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憧れていた頃のアメリカ(1991)②

0001. 旅蔵 2009/04/16_22:28:09
photo1 USA旅行記を再開します。

写真は、ニューヨーク・エンパイア・ステートビルから眺めた夜景(1991.6.2)。グラウンド・ゼロにはワールドトレードセンターが健在です。
photo2 1991年6月2日。この日はニューヨークをとことん歩き回って、夕方近くにエンパイア・ステートビルに到着しました。屋上から夜景を見に行きます。
photo3 エンパイア・ステートビルの屋上から見た夕暮れのニューヨーク。(実は逆光で暗く写っているだけで、まだ明るいのです。この時、持って行ったカメラは、ミノルタXDという一眼レフ、標準レンズだけの装備です。勿論、フィルムカメラです)
photo4 まだ明るかったので、ゆっくり夜景を待つことにしました。

0002. 旅蔵 2009/04/16_22:49:55
photo1 エンパイア・ステートビルの屋上から見たニューヨーク。
写真は載せていませんが、ここで一枚写真を撮ってもらいました。アジア系の男性に英語で頼んでお礼を言って別れたんですが、別れた後、その男性は友人と日本語で会話を始めたので、な〜んだ、日本人だったのか、と一人で苦笑しました。
photo2 陽は暮れだすと一気に暮れ、憧れのアメリカを見せ付けます。
photo3 ここの屋上のエレベータは意図的な演出かどうか知りませんが、エレベータが開くといきなりニューヨークの景色がみえるのですが、エレベータのドアが開いたとたん、中から出てきた日本人の女の子達が関西弁で「うわあ、めっちゃ綺麗やん!」と叫んでいました。このフレーズが何年たっても、ここを思い出す度に耳から離れません。
photo4 「憧れていた頃のアメリカ(1991)①」で、ここニューヨークまで来た道のりを紹介します。
1991.5.11ロサンゼルス〜6.2ニューヨークまでの経路です。交通手段は、長距離バス、グレーハンド・バスです。

0003. 旅蔵 2009/04/16_23:45:37
photo1 付け加え忘れましたが、エンパイア・ステートビルは当時4ドルで登れました。

この日は、何キロ歩いたんだろうと考えながらアメリカン・ユース・ホテル(AYH)に戻りました。疲れていたのに、AYHに戻ってからの運気が悪く、ユースに着いたら部屋に入るためのカードが壊れているわ、シャワーを浴びて戻ってきたら部屋が閉まっているわ(ドミトリー部屋です)、ランドリーに洗濯物を入れて洗剤まで入れたのに洗濯機が壊れているわ、洗い物を一つ部屋に忘れるわ、取りに帰ったら又部屋が閉まっているわ、乾燥機にトークンを入れたら入れる場所を間違えて又トークンを買うわ、といった具合でした。
photo2 そして、洗濯していたら、インドをよく旅すると言う年配のオッチャンと朝の4時まで話し込んでしまいました。
色んな薀蓄(うんちく)を語るオッチャンで、靴の話が面白かった。日本人は白人に比べて足の発汗が多いので、白人が履くような靴は日本人には合わないと言ってました。欧米文化が入る以前の日本は、風通しの良い履物だったし、畳文化もそう。
他に宗教の話もしてもらいましたね。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教のような一神教の国は基本的にナショナリズムだと言う結論で、日本は仏教国(あってないようなもの)だが、これはインドのヒンズー教の一派であって、しかも神ではない。こういうところにも、その国の人々の考え方が現れるのだ、という話でした。
photo3 最近は、こういうテーマは不毛の討論に陥りがちです。人の考えを楽しむと言うよりは、自分の見解を主張するだけの会話をよく耳にします。会話を楽しむと言うよりは、会話での勝ち負けを競うようなゲームです。
携帯やインターネットのメールや掲示板、TVゲームがコミュニケーションを下手にしているような気がします。

