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憧れていた頃のアメリカ(1991)①

0001. 旅蔵 2008/04/24_19:40:26
photo1 別に今アメリカに魅力がなくなった訳ではないが、この頃のアメリカは僕にとっては憧れだった。外人と言えばアメリカ人、海外旅行は宇宙にでも旅行するような気分だった。Jリーグもなく、バックパッカーと言う族も知らなかった。会社を辞めて海外に長期ぶらりと一人旅に出ると言うのは理解され難く、日本に居れば無職と言う非国民のレッテルが待ちうけている、そんな時代だったような気がする。時代の価値観と言うのは本当に無責任なもので、今ではそれが羨ましくも思われる。
(写真は、ヒューストン、NASA、1991.5.21のもの)
photo2 旅行は移動型で、ロサンゼルスから入り、1週して6週間後にまたロサンゼルスから帰国すると言うものだった。僕にとって海外旅行は2回目で、最初は同じ年の1月から約1ヶ月間、オーストラリアのケアンズで過ごす滞在型の旅行だった。
5月11日11:30ロス着。入国カードの書き方もわからずじまいで、滞在場所に何も書かずに入国しようとして呼び止められた。何処に泊まるかはこれから決めると言ったら、クレージー!駄目だ!という具合で一騒動になるというビギナーぶりだった。幸い通りがかった日本人のパイロットの方に、YMCAとでも書いとけば大丈夫とアドバイスを受け、なんとか入国した。
ロサンゼルス空港からロス市街までは結構あり、バンで移動($16)。日本人街のDAIMARU HOTEL(シングル$25)に泊まった。
photo3 5月12日ロス〜サンディエゴへ。
移動は全てグレイハウンドという長距離バスだ。このグレイハウンド・バスディーポ(ターミナル)周辺は何処も治安が悪いようで、とりわけロスのバスターミナルへは黒人の路上生活者がいる道を通ったため、朝からテンションが上がっていた。
写真はサンディエゴ。空が広く、建物はいちいちファンキーな作りをしていた。
photo4 サンディエゴはファイタータウン。写真中央遠くに航空母艦が見える。軍艦は子供の頃大好きだったので、初めて本物を見てわくわくした。

0002. 旅蔵 2008/04/24_21:06:22
photo1 サンディエゴはSan Diego YMCAに宿泊(10$)。値段は当時のメモがあったので記載する。今はどれぐらいになっているのだろう?
photo2 サンディエゴのダウンタウン。建物の形が目を引く。
photo3 5月13日サンディエゴ〜ティファナ(メキシコ)へ。
サンディエゴと比べるとずいぶん汚くて土っぽい町だったが、妙に気に入ってしまい一泊。写真はNelson Hotelから撮ったもの(1泊$21)。
photo4 町は露店が並び、金のネックレスを買う。最初は銀のネックレスが一つ$25と言われ、要らないと言っていたら、結局、金で2個$20になった。金のネックレスは旅の途中でメッキが剥がれ鉄の鎖になってしまった。
写真右のような屋台の中に貝殻を山のように積んだ屋台があり、みんながおいしそうにその貝を紙コップにいれたスープ?をおいしそうに飲んでいた。たまらず僕もそれを買ったが、スープと言うよりは生の貝肉入りのジュースと言う感じでちょっと気持ち悪かった。貝の生身を20個ぐらい入れ、トマトソースとオニオンと洋からしにゆずを入れて混ぜて食うのだ。

