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東欧新興国②(ルーマニア・旧ユーゴ)9年6月〜7月

0001. まえだまさとし 2009/08/02_13:14:36
photo1 「東欧新興国①(チェルノブイリ原発)09/06」の続きです。

このスレッドではモルドヴァからルーマニアを経て複数の国に分裂したユーゴスラビア諸国の写真を紹介します。
photo2 (6月26日)

昨夜遅くにモルドヴァの首都キシニョウに到着し、ホテル・ザレアで朝を迎えました。
photo3 街の中心はキシニョウ大聖堂。
photo4 その横にある勝利の門。

0002. まえだまさとし 2009/08/02_13:17:24
photo1 朝のキシニョウを散歩。閉まっている店が多い。
photo2 青空市場。
photo3 中央市場は活気がある。
photo4

0003. まえだまさとし 2009/08/02_13:18:47
photo1 中央市場の総菜屋。つまみ食いをさせてもらうと日本人の口に合う懐かしい味がした。
photo2
photo3 こちらは肉屋のブース。迫力がある。
photo4

0004. まえだまさとし 2009/08/02_13:30:41
photo1 今日の夜行列車でこのままブカレストへ向かおうと駅に行ったら、今夜の運行自体がない事が判明した。明日はあるらしい。何もないこの街で連泊は厳しいし時間がもったいない。

バスでブカレストへ行くしかないのだろうか。夜行バスで出発するか考えた。でも最近夜行バスが辛く感じる。夜行バスに乗ることが辛いのではなく、たいていのバスが夜遅くに出発するのでホテルをチェックアウトしてから夜までゆっくりする場所がないのが辛い。インドのように宿が安ければもう1泊払ってでもレイトチェックアウトするのだが、物価の高いヨーロッパではそうもいかない。
photo2  キシニョウは午前中に市場や中心部の広場を見学したので、はっきり言ってもうすることはない。午前11時のバスで出発することに決めた。わずか半日の滞在だが、先を急ごう。


バスターミナルの中に窓口があり、ブカレスト行きのバスは頻繁に出ている事がわかった。値段も列車に比べてかなり安い。
photo3 バスターミナルで切符を買ったあとタクシーで急いでホテルへ荷物を取りに向かった。タクシーでホテルまで往復してもらいバスターミナルまで速やかに戻りなんとかぎりぎり間に合った。11時に出発するブカレスト行きはミニバスだ。

 
photo4 乗客は全員ブカレストへ向かうモルドヴァ人だ。ミニバスはキシニョウを出発したが、路面がガタガタで乗り心地が悪い。

0005. まえだまさとし 2009/08/02_13:32:03
photo1 2時間ほど走りルーマニアとの国境にさしかかった。出国はいたってスムーズでそのままルーマニア側の国境に向かった。
photo2 ルーマニア側の入国地点は「ALBITA」。

こちらはもうECに加盟している先進国だ。まだシェンゲン条約には加盟していないので独自の出入国システムを採用しているが、スタンプはECと同じタイプだ。また表示板などからキリル文字が完全に消え去ったので格段に旅行しやすくなる。
photo3
photo4

0006. まえだまさとし 2009/08/07_19:37:45
photo1  ルーマニアに入ってから道が少し良くなった。しばらくは走り休憩となった。ミニバスの客に大阪ベースのエアーニッポンで2年半ほどパイロットをやっていたというモルドバ人がいて知り合うことになった。
photo2 彼の名はオレグ。
旅行をしていると偶然はよくあるのでこちらはあまり驚かなかったが、僕以上に向こうがこんなところで日本人に会って驚いているようだ。

彼の第一声は「こんな所で何をやっているんだ?」だった。彼は日本での生活が懐かしいようだ。
photo3
photo4

0007. まえだまさとし 2009/08/07_19:41:53
photo1 このまま一気にブカレストかと思ったら大渋滞が起こっていた。事故かと思っていたら洪水で道路が寸断されているとの事だ。

