旅BBS (テキスト版)
tabibbs.com
旅BBS(本体) は、 ここをクリック
※このページは、旅BBS『画像掲示板』のテキストページです。 旅BBS『画像掲示板』本体へは、ここをクリックしてお進み下さい。

旅BBSメニュー>海外情報ノート
ユーラシア大陸横断①(大阪〜上海〜ラサ)1997

0001. MM 2006/08/10_21:51:31
photo1 この旅行はいつもとパターンが違う長期の旅行です。結果として8ヶ月の旅行となり「日本から飛行機を使わずにユーラシア大陸最西端を目指す」のが旅行の目的です。その旅行をいくつかの部分に分けて紹介するとともに旅行中の写真も紹介します。
このスレッドではまずは大阪からフェリーで中国に渡り、チベットのラサにたどり着くまでの移動を写真とともに日記で綴ります。
photo2 最初の移動となる上海行フェリーのチケットは名古屋の名鉄観光で買う事にした。どちらかというと旅行用品を買うために名古屋へ行ったついでといった感じだった。予約したのは一番安い二等船室で20000円だった。
 今回は半年以上の予定で長期の旅行になる。だからといって特別なものを持っていく必要はない。1週間旅行するのも1年以上旅行するのも荷物の量自体変わらないのだ。僕の場合フィルムを多めに持って行くぐらいだ。
 出発は1997年10月10日。大阪港を午前中に出発することになる。
photo3  上海行きのフェリーが出航するのは大阪南港からだ。地下鉄四つ橋線で住之江公園に向かい、そこからニュートラムでフェリーターミナル駅へ向かった。ニュートラムは意外と混んでいたがフェリーターミナルで降りたのは数人だけだった。バスに乗り換え国際線フェリーが出航する場所へ向かうことになる。国際フェリーターミナルは思ったより小さかったが完成したばかりらしく新しい。乗船手続きを済ませ、出国審査場へ向かった。新品のパスポートに初めてスタンプが押された。初めて海外旅行に行くときのような新鮮な気分だ。出国印の地名は関西空港が完成して廃止になったと思っていた「OSAKA」だった。
photo4

0002. MM 2006/08/11_19:28:18
photo1 船は蘇州号。船籍は分からないが乗務員は全員中国人だ。服務員の出迎えで船内へ入り、二等船室へと案内された。すいていると思っていたがここだけ満員だった。おかげで端を確保できなくなってしまった。もっと早く来れば良かったと少し後悔した。客層は僕と同じ事を考えている人たちばかりだ。こんな時期なのに学生が案外多いことに驚いた。しかしほとんど休学してきた人たちだった。
photo2 正午フェリーは定刻通り大阪港を出港した。帰る日が決まっていない旅。いつも出発の時、すでに帰る時のことを考えていた。でも今回は帰りのことは頭にない。この開放感、最高だ。
photo3 中国に入国するにはビザが必要だ。日本人は船の中で申請し、到着前に受け取ることが出来る。便利だが発行手数料は大使館で取る代金の三倍だ。でも東京と大阪と札幌にしかない大使館に申請する手間と時間を考えた場合、最良の方法だと思ったので僕は船内で申請することにした。出発して2時間後ビザを申請したい人は食堂に集められた。紙に必要事項を記入し、簡単に手続きは終わった。ほとんどの人はビザを持っていなかったみたいだ。
photo4 中国へ渡る船は火曜日の「鑑真号」と金曜日の「蘇州号」で二種ある。それぞれ特徴があり、僕はこの蘇州号を選んだ。理由は展望風呂がついているからだ。鑑真号はシャワーだけだと聞いていた。これから何日間風呂に浸かれないかわからない。そう考えると中国に着くまで風呂に浸かっていたい。ただそれだけだ。しかし風呂は狭かった。

0003. MM 2006/08/11_19:30:53
photo1  翌朝なぜか鹿児島の志布志港に寄港した。志布志を出た辺りから対馬海流が影響しているのかかなり揺れだした。空腹も手伝ってかなり酔ってきた。昼御飯を抜いたのがまずかった。ちょうど夕御飯になったので無理してご飯を食べ、酔い止めの薬を飲んだ。しばらくして回復した。
 夜はカラオケラウンジで歌いまくった。その後卓球をしていたら12時になったので就寝。
写真は船内の航路図
 
photo2 上海到着の日、予想通り筋肉痛になってしまった。昨日の卓球がこたえたみたいだ。8時半に揚子江に入ったようで水が濁ってきた。14時頃揚子江の支流である黄江に入った。
photo3 吊り橋の下を通過。
photo4