0003. 旅蔵 2008/04/24_21:55:54
photo1 5月14日ティファナ〜サンディエゴ。
空母が見える。
photo2 ブロードウエイ・ショッピングセンターは幾何学的な作りで色使いも楽しい。日本の企業(デザイン建築関係だったと思う)の社員旅行で来ていた人と少し立ち話をする機会があり、その人の話によると、この建物はアメリカの建築家が日本のパチンコをイメージして作ったものとのことだった。
photo3 5月14日〜5月15日。サンディエゴでは泊まらずに、車中泊となった。この写真は、サンディエゴからエルパソへ向かうバスの中から撮った朝日と大地。
逆光で大地は真っ黒だが、僕が見て感動したこの風景は、有り余る大地にTVでよく見たフォークを逆に刺したようなサボテンとキューブ型の岩の西部劇の景色だった。この頃はデジカメはないので、帰国して初めて自分が撮った写真とご対面できる。がっかりした。
ただ、この日はずっとバスに乗っていたのだが、この西部劇の景色は1日中続き、最後はやんなった。アメリカはデカイ。
夜、エルパソのユースホテルに一泊($11)。
photo4 5月16日エルパソ。メキシコ・ファレスへ向かう橋の上からダウンタウンを撮った写真。大渋滞だ。
アメリカのこの旅行は楽しくて楽しくて、ノンストップであちこち歩き回って元気一杯だったのだが、ここに来て体調がおかしくなった。この日は、ダラスへ向かう車中泊の予定だったが、バスも遅れ、フラフラの移動となった。

0004. 旅蔵 2008/04/28_01:26:30
photo1 5月17日フォートワース。
夜行バスでダラスへ向かうつもりがすごい下痢で、途中のフォートワースで降りた。夜行バスはメキシコ人ばかりで、出発の頃は「夜の景色の向こうに見えるだいだい色のラインは、メキシコとの国境だ」なんて下手な英語同士で会話を楽しみながら幻想的なだいだい色を楽しんでいた。しかし、グレイハウンドバスのエアコンは非常に冷える。白人が冷房にやたら強いと言うのは前のオーストラリア旅行で知っていたので、タオルケットを一枚持っていてかなり助かったのだが、それでも明け方を向かえ、お腹の具合にどうにもこらえ切れなくなりフォートワースで下車したのだ。トイレはターミナルのスタッフからトークンと言うコインをもらい(無料)、それでトイレに入る。コインロッカーのようなトイレだ。トイレ犯罪防止の為だろうが、場所によっては、大便をする方で、扉のないトイレもあり、治安の悪さを実感した。
photo2 さて、明け方フォートワースに着いたはいいが、ガイドブック(当時は「地球の歩き方」と「自由自在」があって、愛用は、カラフルな「自由自在」だった。)にも無い町で、本屋で地図を買い、観光局で宿を訪ねようと歩いたのだが、フラフラで、10メートルぐらい歩くたびに目が回る。ようやくたどり着いた観光局で、当時は日本人旅行者は珍しいらしく、ジャパニーズ!ジャパニーズ!と大騒ぎになり、奥に一人日本語を喋れるスタッフがいると言うことで、ほっとしたのもつかの間、「コニチワ、ハジメマシテ」ぐらいしか喋れず、結局、下手でも必死の英語で道順を聞いたのだった。道を聞く場合、日本だと例えば2つ目の角を右に曲がってというところが、英語では2つ目のブロックを右に曲がってとなる。角は地点だが、ブロックは前後に角があり、2つ目のブロックはブロックの前の道だろうか?後ろの道だろうか?なんて具合で、大変だった。地図を買っておいて
photo3 助かった。彼女らによると、一番近い宿は、幾つか目のブロックを右に回るとバス停があるのでそれに乗り、バスで地下鉄の○○駅まで行き、地下鉄は無料で、それに乗って○○駅で降りて、そこから歩いて・・・。見知らぬ町では大冒険だったが、それでも何とかたどり着いた。今では懐かしい思い出だ。Down Town Motor Inというモーテルで、2泊$51だった。モーテルと言うと、日本だと卑猥なイメージもあるかもしれないが、それはねじれた解釈の日本英語で、駐車場付きの普通のホテルだ。モーテルの前はコンビニがあり便利だったが、何か口に入れるとすぐにトイレと言う具合で、結局ほとんど何も口にせずにベッドで寝てばかりいた。
5月18日。日本から持って来ていた醤油をなめながら体の回復を願った。アメリカでは当時からケーブルTV放送はやっていたので、映画チャンネルやミスコンを
photo4 見て時間をつぶした。

