旅BBS (テキスト版)
tabibbs.com
旅BBS(本体) は、 ここをクリック
※このページは、旅BBS『画像掲示板』のテキストページです。 旅BBS『画像掲示板』本体へは、ここをクリックしてお進み下さい。

旅BBSメニュー>海外情報ノート
ユーラシア大陸横断⑥西へ(1997〜98)

0001. まえだまさとし 2008/02/15_21:30:23
photo1 カルカッタから西へ。旅の本来の目的であるユーラシア大陸横断旅行を再開だ。
目的地はヨーロッパ最西端の地、ポルトガルのロカ岬だ。ここまでは日本から飛行機を使わずに来ているのでこのまま陸路で一気に行きたいところだ。
photo2
photo3
photo4

0002. まえだまさとし 2008/02/20_20:30:06
photo1 カルカッタのターミナルであるハウラー駅へは橋を渡らず船で川を渡った。ハウラー駅を17時に出発するニューデリー行きの「ラジダニエクスプレス」に乗ることになっている。

ホームで待っていると30分前に列車がホームに入ってきた。全車両エアコン付きの豪華列車だ。所要時間も普通の特急列車と比べものにならないくらい速い。そして食事付き。値段は5割り増しだが一度乗ってみたかった。僕の車両はエアコン付きの3段寝台。この列車では最下層のクラスだ。ベッドのサイズは今までたびたび利用してきたスリーパークラスト同じだが、埃がない分清潔だ。
photo2 出発してまもなくお菓子と水とチャイが配られた。そして食事はベジタリアンかノンベジか聞かれた。ヨーグルトや食後のアイスクリームも出た。車内ではいっさいお金を払わなくていいシステムになっている。駅についても物売りは車内に入ってこない。車内は頻繁清掃される。今までの列車に慣れているとなんか味気ないがたまにはいいかもしれない。
 日が暮れシーツが配られ今夜は快適に眠れそうだ。
21時就寝。
photo3 翌朝7時に周りのインド人が起き出したので僕も起きることになった。食事が配られ、トースト、オムレツ、バナナなど量はそれほど多くない。マンゴジュースやチャイもついてきた。

ラジダニエクスプレスの旅は快適だったが、この列車も定刻より40分遅れでニューデリー駅に到着した。
photo4

0003. まえだまさとし 2008/02/20_20:32:07
photo1 ニューデリーに戻ってきたのは2ヶ月ぶりだ。ニューデリーでは駅前のバザール(パハールガンジ)の奥にあるウプハールゲストハウスに泊まることにした。ドミトリーが1泊約1ドルと激安だ。しかもこの値段でお湯が出るのがすばらしい。インドに2ヶ月くらい滞在しているが、お湯が出たのはポンデュシェリーの中級ホテル1泊切りだ。

今の時季デリーは結構寒いのでありがたい。
photo2 ウプハールゲストハウスの宿泊客は日本人が95パーセントを占める。
今回のデリーの滞在はイランとパキスタンのビザの取得のためで観光は前回済ませているので暇をもてあますことになりそうだ。そんなことから回りに日本人旅行者が多い方がいいと思いこの宿に泊まることにした。
photo3 「エビアン」だと思って買ったミネラルウォーターだが、「エバン」だった。
photo4

0004. まえだまさとし 2008/02/26_19:37:17
photo1 デリーには5日間滞在し、パキスタンのビザとイランのビザを取得した。パキスタンビザは無料だが、イランビザは7000円弱必要で支払いは銀行からの振り込みになり少し手続きがややこしい。でも同じ宿の日本人の情報のおかげでスムーズに事を運ぶことができた。

各種手続きを済ませ、デリーを出発する準備をした。デリーの次の目的地はパキスタン国境の町アムリトサルだ。ニューデリー駅の外国人窓口で切符を買うことになるのだが、ここは外国人で長蛇の列だ。切符を買うのも半日がかりになってしまう。結果としてアムリトサルまでの寝台を確保できた。いつもの最安のスリーパークラスだ。これでいよいよインド脱出だ。
photo2 アムリトサルに向かう列車で移動中、夜半過ぎ寒くなってきた。寝袋を準備するか考えたがまた畳むのが面倒なので我慢することにした。6時にアムリトサルに到着。

