。
昨日の昼間、ブハラでバスの出発を待っている9時間の間、何度も発狂しそうになり、タクシーでヌクスに行くことばかり考えていた。でもバス代をヌクスまで払っていたのと運転手に20$払ったのが無意味になるというセコさが僕をあのバスで待たせたのだが、その結果このような貴重な体験をすることになった。
photo4 明日のムイナクへのタクシーもハムラートさんが探してくれるらしく、親切な人に出会え旅がスムーズに進むことがうれしい。午前4時、暖かい部屋で就寝。

0004. MM 2006/04/06_22:45:59
photo1 朝8時には完全に目が覚めた。ハムラート一家には3人の子供がいて昨日遅くまで起きていた長男はまだ寝ているが、二人の息子がいて次男のアクメンと三男のホシットと朝食をとることになった。食事をしたあとハムラートさんはタクシーを呼びに電話を掛けに行ってくれた。結果タクシー代はムイナクへの往復で60000ソム(50$)とのこと。思ったより安く済んだ。
写真は次男のアクメンと三男のホシット。
 
photo2 ハムラートさんの家の前にて
photo3 9時前にハムラートさんがタクシー運転手を連れて家に戻ってきた。つかの間の滞在だったが、ハムラート一家とはお別れだ。ウズベキスタン人の生活に少しでも入り込めて良かった。今までウズベキスタン人に対してロシア人の様に人に無関心で冷たいイメージを持っていたが、今回それは覆された。中央アジアの人にも南アジア人の気さくな人柄と同様のものを感じることができたからだ。今回の出来事によりこれから始まるウズベキスタン旅行への期待は膨らんだ。
写真は出発前お世話になった家族と記念撮影。また会える日が来ればいいのだが。
 
photo4 タクシーはソ連製のオンボロ大衆車ではなく、韓国製大宇の「ネクシア」なので快適だ。ムイナクまでは約2時間。タクシー運転手は途中、羊や馬の群れ、橋や看板の前で写真を撮るように促してくれスピードも落としてくれる。なかなかサービス精神旺盛で気が利くいい運転手だ

0005. MM 2006/04/07_18:33:03
photo1 ヌクスとムイナクの中間にあるコングラートまではけっこう車の行き来が多く、送電線なども無数に立っていたりして僻地に来たという実感はない。
一帯は農業用水用の運河が張り巡らされ、のどかな穀倉地帯が広がっている。しかしこの豊富な水を維持するために世界最大級の湖「アラル海」は姿を消してしまったのだ。アラル海が枯れてしまった原因はウズベキスタン内の灌漑設備が原因であるのは紛れもない事実だ。途中雪かと思わせる白い大地も広がっているがそれは塩によるもので塩害もけっこう深刻だ。
photo2 オンボロバスを追い抜く。
コングラートを過ぎた辺りからムイナクまでは車とはほとんどすれ違わなくなった。辺りは荒野になった。まさに地の果てだ。
photo3 ムイナクが近づいてきた。ようこそムイナクへとでも書かれているのだろうか?
photo4 ムイナクに近づくにつれ再び運河が張り巡らされた穀倉地に戻った。また驚いたのはムイナクの市街地の脇には大きな湖が存在したことだ。しかしかつてのアラル海とは比較のしようもないような小さな池と表現した方がいいような湖だ。また生活用水は整備されていないようで水の入ったタンクを自分の家に運ぶ人たちと頻繁にすれ違う。ただムイナクはやがて消えゆく街だと聞いていたが、漁業は壊滅しても農業でかろうじてこの街は生き残れる気がする。政府もそのように努力しているのだろう。またかつての大規模漁業は無理だが、今でもひっそりと漁業は営まれ、町中のマーケットでは巨大な魚が売られていた。

0006. MM 2006/04/07_18:38:01
photo1 生活用水を運び人たち
photo2 魚を捕る小舟が見える
photo3 ムイナクの街に入る手前でポリスチェックを受けた。ここに来る日本人は多いようですんなり通過。写真はムイナクの町の入り口にて。後方は湖。
photo4 ムイナクの街自体だだっ広く興味をそそる雰囲気はない。ムイナクの子供たち。

