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バルト三国を南下して中央ヨーロッパへ/01年春

0001. まえだまさとし 2009/03/12_20:40:28
photo1 「ユーラシア横断(シベリア経由)北京〜ヘルシンキ」の続きです。

ヘルシンキに到着したあと進路を南に取ることにしました。まずはソ連から最初に独立したバルト3国へ向かうことになります。

まずフィンランドのヘルシンキからエストニアのタリンへ向かう。
photo2 船の出発は昼過ぎなのでそれまで荷物は宿のフロントに預かってもらい、ヘルシンキの街を歩くことにした。朝食はマクドナルドだ。フィッシュバーガーを頼んだらレタスがたっぷり入っていて日本の平日半額バーガーとはかなりボリュームが違った。

 早朝は霧雨が降っていたが、時間がたつにつれ日が照りはじめた。11時過ぎに宿に戻り、荷物を受け取ってから歩いて港へ向かった。
photo3 シリアラインのフェリーターミナルは立派で空港のようなカウンターでチェックインを済ませた。そしてフィンランドを出国。


12:45発のフェリーは車も乗せることができるが、かなりスピードの出る船でタリンまで1時間半だ。

船内は豪華な造りで広々としていてシートもゆったりしている。中にはカジノや免税店、バーなど一通りそろっているが僕は終始座席で窓の外を眺めることにした。
photo4  時差マイナス1時間。エストニアの首都タリンに到着した。入国審査ではパスポートを念入りに調べられた。写真貼り付けタイプの見慣れない日本のパスポートだったからだろうか。

タリンのフェリーターミナルは中心部に近いと思っていたが結構歩くことになった。港周辺はかなりガラが悪くロシアに戻ってきたみたいだ。路面電車もロシア製で古く汚い。

0002. まえだまさとし 2009/03/15_20:36:57
photo1 タリンで泊まる予定のホステルは旧市街の城壁の脇にあり、すぐに見つかった。12人ドミトリーの部屋には2人の日本人がいた。でも今は外出中のようだ。

そんなわけで僕もすぐに街へ出た。タリンの旧市街の街並みはヨーロッパの中でもトップクラスの美しさだ。街全体に色とりどりの建物が並んでいるのでとてもメルヘンチックだ。
 フィンランドから近いということもあり観光客はかなり多い。
photo2
photo3 街並みはきれいだが一通り街を歩けば満足だ。ここはのんびりするような場所でもない。
photo4

0003. まえだまさとし 2009/03/15_20:40:08
photo1 明日移動だ。次の目的地はラトビアのリガ。街の中心から南に1.キロ行ったところにバスターミナルがあるのでバスのチケットを買いに向かった。中心部を一歩離れると共産主義時代の高層アパートが整然と並び、やはりここも旧ソ連だったんだと改めて思い直してしまう。

バスターミナルでユーロラインのリガ行きの予約を入れることにした。運賃は200クローネ(1500円)と予想よりかなり高かった。距離的にそれほど遠くないと思うのだが。
photo2 翌日。

雨。小降りになったのを見計らって宿を出発した。途中マクドナルドで朝食を食べ、30分歩いた。途中また雨が強くなり大変だ。そんなわけでずぶぬれになりながらバスターミナルまでやってきた。これから乗り込むバスは10時発のリガ行き。

バルト三国を走っているユーロラインのバスはそれほど良いバスを使っていない。
photo3 10時、定刻通りバスは出発した。途中雨が雪に変わり、辺り一面銀世界になった。

 居眠りをしていて再び目が覚めたときにはまた雨に戻っていた。雪は全くない。そんな中、国境に到着。

係官がパスポートを集めに来たあと、しばらく待たされスタンプの押されたパスポートが返ってきた。ラトビアでは夏時間を採用しているらしく1時間時計を進めた。タリンから5時間半。そのままバスはラトビアの首都リガに到着した。
photo4 リガは森と湖の中に高層ビルが立ち並ぶ。ここにもしっかりしたスターリン建築様式の建物がそびえ立っている。リガのバスターミナルは駅のすぐ裏にあった。

