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カフカスの国々を巡る(コーカサス)カラバフの現状

0001. まえだまさとし 2007/04/05_02:16:42
photo1 2007年3月から4月にかけてコーカサスの国(アゼルバイジャン・グルジア・アルメニアとナゴルノカラバフ共和国)を旅行しました。その時の写真を紹介します。
現地までのアクセスはアエロフロート・ロシア航空を利用しました。この航空会社にはいろいろ問題があるが、時間的にも経済的にも選択せざるを得なかった。
photo2 コーカサス地方での移動ルートの地図です。期間は13日間です。
アゼルバイジャン領のナゴルノカラバフはアルメニア人が実行支配している状態です。現在アルメニアのみが承認する「ナゴルノカラバフ共和国」として独立している。
photo3 さて出発ですが、アエロフロートは今でも利用したくない航空会社のひとつだ。とはいえアエロフロートは気づけば航空会社連合「スカイチーム」の正式メンバーだ。それは国際基準を満たしているという証でもあるので前回利用した7年前(西アフリカ横断旅行参照)よりはまともになっていると期待したい。アエロフロートの最大の問題は途上国へ向かう便の整備不良等いい加減な管理体制とモスクワでの乗り継ぎだ。
photo4 成田空港ではモスクワからの乗り継ぎ便の搭乗券は発券されず、早くも国際基準を満たしていないと思い知らされる。モスクワでの搭乗券受け取りは面倒だ。アエロフロートを利用したくない理由のひとつにモスクワ・シェレメチボ空港で乗り継ぎの西で預けた荷物から物を抜き取られる危険性が高いというのも付け加えておかなくてはならない。前回は物はなくなっていなかったが中身をぐしゃぐしゃにされた。とにかくアエロフロートは手続きや取り巻きが未成熟で問題だらけで先が思いやられる。これから旅が始まるというのにテンションが下がりっぱなしだ。

0002. まえだまさとし 2007/04/05_02:18:47
photo1 アエロフロート、モスクワ経由
photo2
photo3 モスクワ経由パリ行きの機材はB767。アエロフロートは積極的に欧米の機材を導入しているのでフライト自体は快適だ。座席に個人モニターがないのはいいとしてビニールシートなのは少し違和感を感じる。離陸の際のセキュリティーはいい加減で膝の上に荷物を置いていても注意されない。見回りもいい加減だ。ロシアンスタンダードはおおらかだ。
photo4

0003. まえだまさとし 2007/04/05_02:21:03
photo1 アエロフロートの機内食はマリオットホテルが作っているようでかなりまともだ。アメリカ系航空会社に比べればメニューはかなりレベルが高い。前回の経験からしてモスクワ以遠も期待でき、ソ連製のぼろい期待でもまともな機内食が出てきて驚いた記憶がある。ただしアルコール類は有料になってしまった。
photo2 凍り付いたシベリアの大地
photo3 到着前の機内食
photo4 モスクワまでは10時間。ニューリッチの豪邸を見下ろしながらシェレメチボ空港に着陸態勢に入った。気温はプラスで凍り付くような寒さではない。問題のモスクワ空港だが。案の定国際線トランジットのカウンター前で延々と待たされることになった。手続きは昔ながらのクラシッククスタイル。よくスカイチームに入れたものだと改めて感じる。
アメリカでも延々と待たされるが、確実に列は進むし係員は仕事をちゃんとしているのはよくわかる。しかしこのトランジットカウンターはわけがわからない。乗り継ぎ時間の短い人は先に通されるが僕は時間に余裕があるので後回しにされる。係員はたばこを吸いながらの作業。ロシアンスタンダードは相変わらず常識はずれだ。

0004. まえだまさとし 2007/04/05_02:27:54
photo1 1時間以上トイレにも行かない状態で待たされ、やっと通してくれた。しかし乗り継ぎ便の搭乗券は2時間前の9時にトランジットデスクで受け取ることになる。9時にトランスファーデスクに行ったら搭乗券をすぐに受け取ることが出来た。さらに1時間ほど床に寝ころび23時前に搭乗口に向かった。荷物検査は厳しい。
photo2 バクーへは2時間のフライト。ピカピカのエアバスA320型機。アエロフロートも最近は旧ソ連諸国にも最新鋭の翼を導入している。
深夜のフライトのため、あまりにも眠たくてウトウトしていたら機内食が配り終わっていた。普通寝ている人のテーブルにも一応置いておいてくれるのが一般的だが、パスされてしまった。
バクーには夜中の3時に到着。日本からモスクワまで6時間遅れでバクーへは1時間早くなるので日本との時差は5時間。日本時間の午前8時という事になる。バクーに到着したものの外は雨。寒い日の雨は最悪だ。とりあえず空港の中が暖かく、きれいだったのが救いだ。急いでも仕方ないのでのんびりビザの取得の順番を待つことにした。
photo3 実はアゼルバイジャンのビザを空港で取得できるのかずっと心配だったが、特に問題はなさそうで安心した。40$と高い。でも日本人はお得な方でアメリカ人とイギリス人は100$。シェンゲン条約加盟国(EU諸国等)は60ユーロ。韓国人は50$と国籍によってまちまちだ。とにかく無事入国。アゼルバイジャンは119カ国目の訪問国だ。
税関の職員に日本語で「こんにちは」といわれ、この国は思ったほど悪くないなと思った。到着ロビーに出たのは4時過ぎだ。出発階に上がり暖かい空間にベンチがあったので朝までゆっくり時間をつぶせそうだ。
photo4 6時を過ぎるとやがて夜が明けてきた。7時頃からバスがあるようなので駐車場の方の方へ出てみた。
ターミナルを出たら早速タクシー運転手が追いかけてきたが15マナト(2070円)とか言っているので無視。バスで行くと伝えると「ない」とか言っている。向こうにバスが見えたので行ってみた。するとタクシー運転手が車に乗ってすごい勢いで追いかけてきた。いったいいくらまで値下げしてくるのか分からないが全く乗る気がないので相手にしないことにした。運転手は必死で僕をバスにたどり着かせないようにしようとしているがもう手遅れだ。目的のバスはすぐに見つかった。

