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ユーラシア大陸横断③南インドへ(1997〜98)

0001. まえだまさとし 2007/02/17_11:29:40
photo1 「日本から飛行機を使わずにユーラシア大陸最西端を目指す」
1997年から98年に旅行しました。

「ユーラシア大陸横断②(ラサ〜カトマンズ〜バラナシ)」続編で南インドを旅した内容を写真と共に紹介します。

インドのヒンドゥーの聖地バラナシ滞在の後、南下しました。
最終的にはスリランカへ渡るまでの道のりを紹介します。
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0002. MM 2007/03/16_21:27:12
photo1 バラナシ・ガンジス川で沐浴をすることにした。インドに来た目的の1つ。それはガンジス川での沐浴だ。シャンプーで体を洗いひと泳ぎすることにした。しかし程々にすべきだった。


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photo3 バラナシのガートで洗濯する人々
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0003. MM 2007/03/16_21:28:01
photo1 バラナシで沐浴をした翌朝、ボートでガンジス川の朝の沐浴見学に出かけたときから妙に寒気を感じた。
photo2 ボートから見える光景は洗濯をする人々、仮葬場、川に浮かぶ牛の死体。こんな所でよく泳いだものだ。
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0004. MM 2007/03/16_21:30:08
photo1 早朝のガンジス川クルーズ
photo2 日が昇りはじめた。しかし朝はスモッグがかかっていて太陽は見えない。
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photo4 約1時間のクルーズを終え宿の戻って熱を計ったら39度あった。ついでに頭痛もする。今日は動かない方が良さそうだ。しかしどういうワケか食欲だけは衰えておらず、おかわりをしてしまう。今回は下痢をしていないのが気になるだ。原因はガンジス川に潜ったりしたからかもしれないが、別に後悔はしていない。ただし人に勧めるのは今後やめることにした。

0005. MM 2007/03/16_21:33:37
photo1 解熱剤を飲んでも汗が出て一時的に熱は下がるが5時間ほどしたら元に戻ってしまう。結局3日間熱の下がる気配はなかった。でも食欲だけはあった。結局医者を呼んでもらうことになり、診察だけしてもらい薬をもらった。とりあえず薬を飲んで様子を見ることにした。翌日、少し調子は良くなった。でももう少し休養だ。
photo2 結局バラナシには9日間滞在してしまった。
photo3 体調もほとんど問題なくなり、移動のため切符の予約する事にした。次の目的地はデリーだ。切符は外国人窓口で買うことができ、明日出発したかったが、明後日しか空いていないようだ。せっかく駅の方まで来たのでバラナシの新市街を散歩することにした。新市街といっても道が広いだけで汚さは変わらない。見るべきものもないので歩いて帰ることにした。
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0006. MM 2007/03/21_21:54:23
photo1 バラナシ駅から夜行列車でデリーに向かった。
photo2 デリーには翌朝到着。オールドデリー駅に到着したのでニューデリー駅前にあるパハールガンジの安宿街までバスで向かった。
デリーでの滞在先はアショカ・オーシャンホテル。
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0007. MM 2007/03/21_21:57:52
photo1 ニューデリーは予想していた雰囲気の街ではなかった。もうちょっときれいなところかと思っていたが、道にはゴミが散乱して怪しい客引きがたむろしている。
コンノートプレイスの方へ行ってみた。こちらはパハールガンジとは違い、ブティックやファーストフード、中級ホテルが軒を連ね雰囲気も明るくきれいだ。歩いている人も金持ちのインド人といった感じだ。我々日本人にとっても高く感じる場所(ピザハットやアイスクリーム屋)が恐ろしく込んでいたりする。インドの貧富の格差は無限だ。ここでファーストフードの「ウィンピー」へ入ることになった。アメリカンスタイルのハンバーガーショップは上海以来だ。
photo2 ニューデリーに着いた日の夜、インドの最高級ホテル(1泊3万円)である「アショック・ホテル」へ日本食を食べに行った。しかしまずい。そのくせトンカツ定食が1200円もした。
photo3 デリーにはマクドナルドがある。コンノートプレイスにはなく、南部の高級住宅街に中にあった。
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0008. MM 2007/03/21_21:58:52
photo1 ニューデリーの見所は南部にあるクトゥブミナール。
photo2 地元の子供
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0009. MM 2007/03/21_22:01:12
photo1 オールドデリーにあるマハトマ・ガンジーが火葬されたラージガートへ行ってみた。
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photo3 ムガール帝国時代のラールキラー
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0010. MM 2007/03/21_22:03:35
photo1 ジャマーマスジット。
観光地の前ではワケのわからな奴が声をかけてきたりするが、一歩でも裏に入ると乞食にも相手にされなくなってしまう。
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photo4 ニューデリー駅。近郊列車は比較的多いのに人々は線路上を平気で歩く。