写真はリガ駅とスターリン建築(左)。

0004. まえだまさとし 2009/03/15_20:41:31
photo1 ここも雨が降っていたが傘が必要なほどではない。リガにはドミトリー形式のホステルがないので駅前の安宿に泊まることにした。とはいえ1泊1700円は結構高い。「ホテル・オ−ロラ」は駅前のにぎやかな場所にある宿だ。
photo2 でも今回日本を出て以来初めての個室だ。

もしかしたら最初で最後かもしれない。
photo3
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0005. まえだまさとし 2009/03/15_20:46:16
photo1 とりあえず部屋に荷物を置き駅に切符を買いに向かった。その前にマクドナルドで遅い昼食を食べる事にした。

次の目的地リトアニアの首都ヴィリニュスまで三段寝台で1500円ほどと一泊宿代が浮くのでよしとしよう。ただ夜遅くまでリガの駅で列車を待つのは少し不安だ。
photo2  バルト三国最大の都市リガ。旧ソ連時代からバルト海沿岸を代表する都市で人口も多い。ロシア人の比率が高いこともありバルト三国の中で人種問題がもっとも深刻だ。

この街の旧市街もタリン同様ゴシックな建築様式の建物が旧市街にそびえ立っている。
photo3 しかしここはタリンと違って観光客がほとんどおらず、人気もなく何となく寂しい。また街全体に色があまりない。ここも街を一通り歩くだけでもういいといった感じだ。久々の個室だし宿に戻って部屋でゆっくりしよう。
photo4

0006. まえだまさとし 2009/03/15_20:52:09
photo1 翌朝。
 久々の個室だし、チェックアウト時間ギリギリの12時まで部屋でくつろぐことにした。今日も天気は悪く今にも雨が降り出しそうだ。

荷物はホテルに預け外へ出た。日曜だが旧市街には多少観光客がいる。とりあえず有名な教会を眺めに行った。

駅の南側にある市場へ行ってみた。ここではロシア料理が安く食べられる。しかし昨日食べたお菓子のせいで腸の調子がおかしい。ちょっと下痢気味だ。昔から旅行中下痢が多かったのは食費を抑え旅費を削るためお菓子を食事代わりに食べていたのが原因だと最近思い始めた。
photo2 やっぱりマクドナルドでもいいからちゃんとしたモノを食べないといけない。下痢が旅行を台無しにしてしまう。
photo3 リガといっても行くところは限られている。街の中心に占領博物館というのがあり入ってみた。ラトビアは第二次大戦ではナチスに占領され、その後は91年までソ連に占領されていた。大変な国だが今はとりあえず独立できてよかったのかな。

占領博物館の近くにあったブラックヘッドのギルド。

 
photo4 ラトビアの硬貨をイメージしたペイントが建物に描かれていた。

0007. まえだまさとし 2009/03/15_20:53:49
photo1 夕方になった。しかし列車の出発まで6時間ある。ホテルに荷物を取りに行きロビーで待機。その後場所を駅のカフェに移しコーヒーを口にしながら出発を待った。
photo2 23時にホームに上がってみた。列車はすでに到着していた。

ヴィリニュス行きの列車はたったの3両編成だ。そのうちに2両が僕の乗る開放三段寝台だ。残りの一両は一等車にあたる二段寝台車だ。

車内はガラガラで向かいの席にはラトビア人の兄ちゃんが座った。とりあえず英語ができる人だったのでコミュニケーションはとれそうだ。「なんで日本人がこんな所にいるんだ」と怪訝な顔をされてしまった。

そして「この国のどこがいいんだ?」と聞いてきた。それは非常に難しい質問だ。僕自身もどこが良いのかわからない。とりあえず古い街並みがきれいだと言っておく事にした。
photo3
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0008. まえだまさとし 2009/03/15_21:02:36
photo1  シベリア鉄道の慣れがまだ残っていたのか、昨夜は車中泊にもかかわらず熟睡でき、さわやかな朝を向かえた。

