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2001年/中東の旅⑤レバノン編

0001. MM 2006/07/15_19:06:55
photo1 中東の旅。エジプトからヨルダン、シリアを経て最後の訪問国レバノンにやってきました。
シリアのホムスからレバノン北部の国境を経て首都ベイルートへ入りました。
photo2 レバノンに入国後、地中海が見えてきたと思ったらパレスチナ人の難民キャンプも見えてきた。比較的近代的なレバノンの海岸線に広がる難民キャンプでテント生活する人々は異質に見える。こういう光景を見ていると反イスラエル感情は誰にでも沸いてくる。そんな単純なものでもないが。
photo3 レバノン第二の都市トリポリには入り、内戦の後が見え隠れしつつセルビスは近代的な高層ビル群に吸い込まれていった。トリポリからは片側3車線の高速道路をベイルートに向かって走った。道中リゾートマンションが点在している。
photo4 やがてベイルートに到着。バスターミナル近くで3ドルの宿に泊まることにした。宿の名前は「Talal’s New Hotel」。安いが部屋はそれなりだ。外観を見ていると戦争でかろうじて破壊を免れた建物を現在のオーナーが買い取ってホテルにした感じだ。
壁には銃弾のあとがびっしり残っていた。

0002. MM 2006/07/19_19:49:15
photo1 夕方ベイルートの中心部ハムラ地区に行ってみた。イスラム教犠牲祭のため今日も店はほとんどしまっている。このような状態は明日まで続くらしい。
photo2 この国にはマクドナルドがある。シリアにはなくアンマン以来だ。しかしセットが5ドル以上と日本より高い。
ベイルートは街自体近代的で洒落た店が多いが、外国資本があふれているだけで独自の文化が感じられない。この国は独自の文化まで内戦によって失われてしまったようだ。またこの国に来て感じたのは現金の取引が今まで感じたことのないくらい漠然としている。この国で買い物をするときすべて500(40円)ポンド単位になってしまう。この国の支払いはすべて40円の倍数しか存在しない。わかりやすいが、そのわかりやすさがいい加減に感じる。
マクドナルドなど6890ポンドと表示されているが、そのような細かい価格は存在せず、店員の気分次第で500ポンド切り上げるか切り下げるか決まる。
物価の安いシリアから来た僕にとっては常にストレスを感じてしまう。
photo3 ベイルートの海岸線は遊園地などもあり、地元の観光客でにぎわっていた。写真はライトアップされた海に浮かぶ岩。
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0003. MM 2006/07/19_20:01:46
photo1 翌日レバノン南部に観光に出かけることにした。ハムラ近くのセルビス(乗り合いタクシー)乗り場からスールへ向かうことにした。ダイレクトで向かうセルビスはなくサイダで一度乗り換える事にした。
サイダからスールにかけての地域は幹線道路沿以外、昔から外務省渡航情報の危険度3(渡航延期勧告)が出たままだ。つまり車窓から見える山々には近づいてはならない。実際には安全だと思うが、イスラエルに抵抗するヒズボラの拠点だけに日本政府としては関わってほしくないというのが本音だろう。
photo2 高速道路を走り、スールに到着した。ここより南はイスラエルとの最前線なので一般人は入ることはできない。レバノン最南端の遺跡「スール」は世界遺産にも登録され「海の見える遺跡」というのは好きなのでぜひ来てみたかった。円柱道路が海に向かって続く眺めはとても美しい。
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0004. MM 2006/07/19_20:04:27
photo1 スールの町並みは近代的だ。
遙か向こうはイスラエル。陸路でイスラエルに行ける日ははたしてくるのだろうか。
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0005. MM 2006/07/19_20:06:09
photo1 ベイルートに戻る途中、サイダの街に立ち寄った。ここはレバノン第3の都市だ。こちらは砦がある程度で高い入場料が納得できなかった。
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0006. MM 2006/07/19_20:20:36
photo1 翌日レバノン最大の見所バールベックへ行くことにした。しかし行き方がわかりづらく手こずった。金さえ払えば簡単だが、ぼったくられるのが我慢できない。レバノンでは近づいてくるタクシー運転手にこちらから行きたい場所を決して口にしてはいけない。必ず停まっている止まっている車に行き先を聞かなくてはならない。そして速やかに目的の車を探さないと話がややこしくなる。レバノン人のタクシードライバーはうそつきばかりだ。悪くは言いたくないがこの国のタクシー運転手の質の悪さは最悪だった。留学生でアラビア語がしゃべれるY君が同伴していたにもかかわらずだ。
photo2 Y君のおかげでスムーズにバールベック行きのセルビスを探すことができたが、一人だとお手上げだった。バールベック行きのセルビスは人が集まっていたのですぐに出発し、他の乗客と運賃の確認をしあえるのでぼられる心配もない。
ベイルート出発後、いきなり峠越えだ。海岸線の高速道路とは一転、大動脈のはずの幹線道路は追い越しもままならず、前にトラックが走っていたら大渋滞だ。峠を越えストゥーラの分岐点を経てバールベックへは約3時間で到着した。すぐ横に神殿が見える。
photo3 バールベック遺跡は規模はそれほど大きくなく、30分もあればすべて見て回ることができる。またここは雪山が遺跡として珍しい存在だ。
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0007. MM 2006/07/19_20:24:14
photo1 バールベックの保存状況はよく、特に神殿には円柱と屋根、そして壁も残っている。これだけしっかり原形をとどめているのは珍しいように思う。あのアテネのパルテノン神殿よりすごい。
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0008. MM 2006/07/19_20:26:04
photo1 しかしそれ以外の遺跡はたいしたことないかも。でも天井のレリーフはきめ細かく美しい。
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photo3 またライオンの彫刻は印象的だ。
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0009. MM 2006/07/19_20:29:02
photo1 バールベックのボカス神殿。天井はないが内部の保存状態はいい。
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photo4 その他の遺跡