ここは黄金寺院へ行くだけなので荷物は駅に預けにオークリキシャで寺院へ向かった。
ゴールデンテンプル(黄金寺院)はシーク教徒の聖地だ。
photo3 シーク教徒にはカースト制度はなくすべてが平等(現実的には違うが)であることになっている。少なくとも今までのヒンドゥーインドの都市よりは雰囲気が良さそうだ。
photo4 黄金寺院ではお金を請求されることもなく、すべて無料。朝食も無料で恵んでもらえる。インドにもこのような聖地みたいな場所があったことに感激した。

0005. まえだまさとし 2008/02/26_19:38:13
photo1 黄金寺院
photo2
photo3
photo4

0006. まえだまさとし 2008/02/26_19:41:09
photo1 シーク教徒の聖地黄金寺院。アムリトサル。
photo2
photo3 シーク教徒の守衛。写真撮影にも気さくに対応してくれる。
photo4 ゴールデンテンプルを後に。

0007. まえだまさとし 2008/02/26_19:42:47
photo1 そのインドともこれでお別れだ。

9時前には駅に戻り、バスでパキスタンへの国境へ向かうことにした。バスで1時間でアターリーに到着。そこから3キロ歩くことになった。インド出国もパキスタン入国も審査場は閑散としていてスムーズに終わった。インドとパキスタンはそんなに交流が少ないのかと思うくらい人がいない。
photo2 パキスタンへのゲート前では大人数でなにやら物資の搬入が行われていた。
photo3 パキスタン入国。文字がアラビックなウルドゥー語になった。パキスタン人はみんなイスラム服の「パージャーマ」を着ていて異国の地に来たのだと実感できる。

国境から乗り合いバスを使いワーガーを経てラホール駅へ向かった。
photo4

0008. まえだまさとし 2008/03/14_18:35:29
photo1 ラホールでは宿泊する予定はなく、夜行バスで次の目的地ムルタンへ向かうことになる。
それまでラホールを半日ほど観光することにした。荷物は駅に預けることにした。

ラホール駅前にて。
photo2 ラホール観光はまず馬車に乗り、ラホールフォートという城に行ってみた。
photo3 ここもインドに何カ所あったムガール帝国の遺産だ。
photo4

0009. まえだまさとし 2008/03/14_18:38:39
photo1 その後塔に上ってみた。
photo2 塔からの眺め
photo3 それにしてもこのユーラシア大陸横断の交通の要所であるラホール、そんなに外国人が珍しいのかどこへ行っても注目の的だ。確かにこの町で欧米人旅行者に会うことはなかった。もうちょっとツーリストが多いと思っていたが意外だ。
photo4 夜8時、ラホール駅に戻ってきた。荷物を受け取り出発だ。列車を利用したいが、ここからはバスでラホールを出発。ムルタンを目指す。

0010. まえだまさとし 2008/03/14_18:44:13
photo1 ラホールを出発
パキスタンの高速道路では突然日本のようなインターチェンジが整備されていて自分の目を疑った。と思ったら首都イスラマバード方面への道路だけで僕が向かう南部への道路は相変わらずの凸凹道だった。道は悪いのにかなりのスピードが出ているので怖い。

早朝4時にムルタンに到着した。まだ夜明け前で寒い。しかも郊外でおろされた。「いったいここはどこだと叫びたくなってきた」。
photo2 とりあえず乗り合いワゴン車らしきものを発見。これでムルタン駅前まで来ることができた。そして歩いてホテルを探そうとしたが、道は真っ暗で何も見えない。強盗など人的なものは怖くないが、犬が怖い。アジアの夜で一番怖いのは野犬だ。歩いていたら予想通り犬が出てきて行く手を阻まれた。今にもこっちに飛びかかってこんとばかりに唸っている。
それ以上前へ進むのを断念せざるを得なかった。
駅に戻り、オートリキシャを拾って再びホテルを目指した。3軒周り250Rs(700円)の宿に落ち着くことにした。
photo3 ムルタンで宿泊した宿
photo4 いちおうお湯付き。時間制限あり

0011. まえだまさとし 2008/03/14_18:44:53
photo1 少し寝たあとムルタンの旧市街へ歩いていってみた。
photo2
photo3
photo4