目が覚めたのはヴィリニュス到着30分前だった。すでに日が高くなり日差しが強くなっている。バルト海沿岸を旅行していて初めての快晴だ。

 駅に降り立ち街へ出ることにした。
photo2 駅は町の中心部から少し離れているので駅前は首都とは思えない雰囲気だ。駅前に早朝から営業している両替所があったので現地通貨を作り、その後宿を探すことにした。
 駅前のスマイリーユースホステルという所へ行ったら閉まっていた。この宿の扉にはドアにはシベリア鉄道で一緒だった川口君から僕宛の置き手紙が挟んであった。彼がここを訪ねてきたのは3日前。僕が彼にこの宿を紹介したのだが、彼はこの宿しか知らなかったのでこの街には泊まらずそのままワルシャワに移動してしまったようだ。
 僕はリトアニアに最低でも一泊したいのでガイドブックを頼りにオールドシティーユースホステルへ向かった。今度はしっかり営業していて宿は清潔でスタッフも感じがいい。まだ朝早く誰も起きていないので静かに荷物を置き、シャワーを浴びて街へ出た。
photo3 午前中はカウナスへ向かう。ミニバスで約一時間半。ここは第二時世界大戦前に日本領事館があった場所でここで領事代理をしていた杉原千畝という人物が有名で今はここが「杉原千畝記念館」となっている。杉原千畝は終戦間際ナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人に日本政府に無断でビザを発行し、それによってたくさんのユダヤ人が日本を経由してアメリカなどへ逃げることができた。そんなわけで日本のシンドラーとも呼ばれている。日本ではあまり取り上げられる事は少なく、知らない人も多いと思う。バルト海沿岸を訪れる機会があるならば必ずここには来るべきだと思っていた。
でも行ったら記念館は閉まっていた。
なめとる。
photo4 外観だけ見て建物を後にした。

0009. まえだまさとし 2009/03/15_21:05:49
photo1 その後歩いて旧市街の方へ行き、ケーブルカーで丘に上に行ってみた。
photo2
photo3 丘の上からはカウナスの旧市街が一望できる。
photo4 ケーブルカーの車掌のおばさん。




帰りはトロリーバスで駅に戻った。列車でヴィリニュスへ戻ろうかと思ったがかなり本数が少ない。仕方なくまたミニバスで戻ることにした。

0010. まえだまさとし 2009/03/15_21:10:04
photo1 13時頃にはヴィリニュスに戻り「南京」という中華レストランで昼食を食べた後、ヴィリュニス旧市街の方を散歩した。
photo2  ここはエストニアやラトビアに多くあったゴシック建築がなく、バロック建築が中心なので街並みに落ち着いた雰囲気で明るく感じられる。(写真は暗いが)
photo3 そのままかなりの距離を歩き、めざすは国会議事堂だ。ソ連崩壊のきっかけになった国がここリトアニアでその舞台になった場所が国会議事堂前だ。

 1991年の1月、ソ連軍が独立運動の激しくなったヴィリニュスに侵攻し数万人がこの国会議事堂前でバリケードを作り抵抗した。

 そのバリケードは今でも国会議事堂の前に残っている。そして多くの犠牲者を出したテレビ塔は今でも丘の上にそびえ立っている。
 今回の旅のテーマは「ソビエト連邦の歴史」でもある。ロシア、バルト三国、そしてこれから行くであろう東欧諸国、そしてアウシュビッツ収容所。まさに近代史の現場検証旅行だ。それにしても今日一日で20キロ以上歩いて疲れた。
photo4

0011. まえだまさとし 2009/03/18_19:59:40
photo1 翌日。
ポーランド国境に向かう列車は9:15にヴィリニュスを出発する。得をするかどうか解らないが国境までのチケットを買い、ポーランド入国後国境からワルシャワまでのチケットを買う。そうすれば若干ではあるが安くなるのではと思った。