0004. MM 2006/08/11_19:32:56
photo1 上海のシンボルテレビ塔が見えてきた。大阪から52時間、ビザを受け取りいよいよ上海到着だ。
photo2
photo3 蘇州号。上海港に到着。
photo4 上海港の貧相なイミグレーション(入国審査)は長蛇の列。並ぶ列が少ないので仕方ない。

0005. MM 2006/08/11_19:35:00
photo1 とりあえず船の中で知り合った6人の日本人と一緒に送迎バスで浦江酒店(プージャン)へ向かった。ドミトリーは1泊55元(825円)と思ったほど高くなかった。でも中国の宿は他の国と比べて設備の割に値段が高い。
photo2 浦江酒店(プージャン)のドミトリー
photo3
photo4

0006. MM 2006/08/16_20:27:39
photo1 みんなで街へ出た。南京路でとりあえず食事だ。思ったほど人も自転車も多くない。上海はイメージしていた中国と全然違っていた。町もきれいだしマレーシアのチャイナタウンにいる感じだ。一軒の食堂に入ることにした。英語は通じないので筆談だ。そしてマーボー豆腐を注文することに成功。店員はいやがらず僕とのやりとりにつきあってくれ、またそれらを楽しんでいるようにも受け取れる。冷たい中国人のイメージは僕の中で一掃された。でもここは上海。まだまだ油断は禁物だ。
photo2 上海について一夜が明けた。みんなで朝食を食べに向かった。街を歩いていたらお粥と肉まん屋があり、そこで食べることにした。肉まん1つ1元(15円)と安い。その後は初日ということもありバスに乗ったりして駅の方へ行ってみた。
photo3 上海には地下鉄が走っている。早速乗ることにした。列車が入ってきた。始発だったので人民は押し倉まんじゅう状態のまま車内に流れ込み、あちこちで椅子取りゲームが展開されている。そして喧嘩も始まった。地下鉄は最新だが、やはりここは中国だった。降りるときは乗る人を優先させないと怪我をする。とにかく人民は並ばない。
photo4

0007. MM 2006/08/16_20:31:17
photo1 上海の中心部。南京路。交通量が多く人も多い。
photo2
photo3 上海でもコンビニが急激に増えつつある。
photo4 マクドナルド。出来るだけはいるのはさけたい。せっかく中国にいるのだから中華を食べたい。

0008. MM 2006/08/16_20:33:56
photo1 キューピー?のような看板。
photo2 屋台
photo3 上海では古い家屋が取り壊され、高層ビルが雨後の竹の子のように建設される。
photo4 夜は外灘の南の方へ行ってみた。そして屋台でワンタンを食べることになった。1杯2元(30円)と今までで一番安く味もなかなか。しかし屋台のにいちゃんは4人で8元なので8元ぴったり渡したのに5元札を隠してしまった。そして「5元足りない」と言ってきた。こんな辺鄙な路地でも油断は禁物だ。

0009. MM 2006/08/16_20:39:03
photo1 外灘にて。上海の浦東地区は近未来都市のような眺めだ。
photo2 いつまでも上海にいるわけにはいかないので出発のことを考えなくてはならない。切符を予約するため駅に行くことにした。数日前から予約できるらしいが中国の鉄道システムはまだ理解していないので苦労しそうだ。次の目的地は西寧。硬臥(二等寝台)を予約したかったが満員。軟臥(一等寝台)なら空いていると言われた。しかし40時間以上の移動とはいえ10000円は高い。でもこれを取らないと他に方法がない。まさか座席で行くわけにもいかないだろう。考えたあげく予約することにした。ケチって体をこわすよりはましだ。
photo3 夕食。
photo4 出発を翌日に控えた日。昨日知り合ったアメリカ人のジェントと2人の日本人と一緒に町へ出た。中国では黒人はかなり珍しいようでジェントは注目の的だ。遠くから彼の写真を撮っている奴までいる。でも逆に考えれば僕はアフリカに行ったとき注目の的だった。それと同じ事だ。
夜ジェントと一緒にディスコへ行くことになった。ホテルの近くに「ニューヨーク」というディスコがあるらしい。中国のディスコはどんな感じかとても興味があった。でも踊っていたのは欧米人が多く中国人も身なりのいい人が多い。