0011. MM 2007/03/21_22:06:26
photo1 デリーのインド門。
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photo3 大統領官邸。このエリアはだだっ広く歩くと疲れる。
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0012. MM 2007/03/21_22:13:10
photo1 デリーを出発。南部へ向かうことにした。いろいろな場所を経由し、最終的な目的地はインド最南端の都市カニャークマリにあるコモリン岬。
ニューデリー駅。
photo2 夜八時、駅に向かった。ニューデリー駅で出発案内のボードを見上げた。しかし壊れていたので案内所に何番線に到着するのか聞いてみようと思ったら窓口の横のホワイトボードに予定が書かれていた。どうやら11番線から出発するらしい。しかしニューデリーの駅は10番線までしかない。どうなっているんだ。結局10番線から発車するということがわかった。相変わらずいい加減なインドの鉄道、なんかもう慣れてきた。
 列車はムンバイへ行く途中のブサバルまで乗車する。車両はスリーパークラス。他の五人はロシア人で英語も理解できずなんか落ち着かない。インド人と一緒の方がましだ。それにしてもロシア人は何しにインドに来ているんだ。とても旅行しているようには見えない。
photo3 翌朝予定時刻になってもブサバルに着く気配はない。列車は予定より2時間半遅れのペースで走っているようだ。16時前やっとブサバルに到着した。

この駅で降りた外人は僕だけだ。ここまで来ると外国人が珍しいようで注目の的だ。駅前広場からバスに乗ることになった。アジャンターへ行きたいと言い指示されたバスに乗り込んだ。バスは15分後に出発。バスの車窓はのどかな風景が続く。素朴なインド人が僕をじろじろ見てくる。
photo4 日が暮れ6時にアジャンターの拠点となる街ファルダプルに到着した。バスを降りたとき何もないところだったのでかなり不安だったがちゃんと50ルピー(150円)で泊まれるホテルがあった。部屋はドミトリーだ。

0013. MM 2007/03/21_22:16:23
photo1 この宿には他に日本人が1人泊まっていた。彼と夕食をとることになった。今日はクリスマス。一体こんなところで何をやってるんだといった感じだが、もうすぐしたら正月もやってくる。
photo2 日本人の彼からまた不快な話を聞かされた。またかといった感じだが彼はデリーの旅行代理店でデリー・ボンベイ間の列車のチケットを頼んだらしい。しかし二等だったのに128ドルも請求されたらしい。文句を言ったら100ドル返ってきたらしいがそれでも28ドルは高すぎる。128ルピーの間違いだろうと思ったがあきれて言葉が出なかった。バラナシでも変なツアー(ツアーといっても1人にたいして終始ガイドが付くタイプ)に参加させられて280ドル巻き上げられたという話を聞いた。なんでみんなそんなに騙されるんだ。ニューデリーで客引きについていくと100パーセント信用できない。たとえ連れて行かれた旅行代理店に日本人がいたとしてもそいつはさくらかもしれない。とにかく探せばまともな旅行代理店はいくらでもあるわけだし、もっとしっかり情報を持って行動出来ないものなのだろうか。
photo3 八時に起きチェックアウトを済ませて荷物を預かってもらうことにした。そして今日中にアウランガバードへ向かうつもりだ。昨日の日本人は今日ブサバル経由でニューデリーに戻るらしくお互いの無事を祈り別れることにした。
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0014. MM 2007/03/23_07:13:31
photo1 アジャンタの最寄りの街であるファルダブルから乗り合いジープでアジャンタ石窟群があるポイントを目指した。10分で到着、川に沿って洞窟が続いている。
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photo3 インド人観光客が多く外人はほとんどいない。
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0015. MM 2007/03/23_07:14:36
photo1 アジャンタの石窟を見学。
photo2 中には仏像があった。
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0016. まえだまさとし 2007/06/13_20:29:16
photo1 アジャンタ石窟群を一望できるビューポイントへ登った。川沿いに石窟が並ぶ。
photo2 滝もある。ビューポイントより。
photo3 土産物の親父が追いかけてきた。
photo4 川を渡る人々。