そのためには出発前にポーランドのお金を準備する必要がある。両替商で簡単にポーランド・ズロティーを手に入れることはできたがこの時点でレートに関してかなり損をした気になった。
 宿の日本人とはお別れだ。ひとり駅に向かった。
photo2 国境行きの列車は3両編成。コンパートメントを独占することができた。途中カウナス経由で国境まで約4時間。朝天気は良かったが、いつのまにか雨が降ってきた。そのまま国境の手前の駅に到着。最悪なことに僕がヴィリニュスで買ったチケットは国境の手前の町まででここから国境まで別に切符を買わなければならないことが判明した。しかしポーランドのお金は使えず、結果として手持ちの3リタ(100円)で何とか大丈夫のようだ。
しかし車掌は最初23リタ(760円)払えと言ってきた。ヴィリニュスから4時間走って22リタ(730円)だったのにそりゃ高いだろう。ワイロにも限度がある。結局僕が理解しようとしなかったからか、あるいは手持ちのお金が極端に少なかったから、なにがともあれ切符が発行されたのでたすかった。
photo3 写真はリトアニア側の国境の駅。

ポーランドに入国して車掌から再び切符を買うことになった。ワルシャワまで38.5ズロティ。(1260円)だ。40ズロティ払ったが釣りは返してもらえなかった。結果としてヴィリニュスからワルシャワまで15ドルかかってしまった。通しで買うのと同じか少し損をしたぐらいだ。でも途中の精神的ダメージや緊張を考えるとなんの得もしなかった。あまりくだらないことにこだわるのはやめよう。
photo4

0012. まえだまさとし 2009/03/18_20:03:36
photo1  ポーランドに入国して少し気分的に楽になった。とはいえ車内は他の東欧同様暖房が入っていないので寒い。そして外は雨。途中ビアウィストックという駅から客がたくさん乗ってきたが暖房は終始入らなかった。
 そのまま日は暮れ、夜8時にワルシャワ中央駅に到着した。朝パンしか食べてないので空腹が限界だ。おまけに体温が下がっているのか地下の駅なのに寒くて凍えそうだ。体の震えが止まらない。駅舎の中は天井が高く暖房は一応入っているようだが寒い。今回はかなり暖かいカッコウで来ているがそれでも体の震えが止まらない。ここに来て体調を崩したかもしれない。
photo2 ワルシャワ中央駅はおそらくヨーロッパで最悪の駅のひとつだろう。駅の待合室には浮浪者がたむろし、どうしょうもない輩が駅構内をうろついている。彼らが直接我々旅行者に関わってくるのは物乞い目的ぐらいだが、あるものはエスカレーターの上で放尿し、あるものは酔っぱらい階段の上で力つき寝そべり通行人の邪魔をしている。

外は雨。暗闇の中にスターリン建築の人民文化宮殿がそびえ立つ。少し薄気味悪い。
photo3  地下通路は異臭が充満し、ホームレスの収容所となっている。共産主義の崩壊がこの光景を生み出した。急激な変化に人々はついていけなかった。ここには同じく怪しかったルーマニアのブカレスト北駅とは違った怪しさがある。警官も駅構内を巡回しているがまったく無力だ。こんなとんでもない駅は今までで初めてだ。クラクフ行きの出発まで約3時間強あるが落ち着いて座れる場所もない。
photo4  クラクフへ向かう列車の出発時間は23:20。地下ホームに降りたが列車はこの駅始発ではないのでどこに停まるのかわらない。案内表示も何もない。

 そのくせにホームには列車を待っている人がかなりたくさんいる。座れるのか心配だ。ほとんど勘で列車を待っていたらちょうど目の前に二等座席車が停まった。中はコンパートメントで何とか通路側の席に座ることが出来た。

0013. まえだまさとし 2009/04/11_18:13:54
photo1  クラクフの到着したのは夜明け前の早朝4時。一応列車内で仮眠は取れたが、頭がボーとする。4時に外へ出ても何もできないので6時までホームレスに混じってコンコースのベンチに座ることにした。それほど寒くはないが臭いが気になる。
 居眠りしていると警官に危ないから起きろと注意された。ポーランドの警官は規律が行き届いているようだ。ロシアなら警察に連行されて所持品検査は必至だ。
photo2 6時ぐらいから急に人通りが多くなってきた。そして僕も外へ出た。すでに外は明るくなっていて湿った地面に対して空は快晴だ。

クラクフ駅舎。
photo3 駅前からトラムでユースホステルへ向かった。そして5つ目で下車した。しかしはるばるやってきたのに「満室」と言う返事。しかたなく近くのスチューデントホテルに行ってみた。ここは夏期のみ旅行者にも開放されると聞いていたがこの時季でも泊まれるらしい。しかし1泊70ズロティ(2300円)もしたので考えた末、今夜クラクフを離れることにした。