0007. MM 2006/04/10_21:27:38
photo1 街を抜けたところにある高台のモニュメントからかつてのアラル海の湖畔と果てしなく続く枯れ果てた湖底を眺めることができた。とうとうここまで来たと感激。崖の上から湖底を眺めているとかつて青い大海原が目の前に広がっていた事がイメージできる。今では海岸線は二百キロ以上離れてしまった。遙か彼方に塩の吹いた湖底跡を眺めることができたが、現在の湖面はその遙か彼方だ。
photo2 かつてここに湖が存在した。
photo3 現在の湖畔は遙か彼方だが、肉眼で塩が確認できる。 
photo4 ムイナクの名物といえば船の墓場だが、見つけることができなかった。撤去されているはずはなく、やはりガイドを連れてくるべきだったのか少し後悔した。でもここまで来てそんなことはどうでもよくなってきた。
結局ムイナク町中に展示されていた漁船だけが当時の名残を感じさせる。

0008. MM 2006/04/10_21:30:49
photo1 帰り、タクシー運転手の親戚の家に立ち寄り、昼食をいただくことになった。立ち寄った家には水道はないが電化製品などもそろっていて電話もあり、バスの運転手のハムラートさんの家と比べると裕福な感じだ。
photo2 食事はウズベキスタンの伝統料理「プロフ」をいただいた。脂ぎったピラフの様な料理で大量で出されたが、すべて食べきれない。羊の肉が乗っていてなかなか美味しかった。しかし胃にもたれそうだ。
photo3
photo4 ここの一家もおばさんをはじめみんなフレンドリーで突然訪問した異邦人の僕を暖か受け入れてくれた。今回の貴重な体験はすべて空港で声を掛けてきたタクシー運転手からつながっている。
タクシー運転手が親戚の家に立ち寄ったのはおばさん達をマーケットに連れて行くためで一緒にヌクスへ向かった。

0009. MM 2006/04/11_22:56:33
photo1 ヌクスに戻り、バスタ−ミナルでウルゲンチ行きのシェアタクシーはすぐに見つかった。1時間強でウルゲンチに到着。ずいぶん寂れた街だなと思っていたらここは幹線道路からウルゲンチへの分岐点だった。
ここから別のシェアタクシーに乗り換え、川を渡りウルゲンチの街に入った。写真は川を渡る橋。浮橋だ。
photo2 ウルゲンチはくたびれた巨大建造物が林立し、旧ソ連的な街だ。町中を歩くのは疲れそうだがタクシーで町中を走るのは見ていておもしろい。そのままウルゲンチのバスターミナルでさらにタクシーを乗り継ぐことになった。
photo3 街をはずれ、トロリーバスの架線がある道路をヒヴァに向かって走った。
photo4 30分ほどでヒヴァに到着。メインゲートであるアタ・ダルヴァザ門から中に入った。内部には目が覚めるよう光景が広がっていた。夕暮時で西日がモスクやミナールの青いモザイクを赤く染めていたので、一層そう感じたのかもしれない。とにかく来てよかった。ここまでの疲れも一気に吹っ飛んだ。ここでゆっくりしよう。
ヒヴァに到着してそんなことを思った。

0010. MM 2006/04/13_20:54:11
photo1 ヒヴァのメインゲートであるアタ・ダルヴァザ門。
photo2 最初この眺めに感激したが、それは今までの場所の風景があまりにも荒廃していたかもしれない。
photo3 ヒヴァのミナレットと城壁内の街並み。修復されているが、中世の町に迷い込んだ気分だ。
photo4 ヒヴァの子供たち。