0005. まえだまさとし 2007/04/05_02:31:40
photo1 僕が乗り込んだらバスはすぐに出発。
途中のアジズベヨフという街で別のマルシュルートカ(乗り合いバス)に乗り換えることになったが、適当に聞いたら親切に目的の乗り合いバスを探してくれた。
いとも簡単に目的の車を見つけ宿泊予定先のホテルアルズの前まで来ることができた。空港からここまでかかった料金は合計で0.5マナト(69円)だ。安すぎる。
photo2 ホテルアルズはバクーでは有名な安宿で評判も良い。はっきり言ってここ以外の安宿はないと言っても過言ではない。3人部屋ドミトリーで10マナト(1380円)。ホテルはけっこう大型だ。
チェックインを済ませて部屋に入れるのは12時からとのことでそれまで荷物を預かってもらい街へ出ることにした。
photo3
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0006. まえだまさとし 2007/04/07_22:46:25
photo1 バクーの気温は9度で雨は上がっているが、ジメジメとした不快な天気だ。雲も暑く、街が暗く感じる。宿の北に近郊列車の駅があるようなのでここに行ってみた。
ここからバクーまでの1駅だが近郊電車が出ているようだ。本数もそれなりにあるようでそれほど待たずに列車はやってきた。ロシアの典型的な通勤列車でシベリア鉄道に乗ったとき都市部でよくすれ違った車両だ。
photo2 乗車区間は一駅で5分ほどだ。切符は結局買う機会が無く無賃乗車になってしまった。
バクー駅に到着。
photo3 共産的国な無機質な大型建築が老朽化している。バクー駅には新幹線をデザインした絵をよく目にする。
photo4

0007. まえだまさとし 2007/04/07_22:49:37
photo1 バクー駅を眺める。カスピ海の海岸へ行ってみることにした。
photo2 海岸沿いの公園では寒い中ジョギングをする人と多くすれ違う。
しかし寒い。
photo3 バクーのビル影
photo4 バクーの中心部に当たる噴水広場の噴水。節約のためか故障かわからないが水は出ていなかった。

0008. まえだまさとし 2007/04/07_22:54:19
photo1 バクーの旧市街「イチェリ・シャハル」に来てみた。
城壁内部は中途半端な家に建て替えられ、歴史を感じさせてくれる建物は少ない。

写真の「乙女の塔」とその周辺の建物は修復もされ、少しは雰囲気が良いが全体的には保存状態はあまりよくない。
photo2 手前の丸い凹凸はハマム(公衆浴場)の屋根。
photo3 塔の上には炎が見える。
photo4 これはモスク跡。礼拝所に屋根はなくなっている。

0009. まえだまさとし 2007/04/07_23:04:16
photo1 バクー旧市街にあるモスク風の建物「シルヴァン・シャーサラユ(宮殿)」
photo2 西側の地下門から城壁の外に出た。
ちょうど地下鉄の駅があったので警官が心配だが乗車してバクー駅に戻ることにした。切符はスイカのようなICカードになっていて4回から使えるらしく無理矢理買わされた。まぁ4回ぐらい乗ると思うので問題ない。
photo3 地下へ下るエスカレータ。
photo4 バクーの地下鉄。撮影禁止のため隠し撮り。

0010. まえだまさとし 2007/04/07_23:07:48
photo1 地下鉄でバクー鉄道駅に戻った。
モスク風のバクーの旧駅舎。現在は使われていない。
photo2 バクー駅に戻り、明日のトビリシへの夜行列車の切符を購入することにした。17.40マナト(2400円)と思った以上に高かった。切符にはアゼル文字で書かれているので理解不能で何号車なのかも分からない。この駅の窓口は評判悪いのでぼられているかもしれないが、言葉が分からないのでどうすることもできない。余計なことは考えない方が良いのかも。

切符の台紙は新幹線が描かれていた。しかし駅員達はこの絵を日本の列車だと知っているのか不可解だ。
photo3 駅前のトルコ料理屋で食べた「ドルマ」葉っぱに巻かれた肉団子のようなもの。それとサラダを食べてみた。
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0011. まえだまさとし 2007/04/07_23:13:00
photo1 昼過ぎに一度宿にチェックインをしに戻った。部屋は3人用ドミトリーで同室はパキスタン人のビジネスマン。
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0012. まえだまさとし 2007/04/07_23:14:11
photo1 午後、バクーの街が一望できる丘へケーブルカーで上ってみた。ケーブルカーの山麓駅にて。
photo2 丘の上には「国士の路」という場所があり、国のために戦死した兵士の墓地になっていた。
大半は80年代末からのアルメニア戦争で戦死した兵士の墓で1992年没が目立つ。
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photo4 バクー市街地とカスピ海。

0013. まえだまさとし 2007/04/07_23:19:27
photo1 バクーのケーブルカー。
photo2 バクー一の目抜き通りであるニザーミ通りを歩いて見た。噴水広場の一角には露天が出ていてマトリョーシカなども売られて賑わっている。
photo3 マクドナルドもあったが中は大混雑だ。
photo4 バクー市内に残るアルメニア教会。アゼルバイジャンのアルメニアに対する感情はパレスチナのイスラエルに対するものと重なるものがある。ソ連崩壊後のアルメニアとの領土紛争(ナゴルノカラバフ紛争)でアゼルバイジャンのアルメニアに対する印象は最悪だ。そんな国にあってこの教会はもちろん閉鎖され入り口もセメントで封鎖されている。取り壊されなかったのが奇跡だ。憎しみの対象として残しているのだろうか。

0014. まえだまさとし 2007/04/07_23:27:07
photo1 今日は昨日とは一転快晴だ。ずっと曇りがちの天気が続くのかと思っていたので気分が良い。

宿の宿泊客に欧米人はいないがイラン人は多く宿泊しているようで目的は観光の人もいればビジネスの人もいる。朝から天気が良く午前中政府庁舎方面を散歩していたら欧米風の観光客がいたので声を掛けたらイラン人だった。よく考えたらイランは隣の国なので彼らはアゼルバイジャンに異国情緒を求めているのだろうか。彼らは決まってイランに対してどう思っているのか?イランは全然怖くない。心配ないので是非遊びに来てくれと口をそろえる。イランのイメージが国際的に悪くなっているのは自分たちが一番よく知っているのでできるだけフォローしようとしているのだろうが、アメリカのせいでみんな大変な思いをしていて気の毒だ。

観光できたイラン人のおじさんと1枚。
photo2 バクー政府庁舎。
photo3 ホテル・アブシェロン
photo4 海岸沿いでは綿菓子が売られていた。0.3マナト(41円)