0012. まえだまさとし 2008/03/14_18:47:02
photo1 旧市街の入り口付近はタイムスリップしたような雰囲気だ。
photo2 バザールを冷やかす。
photo3 ここでも相変わらず注目の的だ。
photo4

0013. まえだまさとし 2008/03/14_18:49:11
photo1 展望台のあるモスクに登ってみた。
photo2 ここから町を一望。
photo3
photo4

0014. まえだまさとし 2008/03/14_18:52:38
photo1 翌朝8時フロントの前を通ったときチェックアウトのことで少しもめてしまった。壁には午後12時(正午)までにチェックアウトすればいいと書かれていたのだ。しかし本当は他のホテル同様24時間制だったらしく、今日の宿泊代を払えと言われ、その場でチェックアウトする羽目になってしまった。予想外の出来事で靴下はまだ乾いていないし最悪だ。かなり文句を言ってしまったので荷物も預けられない雰囲気になってしまった。

仕方なくリュックを担いで駅へ向かった。次の目的地サッカルへは夜行バスで行くつもりだったが急遽列車に変更だ。
photo2 写真はムルタン駅舎。
パキスタンの列車は予約がコンピューター化されておらず、かなり不便だ。しかしパキスタンの鉄道には外国人割引なるものが存在する。25パーセント引きでかなりお得だ。偽学生証があれば半額になっていたのだが、今回作りそびれた。
photo3  しかしこの外国人割引の事前手続きがかなりやっかいで数十円のためにそこまでやる必要はないだろうという人もいるが、僕はとりあえず時間もあるし、試してみたいという気があったので手続きをしてくれる事務所に向かった。駅舎から数百メートルは離れた建物に出向きそこで書類にいろいろと記入させられ証明書が発行された。その証明書を持って再度駅の窓口へ向かった。しかし駅の窓口でたらい回しにされたあげく、席は満席。切符は買えたが席は指定されていない。サッカルに隣接するローリー駅までは6時間だ。ずっと立ちっぱなしかもしれない。割引に関しては100Rsの料金が75Rsになっただけだ。
25Rs(70円弱)安くなっただけで朝御飯代が浮いた程度といった感じだ。
photo4 列車に乗ろうとホームで待っていたらおっさんに話しかけられ席が取れなかったという話をしていたら「席を確保してやるから心配するな」と言ってくれた。そのおっさんはただ息子と奥さんを駅に送りに来ていただけでその息子の席を半分僕に座らせてくれるらしい。ずっと立ちっぱは免れたので少し安心。しかしその息子は親父のように英語が堪能ではなく結構意思の疎通が大変だった。旧イギリス植民地パキスタンでは若い者ほど英語ができない。

やがて列車が到着した。

0015. まえだまさとし 2008/03/14_18:54:58
photo1 列車は満員だが立っている人はそれほどいないようだ。さすがのパキスタン人も予約なしで列車に乗り込むマネはしないようだ。
パキスタンの列車はインドに比べかなりぼろい。しかも砂漠を走るため、砂が車内に入ってくる。それを避けるために窓は閉めっぱなしで暑い。しかし窓を閉めているのに埃っぽく、体中砂だらけだ。
photo2 夕方6時にローリー駅に到着した。ここからサッカルへ行けるはずだ。オートリキシャで行けば簡単だが結構距離があるはずなので高そうだ。駅前の通りに出たら乗り合いワゴン車の「スズキ」が止まっていてその中にサッカル行きがあり早速乗り込んだ。


スズキはトラックを改造した乗り合いバスでパキスタンでは重要な交通機関だ。
スズキはローリー駅を出発し、インダス川に架かる橋を渡った。そのままサッカル市街地に滑り込んだ。

写真はローリーから見たインダス川の橋梁方面。
photo3
photo4

0016. まえだまさとし 2008/03/21_15:04:03
photo1 サッカルに着いたものの自分の場所がまったく把握できない。おまけに町は暗くなってきた。地図を見ても現在地がさっぱりだ。リキシャに歩み寄ると外国人慣れしていないのか逃げられてしまう。全く身動きが取れない。