0011. MM 2006/04/13_21:03:21
photo1 ヒヴァ旧市街はイチャン・カラ(内城)と呼ばれ、正面ゲートから入った場合のみ入場料を取られると聞いていた。こっそり正面ゲートから出るだけなら大丈夫かもと思っていたら見つかってしまった。入場料はカメラ代込みで9500スム(950円)カメラ代込。けっこうな出費だがヒヴァの遺跡保存に一躍かってくれるなら安いものかなと納得してみた。このチケットは博物館にも入れるらしいが、実際僕の興味がある見晴らしの良い砦やミナールに上るのは別料金を請求されることになる。結局このチケットで入れた興味深い場所は地下に貯水池があるクトゥル・ムラド・イナック・メドレセだけだ。
写真がそのメドレセで地下に貯水池がある。
photo2 クトゥル・ムラド・イナック・メドレセの貯水池。
photo3 その隣にあったタシュ・ハウリ宮殿。
中庭が何となくイスラム四大聖地といわれるシリアのウマヤドモスクっぽい。
photo4 タシュ・ハウリ宮殿のモザイク。

0012. MM 2006/04/13_21:05:19
photo1 別料金のミナレット。
photo2 100円ほどの追加料金を払ったが、それ以上の価値がある眺めだった。
photo3 ヒヴァのじいさん。
photo4 女の子も表情が豊かだ。

0013. MM 2006/04/13_21:16:19
photo1 かつて奴隷が運び出されたと東門(パルヴァン・ダルヴァザ)。通称奴隷門。
photo2 東門(パルヴァン・ダルヴァザ)の内部にて。
photo3 こうしてみるとウズベキスタンの人種構成は多彩だ。
photo4 ヒヴァはウズベキスタン有数の観光地だが、時期外れなのか外国人旅行者は全くいない。結局滞在中、同じ宿に泊まっていた日本人2人と欧米人数人にしか会わなかった。
写真はヒヴァのメインストリートだが、すべてウズベク人観光客だ。

0014. MM 2006/04/13_21:37:54
photo1 今日はヒヴァからブハラへ移動するのだ。ヒヴァからダイレクトのミニバスもあるらしいが乗り場も分かりらいし、本数も少なそうなので不安も多い。そんなわけでウルゲンチからバスに乗るのが確実だと思い、路線タクシーでウルゲンチのバスターミナルへ向かった。ブハラ方面に行くバスはすぐに見つかり12時発とのこと。約3時間ここで待つことになるが定刻通り出発するかはかなり怪しく長期戦の覚悟が必要だ。今日中にブハラの宿に入れればいいのだが。
ジュースでも買おう。
photo2 12時前になり、乗客がバスに乗り込み出発しそうな雰囲気になってきた。定刻通りバスはプラットホームを離れたので奇跡だと思ったら離れただけでまたすぐに停車。意味不明な人が殺到し混乱が始まった。出発するはずのこのバスに続々と客が集まってくる。またバスを降りる客もいる。わけがわからないが出発するまで当分時間がかかるのは容易に想像できる。
結局1時間待たされ、バスターミナルのゲートを出ようとしたらここでまた足止めだ。15分ぐらいたってやっとゲートが開けられ車道に出た。いよいよ出発かと思ったらバスターミナルの建物の正面側に回り込み再び停車。乗客名簿を見ながら人を捜している。いい加減に出発してくれと叫びたくなったが、これも想定内だ。だがもうバスはごめんだ。
写真はウルゲンチのバスターミナル。
 
photo3 タシケントからヌクスへのバスは待ち時間に値する価値ある経験ができたが、はたして今回はどうなのだろうか。無事ブハラに着いてくれれば安上がりということで納得はできるのだが、早く出発してもらいたい。
photo4 バスターミナルを離れたのは午後1時半過ぎ。しかしまた寄り道をする。出発前にちゃんと準備をしておけと言いたくなる。
 最終的にバスが町を出発したのは午後2時過ぎだ。車掌が客に向かって怪しい祈り(ジェスチャー)をしたので本物だろう。これでも他のタシケント行きのバスよりは速く出発している。一応バス選びは正解だったようだ。