このままアジャンタをあとにし、エローラの拠点になるアウランガバードという町に向かった。

0017. まえだまさとし 2007/06/14_14:26:15
photo1 アウランガバードではひとまず中心部の宿の泊まることにした。しかし宿泊した宿は今夜しかなく空きがなく、翌日ユースホステルへ移動することになった。
photo2 アウランガバード中心部の路地で遊ぶ子供たち。
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photo4 翌朝ユースホステルへ移動した。
出来れば個室に泊まりたかったが、たまにはインドのユースホステルも悪くない。インドのユースホステルは初めてだ。一体どんな客層なのだろうか。とりあえず空きベッドはあったが、夕方まで入れないらしい。夕方まで部屋が閉鎖されてしまうところなどヨーロッパを思わせる。

0018. まえだまさとし 2007/06/14_14:28:22
photo1 アウランガバードからエローラに行くことにした。
バスで約1時間、平地からデカン高原にさしかかりエローラに到着した。
ここもアジャンターのように石窟が並んでいる。
photo2 石窟内部は専門家ではない僕にとってどれも同じにしか見えない。
photo3 真ん中にある山をくりぬいて作られた石窟がエローラを代表するものらしい。すごい。
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0019. まえだまさとし 2007/06/14_14:29:57
photo1 エローラ。
山をくりぬいて作られた石窟。
インドで一番すごいと思った建造物だ。
photo2 エローラ観光・記念写真
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0020. まえだまさとし 2007/06/14_14:37:26
photo1 翌日もう一つアウランガバードから行ける観光名所「ダウダラバード」へ向かいました。インド3大砦の一つらしいです。
あと二つはハイダラバードのゴールコンダフォートとジョードプルのメヘラーンガル砦です。
エローラの陰に隠れ、あまり有名ではないですが、重要な場所です。
photo2 参道とミナレット。
photo3 砦からの眺め。
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0021. まえだまさとし 2007/06/14_14:40:04
photo1 出発の日。夕方までとくにすることはないのでアウランガバードの旧市街の方へ行ってみることにした。途中ビービー・カマクバラという建物を見に行った。
これは有名なあのタージマハルに似ていて写真を見せられると(素人は)ほとんど気がつかない。
偽タージマハルとよく言われるがなかなか立派な建物だ。
photo2 ビービー・カマクバラ周辺の住宅街にて
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0022. まえだまさとし 2007/06/14_14:41:03
photo1 ビービーカマクバラ周辺の住宅地にて。
子供たちがたくさん寄ってきた。こんな所に迷い込む外国人は珍しいみたいだ。
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0023. まえだまさとし 2007/06/22_11:40:02
photo1 アウランガバードからインド中部の大都市ハイダラバードへ向かった。
夜行列車に乗り合わせた親子。
photo2 翌朝2時間遅れでセカンドラバード駅に到着。セカンドラバード駅はハイダラバード第二の駅でここからも各都市への長距離列車が発着している。
photo3 宿はバスで少し行ったハイダラバード駅周辺に泊まることにした。ハイダラバード駅は都市の名前だが、行き止まり式の駅のため発着列車は少ない。
photo4 ハイダラバードには2階建てのバスが行き来する。

0024. まえだまさとし 2007/06/22_11:43:21
photo1 ハイダラバード最大の見所に行ってみた。

コールコンダフォートの丘だ。アウランガバードのダウダラバードに似ているがここはかなり規模が大きい。インド三大砦の一つだ。
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photo4 砦のてっぺん付近の岩には紙のペイントが施されていた。

0025. まえだまさとし 2007/06/22_11:47:16
photo1 コールコンダフォートの丘からの眺め
photo2 旧市街にも行ってみた。ハイダラバードはイスラム教徒が多く、看板もウルドゥー文字が目立つ。
チャールミナールの門が見えてきた。

この門はインドの有名なたばこの銘柄でもある。ハイダラバードは知らなくてもチャールミナ−ルのことはほとんどのスモーカーは知っているはず。
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photo4 店番をする少年。
ハイダラバード旧市街にて。