インダス文明の都市遺跡「モヘンジョダーロ」の拠点になる町サッカル。こんなにここは旅行者が少ないのだろうか。途方に暮れていると親切な人が現れ、その人が自分のバイクの後部座席に僕を乗せてくれ、サッカル中心部のホテルへ案内してくれた。突然英語のできる親切な人が現れるのがパキスタンの特徴か?とにかくホテル周辺はにぎやかで一安心だ。しかしパキスタンはこんなに英語が通じないとは思わなかった。ホテル以外通じない。
photo2
photo3
photo4

0017. まえだまさとし 2008/03/21_15:08:39
photo1 翌朝モヘンジョダーロへ向かうことにした。写真は宿泊したサッカルの宿。

しかし歩いてバスターミナルへ向かったところ(地★の歩き方の)地図の距離表示がでたらめでまた自分のいる場所がわからなくなった。間違えだらけの地図はない方がましだ。結局人に聞きまくり、タクシーでかなり走ったところにバス乗り場はあった。
photo2 まずはこのバスでラールカーナという街へに向かうことになる。所要2時間。
photo3 車内の様子。
ラールカーナに到着後、隣の座席に座っていた医者をやっているというおじさんにモヘンジョダーロ行きのバス乗り場までリキシャの値段交渉をしてもらった。ラールカーナには2つのバスターミナルがありその間をリキシャで移動しなければならない。

これからは英語の話せる人に交渉してもらったほうがいいし適正な価格で乗ることができる。

再びバスで40分。モヘンジョダーロへ続き分岐点に到着した。
photo4 バスはここまででここからさらに別のバスを乗り換えなくてはならない。しかしここからのバスは本数がかなり少ないようだ。近くに馬車がいたのでそれで行くことにした。辺りはインダス川の灌漑整備された畑が広がっている。

馬車でかなり走りやっとの思いで世界最古(四千年前)のインダス文明都市遺跡「モヘンジョダーロ」にやってきた。

0018. まえだまさとし 2008/03/21_15:10:27
photo1 モヘンジョダーロ。
インダス文明の代表的な遺跡だ。だが有名な割に観光客は僕一人だ。
敷地内には考古学博物館などもあるが人の気配はない。
photo2
photo3
photo4

0019. まえだまさとし 2008/03/21_15:14:21
photo1 観光客はいないのに物売りの子供たちはたくさんいる。久々に来た外国人観光客の僕は絶好の標的だ。
photo2
photo3
photo4

0020. まえだまさとし 2008/03/24_12:29:26
photo1 帰りは遺跡のすぐ近くでバスを拾え、二本乗り継ぎラールカーナへ戻ってきた。ラールカーナでは馬車で通り過ぎるだけになる。ラールカーナからサッカルへは窮屈なミニバスになってしまった。

二時間後サッカルへ到着。サッカルからモヘンジョダーロへの日帰り強行は結構厳しいかも。

まだ日は高くサッカルの街を歩くことにした。地図は当てにならないので自分の勘だけが頼りだ。
photo2
photo3 サッカルはインダス川沿いに拓けた街だ。川沿いは静かでのんびりできる。
photo4

0021. まえだまさとし 2008/03/24_12:32:44
photo1 インダス川沿いを散歩していたら橋があり、写真を撮ったら兵士が追いかけてきた。少し焦ったが写真を撮るなという口頭注意で解放された。
photo2
photo3 サッカルからはアフガニスタン国境に近いクエッタへ移動することになる。列車ではなくバスで向かいたい。すると中心部にバスのチケット売り場を見つけ18時30発のバスがあるらしく今夜出発することにした。ホテルは24時間制なので昨日到着が遅かったこともあり、今チェックアウトすれば間にあう。

集合時間にチケット売り場に行ったらそこからミニバスに乗せられバスターミナルに連れて行かれた。連れて行かれた場所はラールカーナに行ったときと同じバスターミナルだ。サッカルのバスターミナルはすべてここに統一されたのかもしれない。
photo4 クェッタへのバスはラホールからムルタンに移動の際、利用したフライングコーチと呼ばれる高級バスだ。しかしそれはパキスタンの他の交通機関と比較しての話で現実は厳しくボロバスだ。
とにかく今回のクェッタ行きのバスは最悪で窓の閉まりが悪く、閉めても閉めても振動で窓が空いてしまう。移動ルートは標高1700メートルを越える高原地帯。外は氷点下だ。寒さは半端ではない。とてもじゃないがこのバスでは熟睡できない。もうこのバスで寝るのはあきらめた。
しかし眠い、寒い。いちいち閉めるのをあきらめカーテンで窓を押さえつけ窓の代わりにして冷たい風を押さえつけたいろいろ寒さに対抗する処置を考えたが結局寒さに耐え、朝を待つしかなかった。