0010. MM 2006/07/19_20:29:48
photo1 バールベック遺跡の風景
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0011. MM 2006/07/19_20:52:54
photo1 レバノンの地方の観光地を一通り観光し、ベイルート滞在最終日は戦争によって廃墟と化したダウンタウンの町並みとその後の復興を見学することにした。ホテルのすぐそばにあるマルティス広場はすべて建物が取り払われ更地になっていた。現在はその中を近代的な舗装道路だけが整備され建物は何もない。ベイルートのほとんどの場所で復興工事は進められているがここは準備段階のようだ。それだけ被害が大きかったということなのだろう。
2001年3月。
photo2 ロンリープラネット「レバノン編」より転載。
上の写真は1973年のマルティス広場です。そして下の写真は1976年のマルティス広場。内戦によって壊滅的な被害が出た直後の風景です。
photo3 上の写真は1994年のマルティス広場です。1990年に内戦が終了し、復興計画が本格的に進行し始めた時の写真。
そして下はマルティス広場の再開発の完成予想図です。このまま平和が続けばこのような眺めが現実になるのもそう遠くはないでしょう。
photo4

0012. MM 2006/07/19_20:57:21
photo1 すぐ近くのエトール広場ではほとんどの建物が修復工事を完了し、今ではテーマパークのようなハイカラな建物が整然と並ぶ。まだ人の生活臭が感じられないてんではここも廃墟としての不気味さが残っている。こんな街は世界中探してもここだけだろう。
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photo3 街の至る所で工事が行われている。
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0013. MM 2006/07/19_21:03:32
photo1 街の至る所に補修されていない廃墟と化した高層ビルが残る。建設途中に内戦となりそのまま工事は中断してしまったビル。今後どうなるのだろうか。
photo2 おそらくホテルとして建設されていた建物。しかしここも銃弾の跡がのこり無惨な姿をさらけ出している。建物が巨大なのでいっそう不気味な存在だ。まさに戦争遺跡といった感じだ。
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photo4 それ以外にも探せば戦争の爪痕は至る所に存在する。廃墟と化した建物にはホームレスが住んでいる場合が多い。