0010. MM 2006/08/16_20:41:47
photo1 上海も今日で最後となった。5泊6日、活発に行動したわけではないがいろいろ楽しかった。同室のみんなとも今日でお別れだ。
photo2 出発前、宿の前のシシカバブの屋台で軽く食べることにした。
photo3
photo4

0011. MM 2006/08/16_20:45:43
photo1 僕と同じく今日出発するというAさんと一緒にタクシーで駅に向かった。夜の駅は人でごった返していた。中国はこうでなくてはといった光景が広がっている。駅の中にヤオハンがあったのでこれからの長旅に備えて食料を買い込むことにした。中国の駅は列車ごとに改札が別れていて待合室も別れている。Aさんはこれから北京へ向かうらしい。僕は西寧。お互いの旅の無事を祈って別れることにした。
photo2 20:10発西寧行き。30分前に改札が解放された。硬座の客がとっとホームに流れ込んだ。凄まじい迫力だ。僕は軟臥(一等寝台)なので急いでホームに行く必要はない。18両編成の真ん中、9号車が僕の車両だ。軟臥はたった1両で隣は食堂車になっていた。軟臥だけが個室で壁は白く空調やオーディオも完備。客層は金持ちばかりだ。西寧まで42時間、快適な移動が約束されたがこんな楽をしていてヨーロッパまで(金も体力も)もつのか心配だ。
 
photo3 同室のおばあさん。
photo4

0012. MM 2006/08/16_20:47:38
photo1 列車はひたすら西へと快走を続けている。朝の体操が始まった。中国の列車はずいぶん健康的だ。仕方なく僕も周りの雰囲気に飲まれて一緒に体操することにした。
photo2 車内では寝るしかない。景色も単調で飽きてきた。
photo3 列車の服務員。
photo4 途中の駅でホームに降りて気分転換。

0013. MM 2006/08/16_20:50:21
photo1 昨日は一日中寝ていたが昨夜熟睡でき、8時に目を覚ましさわやかな朝を向かえた。昼過ぎ蘭州に到着した。
photo2
photo3 辺りの風景は砂漠。草木はまったく生えておらず、埃っぽくて僕のイメージしているシルクロードそのまんまだ。もちろんここはシルクロードの一区間だ。
photo4 予定より20分早く西寧に到着した。

0014. MM 2006/08/16_20:54:26
photo1 西寧駅前は中央アジアの国々のように殺風景で埃っぽい風景が広がっていた。とんでもないところに来てしまった。それが最初に思った正直な気持ちだ。
この街には漢民族があまり見あたらない。チベット人かウイグル人が大部分を占めているみたいだ。町中から漢字表示を取り除けば一体ここがどこなのか分からない。
photo2 西寧駅
photo3 駅から南に向かって歩くことにした。まず最初に行ったのは西寧マンション。ドミトリーは廃止されたようでダブルが70元(1000円)。高い。ここでこの値段に妥協してしまうと、また今までと同じだ。他を探そう。中心部の方に青海民族賓館というのがあり、そこに40元(600円)のドミトリーがあったので泊まることにした。やはり探してみるもんだ。場所も便利だし完璧だ。
 
photo4 しかし案内された部屋は中国人が1人いてちょっと心配。同室の人はチベット人の17歳の高校生とおっさん。高校生の彼は僕に興味を示しいろいろ話しかけてきた。しかし彼は一言も英語が分からない。こういうときに筆談が使えるので中国は便利だ。彼はダライラマの写真が欲しいと言っているが断った方が良さそうだ。「没有」
部屋にはテレビもついているし、お茶も飲み放題だし、好きなときにお湯がもらえるしなかなか快適だ。シャワーにはバスタブまでついていた。
 