 クラクフではアウシュビッツ収容所だけみられればいいし、旧市街自体半日もいらないだろう。今日ここで一泊しても明日ヒマになる可能性の方が大きいし、少し疲れるが最良の方法だ。
 クラクフ駅に戻った後、駅に荷物を預けて、窓口でプラハ行きのクシェットの料金を確認した後、必要なポーランド通貨を今日一日の生活費も含めて準備しチケットを購入した。
photo4  駅前からアウシュビッツ収容所行きのバスが出ている。本数は少なく午前中は9時発の一本のみだ。地元の中学生の団体が一台のバスに押し寄せバスはは超満員だ。一時間半後オシフィエンチム近郊にあるアウシュビッツ博物館の前に到着した。

0014. まえだまさとし 2009/04/11_18:17:19
photo1 ここがいわゆるアウシュビッツ収容所跡地だ。ほとんどの観光客は観光バスでやってくるようで駐車場にはたくさんの大型バスが並んでいる。入場料は無料だが構内のガイドブック代3ズロティ(98円)が入場代わりだ。
photo2 今まで海外旅行を通じてユダヤ人とナチスに関するイスラエル、アンネの家、ホロコーストミュージアムなどたくさんの名所旧跡を見てきた。その中でもここが総本山といった感じがする。

今まで本やテレビ、映画などで見ているので何が展示されているのかは大体想像していたが、改めて自分の目で見てみるとおぞましい。とくにおびただしい数の靴、そり落とされた囚人の髪の毛などは見るとぞっとする。またガス室や焼却炉などに入ると息が詰まる。
photo3 収容されていた人はここで家畜のように扱われたのだろう。
photo4 これはトイレ。

0015. まえだまさとし 2009/04/11_18:22:19
photo1 今まで本やテレビ、映画などで見ているので何が展示されているのかは大体想像していたが、改めて自分の目で見てみるとおぞましい。とくにおびただしい数の靴、そり落とされた囚人の髪の毛などは見るとぞっとする。またガス室や焼却炉などに入ると息が詰まる。
photo2 当時の光景を再現された絵。
photo3 収容所と有刺鉄線がそのまま博物館として残る。
photo4 収容所には鉄道の引き込み線の跡も残る。

0016. まえだまさとし 2009/04/11_18:28:54
photo1  その後いったんアウシュビッツ収容所を離れ、ビルケナウ(第二アウシュビッツ収容所)へ歩いて向かった。線路の引き込み線が収容所の中まで伸びている有名な光景の場所だ。

 アウシュビッツというと僕はまずこの風景を思い起こす。
photo2
photo3
photo4 収容された人たちと同じように「死のゲートをくぐる」

0017. まえだまさとし 2009/04/11_18:34:20
photo1 ビルケナウ(第二アウシュビッツ収容所)のゲートの塔屋からの眺め
photo2 ここはアウシュビッツ収容所の場所が手狭になり、急遽つくられた場所だ。なので設備もずさんで囚人はほとんど家畜同然の扱いをされた。でも家畜扱いされ生き延びればいい方で実際はここに連れてこられた人のほとんどはそのままガス室経由で遺体として焼却炉に運ばれた。何ともいえない惨い場所だ。
photo3 これがビルケナウのガス室の跡。
ドイツ軍が逃走する際、自ら破壊した。
photo4 帰りは列車でクラクフへ戻ることにした。所要時間は2時間以上かかり、終点からトラムに乗り換え中心部に出るまでかなり大変だった。でも行きとは違った風景を眺められたのでなかなか良かった。

0018. まえだまさとし 2009/04/22_20:19:10
photo1 クラクフ旧市街はポーランドで唯一、第二次世界大戦の戦火を逃れた場所だが、バルト三国の首都の旧市街に比べると規模は小さく見劣りする。
photo2 クラクフの最新型のトラム。
photo3 クラクフから次の目的地であるチェコのプラハへの夜行列車はウィーン行きに途中まで連結されるようだ。客車は全部で5両。その中でプラハへ行く二等車両は一両だけだった。プラハに行く客が妙に多く車内は大混乱だ。と思ったら客が車両の三分の一に集中していたからで出発後調整され、車内にゆとりができた。