0015. まえだまさとし 2007/04/07_23:29:00
photo1 バクーの街中ではトルコ風のドネルケバブの店があちこちにある。
値段は0.8マナト(110円)ほどだ。
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0016. まえだまさとし 2007/04/08_19:44:35
photo1 グルジアの首都トビリシ行きの列車は20:35に出発する。
出発前まで駅のカフェで夕食を食べることにした。
photo2 バクー駅を出発。グルジアへ向かう。
photo3 列車はすでに停まっているようで20分前に乗り込んだ。暖房は石炭により興され暖かい車両は快適だ。けっこう混雑しているようでほぼ満員だ。外は暗いので車窓を眺めることもなくすぐに就寝だ。
寝台車のシーツにも新幹線がデザインされている。
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0017. まえだまさとし 2007/04/10_22:04:57
photo1 翌朝7時にアゼルバイジャン側の国境に到着しパスポートが集められた。
photo2 同室の人をはじめ同じ車両の乗客は大半が国境の手前の駅で降りていったので車内は空いている。役人の嫌がらせが心配だったが全く問題なくパスポートにスタンプが押されて戻ってきた。荷物検査も特になく、1時間後の8時にグルジア側の国境に向け出発した。出発を待っている間、隣の個室のアゼルバイジャン人が話しかけてきた。僕がこれからどこへ行くのかという話題になったが、トルコに抜けイスタンブールに抜けるという嘘をつくのはこれが最後になりそうだ。アゼルバイジャン人のアルメニアに対する感情は最悪なので神経を使ってしまう。そんなわけでアルメニアの名前は口に出さないほうが無難だ。
photo3 グルジアの国境に到着した。入国事務所の建物を見ているとアゼルバイジャンより生活水準が低い感じだ。グルジアは民主化してまともな国になったようだが、生活水準が上がるのはまだ先のようだ。やはり産油国は強いということか。グルジア側での待ち時間は長く3時間も待たされた。その間に乗客の何人かはタクシーでトビリシ方面に先に行ってしまった。ホームからタクシー運転手がトビリシまで乗っていかないかと声もかかったが、待つことにした。車内に乗客はほとんど残っていない。みんな暇な人たちばかりのようだ。
photo4

0018. まえだまさとし 2007/04/10_22:07:01
photo1 トビリシに向け再び列車は走り出した。
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photo3 結局トビリシ駅には11時半に到着した。グルジアには1時間の時差があるようでバクーからの所要時間は16時間だった。
photo4

0019. まえだまさとし 2007/04/10_22:09:29
photo1 トビリシの駅前も共産色の強い立派な駅舎と荒廃した街並みが広がっている。駅舎は巨大だが中身は空っぽでコンクリートは崩れ、駅前の道路はでこぼこで道路と駐車場の境界線もはっきりしない。でも人の往来は激しく、地下鉄も走っている。
photo2 この街の滞在予定は1泊だけなので駅近くの民家(ネリ・ダリの家)に泊まることにした。
写真の建物の2階がネリダリの家。
photo3 ネリダリの家の部屋。
けっこう窮屈でお湯も決まった時間にしか浴びられないようだ。でも浴びられるだけマシなのかもしれない。
photo4 ダリおばさんが今夜の夕食を作っていた。ロールキャベツで「ドルマ」という呼び名はトルコと同じだ。

0020. まえだまさとし 2007/04/10_22:14:53
photo1 今日はまだまともなものを食べていないので駅前のレストラン食事することにした。
グルジアは食のバラエティーがソ連諸国の中では豊かだ。餃子のようなピンカリを注文してみた。ソースはチーズ味で少し違和感はあるがおいしい。
photo2 パン生地にチーズと卵をのせたハチャプリも注文した。基本的にはロシア料理だがグルジアでもメジャーな食べ物らしい。結構ボリュームがある。
photo3 メトロで旧市街へ向かった。切符はバクーのようなICカードではなく昔ながらのソ連式ジェトンと呼ばれるプラスティックのコイン。駅は旧ソ連圏共通で地中深くに作られていて、エスカレーターで降りる。
photo4 カラフルな駅構内。旧市街地近くのアヴラバリ駅。

0021. まえだまさとし 2007/04/10_22:20:23
photo1 巨大なツミンバ・サメバ教会。
photo2 旧市街のの路地裏にて
photo3 ジュバリスママ教会(16世紀に建立)とノラシェン教会(右)。
photo4 トビリシの旧市街は城壁が川沿いの断崖に芹建っていたり、丘の上にぽつんと教会が建っていたり独特の雰囲気がある。その中でひときわ目立つ崖の上のメヒテ(聖母)教会。

0022. まえだまさとし 2007/04/10_22:22:23
photo1 北に向かって歩いていたらせっかくシャワーを浴びたのにずぶ濡れになってしまった。マクドナルドに駆け込んで暖をとることにした。
マクドナルドもメニューからすべてグルジア文字。この国は独自言語使用を徹底しているようだ。
photo2 近くのアブハジア紛争の象徴で多くの難民を収容していたイヴェリアホテルは改装工事中で骨組みだけになっていた。あの独特の雰囲気の外観を自分の目で見てみたかったが少し残念だ。どうやら改装後はラディソンホテルに生まれ変わるらしい。
photo3
photo4

0023. まえだまさとし 2007/04/10_22:24:15
photo1 今日は朝から天気が良い。同室の人は寝ているが、トビリシ滞在はそう長くないので街へ出た。駅前の食堂でハルチョというスープで朝食を済ませ、メトロで旧市街の方へ行ってみた。
photo2 トビリシはソ連圏の国では珍しく雰囲気が良い街だ。
photo3
photo4

0024. まえだまさとし 2007/04/10_22:26:11
photo1 昨日登らなかった丘の上の城壁へ行くことにした。けっこうきつい坂だがすぐに頂上に到着。中世の面影が残る街並みを一望。
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photo4 グルジア正教総本山のスィオニ大聖堂

0025. まえだまさとし 2007/04/10_22:32:58
photo1 ネリダリの家でも時間は限られているがシャワーを浴びることは可能だ。でもせっかくなのでハマムに行ってみた。
個室に入ろうとしたら10ラリ(710円)なのに15ラリ(1065円)とふっかけられた。別のハマムに行くと言うと値段が下がった。物価の上昇は考慮するが常に油断は禁物だ。どこまでがぼったくりか判断するのは最近難しい。個室ハマムは写真ではわかりづらいが浴槽、トイレ、シャワーなど広々と配置されていて快適だ。ただサウナが無かったのが残念で確認しておくべきだった。
photo2 ハマムの屋根と城塞
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0026. まえだまさとし 2007/04/10_22:34:48
photo1 エレバンへの列車は15:40発と明るい時間帯の出発だ。早めにトビリシ駅へ向かった。アルメニアの客車はずいぶん年季の入ったソ連製でアゼルバイジャンからの車両と見比べるとかなり見劣りする。
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photo3 グルジア国鉄の機関車。
photo4 車掌たち

0027. まえだまさとし 2007/04/10_22:38:24
photo1 車内のベッドもビニールシート張りでボロボロだ。でも食堂車が連結されているのは少し楽しみだ。