0015. MM 2006/08/19_22:06:48
photo1 西寧の朝は寒い。日が昇っても昼過ぎまで上着なしでは外出できない。また日陰に入ると風が冷たく寒い。西寧に着いたもののこれからゴルムドへどうやって行くか考えなくてはならない。駅まで歩いてむかい、列車の値段を聞くことにした。列車はバスよりかなり高いみたいだ。
 滞在している青海民族賓館の服務員は列車の時みたいに親切だ。風呂のお湯が出なくなったときも早急に対応してくれ、お茶用の熱湯も頼めばすぐに持ってきてくれる。服務員の中の1人が英語ぺらぺらで驚いた。そんなに喋れるのならフロントと交代すればいいじゃないかと思ってしまったが、なぜ彼女はこんな地味な仕事をしているのか謎だ。
photo2 2日目の夜。今夜は僕1人で部屋を占領でき快適に過ごし、夜も更け眠ることにした。しかしそのひの夜のことだった。夜中の2時、突然電気がついた。そしてうさんくさそうなおやじが2人、部屋に入ってきた。そしてテレビをつけでかい音を出して見ている。一体何時だと思っているんだ。完全に目が覚めてしまった。思わぬ所にドミトリーの落とし穴があった。さすが中国だ。彼らは自分のことしか考えず、無神経極まりない。僕のイメージしていた中国人民そのまんまだ。
photo3 翌朝ゴルムドまでのバスの値段を聞きに駅へ向かった。相場は85元(1275円)だという事がわかった。駅周辺にいた回教の男。
しかし体調が悪い。カップラーメンばかり食べていたのがいけなかったのだろうか。下痢も始まった。下痢は今回の旅行で初めてだ。一度なってしまうと旅行中慢性化してしまうので心配だ。でもここにいても仕方ない。明日出発しよう。
photo4


0016. MM 2006/08/19_22:07:18
photo1 午後は西寧の市場へ行ってみた。肉や魚、グロテスクなものが店に並ぶ。中国的なこういう市場を見るのもここで最後になりそうだ。蛇やカエルまで売っている。さすが中国だ。
photo2
photo3
photo4

0017. MM 2006/08/19_22:11:10
photo1 西寧駅前でゴルムド行きのバスを探すことにした。駅前広場でボーとしているとすぐに客引きがやってくる。ゴルムドまでいくらか聞いたら300元(4500円)とふっかけてきた。「列車の軟臥でも120元で行けるぞ」と言ったら150元に下がった。しかし昨日いた客引きは85元だといっていたので妥協する気にはなれなかった。しばらくして100元まで下がった。とりあえずバスの前まで行ってみたらゴルムドまで90元で乗せてくれるらしい。よし、このバスで行こう。しかし荷物をバスの中の置いてくつろごうとした時、変な男が150元だと言ってきた。頭に来た。僕は黙ってバスを降りることにした。僕のあとをうっとおしい奴がついてくるがシカト。こんなバスに乗っていたら走り出してからどうなるかだいたい予想がついてしまう。
 
photo2 列車で行くことにした。今から2時間後に出発する列車にまだ空席があるかもしれないと思い切符売り場に向かった。バスの客引きがまだつきまとってくるが無視。
photo3 切符売り場で列車の確認をしていたら、ちょうどいいタイミングで昨日の客引きが現れた。向こうも僕の事を覚えていたらしく早速値段を聞いたら昨日と同じ85元だった。言い値で決定。早速、バスの乗り場へ連れていってもらうことにした。寝台バスの上段でこの値段なら問題はないだろう。少し派手めのねーちゃんからゴルムドまでの切符を買った。出発は15時。まだ4時間ある。
寝台バス。
photo4 やがてバスは最悪の乗り心地のまま西寧を出発した。寝台バスといっても膝を曲げてかろうじて寝ることができるベッドで幅も狭い。日が暮れだんだん寒くなってきた。車内は暖房などなく真っ暗で埃っぽく悲惨な状態だった。しかし窓枠の向こうには夕暮れの青海湖が幻想的に移っている。
 空は完全に真っ暗になった午後10時。食事のための休憩があった。標高3000m以上のこの場所は凍り付くような寒さだ。そんな中バスは再び闇の砂漠を走り出した。
寝台バスの車内風景。