0022. まえだまさとし 2008/04/09_21:32:08
photo1 早朝6時、クエッタに到着した。市の中心部から少し離れたバススタンドでバスから降ろされた。あちこちにある水たまりは凍り付いている。とにかく寒さと眠気で体はぼろぼろだ。
 とりあえずそばにあったチャイハネでチャイを飲み暖をとることにした。そのまま日の出を待った。
7時になり日は昇り始めたが、気温は上がらないので気合いを入れて街へ出ることにした。バスに乗り込み駅前で降りることにした。
photo2 クエッタではムスリムホテルへ泊まることにした。このホテルは外国人旅行者の間で有名な安宿だ。各部屋の水道からお湯はでないが、共同のお湯シャワーがある。時間は限られているが熱湯がでるようだ。案内された部屋は牢屋のようだ。コンクリートの壁にベッドが一つ。もちろん暖房はない。日中は気温が上がるが夜間は厳しい。
photo3 疲れていたが9時過ぎシャワーを浴びイランへ向かう列車のチケットを買いに向かった。列車はイランのザヘダンへ乗り入れるが、切符は国境のクイタフタンまでしか買うことができない。イランの切符は国境で買い直すことになる。ここでも外国人割引を有効に使うことができた。

この駅からイランへ向かうことになる。クェッタ駅。
photo4

0023. まえだまさとし 2008/04/09_21:35:20
photo1 クエッタの街を散策した。高原の都市クエッタは日中でも日陰にはいると風が冷たい。
山に囲まれた乾燥した大地はチベットと紙一重だ。
photo2
photo3
photo4

0024. まえだまさとし 2008/04/09_21:38:07
photo1 どこへ行っても人が行き交う。
photo2 市場へ行ってみた。買いもしないのにパキスタン人はみんな気さくだ。
photo3
photo4

0025. まえだまさとし 2008/04/14_15:37:03
photo1 肉が売られるブース
photo2
photo3
photo4

0026. まえだまさとし 2008/04/14_15:45:14
photo1 ムスリムホテルに戻り、部屋にいたら見覚えのある人が部屋を訪ねてきた。デリーで同じ宿に泊まっていた尾柳さんだ。彼女とはデリーで一緒にパキスタンのビザを申請しにいった仲だ。一週間ぶりの再会だが、彼女は僕より三日早くデリーを出発していて、ペシャワルまで行った後、列車で48時間かけてクエッタまでやってきたとのことだ。見かけによらず強者だ。
photo2 デリーでシンさんという日本人旅行者がいた。僕も彼とは一緒にチベット料理を食べに行ったり割と行動を共にしていた。尾柳さんはそのシンさんに「もしクェッタに行くならここを訪ねればいい」と住所とそこの人の写真を受け取っていた。
しかしいざクエッタにきたものの一人だと不安だし、たまたま僕と再会したこともあり一緒に行こうということになった。
photo3 写真の人はホマユンさんとアリモハメドさん。彼らが住む場所はクエッタ近郊の街「ハザラタウン」という場所らしくバスで向かった。
そして土壁でできた家々が並ぶ住宅地に到着した。
photo4 目的の家を探すのは簡単だった。黙っていても親切なパキスタン人たちが案内してくれ、家まで連れて行ってくれた。

0027. まえだまさとし 2008/04/14_15:47:13
photo1 ホマユンさん一家は突然の訪問者を何の躊躇もなく家の中に迎え入れてくれた。
左がホマユンさんで右がアリモハメドさん。
photo2 大家族で家族構成が覚えきれない。
photo3
photo4

0028. まえだまさとし 2008/04/14_15:49:15
photo1 ホマユンさんの妹の旦那はクウェートに出稼ぎに行っているらしい。部屋の中には日本メーカーのテレビやビデオが置いてありなかなかいい生活をしているようだ。
話を聞いているとここはアフガニスタン人の難民キャンプとのこと。彼らは12年前ここに逃げてきたらしい。
しかしここは今ではキャンプというより一つの街になっている。バザールもあるし電気も水道も通っている。結局今日は荷物をホテルに置きっぱなしでホマユンさんの家に泊めてもらうことになった。
photo2
photo3
photo4