ここのところ雨が続いているので不思議ではない。北東部への幹線道路だ。この先進めないとブカレストには行けないのではと不安になってきた。でも対向車でブカレストから来たミニバスが目に入った。

時間をかければ通過できるのだろうか。鉄道は明日までないのでどのみちここは通過しなくてはならない。とにかくキシニョウを早めに出てきてよかった。

ミニバスは要領よく渋滞した車を追い抜き、水があふれている場所までやってきた。
photo2 そしてそのまま濁流の中をゆっくり通過することに成功した。
photo3 身動きのとれなくなった車。
photo4 結局1時間ほど足止めを喰らったがなんの問題もなく通過できて良かった。

対向車は延々と大渋滞だ。
 さっきの洪水といいルーマニアは今雨期なのだろうか。その後も途中で空が真っ黒になってきて大雨が降ってきたりする。

ルーマニア辺りだと多少の雨も問題ないが、これから向かう山岳地帯の多いコソボやアルバニアで道が寸断される心配があるので注意した方がよさそうだ。

0008. まえだまさとし 2009/08/07_19:48:09
photo1 夕食はドライブインでルーマニアの民族料理を食べることにした。というかただのハンバーグだ。
photo2 途中のハプニングで1時間ほど遅れたが、まだ空の明るい9時前にはブカレストの中心部に到着した。ちょうどユニバーシティの地下鉄駅近くを通過したのでバスを降りることにした。

パイロットのオレグも一緒にバスを降りた。一緒に両替所を探したがなかったのでオレグが僕のモルドヴァレイを両替してくれることになった。1000円ほどだが今夜はこれでしのげるだろう。

彼は今はルーマニアの航空会社に勤務していて明日ローマへのフライトがあるらしい。今夜は空港近くの寮に向かうとのこと。
ここでお別れだ。
photo3 ブカレストでの滞在先は旧共産党本部近くの安宿だ。しかし第1候補の宿は閉鎖されていた。もう1軒候補があるので向かった。その途中人気のない道路を歩いたのだが、野犬が襲いかかってきた。
ルーマニアの野犬の多さはいまだ改善されていない。持っていた鞄を引っ張られ路上に吹っ飛んだ。犬はそれ以上攻撃してこなかったが、かなりびびってしまった。
ルーマニアをはじめ東欧では日没後は強盗より野犬の方が気になってしまう。ホテルは見つかり快適な部屋を確保できたが、夜はもう外出するのを躊躇してしまう。
photo4 でもブカレストの夜は今夜しかない。

幸い歩いてきた道の逆側は大通りで人気も多いので歩いていても問題なさそうだ。

とりあえず人通りの多い場所に出た。

0009. まえだまさとし 2009/08/07_19:59:38
photo1 かつてのチャウシェスク宮殿と呼ばれた巨大な建物は現在は国会議事堂になっている。

あの建物を見てみたい。この時間だとちょうどライトアップされているはずだ。まだ空は薄明るいのでいい写真が撮れるはずだ。


 タクシーを拾い国会議事堂へと向かった。パリのシャンゼリゼ通りを模した統一大通りを進み、目の前に明るくそびえる国会議事堂へとむかった。
photo2  とうとう戻ってきた。
この町には特別な思いがある。一般的な人はブカレストは旧市街など古い町並みがチャウシェスクの手によって破壊されて見所がなく、東欧で一番つまらない首都だという。

確かにそうかもしれないが僕にとっては破壊されチャウシェスクによって建造された町並みこそ東欧最大の見所の一つだと思っている。
photo3 チャウシェスク政権の終焉へと導いたルーマニア革命。その映像が僕を海外へと導いた最大のきっかけであるのは紛れもない事実だ。13年前この街に始めてきたが、当時はまだ混乱の真っ直中でこの国を落ち着いて見学できるような状態ではなかった。