0018. MM 2006/08/19_22:19:12
photo1 夜が明けた。太陽が昇り、だんだん暖かくなってきた。しかし窓は凍りつきとても開けられない。そんな中、9時にだだっ広いゴルムドの町に到着した。新しい町だが中心を探すのが大変な感じのだだっ広く、埃まみれの荒れ果てた町だ。本当はこんな所で降りる必要はなかった。西寧からそのままラサを目指しても良かったのだ。ここで途中下車する意味など全くないのに、なぜ僕はゴルムドにこだわっていたのだろう。
でも実際のところ西寧を出発する時点で僕はかなり体調が悪かった。とても最低でも3泊4日の長距離バス移動は無理だろうと思っていた。実際バスの中でもかなりつらく、そんな状態だったのでやはりラサまで行かなくて良かった。
とにかくゴルムドで一休みだ。
ゴルムドの閑散とした風景。
photo2 ユーラシア大陸横断旅行の中で初めての難所が僕の前に立ちはだかった。日本を出て2週間目のことだった。それはチベット自治区への入域だ。青海省にあるゴルムドから標高5200m以上の峠を越え、チベットの中心都市であるラサに到着するまでバスで速くても30時間以上かかる。高山病、極寒、空腹など体力的にもかなりきつい。
 
photo3 しかし僕にとってチベットへ行くのが難所だと思ったのはそんなことではない。それはチベットへの密入境に挑戦するつもりだったからだ。チベットへの陸路ルートは事実上まだ自由に解放されていない。つまり条件付きで入ることが出来るのだ。通常チベットへ行く場合CITS(中国国際旅行社)でパーミット(入域許可証)を取得し、指定されたバスに乗らなければならない。しかし当然の事ながら外国人料金が設定されていてかなり高額な出費となってしまう。そこで旅行社を通さずパーミットも取得せず、中国人と一緒にバスに乗り込む。するとかなり安く上がる。手っ取り早く言うと寝台バスで密入境の場合約9000円、CITSを通した合法の場合約24000円。中国の物価を考えるとこの金額の差は大きすぎる。
photo4 しかし公安にバレてしまうとゴルムドに引き返させられる。最悪逮捕されても文句は言えないのだ。かなりリスクは大きいが用はラサまでの区間が開放されていないだけで、ラサに抜ければあとは問題ない。とにかく問題はラサまでだ。
西寧から寝台バスでゴルムドに着いた僕は町唯一の安宿「ゴルムド市招待所」に泊まることになった。案内されたドミトリーには2人の日本人が泊まっていた。隣の部屋にも日本人がいるらしい。全員がチベットへ行くようだ。同室の2人は昨日密入境を試みたらしい。しかし公安ではなく旅行社にバレたらしくこのホテルに連れ戻されたらしい。僕も彼らと同じことを考えていたのでこれを聞いたときはショックだった。
滞在したゴルムド市招待所。

0019. MM 2006/08/20_21:02:38
photo1 宿に滞在している日本人旅行者の話によると公安は問題ないがCITS(中国国際旅行社)がやっかいだと教えられた。CITSは今泊まっているゴルムド市政府招待所の一室に入っているから余計に面倒だ。チェックアウトの時点でどこへ行くかマークされ、尾行されてしまうらしい。せっかくゴルムドまで来たのにまさかこんな事になっているとは誤算だった。今までに会ったチベットへ行った旅行者からは誰一人として無理だったという話は聞いていない。最悪だ。出発してまだ2週間しかたっていないのに予算面で狂いが出てきた。
photo2 問題は公安ではなくCITSだ。ゴルムドの町を出さえすれば問題ないわけだ。いかに気づかれないようにこの宿を出発するかが大きな鍵を握っているみたいだ。同じ部屋のSさんは2回トライして駄目だったらしいが、いずれも昼前ホテルを出発し、午後のバスに乗ろうとしてCITSに見つかり失敗したらしい。それならCITSが開く午前九時までにチェックアウトし、昼までに出発するバスに乗り込めば成功するかもしれない。Sさんはもうあきらめ、合法バスで行くらしい。昨日着いたという2人の日本人も僕と同じように明日密入境を試みるらしいく彼らの名前はKさんとAさん。人数が多いと問題なので僕と彼らは別行動する事になった。とりあえず合法で入るSさんも含めお互いラサで無事に会う約束をし、明日に備えて早く寝ることにした。
photo3
photo4