写真は、フォートワースのダウンタウン。夜になると、ビルの全ての縁取りにライトが点灯しとても綺麗だ。また、このあたりの草むらには、日本の蛍のように光を放つタマムシのような昆虫が舞い、とても幻想的だった。

0005. 旅蔵 2008/04/29_19:17:07
photo1 5月19日フォートワース〜ダラス〜ヒューストンへ。
朝起きたら腹の具合が完全に良くなっていた。モーテルをチェックアウトしてリンゴをひとつ食べた後、JTBのフリーダム曰く「ジョンウェインの世界」こと、ストックヤードへ観光に向かうことにした。カウボーイと西部劇の町だ。
フォートワースからストックヤードまでは歩いて1時間かかる。田舎町で、日曜日のためバスが運休だったからだ。途中へんぴな所を通ったため、野犬に吠えられながら、ようやく辿り着いた。
photo2 小さな町だったが、せっかく来たのだから、地元のカウボーイ・ショウでも見ることにした。
photo3 閑散としていた。
photo4

0006. 旅蔵 2008/04/29_20:18:12
photo1 私は欲望渦巻く企業の広告塔ではないので、ストックヤードをジョンウェインの世界とは言い難いが、西部劇の世界が残る小さな田舎町であるとは言えると思う。

フォート・ワース(英語では、フォー・ワース。トを入れると何度も聞き返された)に戻り、ダラスへ向かった。ダラスには、ケネディ暗殺広場がある。ダラスに到着し、暗殺広場を見にバスターミナルの外へ出たら黒人の浮浪者(らしき?)がウヨウヨいた。ターミナル入り口も、入客を警官が厳重なチェックをいていたので、やばい感じがして、ターミナルに戻り、ターミナルスタッフにこの辺りは危険か?と聞いたらイエ〜スと快い返事が返ってきたので、外に出るのをやめて、ヒューストンへ向かうことにした。日が暮れかかっていたせいもあるが、旅行という娯楽に来て事故に会うというのは最悪なので、リスクは追わないことにしている。
photo2 ヒューストン行きのバスは深夜0:01だったが、乗り損ねてしまい、5:30までターミナルで待つことになった。バスは空いていたのでヒューストンまでは熟睡できた。
グレイハウンド・バスは、全米を網羅する長距離バス・サービスだ。一般に、バス移動は低所得者が利用する移動手段で(高所得者は飛行機を利用)あまり安全ではないので、なるべく運転手のいる前の方に座った方がいいと言う話をどこかで聞いていたが、後ろの方が人の乗り降りを気にしなくて良いので、慣れたせいもあり。この頃には平気で後ろの方の席で寝ていた。座席は空いていれば横2席を陣取れるので、通路側の手すりを枕代わりに頭を乗せて横になり、タオルケットをかけると結構熟睡できる。また、車中泊はホテル代も浮くので体力に自信があれば経済的だ。
photo3 このグレイハウンド・バスは外国からの旅行者向けにフリーパスのサービスがあり、私もこれを利用した。6週間のフリーパス(全米どこでもグレイハウンドバスの乗り降り自由)で、当時、確か5万円ぐらいだったと思う。成田−ロサンゼルス往復の6週間FIX航空チケットが8万円ぐらいだったので、移動に使う費用は全部で13万円。これを予め購入し、6週間分の費用を1日5000円(約$40)として20万円をトラベラーズチケットにして持っていっていた。つまり、6週間で33万円のアメリカ旅行だ。移動手段には他にアムトラックという、これまた全米を網羅する長距離列車も有名だ。アムトラックの方が座席が広いので足を伸ばせて寝れるらしいが、網羅する場所はグレイハウンドバスの方が多いようだ。他に小型飛行機のフリーパスと言うのもあるようだ。
photo4 5月20日。ヒューストン。
ヒューストンは、ドーム球場で有名なアストロズの本拠地だ。ドーム球場も大リーグの試合も今では珍しくなくなってしまった。大リーグと言う言葉も死語になりつつある。大リーグに匹敵する球団になることが創設の目的だった読売ジャイアンツは日本で優勝することを義務付けられた球団にいつしか方向転換してしまい、ファンも選手も巨人(あるいは日本の組織、野球機構、ポリシー)に愛想をつかしたのか、人々はメジャー思考になってしまった。