列車は定刻通り出発した。


17時50分にグルジア側の国境に到着。
photo2 20時過ぎにようやくアルメニア国境に向け出発した。グルジアは出国も入国も時間がかかるようだ。アルメニアの国境に移動する際、食堂車でサンドウィチを食べることにした。
食堂車のメニューはこれとコーヒーだけだった。
photo3 20時40分にアルメニア側国境に到着。アルメニアのビザは列車を降りて事務所で作ってもらうことになった。事務所で申請用紙を書かされた。そして電話で名前の照会をする徹底ぶりだ。またアゼルバイジャンについて何か問題はあったか質問された。無関心のはずだがどういう事だろうか。またアルメニアは今までの国と違い軍事色が強い。ホームには兵士がうろうろしている。どことなくイスラエルとかぶる部分があり、周辺のイスラム諸国と一線を画しているのも似ている。世界に散らばるアルメニア人の支援によって成り立っている国家。しかしイスラエルに比べるとずいぶん貧相で気候も厳しくとんでもない場所だ。政府職員の規律がしっかりしているのが唯一の救いかも。
photo4 アルメニアの首都エレバンに到着したのは翌朝8時過ぎ。
ずいぶん立派なプラットホームだがここもボロボロで電気系統はすべて機能していない。コンクリート片も割れたままで荒れ放題だ。
駅構内には地下鉄の駅もあるので人の往来は激しく地下道には店も何軒か営業しているがどことなく寂しい。

0028. まえだまさとし 2007/04/12_22:14:09
photo1 駅舎は立派だが周辺の眺めは半分廃墟だ。ラチン回廊に行かなくてもここである程度は廃墟を感じることができる。
photo2 今日は雨交じりのすっきりしない天気で道路はぬかるみ、まっすぐ歩くこともままならない。
photo3 とりあえず駅近くのリダおばさんの家に向かった。情報ノートのおかげですぐに家は見つかった。ほとんどバラックでかなり酷い住居だ。近所の家も負けておらずほとんど街並みは廃墟と化している。そんな中での生活は貴重な経験だ。トイレは普通に使えるようでこの種の宿では快適な方だろう。しかし暖房はない。
photo4 リダおばさん。

0029. まえだまさとし 2007/04/15_21:00:32
photo1 町へ出ることにした。
エレバンはソ連時代、域内の主要共和国の首都だったこともあり、インフラは整備され地下鉄も走っている。他のソ連圏と同じ車両システムだが2両編成でずいぶんこぢんまりとしている。
photo2 料金は50ドラム(16円)。プラスティックのソ連式ジェトンが切符。
photo3 中心部にある市内で最大のアルメニア正教会「グリゴル・ルサヴォリチ大聖堂」。2001年に建立と新しい。
photo4 SILバザール。この周辺から周辺都市への乗り合いバスも出ている。

0030. まえだまさとし 2007/04/15_21:10:03
photo1 今回の旅の目的地であるナゴルノカラバフ大使館へ向かった。
大使館にあたるナゴルノカラバフ恒久代表部の建物。
今日の気温は日中でも2度で雪交じりの厳しい天気だ。少し不便な場所にある。のんびり歩いて向かった。
ビザ申請は特に問題ないがその場で発行されず夕方4時の受け取りとなった。写真が一枚必要で費用は11000ドラム(3600円)だ。アルメニア以外には国として認められていない自称国家のくせに手続きだけはずいぶん本格的だ。
質問も多くいちいち訪問目的を説明するのが面倒くさい。
手間がかかる。
photo2 エレヴァン市内のトロリーバス。
photo3 市中心部の共和国広場。財務省の時計台。このあたりは国を代表する場所なので道路は歩きやすく整備されているが一歩裏に入ればぬかるみだらけの路になる。
photo4 夕方4時にナゴルノカラバフ恒久代表部にビザを受け取りに行った。
受け取ったパスポートにはしっかりビザに張られていた。これでもう敵対するアゼルバイジャンには入国不可能になってしまった。
書類はレジストレーション。

0031. まえだまさとし 2007/04/15_21:15:51
photo1 翌日ナゴルノカラバフの首都ステパナケルトへ向かうため中央バスターミナルへ向かった。
中央(キリキア)バスターミナル。
photo2 ステパナケルトへ向かうマシュルートカ(乗り合いバス)。所要7時間で5000ドラム(1650円)だ。
ナゴルノカラバフには空港はあるが、閉鎖されているのでこの乗り合いバスが唯一の交通手段だ。
photo3 エレヴァン近郊はハイウェイが整備されている。
photo4 昼食で立ち寄ったヴァイクの町。

0032. まえだまさとし 2007/04/15_21:18:12
photo1 その後車は雪山を眺めながら坂をぐんぐん上り2344mの峠を越えた。
photo2
photo3 その後も一面銀世界の中を走り続け、南部の主要都市ゴリスに到着した。街は広範囲に広がっているが雪に覆われている。寂しい感じだ。
photo4

0033. まえだまさとし 2007/04/15_21:23:45
photo1 そのままナゴルノカラバフへ。
ラチン回廊に入り、小さな川にさしかかった。この川を越えたらナゴルノカラバフなのか検問所があった。おそらく国境などだろう。しかしパスポートチェックはなく運転手がなにやら手続きしただけだった。
この一帯は国際的にはアゼルバイジャン領で「ラチン回廊」とよばれている。アルメニアが安全保障目的で占領している保障占領地という扱いだ。
道路は外国のアルメニア人の投資により整備されている。
photo2 保証占領地のなかにある町「ベラゾル」はアゼルバイジャン人の街で廃墟になった家もあるがそこに新たにアルメニア人が住み始めているので村全体が廃墟になっているような場所は見あたらない。でもアパートだったと思われる大きな建物の屋根が抜け落ちた廃屋や壁だけになった家が至る所に見られる。でも新しい家も建っていて街は機能しているようだ。アルメニア人の街に変わりつつあるようだ。
photo3 この時車の真ん中の方に座っていたので思うように写真を撮れなかったので帰り道に改めて説明します。
photo4 そのまま雪化粧の山岳地帯を走り続け、ステパナケルトの街が見えてきた。
ステパナケイトの街には雪はなく、色のない灰色の荒廃した街並みが広がっている。人口4万人。鉄道も空港もない。これでも建前上一国の首都だ。
とんでもない所に来てしまった。