0020. MM 2006/08/20_21:03:36
photo1 ゴルムドの市場にて。つかの間の休息と観光。
photo2
photo3
photo4

0021. MM 2006/08/20_21:09:50
photo1 中国全土に北京時間を採用しているこの国では西へ行くほど日が昇るのが遅い。まだ夜明け前の7時、静かにチェックアウトすることにした。フロントにこれからどこへ行くのか聞かれた。僕は一言「西寧」とウソをついた。ここからラサ以外に行ける場所は敦煌か西寧しかない。敦煌はラサと同じようにパーミットが必要なのでウソがすぐばれてしまう。結果的に西寧しか残っていないのだ。
photo2 ゴルムドの朝は氷点下。まだ夜明け前なのに小学生の通学風景が目に入った。とりあえずチベットバスターミナルへ行ってみた。そして運転手に闇交渉を持ちかけた。すると運転手にCITSに行けと言われた。「なぬ」。
運転手はCITSの場所を地図に書いてくれた。そんな場所は教えられなくてもよく知ってるわ。このバスターミナルからの出発はもはや不可能だとあきらめた。チベットへのバスが発着する場所は2カ所あり、もう1つの場所であるゴルムド駅前に行ってみた。駅前で待っていると1台の寝台バスがやってきた。値段を聞いたら800元(12000円)だった。闇のくせに高い。しばらく様子を見ることにした。すると昨日の夜一緒に密入国しようと話をしていたKさんとAさんが現れた。彼らもチベットバスターミナルへ行ったが断られたらしい。
photo3  さてどうしようか考えた。そうこうしているうちに9時半の列車が到着し、たくさんの人が駅から吐き出された。そしていつの間にか寝台バスはどこかへ行ってしまった。もう一度チベットバスターミナルに行けば寝台バスに乗れるかもしれないと思い市バスで向かった。しかしバスを降りたと同時に数人の運転手が寄ってきて「CITSへ行け」の一点張りだ。さすがの僕たちも参ってしまった。
photo4  あきらめ3人で宿へ戻ることにした。そしてCITSへ行き座席バスの予約をした。座席バスということで代金は1180元(18000円)と寝台バスに比べれば安いがやはり半端な額ではない。あれだけ意気込んでいたのに情けない。しかし納得いかないのはもしあのまま西寧からの寝台バスに乗っていたらラサに行けてたかもしれないということだ。。しかも西寧で値段を聞いたときチケット売りのねえちゃんは900元(13500円)と言っていた。今考えるとあれはかなり安かった。やはり西寧から直接ラサへ行くべきだった。ずっと後悔しそうだ。
でもゴルムドで知り合った日本人旅行とはいい関係を築くことが出来たし、長時間の移動が楽しかったのも事実だ。

0022. MM 2006/08/20_21:14:30
photo1 結局ゴルムド市政府招待所に泊まっていた日本人はみんなCITSのバスに乗ることになってしまった。出発は今日の午後3時半でホテルに向かいが来るらしい。日本人が8人。フランス人が1人。コソコソしなくていいし大人数なので楽しそうだ。
 予定通り3時半にマイクロバスが迎えに来た。そして今朝2回も来たチベットバスターミナルに輸送された。これでここに来るのは今日3回目だ。そしてこれから30時間以上乗るバスはというとボロい中国製。
photo2
photo3 座席は2+3シートとかなり窮屈だ。
photo4 16時に出発したバスは意味もなくゴルムド市内を走り回りガソリンを入れたりして、その後エンジンが故障した。先が思いやられる。

0023. MM 2006/08/20_21:16:05
photo1 結局18時頃になってやっとまっすぐ走りだした。ゴルムドを少し離れただけで辺りの風景は砂漠と岩山になってしまった。
photo2
photo3 バスは高度をどんどん上げ4700メートル地点にさしかかった。とりあえずここが最初の峠だ。ここまでは前にペルーで経験しているので不安はなかった。
photo4

0024. MM 2006/08/20_21:22:55
photo1  寒さに耐えながらやがて夜が明けた。バスに乗ってから約12時間。辺り一面銀世界になっている。標高はすでに5000mを超えているようだ。こんな所にも人が住んでいるようで、民家らしき建物が点在している。
 バスはスキー場のゲレンデのようになった坂道を一気に上り、川にさしかかった。
photo2
photo3
photo4