今となっては国会議事堂として利用されているが、前回はこの巨大な建物をどう再利用するかも定まっていない状態だった。
photo4 宮殿の前で長いこと感激しているわけにもいかず、同じタクシーでそのままホテルまで戻ることにした。

下手に夜道を歩いて戻るとまた犬に襲われる。利用したタクシーの運転手はまじめでふっかけられることもなく、無事ホテル前まで戻ってきた。

0010. まえだまさとし 2009/08/07_20:05:04
photo1 (6月28日)
朝から日差しが強く少し蒸し暑い感じの晴れだが、この天気がいつ崩れるかわからない。もしかしたら昨日のような豪雨になる可能性もあるので晴れているうちに早く行動した方がよさそうだ。まずすることは次の目的地セルビアのベオグラードへの切符を買うことだ。メトロに乗って駅へ向かった。

ブカレストのメトロは周辺の旧共産圏国家の首都のように旧ソ連製地下鉄ではなく、ずいぶんモダンで乗り心地がいい。おそらくドイツ製なのだろう。チャウシェスクが旧ソ連とも距離を置いていた証なのだろうか。車内には次の停車駅がデジタル表示され使いやすい。
photo2  ブカレスト北駅にやってきた。

 切符はすぐに購入できた。窓口は普通に英語が通じるのでやりとりは至ってスムーズだ。
photo3 そのままメトロで国会議事堂へ向かった。かつてのチャウシェスクの宮殿。13年前来たときは混乱期のまっただ中でこの建物は「国民の館」と呼ばれ、今後どのような施設として利用するか模索している段階だった。
それが今では国会議事堂やコンサートホールとして利用されている。
photo4 そして今回、内部を見学できるようになっている。

0011. まえだまさとし 2009/08/07_20:09:02
photo1 正面右側のゲートが入り口だ。建物が巨大すぎて入り口まで行くのが大変だ。
photo2 建物の内部。

内部見学はツアー形式で英語ガイドを伴って1時間の行程だ。料金は15レイ(540円)とカメラ代が30レイ(1080円)と総額はけっこう高い。
日曜日ということでかなり混雑している。
ブカレスト観光のコースになっているのか大半は観光バスで乗り付けてくる。
photo3
photo4

0012. まえだまさとし 2009/08/16_19:44:05
photo1 宮殿の内部へ。
部屋は3000室以上あり、一般公開されているのはそのわずかにすぎない。全く利用されていない部屋も多く存在する。

ここは会議場。国際会議などでよく利用される。
photo2
photo3 別の会議場へ移動しガイドの説明を受ける。
photo4 廊下も広々としている。

0013. まえだまさとし 2009/08/16_19:46:57
photo1 カーペットの敷かれた広い部屋。
photo2 こちらは通路だが、部屋との見分けがつかないほど広い。
photo3 こちらは窓がある部屋。
photo4 宮殿の階段部分も豪華なつくりだ。

0014. まえだまさとし 2009/08/16_19:53:41
photo1 天井部分に自然光が入り込むよう設計されている部屋もある。
photo2 こちらはコンサートホールに使われているようだ。
photo3 国会議事堂は豪華な内部を案内され、最後は統一大通りを見下ろすことのできる、テラスへでた。
photo4 この宮殿の建築を指示したチャウシェスクにとってブカレストは自分のものだといわんばかりの眺めだ。ただチャウシェスクはこの宮殿が完成する前に処刑されてしまったのでこの宮殿に住むことはなかった。

ルーマニア革命時7割ほど完成していたこの宮殿だがその後も建設は続けられ、現在完成している。

0015. まえだまさとし 2009/08/16_19:55:31
photo1 国会議事堂(国民の館)から見た統一大通り。
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photo3
photo4 EUとルーマニア国旗。