0034. まえだまさとし 2007/04/15_21:28:21
photo1 夕方4時半にバスターミナルに到着した。
バスターミナルにいたタクシー運転手と宿の客引きに一軒の宿泊所へ連れて行ってもらうことになった。その途中オヴィールで外国人登録を受けによってもらった。
連れて行かれた宿はホテルとは呼べないが民宿でもない。
左から2番目の扉が宿泊した宿。
photo2 部屋は暖房付きの共有スペースに部屋が二つ。お湯は出ないがそれなりに快適だ。1泊4000ドラム(1320円)だ。とりあえず2泊する予定だ。宿の前には商店もあるので飲み物も買えそうだ。
photo3 ここまで連れて来てもらったタクシーを明日チャーターすることにした。
photo4

0035. まえだまさとし 2007/04/15_21:30:40
photo1 この日の気温は0度。外は小雪混じりの天気だ。とにかく寒い。部屋の暖房も宿の管理人が戻ってくる夜間しか利用できないので部屋の中でも防寒対策が必要だ。すきま風が入ってくるので部屋の中も5度くらいしかない。見た目よりこの部屋は寒い。
photo2
photo3
photo4

0036. まえだまさとし 2007/04/15_21:32:59
photo1 防寒対策について。基本的にこの格好をしていれば問題ない。
上着はヤッケにインナーのダウンを着用。
photo2
photo3 ズボンの下にもインナー、登山用の靴下を着用。
photo4

0037. まえだまさとし 2007/04/15_21:37:10
photo1 中心部はバザールがあり果物や肉は豊富だ。しかし自炊できないのでそのまま食べられるものはあまりない。
photo2 牛の頭
photo3 魚はけっこう豊富に売られているがこれを食べさせてくれる場所が見つかればいいのだが。
photo4 ステパナケルトは町の中心部。路地の町並みはこんな感じだ。

0038. まえだまさとし 2007/04/15_22:55:14
photo1 翌朝
ステパナケルトの朝は遅く8時を過ぎても街は静まりかえっている。目の前の商店もまだ閉まっているので昨日パンを買っておいたのは正解だ。冷たいパンを水でのどに流し込んだ。
この宿にはコイルヒーターがあったのが救いで少しずつお湯を沸かしペットボトルに貯めると顔などを洗うには十分使える。しかし頭を洗うには少し勇気と気合いが必要だ。もう少し暖かくなった日中に決行した方が良さそうだ。
9時過ぎタクシーに乗り込んだ。ソ連製の車だが暖房がついているのはありがたい。まずは北部、アゼルバイジャン国境との最前線の街アスケランへ向かった。
途中ステパナケルトの廃駅や機関車の残骸などを見下ろす場所を通過した。
photo2 ソ連時代はステパナケルト駅から敵国アゼルバイジャンのバクーを経てモスクワまでの直通列車が運行されていた。その名残がここに生々しく残っている。
photo3
photo4 機関車の残骸が見える

0039. まえだまさとし 2007/04/15_22:55:53
photo1 機関車の残骸が見える
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photo4

0040. まえだまさとし 2007/04/15_22:57:32
photo1 こちらは駅前にあるバスの残骸。
photo2 その後鉄橋跡も頻繁に目についた。
photo3 垂れ下がった送電線。
photo4

0041. まえだまさとし 2007/04/15_22:59:21
photo1 アスケランへ行く途中アゼルバイジャン人の廃屋が点在していた。
photo2
photo3 軍用車の車列もこの短い距離で二度もすれ違った。まだまだここは戦地なんだと実感させられる。北部にある空港は軍事目的に利用され民間航空は運行していない。
photo4

0042. まえだまさとし 2007/04/15_23:04:41
photo1 軍用車が多いと思ったらナゴルノ・カラバフ軍(アルメニア軍)の駐屯地があったりする。
photo2 前方にアスケランの城壁が見えてきた。アスケランのことは知らなかったが、城壁に囲まれた歴史のある場所みたいだ。
photo3 でも町中はなんの変哲もない集落だ。
photo4 戦車のモニュメントがある場所まで行きその先には行けないらしい。しかたなく折り返すことにした。本当はこの先にあるアグダムという場所まで行きたかった。
アゼルバイジャン人の街だった人口四万人規模の廃墟の都市。アゼルバイジャン領だがアルメニアが安全保障のため占領している。

今まで例外的に北部のマルタケルトへ行く場合、アグダムの脇を通過するついでに町を見ることができた。でも最近マルタケルトへ向かう新たなバイパスができてしまい、アグダムを通過する必要が無くなった。それによりアグダムには意味もなく近づくのは事実上不可能になってしまったようだ。

0043. まえだまさとし 2007/04/15_23:07:10
photo1 いったんステパナケルトへ戻る際、ナゴルノカラバフのシンボルでもある「我らの山」像に立ち寄った。入国ビザにもデザインされているあのモアイに似たヘンテコな像だ。
photo2
photo3 駐車場で待たしている運転手とタクシー。
photo4 ソビエトバスを追い抜く。

0044. まえだまさとし 2007/04/17_10:39:24
photo1 一旦ステパナケルトの街へ戻り。今回の旅のハイライトでもあるジューシへ向かった。
シューシはステパナケルトの南へ10キロほど行ったところにある。距離は近いが標高は高く、結構遠く感じる。向かう先は霧に覆われている。
photo2 ステパナケルトに雪はなかったが、標高1200メートルのシューシは完全に雪化粧していた。
photo3 幹線道路からシューシへの分岐点にはアルメニア人の墓地があった。
photo4 シューシの街が見えてきた。

0045. まえだまさとし 2007/04/17_10:41:52
photo1 ソ連時代末期、80年代末の戦争でシューシの街は徹底的に破壊された。
元々アゼルバイジャン人が多く住む町でカラバフ戦争の際には最後までアゼルバイジャン勢力の拠点だったが、ついにはアルメニア軍により陥落。アゼルバイジャン人はこの地を追われ多くの難民を生み出した。
photo2 街はアルメニア人地区を含め、ほぼすべて廃墟となってしまった。近年アルメニア人が居住していたエリアは人が戻りはじめ、少しづつ街は機能し始めている。しかしまだまだ復興には時間がかかりそうだ。廃墟となった建物でも一部だけ勝手に修復して人が住んでいたりする。不思議な感じだ。
写真のビルも廃墟だが左半分だけ人が住んでいた。
photo3
photo4

0046. まえだまさとし 2007/04/17_10:44:44
photo1 旧バザル・バシュ広場。ソ連時代シューシの憩いの場ともいえる広場だが、ひどい有様だ。
photo2
photo3
photo4

0047. まえだまさとし 2007/04/17_10:47:33
photo1 車で街の中に入ってみた。こちらは坂になったヌジュデ通りで元々はアルメニア人居住区だったが、人の住んでいる建物はほとんどない。
photo2
photo3
photo4