0025. MM 2006/08/20_21:26:03
photo1 川にさしかかった。しかしなぜか橋がない。バスは川を強行突破することになった。辺りは同じようなことを試み失敗したトラックの墓場になっていて、あちこちに立ち往生したトラックが埋まっている。川は浅いのだろうか。その時バスは一気に川に突っ込んだ。そしてそのまま対岸に乗り上げようとした。
photo2 しかしバスは力つきスリップを起こして川にはまってしまった。水が車内に浸水してきた。バスは少し下がって再び川の中から加速をつけて岸に乗り上げた。今度は成功したようだ。とりあえず一安心。
 いや安心はしていられない。今の標高は5000mを超えている。でもまだ峠は先だ。同じような場所がまたあるかもしれない。とにかく峠を越えるまで安心できない。
photo3 バスはその後2時間ぐらい走り続けタングラ山口の峠(標高5231m)を越えた。通過と同時にエンジン音が静かになり山を下りはじめた。僕自身少しの頭痛と吐き気だけで済んだがまわりの日本人は窓からゲーゲー吐いている奴もいて大変だ。でもこれからは楽になる一方なので安心だ。
一応酸素ボンベはあったが意味はなかった。
photo4 とにかく峠を越えて気分が楽になった。

0026. MM 2006/08/20_21:30:47
photo1 しかし峠を越えたとたん吹雪になってしまった。かなり荒れ始めとても道を走れる状態ではなくなってきた。横は崖。ちょっと今は死にたくない。徐行運転をしていたバスだがしばらくして完全に停まってしまった。5200mで立ち往生か。とんでもないことになってしまった。滅多に経験できないことだがこんな事は経験したくない。
photo2 バスはチェーンを持っていた。「そんな物を持っているならもっと早く使え」と言いたい。しかしチェーンをつけるのにかなり手こずっているようだ。前の方では追突したトラックの運転手同士がもめているし、チェーンを持っていないトラックが完全に動く気力を無くし、それらが行く手を阻んでいるので5000m地帯で渋滞が起こってしまっている。
photo3
photo4 2時間後バスは出発した。吹雪はやまない。

0027. MM 2006/08/20_21:32:19
photo1 その後は順調に坂を下り、体もだんだん楽になってきた。この日の夕方アムドという久々の村に到着、食欲も出てきたのでここでカップラーメンを食べることにした。バスはさらに一晩中走り続けた。
仕込み途中のレストラン。
photo2
photo3 日本人旅行者と
photo4

0028. MM 2006/08/20_21:36:08
photo1 バス休憩。
photo2
photo3 一面銀世界だ。
photo4 このバスに乗って2度目の朝がやってきた。ゴルムドを出て37時間後の朝6時前ラサに到着した。いつの間にか雪もなくなっていた。ここラサの標高は3650m。富士山の山頂と変わらないのにずいぶん楽だ。僕も高度順応されつつあるようだ。CITSのガイドがバスターミナルに迎えに来ていた。そしてバナクショーホテルに強制的に連れて行かれた。
結局9人いた外国人旅行者(内8人は日本人)のうち、僕とKさんとフランス人のDだけヤクホテルへ移動することになった。値段が安いからだ。他の人たちはバナクショーホテルに泊まることになった。

0029. MM 2006/08/20_21:39:14
photo1 ラサは秘境といわれるチベット自治区の中心都市。とうとうやってきた。それと同時にヨーロッパまでの間で最も難関だと思っていた場所を突破することに成功した。
ラサのヤクホテルは1泊20元と安く、周辺には中華料理の店もたくさんあるみたいなのでひとまず安心して滞在できそうだ。とりあえず宿について昼寝することにした。3日間ほとんど寝ていなかったからだ。
photo2 ラサのポタラ宮。チベットを象徴する建造物だ。
とりあえず「ユーラシア大陸横断①(大阪〜上海〜ラサ)1997」はおしまい。
続きは「ユーラシア大陸横断②(ラサ〜カトマンズ〜バラナシ)のスレッドをよろしく。
photo3
photo4

旅BBSトップ旅BBS(テキスト版)スレッド一覧