0016. まえだまさとし 2009/08/16_19:59:13
photo1 見学を終え外へ出た。
国会議事堂の外観。
photo2 その後統一大通りを統一広場の方へ向かって歩いた。かつて高級官僚用の住宅だったらしいが、今では空き部屋も目立ち落書きを去れ少し治安に問題がありそうな部分もある。
photo3 路上生活者こそいないが、いずれスラム化しそうな様相だ。
photo4

0017. まえだまさとし 2009/08/16_20:01:50
photo1 統一広場から見た統一大通り。
photo2 統一広場には路面電車が乗り入れている。ここまで来ると人の往来も激しく活気がある。
photo3 統一大通りと国会議事堂。
photo4

0018. まえだまさとし 2009/08/16_20:08:28
photo1 統一広場を離れ、地下鉄で凱旋門へ行ってみた。第一次世界大戦の勝利を記念してたれられたようで1922年建立。
photo2 その後ルーマニア国営テレビだった建物へ行ってみた。1989年の革命時革命派がテレビ局を押さえたことで全土の人に正確な状況を伝えることができた。
photo3
photo4

0019. まえだまさとし 2009/08/16_20:11:01
photo1 ブカレストの目抜き通り「マゲル通り」のエベレストというレストラン。
photo2 昼食はカルボナーラ。700円ほどと西欧に比べると割安だが、ルーマニアの物価も高くなったものだ。

しかし量が多い。
photo3
photo4

0020. まえだまさとし 2009/08/16_20:15:25
photo1 ブカレストで滞在したHOTEL CARPATI。1泊30ユーロ(4000円)だが、ブカレストでは最安値の部類だ。街の中心にあり、町歩きには便利だ。
photo2
photo3
photo4

0021. まえだまさとし 2009/08/21_19:41:27
photo1 ホテル近くの革命広場には旧共産党本部だった建物がある。
革命直前チャウシェスク大統領がここから演説しているとき、国民の歓声が罵声に変わり、チャウシェスクはそれに恐れをなして屋上からへりで逃亡したルーマニア革命を象徴する建物だ。
photo2
photo3 へりで逃亡の様子。
(1989年12月22日)

あれから20年の月日が過ぎた。
photo4

0022. まえだまさとし 2009/08/21_19:48:42
photo1 夕方チャウシェスク大統領の墓地があるところへ行こうとしたがバスが見つからず苦労した。墓地行きのバスをなんとかみつけた頃には今度はバスの切符を買う窓口が閉まっている。そうこうしているうちに時間がたち、行くのはあきらめた。

チャウシェスク大統領に花くらい捧げたかった。
photo2 それにしてもルーマニアはずいぶんまともな国になった。チャウシェスクの子と呼ばれるストリートチルドレンは大人になったこともあり全く見ない。物乞いも目に見えて数は減っている。地下道や地下鉄の駅、北駅を歩いていてもなんの緊張感もない。唯一の欠点は野犬の多さだろうか。

革命から20年。最悪期は脱したのだろう。前回訪問したのはまさに最悪の混乱期だったのは間違いない。チャウシェスクの記憶も若者からは歴史上の人物へと変わりつつあるのだろう。
photo3  今日一日雨は持ったが、夜七時を過ぎてとうとう降り出した。雷もなっている。ホテルからどうやって駅へ行くか悩むところだ。でも雨は小降りなので傘をして駅へ向かった。
 ブカレスト北駅には一時間前に到着したのでKFCで夕食を食べることにした。

 21時21発のベオグラード行きはおそらく14年前利用して車内巡回の警官にからまれモノをせびられたのと同じ列車だ。さすがに今回はあのようなことはないだろうが、今となっては懐かしいい思い出だ。
photo4  3段の寝台車で車両はセルビア仕様。車掌もセルビア人だ。少し窮屈だがすぐ寝るので問題ない。

ホームにまで野良犬がいる。

0023. まえだまさとし 2009/08/21_19:54:11
photo1 (6月29日)