0029. まえだまさとし 2008/04/14_16:07:51
photo1 翌朝ハザラタウンを散策。この町はアフガニスタンのハザラ人の街だ。道行くひとはどことなく我々日本人と顔立ちが似ている。
photo2
photo3
photo4

0030. まえだまさとし 2008/10/12_19:12:12
photo1 クエッタではホマユンさんの家に2日間滞在させてもらった。アフガニスタン人難民の居住区でホームステイするという意外な経験ができたが、いつまでも居座るわけにはいかず、移動しなくてはならない。
次の目的地はイランだ。ここクェッタから600キロにも及ぶ列車の旅になる。予定では30時間だ。妥協して一等親台を確保したが常に不安がつきまとう。このイランへ向かう列車はバックパッカーの間で世界三大最悪交通機関として恐れられているからだ。「暑さ、寒さ、飢餓、脱水症状、砂嵐」。しかし最悪になるのは雨期が始まる暑季の時のことで今ならそんなに問題はないはずだ。
 
photo2 ホームで二人の日本人と知り合った。これから同じ列車に乗ることになるが、彼らは二等に乗るらしく車両は別々だ。彼らのうちの一人は今後重要人物となるヒロサワさんだ。
photo3 この列車では別々の車両ということで途中の停車駅でたまに顔を合わす程度でほとんど話をすることもなかった。

砂漠の中の途中駅にて。この列車でイランへ向かう。
photo4

0031. まえだまさとし 2008/10/12_19:13:14
photo1 砂漠の真ん中にも活気のある町があり、人がたくさん住んでいる。
photo2
photo3
photo4

0032. まえだまさとし 2008/10/12_19:31:07
photo1 列車は途中の駅でどんどん遅れ、六時間遅れのまま砂漠を走り続けた。
同じ車両の乗客はスイスやカナダ人の旅行者で彼らと行動を共にすることになった。
車内の風景。

この日の夜、食事のできる駅に到着した。二百円食らいだが、パキスタンでは一食に70円(30ルピー)以上出すことはあり得なかったので高く感じた。
 
一等寝台ということで横になって寝られるのが救いだ。しかしベッドには砂埃が積もっていて寝るのは少し勇気がいる。とにかくこの移動が今回の旅行の最大の山場といってもいい。今夜耐えればあとは楽だ。自分に言い聞かせ床についた。
photo2 夜半過ぎかなり寒くなってきた。車内ので電気もなく真っ暗でよくわからないが、自分の体が砂まみれになっているのがわかる。すきま風と一緒に砂も車内に入ってきているようだ。寝袋は使いたくなかったが、寒さには耐えられない。しかたなく砂だらけの体を寝袋に包むことににした。
photo3 やがて夜が明けた。

体に砂がつもり、鼻の穴は真っ黒で顔もざらざらだ。窓の外は延々と砂漠が続いている。腹が減ってきたがこういう時に限って列車は止まらず猛スピードで大地を駆け抜ける。
photo4 デッキに出たら砂が一センチくらい積もっていた。

0033. まえだまさとし 2010/04/19_20:41:57
photo1 夕方3時にパキスタン国境側国境のクイタフタンに到着した。

この駅で出国スタンプを押してもらい、パキスタンを脱出。このまま列車でイランへ向かう事になる。
photo2 列車は動き出して国境フェンスを越えた。イラン領に入って辺りの状況が一変した。近代的な建築物と舗装された道路。そこにはボルボの立派なタンクローリーが止まっていた。雰囲気が一気に欧米的になった。オイルマネーで近代化されたかつての名残がそのまま残っているようだ。パキスタンから入国するとこの変化はあまりにも衝撃的だった。
photo3 イランでも入国手続きに時間が掛かり、その後一つ目の街にある駅に移動した。イランの駅は駅舎やトイレ、待合室に至るまですべて立派で文句のつけようがない。

いったん駅に入ってしまうとあの室内灯もない汚い列車には戻りたくない。
photo4 イラン時間の19時に列車は出発。暗闇の中を走り続け終着駅のザヘダンに到着したのは深夜0時の事だ。