0007. 旅蔵 2008/04/29_21:00:56
photo1 ここまでのアメリカ・テキサス旅行は身なりの汚い黒人に出会うことが多く、ニグロへの偏見は拭い去れなかったのだが、ここでは違った。アストロドームへ行く為、近くにいた小奇麗な黒人の若い男性に道を尋ねたのだが、彼はバス停にやって来るバスにいちいち乗って、アストロドームへ行くバスかどうか僕に代わって聞いてくれたのだ。バスターミナルにいたおばちゃんや、ドーム付近にいたダフ屋?の兄ちゃんもやたら親切だった。
ドームのチケットは内野席だった。特別席、内野席はネットがなく、しかもファールゾーンが狭いのでプレーヤが間近に見える。打球(ライナー)が飛んできたらスリリングだ。
大リーグのベースボールは、当時、スピードとパワーでバンドなどの細かいプレーはない豪快な野球という触れ込みだった。しかし、実際見てみると、随所にバンドも進塁打も見られ、細かい野球だった。
photo2 実際に見たことのないもの、知らないものの価値観を映像や言葉で操作すると言うのは簡単なもので、私も色々なものの価値観を操作されたものだと、この旅で実感した。テレビはタダだし便利だし色々な情報も適宜提供してくれて飽きないし、近くで見れるが、真実を見れるとは限らない。
ベースボールについて、それが日本のプロ野球よりスケールがでかいと感じるのは、スピードやパワーではなくて、ファンとのスタジアムでの一体感だったような気がする。打球音や選手一人ひとりの表情をかき消すコンバットマーチやラッパ、ゲームへの集中を遮る応援団や巨大な団旗がそこには無かった。馬鹿騒ぎのお祭り騒ぎが応援と言う野球愛の唯一の証であるなら、スケールの差はアメリカと日本のスケールの差そのものかもしれない。
photo3
photo4

0008. 旅蔵 2008/04/29_21:57:23
photo1 5月21日ヒューストン〜
ヒューストンではYMCAに宿泊した($22)。21日は昼までゆっくりして、バス(#246)でNASAへ向かった。降りるところを間違えそうになったが、ここでもバスの運転手が親切に教えてくれた。旅は人。
photo2 人と言えば、ヒューストンのグレイハウンド・バスターミナルの近くに、Fu Kim富金大宴楼という中華があり、店員がみんなアジアン(ベトナム人だったと思う?)で、代わる代わる話をしに来てくれて、とても楽しかった。そこでは久々の中華で海鮮ヌードルを食べ、感謝の気持ちでチップを置いて外に出たのだが、そこの店員は私を追いかけてきて、チップは受け取れないと付き返されてしまった。友人からはお金を受け取れないと言う雰囲気で、とても嬉しかった。チップと言う文化はいまだに馴染めない。
photo3 NASA見学はツアーチケットがあり、係員が付いて色々な場所を見学できる。私の場合は遅くに行ったので、コンピュータールームは見れなかったものの、ロケットの実物もあり、大満足だった。
photo4 自分を比較対象にして、ロケットの大きさを実感できる記念写真を撮ってもらった。

0009. 旅蔵 2008/04/29_22:22:11
photo1 正面(真上?)から撮ったロケット。
photo2 ロスからヒューストンまでの移動は左の地図で言う赤い矢印の部分。ここから先ヒューストンからは青い矢印のように進んだ。グレイハウンド・バスの時刻表は各ターミナルにあり、無料でもらえるので、いつも持ち歩いていたのだが、このような横移動では到着時間が1時間ずれることがある。これは時差のためで、同じ国なのに時差があること自体、アメリカのスケールの大きさを伺わせられた。
ヒューストンからは夜行でニューオリンズへ向かった。
photo3
photo4