0014. MM 2006/07/19_21:05:50
photo1 修復が住んだ建物と修復を待つ建物。
photo2 べーリート内戦の傷跡。
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0015. MM 2006/07/19_21:08:24
photo1 ベイルートで滞在した宿の近くにも蜂の巣のような建物が残っていた。
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0016. MM 2006/07/20_22:14:48
photo1 この日の午後、ベイルート北部にある観光地「ジェイタ洞窟」に行ってみた。トリポリに向かう途中のドッグリバーにかかる橋でセルビスを降りた。そこから別のセルビスに乗り換え上流へ向かった。主要道路からはずれた場所にあるジェイタ洞窟へはさらに道を2キロ歩くことになった。かなり歩いてやっとゲートが見えてきた。車で来ればあっという間だが公共交通機関利用にこだわると不便きわまりない。洞窟一帯は遊園地になっていて真新しいロープウェーが運行されている。
photo2 11ドルの高額な入場料にはロープウェイ、上の鍾乳洞、下りのバス、下の鍾乳洞の中でボートでの見学が含まれていた。最初高いと思ったがかなり満足できる内容だった。この1ヶ月遺跡ばかり見ていたので他のものを見ていたい欲求が満たされたからかもしれない。わざわざここまで来た甲斐はあった。
洞窟内部は全面的に撮影禁止のため写真がないのが残念です。ボートでの鍾乳洞クルーズは遊園地のアトラクションのようでもあり、それらの規模がすごかったので終始圧倒されました。写真は洞窟の入り口。
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0017. MM 2006/07/20_22:32:09
photo1 2001年春の中東の旅は1ヶ月半に渡り、エジプト、ヨルダン、イエメン、シリア、レバノンと渡り歩きてきたが、それも今日でおわり。
帰国の日、空港へ向かおうとしたが行き方がわからない。一応ホテル近くの「シャルヘロー」バスターミナルから空港行きの5番のバスが出ているはずなのだが一度も見たことがない。そんなわけで朝じっくり探してみることにした。この国では人を信用できないので聞くこともできない。結局バスは見つからなかった。ホテルの人もわからないのでお手上げだ。
photo2 土曜日の午前中ということで観光案内所へ行ってみた。すると空港近くへのバスはすぐにわかった。横の道路に停まっている24番のバスだと教えられた。とりあえずその情報は確からしい。一安心。
photo3 12時過ぎ空港へ向かった。しかし料金がわからない。車掌に聞いても喋ろうとしない。500ポンドづつ払ったら不機嫌そうな顔で5000ポンド札をちらつかせている。二人で5000ポンドもするわけがないだろう。セルビスでも一人1000ポンドなのに。
にらみながら怒鳴りつけたら車掌はどこかに行ってしまった。不快な気分にさせられたあげくこのバスは空港まで行かず訳のわからない場所で客は全員降りてしまった。バスの運転手は「あのセルビスに乗り換えろ」ととぼけている。なんなんだいったい。
深く考えると怒りがこみ上げてくるので速やかにセルビスに乗り換えた。乗り換えたそのセルビスは空港の前ではなく出発ロビーに入って停まった。空港の中まで行く交通機関はないと聞いていたので意外だった。
photo4 何はともあれ2時間以上前に空港に到着できて良かった。ここまでくればもう嫌がらせを受ける事はないだろう。Y君にはシリアとレバノンで10日間世話になったがここでお別れだ。

0018. MM 2006/07/20_22:41:03
photo1 ベイルート国際空港のターミナルビルはまだ出来たばかりらしく、規模もカイロやアンマンに比べて大きく近代的だ。この空港に来るのは3回目だがいつもトランジットで飛行機の窓からターミナルビルを眺めていただけなのでこんなに大きいとは思わなかった。
閑散としたカフェでチャイを飲み、Y君の見送りを受けチェックインカウンターへ向かった。この先は出発客しか入れない。そういう部分はいくら建物が立派でも途上国的だ。
今のところマレーシア航空しか出発便がないようで閑散としている。
photo2 カイロから到着したマレーシア航空機はすでに到着していた。クアラルンプールまでは9時間のフライトだ。
photo3 ほとんど眠れないまま翌朝6時にクアラルンプールに到着。トランジットは6時間と少し長い。
東京へそのまま乗り継ぎ、6時間後の20時に東京に到着した。
今まで興味のあった中東諸国の名所を網羅した感じでなかなか価値ある旅行だったように思います。

終わり。
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