ところで、このオッチャン。当時100カ国以上を回っている(うろ覚えです)すごい旅行者で、その中でもインドは最高だねえ、を連発していました。このあとも、インドがよかったと言う旅行者には良く会いますが、この時から18年経った今でも、今だインドは行ったことがありません。昔、東南アジア(タイ、カンボジア、ベトナム、ラオス)をインドへのオープン戦と称して廻った事がありますが、僕にとってアジアの生活水準は、
photo4 この4カ国ぐらいが限界でした。それでも、このオッチャンの話が心にこびり付いていて、今でも、インドは訪問したい国の一つです。

朝まで話し込んでいたのがたたって、翌日は昼ごろまでくつろいでいました。

0004. 旅蔵 2009/04/17_00:04:58
photo1 6月3日。
宿泊先のAYH近くにダコタハウスがあるので散歩に出ました。
photo2 ダコタハウスは、ジョン・レノンの住んでいたアパートです。その場所に自分が居ることに感動しました。彼が殺された場所でもありますが。
photo3 後ろに見えるのはダコタハウスです。近くに公園(ストロベリー・フィールド)がありました。バイオリンを練習する女子学生や、コメディ映画を撮っている学生?、読書する人など、のんびりしたところです。
photo4 ストロベリー・フィールド、イマジン…ジョン・レノン。実はこのプレートを探していました。

この夜、AYHのエレベータで前夜洗濯置き場で知り合った20歳ぐらいのスペイン系の女の子に、日本語で何か話してみて、と言われ「君は綺麗だね」と言ったら、「What mean?」と聞かれ、「You are beauty」と照れて答えたら、爆笑されてしまいました。
何もかもが楽しい旅、のんびりした一日でした。

0005. 旅蔵 2009/04/18_23:57:46
photo1 6月4日私事ですがこの日は誕生日。しかし、取り分けやることもなく、昼ごろ起きて何となく町にでました。
町はペプシ、ミノルタ、TDK、マクセル、日本でも有名な企業のオンパレードです。日本はアメリカの良き企業パートナーでした。今ではどうか知りませんが、日本企業は有名でも、日本の政治・政府に対する興味は当時アメリカ人はあまり興味がないようでした。
選挙のときは国民の為と謳っておきながら、国会討論の半分以上は議員汚職や何らかの責任問題への討議で潰れるような内輪の潰し合いばかりで、国策に対する前向きな討論などめったに見られない茶番劇ですから、学ぶ気にならないのはもっともです。
photo2 埠頭に出ました。ここで出会った日本人長期旅行者と後でCATSを見に行くことになります。
photo3
photo4 キャッシュが無くなって来たのでトラベラーズ・チェック(TC)を現金に買えるため東京銀行を探しに行きました。当時は外為は東京銀行しか扱ってなかった事と100ドルのTCは50ドルのTCと違ってTCにVISAマークがなかった為です(確か)。50ドルのTCは既に使い切っていました。
窓口で久々に日本人のネクタイ族と会話しましたが、やたらスノッブな連中で、節約しながら長期旅行をしている自分をさげすんだ言い方をされたのを覚えています。「この辺のホテルなら1泊200から300ドルだから100ドルTCでも変えてくれるよ、ユースホテルは知んない」だって。
これだけは時が経っても嫌な思い出です。