0026. まえだまさとし 2007/06/22_11:52:34
photo1 ハイダラバードにて
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0027. まえだまさとし 2007/06/22_11:54:50
photo1 ハイダラバードからマドラス(チェンナイ)へ向かいため、セカンドラバード駅に向かった。自由席の切符は1時間前から販売されるらしい。昼食を取り15時に切符を買いホームで列車を待つことにした。
photo2 セカンドラバード駅構内。
マドラス行きの列車はこの駅が始発でホームに入ってきた列車は20両ぐらい連結していたが自由席はたった2両だ。おまけに始発のくせにすでに人が乗っている。どうなっているんだ。
インド人がまだ走っている(完全に停止していない)列車にどんどん乗り込んでいる。とてもじゃないが真似は出来ない。真似したら列車に引きずられて死ぬかもしれない。最悪の状況になってしまった。出遅れた僕に席などないだろうと床を覚悟し列車に乗れ込んだ。
photo3 車内には席取り屋がいて「この一人席を30ルピー(100円)で買わないか」と言ってきた。断る理由はない。まけろと言って他の客に取られたら最悪なので速攻金を払うことにした。それにしてもこの男、車庫からこの列車に乗ってきたらしい。インド人は何でも商売にしてしまうようで感心してしまう。しかし席が確保できたからと言って移動が楽になったわけではない。
photo4 列車は始発から超満員。床も座るスペースがなく立っている人もいる。座席の下で寝る人もいる。客は途中の駅からもどんどん乗ってくる。車内は地獄絵を見ているようだ。もちろんトイレなど行けるわけもなく、水分は控えて12時間以上我慢しなくてはならない。今後間違ってもインドの自由席に乗るまいと心に誓った。

0028. まえだまさとし 2007/06/22_12:00:23
photo1 ハイダラバードを出て約14時間後、珍しく定刻通りにマドラス(チェンナイ)に到着した。
photo2 インドにおける四大都市の中の1つ。近代的な街を想像していた。しかし予想とは裏腹に街は汚く駅周辺も他の街とたいして変わらない。マドラスはどこかへ行くために拠点にする場所でとくに見所はないしこの街に興味もないのでこのまま移動だ。
photo3 マドラス駅から歩いてバスターミナルへ向かった。気がつけば今日は大晦日。節目でもある今夜は少しでも人と違う過ごし方をしたい。そんなわけでこのままさらに南の街ポンデュシェリーへ向かう。新年はどうしてもポンデュシェリーで迎えたい。初日の出は絶対ベンガル湾で拝みたい。とにかくそれが今年から来年にかけての願いだ。
僕がこの街にこだわる理由。それはインド離れした場所で正月を迎えたいという気持ちからだった。実は僕は日本を出発するときこんな街があることを知らなかった。知ったのは1ヶ月前、何気なく地球の歩き方に目を通しているときだった。ポンデュシェリーといわれてもピンとくる日本人はほとんどいないだろう。僕自身もあまりよく知らないがポンデュシェリーはインドやパキスタンがイギリスの植民地だった1945年までフランスの植民地だった場所らしい。
photo4 同じく西海岸にあるポルトガルの植民地だったゴアと性質が似ている。街にはフランス料理の店が多く、また同じくフランスの植民地だったベトナム人が多く住んでいるということもありベトナム料理屋も数件ある。住民はカトリック教徒が多く、英語よりフランス語が通じるということはないがフランス語を話す人は多いと聞いている。とにかくインドで正月は迎えたくなかった。でもそれは無理だ。だからせめて少しでもインド離れした場所で少しでも日本に近いノリで新年を迎えたかった。考えた結果ここかゴアしかなかった。ゴアは有名すぎてかなり混みそうだったので結果としてこの場所を選んだというわけだ。
 

0029. まえだまさとし 2007/06/22_12:01:40
photo1 そんなわけでやってきたポンデュシェリー。バスターミナルからゲストハウスが集まる海岸線にリキシャで向かった。リキシャに揺られること数10分、目の前にベンガル湾が広がった。海を見るのは上海以来だ。
photo2 しかし感激もつかの間、やはりすべての宿が満員だった。結局重い荷物を背負いながらバスターミナルまで戻ってきてしまった。バスターミナルの近くに比較的高級なホテルがあった。最後にここを訪ねることにした。最初満員だと言われたが少し待っているようにと言われいい返事が来るのを待つことにした。マネージャーらしき人が現れどういうワケか泊まれることになった。ほっと一安心。しかし宿代は700ルピー(2400円)と今回の旅行で一番高い宿となってしまった。大晦日ぐらいいいだろう。
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0030. まえだまさとし 2007/06/24_23:18:33
photo1 街は西洋的かと思ったが海岸線を除くと他のインドの都市とたいして変わらない。夕食はベトナム料理で牛肉料理を食べることにした。ヒンドゥー教徒ばかりの地域を移動していたので牛は毎日見ているが食べるのは久しぶりだ。ネパールのポカラ以来かもしれない。ホテルはバスターミナルの横なので出発は楽だが海が遠く2キロ以上ある。
海の見える風景にインド製アンバサダーがマッチする。
photo2 ポンデュシェリーの駅
photo3 街角にて
photo4 1997年。今年も終わりか。海外で年を越すのは初めてだ。
ホテルの部屋にて