0048. まえだまさとし 2007/04/17_10:49:39
photo1 樹木に雪が付着してずいぶん美しい風景だが、街並み一帯に廃墟が続く。
不謹慎だがこの樹氷まさに桜が満開といった眺めだ。
photo2 奥に巨大な建造物がそびえるのが不気味だ。夜は来たくない。
photo3
photo4

0049. まえだまさとし 2007/04/17_11:09:35
photo1 シューシの町の中心には修復されたガザンチェツォツ大聖堂があり、ここが新たな町の中心部になろうとしているが、周辺は殺風景だ。
photo2 かつて町で一番のホテルだった「ホテル・シューシ」。ソ連式のホテルだ。今は閉鎖され今後も再開されるめどは立ってない。
photo3 中心部にある焼けたモスク。
photo4 向こうに見えるのはかつてシューシを象徴したもモスク「ギョヴヘル・アガのモスク」。
近づきたかったが寒いのでやめた。
今思えばもっとゆっくり見学すればよかった。

0050. まえだまさとし 2007/04/17_11:11:27
photo1 来た道をまた戻ることにした。
この風景もしばらくいると慣れてくる。
photo2 部分的に修復されている建物。人が住んでいるようだ。
photo3
photo4

0051. まえだまさとし 2007/04/17_11:14:24
photo1 シューシの街並み
photo2 ガザンチェツォツ大聖堂がそびえる
photo3
photo4

0052. まえだまさとし 2007/04/17_11:18:23
photo1 シューシのバザル・バシュ広場で写真を取っていたらこの町で初めてポリスチェックを受けることになった。撮影した写真を見せろと言われるかと思い少し緊張したが、ただこの街でもレジストレーション(滞在登録)を受けるため名前を控えるだけのようだ。
中心部のモスク跡。
photo2 雪化粧した廃墟は独特の雰囲気。シューシを離れることにした。
photo3 シューシの歴史的に正面ゲートにあたる「ゲンジェ門」の廃墟。いまでは近づくこともままならない。
photo4

0053. まえだまさとし 2007/04/21_22:11:55
photo1 ステパナケルトの街へ戻って一度宿に戻った。
宿のベランダからの眺め。

色のない街だ。
最初とんでもない所に来たと思ったが、慣れてくるとそうでもなく、人の生活を感じる眺めはホッとする。
photo2
photo3
photo4 散歩に出ることにした。街角の花屋。ステパナケルトで一番カラフルだと思った場所だ。

0054. まえだまさとし 2007/04/21_22:16:32
photo1 ビルとビルの間にロープが張られ洗濯が干されている。
ステパナケルトの中心部にて
photo2
photo3 食べる場所のないステパナケルトで町中で唯一目を引いたレストラン。ここで夕食を食べることにした。
photo4 メニューは多くなく、アルメニア料理のホロヴァツ(羊肉の串焼き)を食べることにした。コーヒーをつけて1500ドラム(495円)。

0055. まえだまさとし 2007/04/21_22:21:14
photo1 夜7時頃、宿の戻ったら扉の鍵が開いていたので他に客が来たようだ。どうやらエレバンから来たマシュルートカ(乗り合いバス)の運転手が泊まるらしく、明日エレバンに乗せていってもらうことになった。とはいえ値段が安くなるわけではないが、バス乗り場まで無料なのは有り難い。
photo2 朝も昨日ほど寒くなく速やかに起きることができた。運転手を7時に起こし、7時半ぐらいには出発の準備が整った。7時半のステパナケルトはまだ薄暗い。土曜日ということもあるのでまだ人の気配が全くない。運転手は一度バスターミナルに行って客を集めてからエレバンに向かうのかと思ったら町を一周して誰も客を捕まえないままステパナケルトを出発した。事実上貸し切りだ。行きの窮屈なマシュルートカとはえらい違いで快適な移動になりそうだ。
photo3 シューシを通り過ぎアルメニアに向け山を越えた。
辺り一面雪化粧しているが今日は天気が良いようで青空が見える。
photo4

0056. まえだまさとし 2007/04/21_22:21:51
photo1 やはり天気が良いと気分も良い。
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0057. まえだまさとし 2007/04/21_22:23:43
photo1 雪山がまぶしい
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photo3 途中立ち往生したトラックとすれ違った。路面は凍結している。
photo4

0058. まえだまさとし 2007/04/21_22:27:03
photo1 雪山をひた走る
photo2 ステパナケルトとゴリスを結ぶ幹線道路。
photo3 ラチン回廊にさしかかり、ベルゾルの町へ。
photo4 来るときは天気も悪く車内も窮屈だったのでよく見ることができなかったアゼルバイジャン人の家の廃墟を眺めることができる。その中で最大の街であるベリゾールはアルメニア人が住み始めているが町の大半は廃墟で崩れ落ちた不気味な建物があちこちに点在している。ラチン回廊とその中にあるベルゾルは正式にはアゼルバイジャン領だが、今はアルメニアが占領している。アルメニアの安全保障のための保証占領地という扱いらしいが、もはやアルメニアの一部と言ってもおかしくない状態だ。

0059. まえだまさとし 2007/04/21_22:29:16
photo1 廃屋を眺めながら。
ラチン回廊のベルゾル。
photo2
photo3
photo4 国境のチェックポイントにさしかかったが、帰りはノーチェックで検問を通過した。
その近くにはアルメニア教会が建っていた。

0060. まえだまさとし 2007/04/21_22:32:18
photo1 再び山を登る。眼下にはラチン回廊。
photo2 ゴリスへ向かう。
photo3 ゴリスの手前にはかつて人が住んでいた洞窟が見られる。
photo4

0061. まえだまさとし 2007/04/21_22:34:24
photo1 羊飼い
photo2 雪道の先にはゴリス。
photo3 南部の主要都市ゴリスを見下ろす展望台にて。
photo4 休憩することになった。しかしチャイが1杯500ドラム(165円)もしたのは誤算だった。

0062. まえだまさとし 2007/04/21_22:36:42
photo1 エレバンへ向かう。
photo2
photo3 最後の峠(2344m)を通過。
photo4

0063. まえだまさとし 2007/04/21_22:40:24
photo1 コーカサス南部の山はあららっと山をはじめツルツルの山が多く、手が届きそうだ。そんな山々を眺めながら峠を下り、ヴァイクの村に到着。
photo2 ここで昼食を食べることにした。ケバブとスープで結構まともな食事になった。1500ドラム(495円)。
photo3 店のおばさん達は僕が3日前に来たのを覚えてくれていて感じがよい。
photo4