0006. 旅蔵 2009/04/19_00:30:32
photo1 本場CATSを見に行きました。
ここまで来るのに、チェンジ(両替)を頼まれてコインを出したらひったくられたり、シンナーか何かで前歯が溶けて無くなった奴に薄笑いで寄ってこられたり、目的地に着くまで色んなドラマがありました。
photo2 CATSシアターは撮影禁止でしたが一枚隠し撮りを試みました。ピンボケの客席しか写せませんでした。
CATSはご存知ミュージカルで、自分はミュージカルは好きでもないけど楽しんでみる方なのに、何故かいつも後からあのシーンが良かったとか全く思い出せません。しかし、このミュージカルは一つだけ忘れられないことがありました。猫の被り物を来たダンサーのうち、一番左のダンサーが明らかに太っていて、踊りに切れが無いのです。誰かの代役か、二日酔いか、あるいは、そういう演出か今でもわかりませんが、自分にとってミュージカルに記憶に残る場面があったというのは、あとにも先にもこれっきりです。
photo3 6月5日。午前中、サークルラインツアー(16ドル)に参加しました。船でマンハッタン島を一周すると言うものです。
写真はステレオ写真ですが、左右の間隔を少し空け過ぎたため、ちょっと見づらいです。ステレオ写真は一枚撮って、一息入れると船が進むので、そこでもう一枚撮ればOKです。
photo4 ワールドトレードセンター

0007. 旅蔵 2009/04/19_00:58:04
photo1 ワールドトレードセンターのステレオ写真
photo2 ワールドトレードセンターは、2001年のアメリカ同時多発テロ事件で、その最後を迎えました。テロは勿論卑劣な行為ですが、アメリカがこれほどの仕打ちを受けるほど憎まれる理由は一体なんだったのでしょうか。
photo3 自由の女神が見えてきました。
photo4 記念写真を頼んだら黒子になってしまいました。デジカメ時代の今ならこんな失敗は無かったでしょう。

0008. 旅蔵 2009/04/20_23:04:05
photo1 自由の女神
サークルツアーの続きです。
photo2 そう言えば前夜は少し怖い思いをしました。街中で知り合った大阪から来た日本人で、こちらでホームステイをしていると言う人とバーで飲んだのですが、帰りが深夜になってしまいました。歩いてAYHまで帰ろうとして、メイン通りを曲がると広い通りで車も結構走っているんですが人通りは少ないところに出ました。そこで妙な人気がして道路と反対側の雑林を見ると、雑林の闇の中に幾つかの目が光っていたのです。怖くなり、タクシーを急いで拾って帰りました。
photo3 船から見たヤンキー・スタジアム
photo4

0009. 旅蔵 2009/04/20_23:08:24
photo1 マンハッタン島を一周するサークルツアーの続きです。
この写真ではわかりにくいですが、アメリカのダウンタウンの建物はデザインがとても面白かったです。重力を無視した作りが特に好きでしたね。今では日本でも良く見かけますが当時は新鮮でした。
photo2
photo3 ツアーの様子
photo4

0010. 旅蔵 2009/04/20_23:13:02
photo1 サークルツアーももう少しで終わり。
photo2
photo3 軍艦が見えます。その後ろには、写真では見づらいですが空母も停留しています。
photo4 空母

0011. 旅蔵 2009/04/20_23:35:06
photo1 サークルラインツアーも終わりましたが、さっきの空母が近くで見たくって見に行くことにしました。
photo2 2枚の写真をパノラママーカーと言うソフトで合成してみました。複数の写真を自動的にくっつけてパノラマ写真にしてくれるソフトです。気に入ったので今後はこれに頼ることにします。
photo3 この日の午後、ボストンに向かうことにしましたが。。。
photo4 ボストンへの移動バスの一番後ろの席で熟睡していたら「ファイアー!」と言われて叩き起こされ、外に出たらこんな状態でした。後続のバスにも抜かれ、臨時のバスでボストンのAYHに着いたのが夜10:30でした。
後続のバスの乗客は、窓から顔を出して「やーい!ざまあみろ!」みたいなことを言っていました。こっちの乗客は「何だ!このやろ」みたいな感じです。勿論、どちらも笑顔です。アクシデントをお祭りとかラッキーな催し物のように扱います。一人だけ先を急いでいた黒人の人が落ち込んでましたが、基本的に乗客がスタッフに当たり散らかすようなことはありませんでした。