0010. 旅蔵 2008/05/08_00:20:00
photo1 5月22日ニューオリンズ。
ここまでの旅で歩き回りすぎて足の親指に血豆ができ歩くのもやっとだったので、爪切りで膨れた皮を切ってみたら痛みが取れた。また歩き回ることにする。
photo2 ニューオリンズは2005年ハリケーン・カトリーナで8割が水没したと言う悲しい知らせがあった。私が行ったのはこの写真にあるダウンタウンだが、被災したのは郊外らしい。
photo3 ニューオリンズはジャズの街。
photo4 街は赤レンガの渋いたたずまいで、ここもアメリカかという感じのヨーロッパ建築の並ぶところだった。さすが合衆国。

0011. 旅蔵 2008/05/08_00:39:16
photo1 憧れていたのアメリカの文化(?)のひとつに落書きと言うのがあった。これは大した落書きじゃないが、都会と落書きは生きた感じがして、合う。
photo2 ジャズバーでビールを飲む。いいねぇ。ビールも上手いが彼らも上手い。アメリカの層の深さを実感した。
photo3 この辺りはフレンチ・クオーターという観光地だが、スペイン色が強い。ヨーロッパ色の町はニューオリンズのほかにボストンがそうだ。
photo4 写真下部の車がちょん切れている事からもわかるとおり、2枚を張り合わせた写真。

0012. 旅蔵 2008/06/30_23:41:33
photo1 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
長らく書き込みがストップしていました。2008年5月12日、私事ですみませんが、赤ちゃんが産まれたためです。ケントと言います。クラーク・ケントのKentです。漢字で「健人」です。将来は、スーパーマンでしょうか?
アメリカついでに、今年からケーブルTVに加入し、「アメリカン・アイドル」という番組にハマりました。昔の「スター誕生」みたく(勿論、スケールは全く違いますが)、全米の歌手志望のアマチュアの勝ち抜きで、優勝するとレコード会社と100万ドルで契約できる歌番組です。今年は既にシーズン7(第7期)ですが、決勝戦に残ったトップ2は、今後アメリカのトップアーチストになることは間違いありません。一人は、デヴィッド・クック。25歳のバーテンダー。もう一人は、デヴィッド・アーチュレッタ。17歳の高校生です。
photo2 デビット同士の対決でしたが、僕は、高校生の方を応援していました。レースの途中で彼が歌った「イマジン」が、英語なので歌詞も良くわかりませんが、何故か目頭が熱くなってしまい、それからずっと彼を応援してきたのです。もう一人のバーテンダーも、とにかくどんな曲でもかっこいいロックにアレンジしてしまう天才でした。僕は、この決戦を「神の子VS人類の代表」と思って観ました。結果、人類の代表、バーテンダーのデヴィッド・クックが優勝しました。
私はこの番組で、アメリカの面白さを改めて実感しました。
旅と関係ない話ですみません。旅の続きに戻ります。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
photo3 ニューオリンズではYMCA($36)に泊まりました。この部屋では、ちょっと怖い夜を迎えました。と言うのは、ここのTVは天吊りだったのですが、移りが悪く、アンテナが天井のコーナーに続いていたので、それを辿って天井裏に手を伸ばしたときのことです。何冊かの本が置いてあるのに気づきました。取り出してみると、PLAYBOYなどのエロ本。ちょっとラッキーな気分になりかけたのですが、中からフランス人女性のユースホステルの会員証と国際免許証が出てきました。また、この部屋の中央には大きなドレッサーが置いてあるのですが、その裏の壁は血を浴びた後のような放射状の輪郭に黒ずんでいました。
気味が悪くなり、明かりを点けたまま就寝。翌朝、天井裏で発見した本とカードにメモ書きを残し、チェックアウトしました。何だったのかは、今でもわかりません。
photo4

0013. 旅蔵 2008/06/30_23:54:32
photo1 フレンチ・クオーターの散策に話を戻します。
これは手前が大砲で、後ろは潜水艦です。
photo2 パントマイマーがいました。路上パフォーマンス。
photo3 この近くには、うどん屋があり、久々に和食にありつけ感激。また、近くのファーストフードでキャットフィッシュ(なまず)のフライを食べていたら、キュートな女の店員が話しかけてきました。あぁ、英語が堪能なら…。
photo4 ミシシッピ川。泥色の汚い川でした。