0015. MM 2006/04/13_21:41:58
photo1 ウルゲンチを出てからしばらくは道が悪くスピードを出せない。おまけに検問も多くなかなか進まない。しばらくしてブハラまで360キロという標識が出ていた。気が遠くなってきた。明るいうちにブハラに着くのは無理そうだ。
 しばらくしてドライブインに立ち寄った。ここでスープを食べることにした。朝から何も食べておらず、このままブハラまで食事は抜きかと覚悟していたので生き返った気分だ。
 結局バスがブハラに着いたのは日が暮れた午後9時だ。降りたのは僕だけだ。乗客全員タシケントへ行くらしい。僕だけ特別にブハラでおろしてくれたようだ。10000スム(1000円)も取られたのはタシケントまで行く乗客扱いされていたのだろう。高いと思ったが納得した。普通500円ほどだと思う。でもシェアタクシーの半分以下の値だ。
photo2 暗闇の道端に置き去りにされたような感じだが、そこは数日前9時間を過ごした見覚えのある場所だった。僕一人にタクシー運転手が数人群がってきた。このような経験はウズベキスタンでは初めてだ。ネパールのホテルの客引きを思い出してしまった。最初500スム(500円)といっていたのが2000スム(200円)に下がった。でもバスターミナルから旧市街のホテルまでかなり距離があったので値切りすぎた気がしないでもない。
photo3 目的のホテルは旧市街の中心部のラビハウズの近くにある。ヒヴァで会った日本人の紹介だ。紹介されただけあって部屋は快適で、値段は12$。エアコン完備、テレビやバスタブ、冷蔵庫も付いている。今までの宿とはレベルが違う。この宿のレベルは値段を考慮すると世界最高水準だと思った。今後この国は観光立国の道を歩むのだろう。撮影は翌朝。
 
photo4 腹ごなしに近くのチャイハネに行ってみた。店は観光客用で雰囲気も豪華で洗練されたシャシリクが出てきた。値段は高めだが英語で事足りるので便利だ。ブハラは完全に外国人観光客用の街を突き進んでいる。中心部もこぎれいであか抜けしている。ウズベキスタンは実はすごく旅行しやすい国なのではと今夜初めて思った。

0016. MM 2006/04/13_21:46:14
photo1 朝食前、早朝のブハラを散歩してみた。気温は5度で日本の冬と同じだ。ブハラの街自体は広いが見所は旧市街の一部に限られていて比較的全体を把握しやすい。
有名なブハラのへそであるカラーンモスク周辺は修復工事が完了し、早朝で誰もいない事もあってか吸い込まれるような眺めには感激した。またモスクに無料で入ることができた。
photo2
photo3
photo4 朝日に染まるカラーンミナレット。

0017. MM 2006/04/15_16:37:21
photo1 ブハラはあこがれの場所だった。ウズベキスタンといえばサマルカンド。さらに奥へ行くとブハラという町がある。それだけ神秘的なイメージを持っていた。
しかしブハラには街全体に魅了されたヒヴァに到着した時のような衝撃はなく、普通の街に来たなという感じだ。
また大規模な観光開発のため、旧市街は工事中だらけだ。
photo2 巨大な絨毯が売られるバザール。
photo3 ブハラ新市街は無機質な高層建築物と整備の行き届いていない殺風景の広場が広がっていた。
photo4

0018. MM 2006/04/15_16:40:51
photo1 夕日に染まるブハラの旧市街を見ようとアルク城に上ることにした。入場料が4$とべらぼうに高く感じたが、ブハラではこれといった入場料を払ってないので寄付と思えば安いものだ。しかしチケットを買ったあと、城の中にいたおばさんに展望台に行くにはさらに1000Cym(¥100)必要だと言われた。怪しい気もしたが、英語をしゃべるし身なりも良かったので少し信じてしまいチケット売り場に「追加料金がかかるとは聞いてないぞ」文句を言いに行ってしまった。結局おばさんはインチキの物乞いで詐欺に遭うのを免れた。ブハラは油断できない街だ。アルク城からはブハラの巨大なモスクとミナールのパノラマが広がり、夕方ということもあり夕日で街全体が赤く染まり来て良かったと思った。
photo2 旧市街にある道の交差点にはタキと呼ばれる屋根があり興味深い。内部は土産物になっているがブハラを象徴する場所だ。
photo3
photo4 夕日が差し込む。

0019. MM 2006/04/15_16:45:37
photo1 夕暮れのカラーンモスク周辺。
photo2 「タキ」。屋根のある交差点のこと。かつては関所の役目も果たしていた。中央アジアでこのようなタキが残るのはここブハラだけだ。
photo3 夜のラビハウズ(池)周辺。この界隈はブハラの中でもチャイハネがたくさんあり、観光客が多い割には値段も安く感じた。
雰囲気もいい。しかし日が暮れると急に寒くなってしまう。
photo4