0031. まえだまさとし 2007/06/24_23:21:15
photo1 1998年元旦。新しい年がはじまった。
 異国の地で年を越したのは初めてだ。場所はインド。ベンガル湾を臨むポンデュシェリーの街。まだ夜明け前の朝5時半、初日の出を見るために歩いて海へ向かった。これがかなり遠い。空がだんだん明るくなってきた。急がないといけない。日本では初日の出なんか見ようと思ったことは一度もなかった。ましてや海に昇る初日の出なんか考えたこともなかった。
photo2 6時半、たくさんのインド人が見守る中、少し雲があったが太陽の昇る瞬間を待つことにした。
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0032. まえだまさとし 2007/06/24_23:24:03
photo1 初日の出。
ベンガル湾に昇る朝日。
ポンデュシェリーにて。
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photo3 朝日に染まる海岸線の町並み。
photo4 海岸沿いのマハトマ・ガンジー像。

0033. まえだまさとし 2007/06/24_23:27:58
photo1 初日の出を見たあとホテルに戻り、12時のチェックアウト時間までもう少し寝ることにした。昼食はフランス料理を食べた。味はいまいちだが牛肉には満足。午後は海を眺め、やがて今年初めての太陽は西へと傾いていく。夕食は昨日と同じベトナム料理。フォー(ベトナム風うどん)は懐かしい味がした。
 ポンデュシェリーにて。
photo2 クリケットをする子供たち
photo3 元旦の22時のバスで南部の主要都市バンガロールへ向かった。
バスは窓ガラスがなくシャッターを降ろして風を防ぐタイプのバスで昼間なら問題ないが夜行はかなりきつい。おまけに夜は意外に冷え込む。Tシャツでは寒すぎる。しかし耐えるしかないようだ。
photo4 バンガロールは高原地帯にあるので朝はかなり冷え込む。日が昇るまで寒い。おまけに連日の無茶な行動のせいで体調が悪く寒気がしてきた。しかし無茶な行動はまだ続いている。一体いつになったら安らぎを得ることが出来るのだろうか。

0034. まえだまさとし 2007/06/24_23:29:44
photo1 バンガロールに来た理由。それはインドのシリコンバレーといわれるこの町の近代的な雰囲気を味わうためだ。その中心がMGロード。インドで唯一のケンタッキーフライドチキンをはじめファーストフード、ブティック、ショッピングセンターが軒を連ねている。朝食はウィンピーでハンバーガーを食べることにした。シティーバンクなどの近代的なビルが並ぶ通りを散歩し昼はケンタッキーに行ってみた。チキンはインド風のカレー味だと聞いていたが全然そんなことはない。他の国同様スパイシーとレギュラーから選択でき、スパイシーを頼んだ場合インド風になってしまうようだ。帰りは駅まで歩いて帰ることにした。市内は緑が多く、インドの他の町に比べると確かに清潔だ。
photo2 シティーバンクもある。
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0035. まえだまさとし 2007/06/24_23:36:58
photo1 バンガロールには1泊もせずそのまま移動することにした。
エルナクラム(コーチンの中央駅)方面行きの出発は21時発だ。切符を買ったあと、出発2時間前の19時にホームに行ってみたら列車はすでにホームに止まっていた。自由席は相変わらず少なく2両だけ。真っ暗の車内にはすでに人がたくさん乗り込んでいてざわついていたが何とか座る場所はあった。出発時間の21時には立っている人もかなりいてハイダラバードからマドラスに移動した時よりもいやな予感がする。
写真はバンガロール駅。
photo2 21時過ぎに列車は出発。そしていやな予感は的中した。途中の駅でも客は容赦なく列車に乗り込んでくる。中はまるで山の手線状態だ。これが短距離列車ならふつうの光景なのだが、この列車は12時間以上走り続けるわけだし、悲惨な光景が目の前で繰り広げられている。車内に人はもう入れない。内側に開くドアが開けられなくなってしまったようでホームには列車に乗れなかった客が溢れ、何とか乗り込もうと外から列車にしがみつこうとしている。通路は足の踏み場もなく、人があちこちに寝転がっている。もちろん網棚にも人が溢れて目の前には常に人の足がぶら下がっている。僕に座っていた4人掛けの椅子には子供を含め八人が座っている。足元では子供が寝ているし、椅子の下にも何人いるのか分からないが人の気配が感じられる。恐るべしインドの列車。
photo3 やがて地獄のような一夜が明け朝を迎えた。
車内では一滴も水を飲まなかった。トイレに行くのを避けるためだ。まわりのインド人はどうして耐えられるんだと不思議に思っていたようだが、僕にとって水分をとらないことは大したことではない。
日が昇り、列車を降りる客も増え、車内の乗客に余裕ができてきた。自分のことで精一杯だったインド人たちも僕に興味を示しいろいろ話しかけてくる。
写真は一夜を過ごした列車の車内。
photo4 窓の外はバナナ園が続く。熱帯のムッとした風が車内へと入ってくる。それが妙に心地よかった。やがてエルナクラム駅(コーチン)に到着。疲れは限界を通り越している。もしこの街で宿がなかったら、たぶん力つきるだろう。駅周辺のホテルをあたってみたがどこも満員、途方に暮れながら道を彷徨った。まだ年末年始が影響しているのだろうか。もう今夜移動する場所はない。睡眠不足が限界だ