 プラハには明日の7時には到着する。寝ていればあっという間だ。
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0019. まえだまさとし 2009/04/22_20:31:35
photo1  プラハには1時間遅れで8時に到着した。駅のホームは閑散としていたが、コンコースに降りたら人がどっとあふれていた。そしてこの駅には今まであまり見なかったバックパックを持った旅行者が多く目につく。ヨーロッパ人にとっても行きたい都市トップ3に入っているだけのことはある。はたして宿はあるのだろうか。朝だからたぶん大丈夫だろう。
photo2 今日1日市内交通をフルに使うと思うので24時間券を購入しトラムに乗り込んだ。そして共和国広場から少し北に行ったところにあるトラベラーズホステルを訪ねてみた。部屋はあるようで1泊330Kc(¥1089)だった。写真の建物にホステルが入っている。
14人ドミトリーですべて2段ベッド。ミシミシと音を立てる頼りないベッドだが安い寝床が見つかって良かった。
 
photo3 せっかくチェコまで来たのだからスロバキアにも行きたい。しかしスロバキアは欧州では数少ないビザのいる国だ。そんなわけでメトロに乗りスロバキア大使館へビザを申請しに向かった。大使館はプラハ城の裏にある。
行列はそれほどできておらずスムーズに申請を済ませることができた。受取は今日の午後3時だ。
photo4

0020. まえだまさとし 2009/04/22_20:33:52
photo1 日中は丘の上にケーブルカーでのぼり、プラハの街並みを眺める事にした。プラハはブダペストに似ている。ただブダペストは灰色の町で色がなかったが、この街には色がある。
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photo3 プラハの象徴「プラハ城」
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0021. まえだまさとし 2009/04/22_20:35:06
photo1  その後駅へスロバキアの首都ブラチスラバまでの列車運賃を聞きに行ってみた。ウィーン経由でブラチスラバへ行くことも考えてウィーンへの値段も聞くことにした。いずれの列車も出発駅はプラハ本駅ではなく町の北にあるホレショビィツェ駅からだ。ウィーンを経由すると滞在費などがかなり高くなるし、時間的にもかなり大変なのでブラチスラバへの単純往復が現実的だという結論に達した。
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photo3
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0022. まえだまさとし 2009/04/22_20:39:27
photo1  スロバキアビザを受け取った後、再び旧市街へ出た。ヨーロッパでこれだけ観光客でごったがえしている都市は久々だ。町の雰囲気も華やかでここが10年前まで共産主義の東欧だったということが信じられない。
photo2 プラハの時計台。
photo3 とりあえず今回のユーラシア大陸横断(シベリア経由)の終点はプラハだ。
本来の予定ではベルリンかブダペストまで行くつもりだったが、町中の旅行代理店で目にするプラハ発の航空運賃の安さが妙に気になったからだ。

 プラハからの移動先はバンコクでオーストリア航空を利用する料金が11000Kc(36300円)
と破格だ。ヨーロッパ発の航空券を買うならブダペストが安いというのがバックパッカーの中で有名だった。しかしブダペストから東京は360ドルという話だ。それならプラハはもっと安い。結局プラハ発東京行きの値段は聞かなかったが、バンコクまで280ドルということを考えるとブダペストより安い気がする。
photo4 プラハ発の航空券が話題にならないのはおそらくイスタンブールから遠いのがその理由だろう。アジア横断旅行者がプラハに来るにはオーストリアを通るか、あるいは高いスロバキアのビザを取得してここまでたどり着かなくてはならない。逆にここまで来てしまったらさらに上を目指してしまうからプラハから帰るという発想が生まれないのだろう。とりあえず明日チケットを購入しよう。

0023. まえだまさとし 2009/04/22_20:44:14
photo1 日が暮れたプラハ。
photo2 ライトアップされたプラハ城が美しい。ヨーロッパ人がもっとも行きたい場所はプラハだとよく聞く。
photo3 旧市街の広場も夜遅くまでにぎやかだ。
photo4

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