途中でとまって動かなくなってしまったりどうしようもない列車だったが、定刻の6時間遅れ。クェッタから36時間も掛かってしまった。バスできていれば24時間ほどでこれたのだろうが、列車での移動は終わってみればいい経験だ。

0034. まえだまさとし 2010/04/21_23:10:50
photo1 イランに入国ですが、クェッタの貼り忘れた写真です。
クェッタ。ハザラタウンで訪問した英語の学校にて。英語の先生。
photo2 パキスタンの難民キャンプでは将来中東の産油国に出稼ぎに行くことも多く英語は重宝され、習得熱は高い。

ここでは少し日本語も教えました。
photo3 二日間だけだが通った学校の生徒たちと。
photo4

0035. まえだまさとし 2010/04/21_23:17:28
photo1 さてイランに入国し最初に泊まることになったのがザヘダンだ。
ここではクェッタから同じ列車だったスイス人とカナダ人旅行者と一緒にドミトリーにも泊まることになった。
photo2 翌朝。
ザヘダンの物売りの少年。

とりあえず次の目的地であるバムへ向かうバス乗り場を探した。
photo3 夜行バスでバムへ。

幻想的な風景の中トイレ休憩。
photo4

0036. まえだまさとし 2010/04/21_23:23:27
photo1 翌朝バムに到着した。
イランでも有数の観光名所があるバム城がある。

ここまで一緒に行動してきたカナダ人旅行者と。
photo2 この当時まだ世界遺産に登録されていなかった。少し不自然な修復の仕方は気になるが、かなり見応えはある。
photo3 スイス人旅行者と。外国人旅行者といえどもイランでは頭にチャドルをかぶらなくてはならない。
photo4

0037. まえだまさとし 2010/04/21_23:26:20
photo1 バム城を見学。
photo2
photo3 しかしこの場所を大地震が襲い壊滅的な被害を出すことになる。
photo4 バムの町にいたイラン人の女の子。

0038. まえだまさとし 2010/04/23_08:15:40
photo1 バムからケルマンを経てシラーズへ向かった。

バスは1+2列のシートで快適だ。イランのバスはインドやパキスタンと違いすきま風もないので快適この上ない。
photo2
photo3 翌朝。
バスは近代的な高速道路をシラーズへ。
photo4 シラーズのモスク。町は近代的で砂漠の中の町にもかかわらずほこりっぽさはない。

0039. まえだまさとし 2010/04/23_08:25:00
photo1 シラーズ近郊にはイランが世界に誇る遺跡である「ペルセポリス」がある。ペトラ(ヨルダン)やパルミラ(シリア)とともに中東三大遺跡との噂だ。実際ここが一番たいしたことがないという話もあるが。

車で1時間ほどなので観光に向かった。
photo2
photo3
photo4 それにしてもイランは日本人旅行者が多い。イランにいる外国人旅行者の過半数が日本人だ。

シラーズの宿(GOLHA)にて

0040. まえだまさとし 2010/04/23_08:34:19
photo1 イスファハンへ移動した。

イランの古都。今までの砂漠の町とは違い歴史を感じる落ち着いた町だ。
photo2 イマーム広場のイマームモスク
photo3 スィー・オ・セ橋。
photo4 橋のたもとのチャイハネは有名で毎日足を運んだ。

0041. まえだまさとし 2010/04/23_08:40:34
photo1 イランの首都テヘランにやってきた。久々の近代都市で文明的な場所に来たといった実感。
photo2
photo3 宿はここ。HOTEL・FARVARDIN。しかしシャワーのない宿だった。
photo4 旧アメリカ大使館の壁画。
「DOWN WITH U.S.A.(アメリカを撃ちおとせ)」と書かれている。

たまたま高速道路上を走っているとき横を通ることができた。

0042. まえだまさとし 2010/04/23_08:43:38
photo1 テヘランでは一緒に行動していた日本人旅行者と日本食レストランの「瀬利奈」へ行った。
ここの名物はキャビア寿司だが、高いのでやめた。