 翌朝6時前、列車の走行中にルーマニアの出国審査があった。その後別の場所で停車しセルビア入国だ。

ずっとユーゴスラビアと呼んでいたのでセルビアという国名には少し違和感がある。セルビアに入り再びキリル文字の世界に逆戻りだ。ルーマニアとセルビアには時差が1時間ある。ブカレストからの客車はいつの間にか2両編成になっていて前に何両かセルビアの車両が連結されている。
photo2 やがてベオグラードが近づいてきた。ドナウ川にかかる鉄橋を渡る。
photo3 かつて複線だったのが戦争で鉄不足になったのか、理由は定かではないが線路ははぎ取られていた。
photo4

0024. まえだまさとし 2009/08/21_19:56:59
photo1 列車はかなり遅れ、11時前にベオグラードの駅に到着する。
スイッチバックして行きとまり式ホームへ滑り込む。
photo2 ベオグラード。
photo3 セルビア国鉄の機関車。
photo4 相変わらず首都とは思えない簡素な駅でホームには屋根もないので雨が降ったら大変だ。駅舎もこぢんまりとしていて最低限の施設しかない。

0025. まえだまさとし 2009/08/21_20:02:32
photo1  ベオグラードに長居はするつもりはなく、今日このまま旧ユーゴスラビアの構成国だったモンテネグロへ移動しようと思っていた。しかし宿泊代を抑えるのと久々のベオグラードに懐かしさを感じたこともあり、今夜の夜行でモンテネグロの首都ポドゴリツァへ向かうことにした。かといって夜まで駅で荷物を預けて街を歩き続けるのは大変だ。雨など降ろうものなら悲惨な状況になってしまう。
 ここ最近ベオグラードには施設のホステルが増えている。そんな中、駅前のホステルに夜まで滞在することにした。
この建物の最上階がホステルだ。
photo2 荷物を置かせてもらい、ベッドを与えられるので昼寝もできてシャワーも浴びられる。さらにこの宿は無線ランが自由に使えるので休憩するにはもってこいだ。1泊10ユーロ(1300円)のところ夜に出発するので安くならないか聞いたら7ユーロ(910円)になった。でも洗濯をお願いしたいのでランドリー代込みで10ユーロということで話がまとまった。

部屋の窓からはベオグラード駅を見下ろせる。
photo3  まず駅へモンテネグロへの切符を購入しに向かった。目的地は首都ポドゴリツァ。モンテネグロはつい最近までユーゴスラビア連邦の構成国でセリビアとは同じ国だった。ユーゴスラビア連邦は最終的にセルビア・モンテネグロ共和国と名前を変え、その二つも分離独立して完全に解体して今に至っている。

さらにセルビアの中のはコソボ自治州があり、これも独立することになったが、これに関してはアメリカや日本は承認しているが多くの国は反対の立場で不安定な状態だ。
photo4 そんなことからモンテネグロのポドゴリツァ行きの列車は国際線だが、今まで通り国内線の窓口で購入できるようだ。昨夜に続いてまた寝台車にしたが値段は4400円ほど。かなりの距離を走るので安いし宿代が浮くのはありがたい。

0026. まえだまさとし 2009/08/24_20:56:53
photo1 久々のベオグラード。11年ぶりになる。前回はユーラシア大陸横断の際、ブルガリアからボスニアへの通過地点として立ち寄った。あのときも宿泊することはなく荷物を預けて街を徘徊して疲れた思い出がある。かつてはブルガリアやルーマニアから来たらずいぶん洗練された街だと思ったが、今ではその雰囲気は逆転してしまった。

10年前のNATOによる空爆。その後国際社会から取り残され、EUに入る道筋すら見えない。この国自体悪くはなっておらず足踏み状態なのだろうが、今ではヨーロッパ最貧国に陥ってしまった。