0036. まえだまさとし 2007/08/05_21:53:25
photo1 アラビア海に面した都市・コーチン。
ここでゆっくりしたかった。しかし当たる宿すべてが満室。
途方に暮れて呆然としていたら1人の男に声をかけられた。僕は彼に「泊まるところがない」とつぶやいた。そこへもう1人の男が現れた。彼らは友達らしい。
男は「俺に任せろ」と言いオートリキシャを止めた。僕ははっきり言って道で声をかけてくるインド人は信用しないようにしていた。しかし今回ばかりは無視する気にはなれなかった。とにかくどうなるのか様子を見ることにした。2人の名前はユースフとアジェト。彼らに2軒の宿へ連れていってもらったがいずれも満室。
photo2 しかし3軒目でやっと空きが見つかった。値段もトイレが付いて1泊70ルピーと激安。

うれしかったがこれからが心配だ。彼ら2人の目的を知りたかった。宿のおやじとは面識がないようで宿泊料金に関しては問題はなさそうだ。彼らも一緒に部屋に入ってきた。たばこや食べ物、飲み物を勧められたが何とか理由を付けてすべて断った。
photo3 結果として彼らを警戒していた僕は後悔する事になった。とりあえず彼らが住所を教えてくれたことや名刺をくれたりして一緒に写真を撮ることを拒まなかったことで僕は彼らを信用することにした。もし怪しい奴なら写真を嫌う。たまたま道でばったり会った僕を彼らは本当の親切心から手を貸してくれたみたいだ。ありがとう。
その時ユースフが申し訳なさそうにリキシャ代の14ルピー(42円)が欲しいと言ってきた。よく考えたらリキシャ代は彼らが払っていたのだった。僕はこんな良い宿を探してくれたお礼を込めて2人に20ルピーずつあげることにした。すごく喜んでくれた。そして帰っていった。
photo4 インドに来て初めて人に親切にされた気がする。疲れが極限に達していたのでなおさらそう感じたのかもしれない。南インドは(北インドと違って)人が穏やかで優しいという噂はまんざらウソではないようだ。時間があったら彼らの所へ遊びに行ってみよう。

これがコーチンで宿泊することになった宿。駅に近く便利で周辺は静かな雰囲気だ。

0037. まえだまさとし 2007/08/05_21:55:39
photo1 安い宿に泊まると精神的に落ち着き、体力的にも落ち着く。そしてゆっくり今後について考えることが出来る。2日連続車中泊の疲れを落とし、夕方海の方へ行ってみた。食堂の人もみんな親切で穏やかな気がする。インドにもこんな所があったんだ。来て良かったと実感。
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photo3 コーチン名物の独特の漁法「チャイニーズフィッシング」のネット。
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0038. まえだまさとし 2007/08/05_22:00:28
photo1 コーチンからバックウォーター(水郷)ツアーに参加した。観光局前からマイクロバスに乗り込み水郷があるアレッピーへと向かった。
参加者には日本人のおじさん3人組がいて、僕にとって彼らが今年初めて会った日本人となった。マイクロバスは今まで乗ったバスの中で一番快適だった。水郷巡りのボートは6人乗りだ。
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photo3 途中の村にて
photo4 アレッピーへ向かう本格的なバックウォーターツアーではないのでいまいち迫力はなかったが熱帯の雰囲気を満喫した。
夜7時にコーチンに到着。