0020. MM 2006/04/15_18:43:13
photo1 ブハラからは乗り合いタクシーでサマルカンドを目指した。ちょっと高いがバスはもうご免だ。
おかげで昼過ぎにはサマルカンドの新市街に到着した。タクシーを乗り継ぎレギスタン広場までやってきた。サマルカンドに到着したことを実感し、近くの安宿に入った。バハディールB&B。日本人の旅行者も多い。1泊7$で値段相応でそれなりに快適だ。
サマルカンドといえばこの眺め。レギスタン広場。
photo2 レギスタン広場に入るのは3500Cym(350円)もする。高いから今日はやめておこうと思いながら裏に回ったら悪徳警官に2000Cym(200円)で中に入ってついでにミナレットに上らしてやると言われた。少し引っかかる物を感じたが、話に乗ってしまった。
ミナレットからの眺めはそれなりで一応レギスタン広場を見下ろせるが展望台はなく狭くて窮屈だ。写真もまともに撮れない。なんとか1枚撮影してみた。
photo3 ついでにモスクの中も見学することにした。しかしモスクの小部屋はすべて土産物屋になっていてガッカリだ。さすがに(本来)お金を払って入っている場所なので見学中は客引きは寄ってこないが帰ろうとするとけっこう声がかかる。レギスタン広場の外には全く土産物屋がなかったのでここに入ったときの第一印象は「お前らここにいたのか」というものだった。18時を過ぎるとゲートは開放され、自由に出入りできるようになっていた。レギスタン広場のメドレセ。
photo4 ティラカリ・メドレセの礼拝所の天井はモザイクが美しい。

0021. MM 2006/04/15_21:12:18
photo1 レギスタン広場で日本語を勉強しているというアリシェフに出会った。
明日特に行きたい場所もないのでアリシェフにおもしろい所に案内してもらう約束をし、とりあえず今日は彼とは別れ、宿に戻ることにした。
サマルカンドは案外見所が限られている。観光よりもう少し地元密着の旅行をしたいと思っていた。昨日約束したアリ・シェフという青年に語学専門の観光カレッジを案内してもらう約束をしている。
12時にレギスタン広場でアリ・シェフと落ち合った。乗り合いのダマス(乗り合いバス)で観光カレッジという所を目指した。
photo2 建物はずいぶんモダンな建築だ。今日は土曜日で授業が少ないようだが、生徒はたくさんいてここの卒業生なども遊びに来ていて賑やかな雰囲気の学校だ。日本語の先生の控え室に案内されたが、日本人の先生は今は留守とのこと。写真がたくさんあり見せてもらうことになった。現在も少人数制の日本語の授業が行われているようで中に入ることはしなかったが、ガラス越しに見学した。
日本語学科の生徒と卒業生たち。一番左が世話になったアリシェフ。
photo3 日本語教室の前には日本語で張り紙が張られていた。
photo4 この観光カレッジは900人の生徒を有し、ガイドなど観光に関わる仕事に就くための養成学校でかなりみんな気合いが入っている。大半は英語だが、2番目に人気なのが日本語ということで他にもドイツ語やフランス語、スペイン語などがあるようだ。なぜか経済的に関わりの深い韓国語はなく、国立言語大学でのみ行われているらしい。観光カレッジ内には日本語を話す人がたくさんいて驚いた。
学校内を一通り見学し、何人かは日本に留学予定ということでメールアドレス交換などをし再会を約束してお別れすることになった。
最後に学校の前で記念撮影。

0022. MM 2006/04/15_21:19:13
photo1 アリシェフの友達の家へ夕食をごちそうになりに行った。肉とジャガイモのスープ風ケバブで美味い。香草もふんだんに使われ、かなり満足だ。香草は一束100Cym(10円)、日本の30分の一だ。それを話したらみんな驚いていた。
photo2 ここでウォッカを勧められべろべろになり、ディスコに行くのは中止した。
ウズベキスタンの炭酸ジュースとウォッカ。
photo3 アリシェフの友人宅の近くで行われていたハリサ(ウズベクの伝統料理)の調理風景。
photo4