0014. 旅蔵 2008/07/01_00:28:46
photo1 ニューオリンズからマイアミに向かう途中、乗り継ぎのバスが大幅に遅れたため、到着は夜になりました。日本人なら、この場合、間違いなく乗客全員大激怒で、近くにいる不幸なスタッフに当り散らすのでしょう。私もきっと皆大激怒と思っていたら反応は全く違いました。「遅れてるよぉ、このバス、わっはっは」て感じで、大爆笑です。遅れたら怒る、という当たり前は日本の事で、遅れたら笑う、という選択肢もあるのだと勉強させられました。
5月24日深夜マイアミ着。De Ville lnn泊($36)。シャワーはジョウロの先のように穴が沢山あいているのではなく、大きな穴から水が飛び散る感じで出るタイプでした。こんなのは、この時生まれて初めて見たので、これでも水滴を浴びられるんだと、また勉強させられました。
写真は翌日、桟橋にて。
photo2 マイアミ・ビーチ。松田聖子の「マイアミ午前5時」を口ずさむ。
photo3 ここにも軍艦が。
photo4 桟橋周辺はショッピングモールで大勢の人で賑わっていました。大道芸もあちこちでやっており、これはハゲ頭の人形が淡々とジャズを歌い続けるというものでした。

0015. 旅蔵 2008/07/01_00:37:02
photo1 カタマランのサンセットツアーに参加しました。後ろに、マイアミのダウンタウンが見えます。
photo2 マイアミ・サンセット
photo3 夜のマイアミ・ダウンタウン
photo4 ツアーから戻り、すっかり日も暮れました。これは、桟橋で観光客を見送る彫刻と化したパントマイムです。

0016. 旅蔵 2008/07/02_01:18:16
photo1 5月26日。マイアミからキーウエストに向かうことにしました。バスのスケジュールは当初12:00マイアミ発〜16:30キーウエスト着のつもりが、17:45発に変更。到着は、またも深夜になってしまいました。
この旅行で持って行ったズボンはGパン一枚だけでしたが、アメリカ製の強力なコイン洗浄機によって既にお尻の部分がビリビリに破れていました。その為でしょうか?深夜に道路沿いをブラブラ歩いていたら、車に乗った多分ホモの叔父様にナンパされてしまいました。キーウエストはホモが多いと本当かどうか聞かされていたので、動揺することなく丁重にお断りしました。日本の男性は白人に比べてきゃしゃなのでホモにもてると言う噂も付け加えておきます。

写真は、なんとなく撮ったキーウエストの海。
photo2 ホモから逃れ、浜辺にベンチを発見して横になりましたが、海風がきつくて眠れません。ちょっとした林があったので、そこに移りましたが、今度は、やぶ蚊に悩まされ、結局また来た道をブラブラすることにしました。
しばらくすると、日付は既に5月27日に変わり、午前4時になっていましたが、近くで何やら祭りのような賑やかな騒ぎが聞こえてきました。ユースホステルです。まだ開いていました。何かの祝日だったのしょうか?窓口には恐らくメキシコ人と思われる男性がいて、チェックインできました。ラッキーです。1泊$12。最初は$20と言われましたが、ユースホステルの会員証を見せたら、$12になりました。メキシコ人は、その時、少しブルーな表情を見せたので、恐らく、ユースの会員証がなければ、いくらかピンハネするつもりだったのでしょう。