0064. まえだまさとし 2007/04/21_22:42:36
photo1 ヴァイクからは単調な景色が続き、そのままエレバンに到着したのは午後2時前だ。中央バスターミナルではなく中心部の地下鉄の駅前に到着した。
メトロに乗り、エレバン駅前のリダおばさんの家に向かった。
photo2
photo3
photo4

0065. まえだまさとし 2007/04/22_22:49:31
photo1 この日の夕食「ラフマージョ」。薄いピザのようなもの。
photo2
photo3
photo4

0066. まえだまさとし 2007/04/22_22:52:44
photo1 日曜日。旅人にとって毎日が日曜日みたいなものだがら特別な日ではないが、今日は現地の人と同じように日曜の過ごし方をしようと思い、博物館に行くことにした。テーマはアルメニア人の紛争による被害と加害だ。
 まずオスマントルコ時代に受けた被害について展示された虐殺記念館に行ってみた。
photo2 丘の上のモニュメントの中にある炎はどことなく広島の平和記念公園を思い出す。しかしこの炎は日本のようにここでは永遠の平和を願っている感じはしなかった。
photo3
photo4 虐殺記念館ではトルコ領内で異教徒であったアルメニア人が、第一次世界大戦の敵国でキリスト教のロシア寄りになるのではないかという懸念からオスマントルコによるアルメニア人強制移住や虐殺が行われた事に関して展示されていた。トルコ東部が主に歴史的なアルメニア人居住地域だったが今では民族浄化によりほとんどいなくなってしまった。アルメニア人にとっては悲惨なできごとだ。
写真は博物館のエントランスにて。

0067. まえだまさとし 2007/04/22_22:55:01
photo1 もう一つの戦争に関する博物館がまったく別の場所にある。勝利広場にある母なるアルメニア像だ。この土台部分が博物館になっている。ここも入場料は無料だ。
photo2 こちらはアルメニア人が加害者側に立ち、戦争を美化し英雄をたたえる博物館だ。被害立場の虐殺博物館では厳粛な雰囲気だったが、こちらの博物館の周辺は遊園地になってずいぶん賑やかだ。アルメニアによる被害者はアゼルバイジャンだ。昨日まで滞在したナゴルノカラバフで争われた80年代末期のカラバフ紛争での勝利がこの広場の名前の由来だ。この時アルメニアでも被害はあったが、激戦地シューシをはじめ多数のアゼルバイジャン居住機から難民を生み出した。しかしそういった被害状況は一切展示されず、シューシの攻防戦の様子がジオラマで作られていたり、どの場所がいつ陥落できたかなど勇ましさばかり強調されている。博物館内の案内表示がアルメニア語のみで外国語の表示がないのはすこしうしろめたさを感じているのだろう。
 
photo3 やられたことをまたやり返す。二つの博物館を見ていると歴史は繰り返すというのがよくわかる。どのみち悲惨な歴史を背負っているのは日本も同じだ。違うのは歴史から学ぶことができたかどうかだ。
photo4

0068. まえだまさとし 2007/04/22_22:56:34
photo1 母なるアルメニア像周辺には戦争で活躍した車両などが展示されていた。
photo2
photo3
photo4

0069. まえだまさとし 2007/04/22_22:58:49
photo1 エレバンの街を一望できるカスカードという階段状の広場に行ってみた。
エレバンを一望。
photo2 一部はまだ工事中だ。
photo3
photo4

0070. まえだまさとし 2007/04/23_20:03:52
photo1 市内を散歩することにした。
写真の建物は「ギョイ・メスジド」
歴史的にはモスクだが、アルメニアではイスラム教徒の活動は禁止されているので「イラン文化センター」という名になっている。
photo2 聖サルギス教会。
photo3
photo4

0071. まえだまさとし 2007/04/23_20:06:22
photo1 アルメニアのアララト・コニャックは有名だ。その工場が崖の上にそびえる。
photo2 夕方市内の南部にあるエレブニ遺跡に行ってみた。こちらは丘の上に崩れた遺跡があるだけでいまいちだ。ただここからの眺めなかなかだ。
 今日は気温が20度近くまで上がった。上着を着ていると汗ばむ陽気だ。ちょうど今季節の変わり目で、エレバンにも春が来たようだ。
photo3
photo4

0072. まえだまさとし 2007/04/23_20:07:31
photo1 エレバン駅の駅舎。
photo2 駅構内も立派だ。
photo3 ホームも立派だが電車はぼろい。
photo4

0073. まえだまさとし 2007/04/23_20:10:05
photo1 夕食は市内の中華料理に行ってみた。今回の旅行でご飯を食べるのは初めてだ。グルジア料理のハルチョというスープの中に米は入っていたが、ご飯をほおばるのは初めてだ。しかし値段が高かったのでチキンフライドライスだけ食べることにした。
photo2 コックの中国人。ハルピン出身だ。
photo3
photo4

0074. まえだまさとし 2007/04/23_20:13:50
photo1 最終日。
朝から郊外のガリニ神殿とゲガルド修道院へ行くことにした。バスを乗り継ぎ、ずいぶんローカルな風景の中を走りガリニの村に到着した。
photo2 ガルニ神殿はエレバン周辺でもっとも有名な遺跡だが、村には少し露天が出ている程度でこじんまりとしている。遺跡自体もギリシャ神殿風だが修復され規模は小さく周辺は公園のように整備されているので少し物足りなさを感じだ。
photo3 周辺の絶景
photo4 雪山を背景にした神殿はレバノンのバールベックのような雰囲気ではあるが。

0075. まえだまさとし 2007/04/23_20:16:50
photo1 それほど長居することもなくさらに遠いゲガルド修道院へ行くことにした。しかし途中のゴグト村へ行くバスは1時間に1本くらいしかないので適当にヒッチしようと思った。するとジュースのケースを商店に配達している業者の車がつかまった。
配達業者のおじさんはパンもくれた。
photo2 車の荷台。
photo3 この車にゴグト村よりさらに上のゲガルド修道院への分岐点まで乗せていってもらった。途中何軒かの商店に配達しながらで最後の商店まで連れて行ってもらえた。

礼を言い歩いてその先へ向かった。
おじさんの車が遠くに見える。
photo4

0076. まえだまさとし 2007/04/23_20:20:16
photo1 修道院まで3キロほどは歩くことになったが、さらに別の車のヒッチに成功。比較的スムーズに修道院に到着した。
この人たちに修道院まで乗せてもらった。
photo2 ゲガルド修道院は断崖絶壁の日当たりの悪い場所にひっそりとたたずんでいる。
photo3 岩に建物がちおけ混んだ雰囲気の良い修道院だ。少し苦労した甲斐はある。標高が高いので少し肌寒い。
photo4 壁画