かつての最貧国だったルーマニアが急速に発展したからそう思うだけだろうか。
photo2 共和国広場周辺。一国の首都だけあり、街の中心は人が行き交い賑やかだ。
photo3 国会議事堂。
photo4 とはいえベオグラード市内をオープントップバスが走り、観光に力を入れているのが伺える。

0027. まえだまさとし 2009/08/24_20:59:51
photo1 今回ベオグラードに新たな見所が加わった。負の遺産だがNATOによる空爆を受けた旧政府施設だ。1999年4月、ちょうど10年ほど前になる。

 空爆でユーゴ連邦内務省とセルビア共和国内務省は、巡航ミサイルトマホークを7発食らった。標的にされた原因は悪名高いセルビア治安部隊を管轄していたからだ。

 ビル内部は全壊し、外観の一部崩壊している。部分的に火災もおこした。空爆時、省内には人がいなかったため、人的被害はなかった。
photo2
photo3
photo4 こちらも空爆を受けた政府機関。

0028. まえだまさとし 2009/08/24_21:01:29
photo1  セルビア政府はあの悲劇を忘れないよう保存しているのか。空爆を受けた建物は4カ所ほど残っている。街の目抜き通りにそびえ立ち、少し不気味な雰囲気を醸している。
photo2
photo3
photo4 落書きにキリル文字で「コソボ・セルビアPC」とか書かれているが。PCは平和の意味であってほしい。

0029. まえだまさとし 2009/09/04_21:44:41
photo1  出発は夜の10時。昼間だけでもホステルに滞在できると快適だ。時間が経つのが早いし疲れも取れる。このような使い方は今までしなかったが、割安なホステルなら今後この方法も利用価値が高い。

写真はベオグラード駅前の昔ながらの町並み。

まだ薄明るいベオグラード駅へ向かった。
目の前が駅なので便利だ。
モンテネグロのポドゴリツァ行きの列車は既に入線している。
列車は定刻通りに出発。
photo2 (6月30日)
夜中の3時頃、列車は停止しセルビアの出国とモンテネグロの入国審査が順番にやってきた。今まで同じ国だったのだから二国間の出入国だけでも無くせばいいのだが、余計な手間が増えて時代に逆行している気がする。おかげで列車の所要時間が長くなってしまった。
 外は明るくない、窓の外に目をやると山岳地帯の山の斜面を走っていた。絶景だ。
photo3 幾度となくトンネルを越え、南を目指す。
photo4

0030. まえだまさとし 2009/09/04_21:47:46
photo1 このような場所にもオスマン帝国の影響かトルコ橋が見られる。
photo2 そのままモンテネグロの首都ポドゴリツァに到着した。1時間以上遅れての到着だ。
この列車はこのまま海岸沿いのバールという街まで向かう。
photo3
photo4 ポドゴリツァ駅もベオグラード同様簡素な駅で地方都市の小さな駅にしか見えない。駅前も殺風景ではっきり言ってド田舎だ。一国の首都とは思えない。この街には立ち寄ることはなくそのまま駅の横にあるバスターミナルからアドリア海沿岸の街コトルへ向かう。

0031. まえだまさとし 2009/09/04_21:51:04
photo1  今日目指すコトルはアドリア海に面した要塞都市でドブロブニクなどとにたような感じの歴史都市だ。モンテネグロでは数少ない世界遺産に登録されている街でもある。ポドゴリツァをすぐに出発するバスがあるようで切符を買ってすぐに乗り込んだ。コトルまでは7ユーロ。モンテネグロはユーロに加盟していないが、通貨はユーロを使用している。そのせいか物価が高く感じる。
photo2  バスは山岳地帯を走り、途中モンテネグロ屈指のリゾート地でもう一つの歴史都市でもあるブドヴァを経由した。峠を越え眼下に広がるブドヴァの街はビーチリゾートだが、その一角に海へ突き出た旧市街の城壁があり、ここもドブロブニクを彷彿とする。
photo3 ただブドヴァの旧市街は小さすぎて街として機能していない。
photo4  ブドヴァを経て走ること40分。ポドゴリツァから2時間でコトルのバスターミナルに到着した。バスターミナルは旧市街から少し離れているので歩いて向かった。