写真は、キーウエストの海で見た帆船。
photo3 キーウエストの町は観光地で、写真はありませんが、賑やかです。歩いているだけで楽しくなります。
ここでは当時取ったばかりのスキューバダイビングのライセンスを使って、潜ろうと思い、海パンを買いに中国人オーナーのショップに入りました。好きな海パンを選んでくれ、$16だ。ということで、ひとつ選んでレジにもって行くと、今度は、海パンに好きなマークを無料でプリントしてあげるよ、と言われました。沢山のステッカーが用意されていました。“無料(FREE)”と言う言葉には要注意です。本当にFREEか?と念を押すと、FREEだ、と言うことで、本当はプリントなんてどうでもよかったのですが、好意に甘えて、適当にひとつ選んでアイロンプリントしてもらいました。財布から$16渡すと、態度が変わりました。何これ?プリント代を含めて$50だ。という具合です。
想定の範囲内だったので、私は、その海パンを投げつけ
photo4 大声で「I call police!」と叫んでショップの外へ出ました。背の高い店員のメキシコ人が追いかけてきました。結局、別の海パンを$16で買うことで交渉が成立しましたが、あとで、その海パンをはいたら、ポケットの底が破られていました。これは想定外でした。店を離れてしまっては交換も難しいでしょうから諦めました。
観光地はこの手の悪い奴らはウヨウヨいるので気をつけても気をつけても、防御し切れません。
ダイビングですが、翌28日ボートダイブに出発したことはしたんですが結局、大シケで船酔いだけして帰港となりました。

0017. 旅蔵 2008/07/02_01:38:58
photo1 キーウエストと言えば、「老人と海」のヘミングウェイを思い出します。写真はありませんが立派な大樹のある彼の家も、ここで見学できます。
この写真は、老人と海ではなく、単なる桟橋のレストラン。
photo2 ユースホステルで知り合った日本人と一杯やりに行きました。基本はビールですが、コストがかかるので、早く酔うためにテキーラを挟むのがここでの飲み方だと言ってました。テキーラは、理科の実験で使った試験管に入って出てきます。但し、目盛りの変わりにキーウエストのロゴが入っていてお土産にもなるとのことです。ガラスで出来ているので、私はその場に置いてきましたが。
photo3 ジーパンが破れて、こんなダサい格好でうろうろしていました。すいません。キーウエストのここは、アメリカ最南端。キューバまで90マイルと書いてありました。
photo4 キーウエストはお気に入りで3泊しましたが、6週間の旅行で、まだ回りたい所が沢山あるので、5月29日キーウエストを後にしました。ここからは、バス泊で、一気に北上してワシントンD.C.に向かうことにしました。

0018. 旅蔵 2008/07/16_00:39:17
photo1 5月30日ワシントンD.C.に到着。キーウエストから車中泊で、地図のグリーンの部分を一気に駆け上がりました。AYH(アメリカン・ユース・ホステル)泊、$14.
photo2 5月31日AYH泊($14)。この日は見学ラッシュです。まずは、ホワイトハウス見学。撮影は出来ませんが、中もちゃんと見学できます。星条旗がなびいています。
photo3 ホワイトハウスの正面から記念撮影です。
写真を見て、今ではホワイトハウスより自分のファッションが気になってしまいます。Tシャツは、この旅行の前にオーストラリア=ケアンズでPADIのオープンウォーターのダイバーズ・ライセンス(スキューバダイビングの初級ライセンス)を取ったときにもらったものです。Deep Sea Diver’s Denというスキューバ・ダイビングのスクールのロゴが入っています。
ウエスト・ポーチですが、実は十数年たった今でも海外旅行のときは使っています。貴重なもの、高価なものは、ほとんど、ここに入れています。ウエストポーチはダサいと言う評判と狙われやすいという評判であまり使われなくなったようですが、前者はスノッブな日本のマス・カルチャーのたわ言と片付け、後者については、腰につけたものを略奪されるような危険なところは旅行し
photo4 ないと思うので、使っています。貴重品を分散させると、旅行中、貴重品に集中できないので、僕にとってはウエストポーチがベストなのです。

0019. 旅蔵 2008/07/16_00:58:06
photo1 FBI見学。中も見学できます。射撃も見れたかと思います。見学のときは、確か、案内係を勤める人が一人付いて、グループ見学だったかと思います。ホワイトハウスの見学もそうですが、こちらも当時は無料だったと思います。(あるいは、1ドルぐらい?)
photo2 このアメリカ旅行は、ほとんど天気が良かった記憶がありますが路面が濡れています。遠くに見えるのは国会議事堂?
photo3 石かレンガかコンクリか、硬い材質で作った建物が目立ちました。フリントストーン!
photo4 貧乏旅行の基本は歩いて見て回る。それだけで、とても面白いのが旅です。