0012. 旅蔵 2009/04/23_23:12:48
photo1 6月6日ボストン1日観光
前夜遅くボストンのAYH(一泊14ドル)に着いたのですが、休む間もなく、この日はボストン市街を歩いて1日観光し、夜そのままバスで移動(つまりバス泊)となりました。
写真はセメタリー(お墓)です。
photo2 町を歩いていたら映画では見たことのある洋風のお墓を初めて現実に見て感動してシャッターを切ったのです。当時は何でも感動しました。
photo3 天気も良く公園も綺麗で、のんびり感が心地よかった
photo4

0013. 旅蔵 2009/04/23_23:40:40
photo1 前に行ったニューオリンズとここボストンは歴史的に確かヨーロッパからの入植者が作った町で(うろ覚えです)、その為、町の作りがヨーロッパ風だったと思います。
photo2 ボストンは教会と赤レンガと品のある白人の町といった感じです。黒人は寒さに弱く、北は寒いので少ないという話を旅行中に聞きました。オカマは二人ほど見ました。そのうちの一人はパステルカラーのメイクをした黒人のオカマでした。
photo3
photo4 写真下の道路に薄っすらと赤い線が見えるでしょうか?この赤いラインは町の観光スポットを一筆書きで網羅しており、これに沿って歩くとボストンを歩いて観光できます。徒歩観光することにしました。

0014. 旅蔵 2009/04/23_23:50:10
photo1 ボストン徒歩観光
photo2
photo3
photo4 まだインターネットのない時代で、友人に旅の便りをここから送ったのを覚えています。パソコンでメールするより手間ですが、エアメール用の薄い便箋を買って(重いと航空便は料金が高い為)、久々に日本を思い出し、郵便局で郵便局員にエアメールを頼む、この工程がより旅の情感を高め、今では懐かしく思います。

0015. 旅蔵 2009/04/23_23:56:16
photo1 ボストン徒歩観光
photo2
photo3 お気に入りの写真の1枚です。とてもかわいいおばあちゃんでした。
photo4

0016. 旅蔵 2009/04/24_00:03:22
photo1 ボストン徒歩観光。
こういう赤レンガの入り組んだ路地は何故かウキウキします。ルパンⅢ世とか母を訪ねて三千里とか宮崎駿とかのアニメの影響でしょうね。
photo2
photo3 洋風の館の裏庭のようなところに猫を発見しました。
photo4 しばらく歩くと、その猫と再会しました。(写真ぶれてて見づらいですが、檻の向こうにいます)

0017. 旅蔵 2009/04/24_00:08:23
photo1 その猫とまたまたベンチで再会。お互い暇ですな。猫は唯我独尊。
photo2 港に出ると帆船が停泊中
photo3 軍艦も泊まっていました。当時は駆逐艦だと思ってましたが、こういうのをイージス艦っていうんですよねえ。
photo4

0018. 旅蔵 2009/04/24_00:27:53
photo1 ワシントンD.C.で見た石塔をここでも発見しました。
photo2 マサチューセッツ工科大学(MIT)です。
この旅の初めに会ったアメリカ人がここの学生だと言っていたのを思い出しました。彼は自転車でマイアミからサンディエゴまで旅していました。工科大学なんて言うから、てっきりカレッジだと思っていて、Your college is very famouse.って言ったら、No! University!って言われて赤っ恥をかいたのを今でも覚えています。
photo3 街中にこんな広い川が流れています。三角に見えるのはヨットです。河川沿いをジョギングする人も多くいました。MITやボストン大学といった大学が多いせいか、若くて綺麗な女の子も目につきました。今度生まれ変わったらここに留学しようと妙な来世への予定を立てました。
photo4 夕暮れまで足が痛いのを我慢してボストンを歩き回りました。この町はクリスマスシーズンの冬にまた来たら良いかもしれない、なんて思いながらバスターミナルに向かいました。

【憧れていた頃のアメリカ(1991)②】短いけど終わり。次は「ナイアガラの滝」へ。

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