0032. まえだまさとし 2009/09/04_22:00:14
photo1 コトルのバスターミナル。
photo2 コトルはヨットハーバーを背に城壁を持つ断崖が迫る光景はアドリア海沿岸のリゾート地に共通する光景だ。そしてここコトルも例外ではなく観光リゾートである。
photo3
photo4

0033. まえだまさとし 2009/09/04_22:07:33
photo1 コトルの城壁とヨットハーバー。
photo2
photo3 正門から城壁内の旧市街へ。
photo4 正門の向こうは時計塔などがある広場でレストランなどがあり、観光客でにぎわっていた。

0034. まえだまさとし 2009/09/04_22:11:56
photo1 コトルは観光地の割に宿泊施設は限られている。旧市街の中にはホテルが2軒しかないようだ。
ここは割り切って1泊1万円近く出すことにした。それでもコトル旧市街では一番安い宿になる。旧市街に埋もれるようにたたずむように「ホテルマリア」。
photo2 宿の数は限られているが混雑しているようなことはなく好きな部屋を選べた。
部屋からの眺めは悪くない。
photo3 部屋の設備に関して値段の価値があるか微妙だが、立地条件でこの出費は納得するしかない。エアコンや冷蔵庫付きで水回りはよく、おそらく今回の旅行で一番快適なシャワーというかんじだ。
photo4 ホテルマリア(右)の外観と聖堂。

0035. まえだまさとし 2009/09/28_21:51:58
photo1  昼食はピザ屋へ。旧市街の中は観光客向けのレストランが多い。ピザとジュースで5ユーロ。流通通貨がユーロなのであらゆる物が高く感じる。
photo2 コトルの旧市街は教会や細い路地など見所はコンパクトで1時間もあれば一周できてしまう。
photo3
photo4

0036. まえだまさとし 2009/09/28_21:56:46
photo1 その後コトル旧市街の全方を眺める事ができる標高250メールの要塞まで登ってみることにした。旧市街の裏手に登山口がある。
photo2 山頂までは20分ほど。
photo3 頂上の城壁からの眺めはすばらしい。アドリア海に突き出たコトルの港と赤い屋根の旧市街がここまで来て良かったと思わされる眺めだ。
photo4 アドリア海沿岸にはこのように城壁に囲まれた旧市街が多い。

0037. まえだまさとし 2009/10/06_20:50:09
photo1 要塞の窓から見下ろすコトル旧市街。
photo2
photo3 街へ戻ってきた。
photo4

0038. まえだまさとし 2009/10/06_20:52:48
photo1 コトルに来たのは要塞からの眺めを堪能するためだったが、あとは特にすることはなく旧市街を散策することにした。
photo2 大半の観光客はこの街を素通りしてしまう。
photo3
photo4 夕方になっても車で来ている人は多く、比較的人通りは多い。

0039. まえだまさとし 2009/10/06_20:55:32
photo1 この時期、日照時間は長く夜10時をすぎてもこんな感じだ。


時計塔広場周辺のレストランは遅くまで営業していて日没後もにぎやかな街だ。
photo2
photo3 ヨットハーバーは夕日に染まり美しい。
photo4 コトルの城壁。

0040. まえだまさとし 2009/10/06_20:58:37
photo1 せっかくコトルに宿泊しているのだから、日没後の旧市街やライトアップされた城壁など見ておかないともったいない。
旧市街の正面ゲート。
photo2 堀には逆さまに城壁が映る。
photo3 時計塔広場。
photo4 旧市街は遅くまで人通りが絶えない。