0020. 旅蔵 2008/07/16_01:17:20
photo1 バテレンの国なので教会があちこちにあります。
photo2 石塔。世界一高いとか?
写真の石塔の下をよく見て下さい。そこになびく旗の下にゴマ粒より小さな白い点が人間です。石塔は本当にでかいのです。写真は標準レンズでだいぶ離れたところから撮った一コマなので石塔の両脇を表現していませんが、実際に見た石塔は大きな緑の大地(芝生)から清清しい空を真っ直ぐに差す迷いのない人差し指のようでした。
photo3 実は、この石塔の向かいに大きな池を経てリンカーン記念館があります。
photo4 池を回ってリンカーン記念碑に向かいます。
噴水が出ている池はそこが潤っている証拠と感じながら石塔を振り返ります。

0021. 旅蔵 2008/11/26_00:13:48
photo1 池の周りでガチョウの親子を発見!
photo2 なんて言ってたら、リンカーン記念館の前に到着。
photo3 中に入ると、リンカーンの石造があります。
photo4 振り返れば、あの石塔から池の脇の芝を伝ってここまで来ました。

0022. 旅蔵 2008/11/26_00:23:46
photo1 リンカーン記念館の近くに、ベトナム戦争慰霊碑があります。ナショナリズムの象徴にも見えます。
photo2 戦没者の名前が壁に延々と刻まれていました。
photo3
photo4

0023. 旅蔵 2008/11/26_01:05:44
photo1 6月1日移動日。ニューヨークへ。(地図のピンクの矢印はボストンまで引いてあります)
ニューヨークはAYH(アメリカン・ユース・ホステル)が確か2つあったと思いますが、郊外だけど新しくて綺麗な白い建物の方に行きました。1泊$18.75。
photo2 6月2日市内を散策に出かけます。
セントラルパーク。
photo3 ワシントンスクエアの前の門です。門の中から、世界貿易センターが見えます。
photo4 ワシントンスクエアパークです。中国人が大道芸を披露してました。

0024. 旅蔵 2008/11/26_01:11:54
photo1 以下、ワシントンスクエアパークの風景です。
photo2 なかなか面白いパフォーマンスでした。
photo3 有名な人ではないのでしょうが、トーク、技術、構成が上手く、アメリカの層の厚さを実感しました。
photo4

0025. 旅蔵 2008/12/02_02:04:31
photo1 チャイナタウンに来ました。この日は本当によく歩きました。
photo2 揚げた肉まんが当時たったの50セント。うまくて量もたっぷり。貧乏旅行にかかせないのが安い中華料理。
photo3 足で回ったニューヨーク。こんなトラックに積んだ観覧車も初めて見ました。
photo4 こんな何でもない景色ひとつひとつが楽しかった。
最近は何でも情報が氾濫し、知ってることが偉い、とか、知ってることを競う族が多くなりました。旅行のガイドブックも懇切丁寧になり、よく調べてから行動するというのが正論で、それをしないと国賊のようにうるさく言う人が増えました。
自分はそう言う管理化された全てが嫌なので、旅行の時ぐらいは今でも行き当たりばったりで行きます。効率が悪いと非難されることが多いですが、効率よく回ることが旅の目的ではないのです。

0026. 旅蔵 2008/12/02_02:09:22
photo1 片目の車と落書きのボックス。こういうニューヨークが見たかった。
photo2
photo3
photo4

0027. 旅蔵 2008/12/02_02:21:16
photo1 5月11日にロス到着から3週間、左回りにニューヨークまでやって来ました。ニューヨークの散歩はまだまだ続きますが、「憧れていた頃のアメリカ(1991)①」も長くなってきたので、ここらで②に引き継ぎたいと思います。
②は、エンパイアステートビル、ジョン・レノンが住み、殺害されたダコタハウスから始めます。
【憧れていた頃のアメリカ(1991)①〜終わり〜】
photo2
photo3
photo4

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