0023. MM 2006/04/15_21:24:44
photo1 出発の日、夕方まで時間があったのでシャヒズィンダ廟に行ってみた。レギスタン広場のモスクは土産物屋に占拠され期待はずれだったので僕のなかではサマルカンドの見所ではこのシャヒジンダ廟が一番興味があった。敷地内には土産物屋があまりおらずのんびりできる。寺院内部ではお経のも様なのを歌うイスラム聖職者がいてなかなかいい雰囲気だ。
photo2 礼拝所
photo3 サマルカンドで滞在したバハディールB&Bの主人。ウズベキスタンを安く旅行する人はこの人に会うことになる。
photo4 どこにでも子供たちの笑顔がある。サマルカンドにて。

0024. MM 2006/04/15_21:31:53
photo1 最後の移動は鉄道を使い、首都タシケントへ向かう。今回の旅行も終わりが近づいてきた。
サマルカンドの駅に到着。旧ソ連的な威圧的でくたびれた感じの駅舎だ。地下にはかつて商店街があったのだろうが、今では営業している店はなく中庭の広場が畑になっているのが悲しい。
photo2 駅には1時間前に到着した。まだ改札は始まっていないようなのでカフェでコーヒーを飲むことにした。カフェと店員。
photo3 しばらくしてホームに客が入っていくのが見えたので乗車が始まったようだ。
 車掌は全員ロシア系の女性で華やかだ。今回乗車する列車は「レギスタン・エクスプレス」といい、ウズベキスタンを代表する特急列車で週末のみ1往復の運行されている。客車は全車一等だ。
photo4 機関車は中国製でスピードも速そうだ。

0025. MM 2006/04/15_21:36:39
photo1 ロシア系の女性乗務員は最初冷たい雰囲気も感じたが案外みんなフレンドリーで第一印象ほど悪くない。
photo2 列車は定刻通り17時に出発。当たり前のことだが今までいい加減なバスばかり使っていたので静かに動き出したときは驚いた。ウズベキスタンの鉄道はロシア同様優秀なようだ。特別な列車と言うこともあるが、車内は清潔でチャイの食器セットがテーブルに置かれているのが中央アジアらしい。
タシケントまでの所要時間は4時間で信号待ちすらないノンストップ運行だ。途中あまり美味しくなかったが、サンドウィッチの軽食サービスがあった。
4時間はすぐに過ぎタシケントに到着した。まだ21時前だ。
photo3 駅前に出たが、タクシーより客の方が多い状態ですぐにタクシーを捕まえるのはこちらが不利になる。まだ早いので地下鉄でも行けると思い、地下駅の中に入った。すると誰も客がおらず、警官の姿だけが見えたので地下鉄を使うのはやめた。大きな荷物を持っていると警官に何をされるか分かったのものではない。とりあえずタクシーでホテルに向かうしかない。少し高いが2500Cym(250円)で話がまとまり、ハドゥラホテルに向かった。
 
photo4 ハドゥラホテルは最初フロントがどこにあるのか分からなかった。三階の一室をフロントにしていて奥の方にあったので人に聞かなければ分からなかった。フロントはけっこう英語も通じるし、ちゃんと仕事もしてくれるので想像していたほど悪くない。レジストレーションもその場で作ってくれた。すぐに部屋に案内された。マッサージの誘いも同時に来たが丁重に断っておいた。ホテルの建物は老朽化が進んでひどい有様だ。窓はまともに閉まらず、壁もボロボロだ。浴室はお湯は出るがシャワーがなく、バスタブに身をかがめ、蛇口から直接落ちてくる水をかぶる感じだ。とりあえず問題はないが、ソ連のスタンダードはつくづく理解できない。そして部屋の中に業務用のジュース用冷蔵庫が置かれているのはなんなんだ。わけがわからないが部屋は暖かくなってきたので普通に眠れそうだ。