0039. まえだまさとし 2007/08/06_22:18:11
photo1 インド最南端、コモリン岬があるカニャークマリへ向かうため、コーチンを早朝出発する列車に乗りむためコーチン・エルナクラム駅へ向かった。

しかしカニャークマリ行きは予想が出来ないぐらい遅れているらしく、トゥリヴァンドラム行きの列車が先に出発するらしくそれに乗ることになった。切符はとりあえずカニャークマリまで購入したが無駄になってしまうかも。
インドに来て初めて夜行ではない列車に乗ることになった。車内はオープンサロンで広々としている。途中ジャングルの中を快走し12時前にトゥリヴァンドラム駅に到着した。
photo2 12時にカニャークマリ行きのバスがあるらしく列車で行くのはあきらめバスに乗り込んだ。バスは結構きれいで窓ガラスもちゃんとある。
 午後3時にカニャークマリに到着した。客引きについていきホテルはすぐ見つかった。

1泊150ルピーとちょっと高いが外観も部屋もきれいだしとくに問題はない。
photo3 部屋からの眺め。
この部屋からは日の出も見られるのでなかなか良いかもしれない。
photo4 カニャークマリのメインストリートは人通りが多い。

0040. まえだまさとし 2007/08/06_22:18:59
photo1 こちらはカニャークマリ駅。インド最南端の駅で立派だが、本数は少ない。
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0041. まえだまさとし 2007/08/06_22:22:27
photo1 インド最南端・コモリン岬へは夕日を見に来た。
観光客はインド人が99パーセントを占め、外国人はほとんどいない。というよりもインド人が多すぎて外国人があまり目立たない。
photo2 ここはベナレスに次ぐヒンドゥー教の聖地ということもあり、インド人が多いのだろう。
photo3 日が落ち涼しくなってきた。
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0042. まえだまさとし 2007/08/06_22:24:20
photo1 コモリン岬の夕日。
みんな拝んでいる。バカ騒ぎをしている奴もいる。とにかくインド人はみんな楽しそうだ。
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photo4 日没

0043. まえだまさとし 2007/08/11_20:09:54
photo1 翌朝。
日の出を見たかったが起きられなかった。雲が多かったのでどうせ見れなかっただろう。9時頃太陽が顔を出し、部屋を強い日差しが包み込んだ。眩しすぎる。
photo2 9時発のバスに乗るためバスターミナルへ向かった。再び北上してケララ州の中心都市トゥリヴァンドラムへむかう。
トゥリヴァンドラムへは約3時間で到着、このまま近郊のコヴァラムビーチへ向かうことにした。とりあえず4,5日ビーチでくつろぐことになりそうだ。

次の目的地はスリランカ。このトゥリヴァンドラムから飛行機に乗ることになっている。
photo3 コヴァラムビーチへは駅前のバスターミナルではなく、少し離れたバス乗り場からコヴァラムビーチ行きが出ているようで歩いて向かった。
 バスを降りたら客引きがいたのでついていくことにした。最初150ルピーだと言っていたが4泊で450ルピーに値引きさせる事に成功。部屋はシャワーがついて風通しも良くきれいだ。文句なし。
ビーチまで約百メートルぐらいと少し遠いのが難点だが快適に滞在できそうだ。
写真が宿泊した宿。
photo4

0044. まえだまさとし 2007/08/11_20:13:53
photo1 ビーチに出た。しかしあまりきれいではない。波も荒く砂も白くない。日本(南西諸島を除く)のビーチに比べれば確かにきれいだが噂ほどではなかった。
ビーチには欧米人があちこちに転がり素朴さはあまりない。メインとなるビーチはこんな感じだ。
photo2  ビーチは北に延々とつづき、メインビーチ以外は人も少なくのんびりとした砂浜が続いている。インド人も海水浴をしている。
photo3 その素朴な砂浜で読書をしていた日本人に出会った。2ヶ月もここにいるらしい。
長期旅行の日本人に会うのは久々だ。デリー以来か。

彼と同じくこのビーチに1ヶ月以上滞在している日本人が他にもいるらしくその人と3人で夕食を食べることになった。
店を探していると板前をしながら世界中を旅しているという日本人のおじさんにも出会い4人でレストランに入ることにした。板前屋さんに品定めをしてもらい活きのいい鯛を選んでもらい、バーベキューは100ルピー(300円)と高かったがうまかった。
photo4