0041. まえだまさとし 2009/10/06_21:03:08
photo1 こうやってヨーロッパの町歩きをのんびりできるのは今日までだ。

明日からどうなるのか不安は大きい。

予定通りコソボとマケドニアに行けるのか。いままでモンテネグロからコソボに抜けられると勘違いしていた。でも現実にそのような人の往来があるはずはなく、一度アルバニアへ入らなくてはならない。そのアルバニアへ行くのがきわめて不便だとここに来て知った。モンテネグロはセルビアほどではないが、アルバニア人と仲がいいとは言えない。コソボ独立前の旅行ガイド「ロンリープラネット」を持ち歩き、内容を真に向けていたのが失敗だ。コソボが独立して1年3ヶ月。情勢は大きく変わってしまったようだ。ロンプラの情報をよく読んだら全く当てにならないことがわかってきた。
幸い地球の歩き方の情報が新しく少しは信憑性があり、これを頼ることになる。

とりあえず明日一度アルバニアへ入ることになる。
photo2
photo3
photo4

0042. まえだまさとし 2009/10/06_21:12:12
photo1 (7月1日)

今日から7月。8時半に宿を出発。コトルバスターミナルへ向かった。

8時58分発のバル行きに乗りこんだ。バルはアルバニアに近い港町だ。首都ポドゴリツァを経由せず、ダイレクトでむかえるようだ。朝のラッシュなのかブドヴァまで満席状態だ。
photo2 その後席に余裕ができ一路バルを目指した。途中ミニドブロブニクのような場所を通過。

スヴェティ・ステファン島という陸繋島で時間があれば立ち寄りたかったが、昨日までこの場所の存在を知らなかった。かろうじてバスの中から見られてよかった。この辺りは魅力的な場所が多い。
photo3  バールに到着。
photo4 バールからさらに別のバスで国境近くのへ行くことになるが乗ってきたバスがそのまま国境の町ウルツィニ行きになった。しかもこのバスはバールからの時刻表には出ていないのだが。どうなっているのかわからないが得した気分だ。

バールで約1時間休憩したあと同じ車掌と運転手が乗り込みウルツィニへ向かった。他にもアルバニアに向かう旅行者が同じバスに乗っている。スムーズに国境を越えられるか不安だったが、心配するほどでもなかったようだ。

 最悪タクシーをシェアしたりすることも可能だろう。

0043. まえだまさとし 2009/10/06_21:17:41
photo1 30分後にウルツィニに到着。

モンテネグロの辺境地であるウルツィニに到着したのはコトルを出てから3時間半後の12時半。ここからアルバニア領へのミニバスは別の場所から出ているという情報を持っていたが、同じバスターミナルから出発するようで隣にアルバニア国籍のナンバーをつけた大型バスが停まっていた。

運転手と車掌は当然アルバニア人で少し今までと違う雰囲気がある。バスは10分後の出発で信じられないくらい乗り継ぎがよく、アルバニアへ向け走り出した。
photo2  国境への道はすれ違いもままならないほど狭い山道でいかにアルバニアと旧ユーゴスラビアの交流が薄いか伺える。

ちなみにアルバニアは欧州最貧国で長年鎖国状態だった。全く未知の国であり、不安も大きいが楽しみでもある。
photo3 国境沿いの山岳地帯は景勝地になっている。
photo4 モンテネグロの出国ゲートにさしかかった。車で混雑していたがバスは優先的に通過できるので10分ほどで通過した。

その後アルバニアの入国審査がなかったようだが大丈夫なのだろうか。

0044. まえだまさとし 2009/10/06_21:20:15
photo1 のんびりした田園地帯の中を走り、アルバニア側の都市シュコダルまでは1時間半ほどだ。
町並みが急に貧乏くさくなってきた。

写真はシュウコダルの手前の橋。いよいよアルバニアに入ったと実感がわいてきた。
photo2 以上
東欧新興国②(ルーマニア・旧ユーゴ)9年6月〜7月

【 お わ り 】
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