0026. MM 2006/04/15_21:50:25
photo1 ハドゥラホテルはいまいちだが他のホテルに移動する気力もない。値段も安いし、最後までここに滞在しようと思い、今夜の宿泊費を支払いを済ませた。
ハドゥラホテル。3階と4階にホテルが入っている。
photo2 ホテルが入った建物の入り口。
photo3 旧市街の入り口にあるチョルスバザールに行ってみた。ここもロシア人が多いが、大半は中央アジア系の人で賑わっている。中にはキムチを売る朝鮮系の人たちもいて完全に現地とけ込んでいる。
photo4 高台からバザールを眺める。

0027. MM 2006/04/15_21:53:57
photo1 市場内にある地下鉄駅からでティムール広場へ向かった。タシケントの地下鉄もモスクワと同じで共産主義国はどこも同じだ。平壌とは色違いでここは4両編成。日中もそれなりに混雑していて市民の重要な足になっているようだ。駅構内はシャンデリアや壁画などもあるが、モスクワなどに比べれて飾り付けは控えめだ。
 ホームには常に何人かの警官がいて、けっこう緊張するが結局一度もに呼び止められることはなかった。
photo2 地下鉄の切符(ジェトン)。とウズベキスタンの小銭。タシケントに戻ってきて初めてお目にかかった。
photo3 ティムール駅の地下鉄出入り口。町中韓国メーカーの広告であふれている。
photo4 タシケントのブロードウェイト呼ばれる中心部の通りだが、人はまばらだ。

0028. MM 2006/04/15_21:57:57
photo1 地下鉄でテレビ塔の方に行ってみた。
高さは375メートルで東京タワーより高い。
photo2 辺りはジェットコースターなどもある遊園地になっていた。
photo3 トラムで中心部に戻ろうと思ったが、この区間は最近廃止されたようで架線などは普通に張られているが線路が錆び付いている。仕方なく地下鉄でティムール広場へ戻った。
写真はハドゥラホテル付近の現役の路面電車。
photo4 オペラ劇場。戦後日本人捕虜もこの劇場建設に駆り出されたらしい。

0029. MM 2006/04/15_22:01:43
photo1 帰国日の夜、空港へ向かおうと思ったが、時間もあるし最後に市バスに乗ることにした。しばらく待ってどれに乗っていいか分からなかったらタクシーに乗ればいい。そんな気分でバス停で待っていたら空港行きのバスはすぐにやってきた。バスは大型車でけっこう混雑していたがすぐに座れスムーズに空港に向かうことができた。車掌がいて150Cym(15円)を支払ったがタダみたいなものだ。
 
photo2 暗闇の中に一層明るく映し出されるガラス張りの国際線ターミナルビル。
ふとウズベキスタンに到着直後タクシー運転手のやりとりを思い出した。その運転手との出会いでその後の旅におもしろみが出て、終始今回の旅は充実したものになった。 
 
photo3 アシアナ航空のチェックインカウンターはウズベク航空の代行で職員はやる気なし。会話もなし。自動的に窓際になっていたがよけいなものを期待しても仕方ない。その後、暇だったからかもしれないが税関の職員は抜き取りはしないが金を見せろとか言い出した。200ドルそこらの金を見せても何の意味もないだろう。そして出国審査はレジストレーションの紙を渡せとかうるさい。最後の最後はウズベキスタンのマイナス部分をまとめて経験することになった。ウズベキスタンで飛行機ばかり使い、観光名所だけの訪問でこの出国審査を受けたらおそらくウズベキスタンなんかに来なければよかったと思っていたに違いない。でもそうならなくてよかった。
photo4 アシアナ航空ソウル行きは22時発で翌朝8時着の夜行便だが時差の関係でソウルまでは所要5時間と短いフライトだ。定刻通り出発し、しばらくしてサンドウィッチが配られた。夕食は多めに食べてきたので問題ないがソウルまでこれだけで終わらす手抜きかと思っていたら、到着前にちゃんとした機内食が出た。


おしまい(ウズベキスタン旅行)

0030. MM 2006/04/16_12:09:29
photo1 ウズベキスタンから日本に戻る際、ソウルを経由したのですが、3日間韓国に滞在することにしました。その内容は「韓国の温泉」のスレッドで紹介します。
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