0045. まえだまさとし 2007/08/11_20:20:30
photo1 翌朝、2週間前アウランガバードで予約を入れたスリランカ・コロンボ行きの航空券の予約再確認に行くためにトゥリヴァンドラムの街へ出ることにした。
本当は必要ないと思うがトゥリヴァンドラムの町を歩いてみたかったのでそのついでだ。バス停から歩いてインディアン・エアラインズのオフィスへ向かった。

インドの飛行機は意外に混んでいる。インド人の金持ちが飛行機を使いまくるからだ。番号札を取り、長時間待たされた。そして僕の番が回って来た。
photo2 チケットを見せたら「1月12日のフライトはキャンセルになった」とあっさり言われてしまった。「14日なら飛んでいるから空席待ちに登録しておいてあげよう」と半強制的に登録されてしまった。
しかし空席待ち番号は32番目だ。
ふざけるなと思った。インディアン・エアラインズ。(同じ所でダラダラしていたくないので)どうしても12日にスリランカへ行かなくてはならないんだ。責任者を呼べ。とごねることにした。
photo3 しばらくしてマネージャーの部屋に案内された。そして文句をたれた。「これじゃ何のために2週間前から予約していたのか分からない。どうしてくれるんだ。何とかしろ。12日はだめでもいいから13日までにはスリランカに到着できるようにしてもらえないか。」マネージャーはエアランカ(スリランカ航空)へ電話を掛け、席が空いてるか確認を取るようだ。
「もし空いていたら速攻確保しろ」ぶつぶつ文句をたれていたら13日の便に空席があるらしく予定より遅れてしまったがなんとか出発できそうだ。

その後エアランカ(スリランカ)のオフィスへ出向き正式に手続きを済ませ予約完了。
photo4 まったくヒヤヒヤさせやがって、今まで飛行機には100回近く乗っているがフライトキャンセルになったのは初めてだ。まったくインドはすべてがいい加減だ。もしこのことに空港まで気づかなかったらもっと頭に来ていただろう。おそらく僕は航空会社にその夜滞在するホテルを要求していたかもしれない。リコンファームはやはり必要だと実感。
 トゥリヴァンドラムの町にはスーパーマーケットなどもあり、なかなか近代的だ。さすがケララ州の州都だ。
トゥリヴァンドラムの教会。

0046. まえだまさとし 2007/08/11_20:22:39
photo1 スリランカに何とか行けそうで安心し、3日間はとくに予定もないのでビーチでリラックスすることになった。
ビーチ沿いのレストランでジュースを飲みながら本を読み、時間は過ぎていく。
この上ない最高の贅沢だ。


毎日こんな生活をしていて良いのだろうか。でもまわりの日本人はもっと怠けているので気にしないことにしよう。
photo2 波は高めだ。
photo3 ココナツ
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0047. まえだまさとし 2007/08/11_20:25:58
photo1 コヴァラムでの楽しいひとときは同じような長期の日本人旅行者との出会いが大きい。
photo2
photo3 コヴァラムビーチのに夕日。
なんだかんだ言ってもやはり僕にとってここは南インド最高のビーチだった。
photo4

0048. まえだまさとし 2007/08/11_20:30:29
photo1 ビーチを出発する日。

朝4時に起床。ホテルを5時半に出発した。始発が6:05発だと聞いていたのでそのバスに乗り込み1度トゥリヴァンドラムの街へ出てそこから空港行きの乗り合いワゴン車に乗り継いだ。
空港にはビーチから1時間でついてしまった。オーバーブッキングが怖いので早いに越したことはない。出発までまだ3時間あるがすでに人がたくさんいる。
 
photo2 チェックインを無事済ませ、搭乗券を受け取り、いよいよ出発だ。出国審査では山のような書類を抱えて出国するインド人を横目に日本人は改めて楽だなと実感。空港内はクーラーも利いておらずファンが虚しく回っているだけだ。
 エアランカ航空(スリランカ航空)に搭乗。スリランカの首都コロンボまで約50分のフライトだ。

はたしてどんな国なのだろうか。
ひとまずインドとは少しのあいだお別れだ。

「ユーラシア大陸横断③南インドへ(1997〜98)」
【終わり】
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続きは「ユーラシア大陸横断④スリランカ(1997〜98)」参照
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