0077. まえだまさとし 2007/04/23_20:23:31
photo1 洞窟のような穴が見られる。かつて人が住んでいたのだろうか。このような穴がアルメニア南部のゴリス近郊でよく目にした。
photo2 修道院内部
photo3 バランスのよう石橋。
photo4 帰りはヒッチはせず歩いてゴグト村へ向かうことにした。来た道を戻るだけで坂を下るだけなので気分は楽だ。
ゲガルド修道院が遠くなっていく。

0078. まえだまさとし 2007/04/23_20:27:22
photo1 1時間15分ほど歩いてゴグトのバス停についた。
ちょうどバスが停まっていたのでそのままエレバンに戻ることにした。
photo2 エレバン最後の夕食はホロヴァツ屋に行くことにした。
羊肉の串焼き。
photo3 総額300円ほどだ。
photo4

0079. まえだまさとし 2007/04/23_22:28:12
photo1 帰国の日。
朝は宿でダラダラし、出発前近くで見つけた有料(500ドラム/165円)のシャワーを浴びてから地下鉄で中心部の空港バス停留所へ向かった。空港までは150ドラム(49円)と馬鹿安だ。
photo2 2時間半前に空港に到着した。エレバンの空港は円形状のターミナルビルで見た目は近未来的だ。
photo3 しかし近づくとボロボロなのはいつもと同じだ。
photo4 空港税は29$。ここまで節約してきたことをすべて否定させた気分だ。持ち合わせが無く、ドルで払うとレートは最悪だった。29ドルあたり1$分くらい損した計算だ。
 航空会社のチェックインカウンターはアエロフロートの職員ではなく、愛想は良く最後にアルメニア人に癒された気分だった。しかしマイレージの登録はアエロフロートの事務所に行ってくれと言われる有様だ。それは良いとして肝心のアエロフロートの事務所は閉まっていた。マイルは予想通り事後加算することになるがスカイチームに入ったのは奇跡としかいいようがない。アエロフロートの要領の悪さに腹を立てても仕方ないが、時間がかかったとしても結果的にワールドパークスにマイルが加算されるなら有り難く思わなくてはならないのだろうか。

0080. まえだまさとし 2007/04/23_22:29:48
photo1 出国審査の行列は相変わらずだが、自分の番が回ってきて徹底的にパスポートを調べられた。全ページ紫外線を当てられ、ビザもすべて本物か調べられる徹底ぶりだ。アゼルバイジャンのビザにも反応したが、ナゴルノカラバフのビザを興味深げに見ていたのが印象的だ。自分の国が作った傀儡国家のビザなのにやましいことがあるのだろう。目的地までの航空券を見せろと言われただけで特に質問はなかったが相当時間がかかった。入国ならともかく出国審査でこれだけ調べられたのはイスラエル以来だ。
photo2 アエロフロートのモスクワ行き。
photo3
photo4

0081. まえだまさとし 2007/04/23_22:37:14
photo1 モスクワへのフライトはソ連製ツポレフ154型機。メタリックな機体は近未来的だが、実はオンボロ飛行機だ。
photo2 機内に乗り込んだがアルメニア人が座席番号の通りに座らないので大混乱だ。確かに旧ソ連製の機内の座席番号はわかりにくい。みんな乗り慣れてないのはわかるが客室乗務員がもう少し誘導するなど配慮してもらいたい。またソ連製は妙に荷物入れが小さい。バックパックの中身を取り出してバッグを押し込めなんとか入ったが、思わぬところでも世界基準を満たしていなかったようだ。
photo3 ソ連製ツポレフは2回目だが最悪な思い出しかない。ちゃんと折り返しモスクワに飛べるのだろうか。不安だ。なかなか動かないと思っていたら何らかの理由で搭乗できなくなった乗客の荷物を下ろしていた。
photo4 結局20分遅れでスポットを離れた。しかし離れたはいいが今度は前進しない。エンジンの回転数を上げようとしているがなかなか調子が出ないようだ。そのまま不安は的中しエンジンは止まってしまった。前回2000年の西アフリカのギニアではそのままエンジンが故障したということで出発が1日延びてしまったのだ(西アフリカ横断④(マリ、セネガル、ガンビア)参照)。今回も同じようなパターンなのだろうか。救援機を呼ぶ場合モスクワから近いのが唯一の救いだが。

0082. まえだまさとし 2007/04/23_22:38:33
photo1 しばらくして再びエンジンが掛かり、回転数が上がりだした。今度は調子が良いようだ。とにかく飛ぶなら早くしてもらいたい。モスクワでの乗り継ぎ時間が1時間20分しかないのだ。とにかく今回は大幅な遅延も勘弁してもらいたい状態だ。
photo2 ヒヤヒヤすること30分結局45分遅れで滑走路に向け動き出しそのまま飛び立った。ひとまず安心。これだからアエロフロートは乗りたくない。日本・欧米路線やバクーのようにボーイングやエアバスを導入している路線はこのようなエンジントラブルは少ないはずなので心配ない。問題はアルメニアのように親ロシア国家でランクが低い国だ。とにかくこのような国は最新鋭の機材導入が後回しにされている。でもおそらくソ連製の飛行機に乗るのもこれが最後かもしれない。そうしたい。
機内食は2時間台のフライトにしては悪くない。
photo3 モスクワまでのフライト時間は2時間50分だ。スピードを上げた回復運航をしたのかはわからないが、モスクワ・シェレメチボ空港には30分遅れで到着した。
photo4

0083. まえだまさとし 2007/04/23_22:43:09
photo1 モスクワに到着したものの、東京行きの出発まで60分を切っている。乗り継ぎが問題だ。案の定トランジットカウンターは行列ができていた。でもエレバンから東京の乗客にはカウンターから真っ先に声がかかった。そしてスムーズに搭乗券を受け取ることができた。
ワールドパークスのマイレージも自動的に登録されているようだ。あきらめて事後登録するつもりだったが成田で登録したのが全行程に反映加算されていたようだ。感心した。
photo2 東京行きの便はパリからの便で大半が日本人だ。機内は快適。ロシアの飛行機だしウォッカを頼んでみた。有料だが3ドルと米系航空会社(5ドル)よりは安い。オレンジジュースで割って気持ちよくなってきた。この便は夜行便なので東京までのフライトは時間がたつのが早い。
またジェット気流の影響で所要時間は8時間半と大幅に短かった。成田には早く到着しすぎて予定のターミナル搭乗口にはまだ別の飛行機が止まっているとかで15分ほど待たされた。
成田空港朝10時、定刻通り到着。
今回のアエロフロートによるコーカサス旅行は無事無了。
photo3 【おわり】
photo4

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