天ぷらとにぎり寿司で10ドルほど。
photo2
photo3
photo4

0043. まえだまさとし 2010/04/28_14:01:33
photo1  テヘランをバスで出発。トルコへ向かうが、いったん国境までの途中にあるタブリーズを経由。1泊したのち国境へ向かった

 トルコタブリーズから国境近くのマクーまでバスで4時間。ここから乗り合いタクシーで国境へ向かった。国境手続きはイラン出国の際荷物を少し調べられた程度で至ってスムーズ。
外貨申告のチェックもなかった。
photo2

トルコ側に入ったら免税店に酒が売っていた。今までイスラム国家が続いたので新鮮な感じだ。

 トルコ側では乗り合いバスのドルムシュでドゥバヤジットの町へ向かった。

日本を出て5ヶ月。初めて行ったことのある国にやってきた。とにかくイスタンブールまで手の届くところまでこれた。
ドゥバヤジットの町並み。イランよりも整備が遅れている。
photo3 ドゥバヤジットは羊が歩き回りのどかな雰囲気。
photo4

0044. まえだまさとし 2010/04/28_14:01:55
photo1 翌朝バスでアンカラへ向かう。途中エルズルムや黒海沿いの町も経由しようと思っていたが、無性にイスタンブールが恋しくなってきた。

とはいえ一気に行くのは結構大変なので首都アンカラを経由することにした。

ドゥバヤジットを出発後アララット山が見えてきた。アルメニア人の聖地である山。そしてノアの箱舟のゆかりの地でもある。
photo2
photo3
photo4

0045. まえだまさとし 2010/04/28_14:06:34
photo1 アンカラへ向かうバス。ドゥバヤジットからアンカラまでは18時間。
アンカラへのバスはイスタンブール行きらしい。
photo2 アンカラには深夜の3時に到着。朝までバスターミナルで待機した後宿を探した。
photo3 翌朝、近代トルコ建国の父「アタチュルク」の遺体が安置されている廟に行ってみた。
photo4 アンカラの交通機関は近代化されつつある。

0046. まえだまさとし 2010/04/28_14:09:12
photo1 アンカラの骨董品街。
photo2 観光名所の少ないアンカラでの見所はアンカラ城。
photo3 城壁に上れば市内が一望できる。
photo4

0047. まえだまさとし 2010/04/28_14:16:03
photo1  バスでいよいよイスタンブールへ向かう。
今回のユーラシアタイル陸横断旅行の一つの節目になる場所でもある。
 アンカラからのバスは競争が激しく、値段はあってないようなもの。出発間際の空席のあるバスはただ同然お値段もある。オークションのようなもので予算重視の僕はバス探しに神経を使う。

 食事など一皿250円くらいする中、イスタンブールまでのバスは750円。しかしチケットを買ってから500円のバスがあることにがっかり。

バス会社のカウンターからの呼び込むが激しい。
photo2  アンカラのバスターミナルは世界最大級で空港のようなビルだ。
photo3 出発ブース。
photo4 バスは22時30分にアンカラを出発した。

0048. まえだまさとし 2010/04/28_14:26:22
photo1 翌朝6時半にイスタンブールのバスターミナルに到着した。まずはアジア側のハレムを経由し、ボスボラス大橋を渡ってヨーロッパ側に入った。
photo2 イスタンブールのオトガルに到着したバス。
photo3 アジア横断の旅は終わりだがこのままポルトガルのロカ岬(ユーラシア大陸最西端)への旅は続行する。

イスタンブールは何度か来ているが陸路で来ると距離を体で感じることができたように思う。
photo4 イスタンブールではスルタン・アフメットのホテルアヤソフィアに滞在することにした。
1泊5ドルだ。ここに10日間滞在することになった。

0049. まえだまさとし 2010/04/28_14:32:23
photo1 金門橋の方の桟橋へ行ってみた。海を挟んで対岸はガラタ地区や新市街方面になる。
photo2 取れたての鯖が売られている。港ではサバサンドが名物腹だ。しかし腹をこわしそうだ。
photo3 ガラタ橋。
とりあえずアジアを西へ向かうスレッド「ユーラシア大陸横断⑥西へ(1997〜98)」は終了です。

続きは

ユーラシア大陸横断⑦ヨーロッパ最西端の地へ(1997〜98)
photo4 【おわり】

旅BBSトップ旅BBS(テキスト版)スレッド一覧