旅BBS (テキスト版)
tabibbs.com
旅BBS(本体) は、 ここをクリック
※このページは、旅BBS『画像掲示板』のテキストページです。 旅BBS『画像掲示板』本体へは、ここをクリックしてお進み下さい。

旅BBSメニュー>海外情報ノート
カリブ海の独立国をめぐる②(ハイチ、ドミニカ共)

0001. まえだまさとし 2010/10/28_00:33:38
photo1 【10月23日(土)】

 4時半に宿を出発。しかし宿で紹介された運転手は酔っぱらいで運転は荒いし最悪だった。しかもガソリンを入れようとした時、支払いを求められ、ジャマイカドルがないと不機嫌になった。宿の人は米ドルで大丈夫だと言ってたのに。宿の鍵をこの男に渡したが大丈夫なのか。

 信号無視を繰り返していたためか警察に捕まった。飲酒運転がバレここで足止めを食らい空港に行けないんじゃないかと不安になったが、10分ほどで解放された。しかしとんでもない運転手だ。日本人宿の紹介だというのが悲しい話だ。
photo2  空港には事故ることもなく無事到着し、運転手はおとなしく帰ってくれて一安心だ。
 結果的には猛スピードで来たためかなり早く着いてしまった。まだ2時間以上あるがチェックインをすませ出国審査をすませた。キングストンの空港は新しく土産物屋やフードコートもあり値段は町中と同じなので良心的だ。ここのファーストフードでジャマイカドルを使い切ることができた。

 7時25分発のアメリカン航空マイアミ行き。機材はB737。
photo3  キューバ上空を経由してマイアミには1時間半で到着。一度アメリカの入国審査を受けることになる。入国目的でハイチに行くと言うと相変わらず「何しに行くんだ?」と怪訝な表情をされる。アメリカ人にとってハイチはとんでもない場所だというイメージがあるのだろう。実際は行ってみないとわからない。

 マイアミでは町に出ることはせず、そのまま搭乗口に向かった。たぶん機内食が出ないので空港で食べておかなくてはならない。しかし搭乗口の中は外に比べて高いということに気づいたが手遅れだった。
photo4 仕方なく寿司バーの弁当に10ドルも出してしまった。これからハイチに行ってしまうとまともな食事にありつけないかもしれないので奮発するのも悪くないだろう。しかし量が少ない。

0002. まえだまさとし 2010/10/28_00:36:37
photo1 割り箸を使う際の注意書き。
photo2  ポルトープランス行きのゲートに着くとずいぶん貧乏くさい白人が目についたのが印象的だ。ジャマイカやバハマのように裕福そうなバカンス客とは明らかに様子が違う。仕事や援助でカリブ海の島に行く白人は身なりもくたびれているということだろうか。とにかく汚いリュックを背負っている白人がいると親近感を覚える。またなぜかカジュアルな格好をした若者が多いのも気になる。
 ポルトープランス行きのアメリカン航空機はB767と大型だ。カリブ路線で大型機を使っている路線があったのには驚きだ。地震の影響で人の行き来が活発になっているからかもしれない。僕の席はプレミアムエコノミーでリクライニングの角度が急でレッグレストがついていた。でもポルトープランスには1時間半だ
photo3  現地時間の3時にポルトープランスの国際空港に到着した。天気は晴れ渡り穏やかな気候だ。ポルトープランスの町は丘の上にまでスラムがひしめき、雨期にもかかわらず誇りっぽくスモーキーな印象の町だ。

 空港周辺ですらまともな建物が見あたらない。でも空港ターミナルはボーディングブリッジもある立派な建物だ。しかし到着ターミナルは地震の影響で使えないようで離れの倉庫のような建物にバスで移動させられた。ここで入国審査を受けることになる。ハイチの入国カードの渡航目的の欄に観光がなかったのがハイチらしい。本当に観光で来る人はいないようだ。とりあえず「OTHER」の欄にチェックを入れることにした。さすがにハイチでは質問されることもなく行列の進みも速い。僕のバスポートにもすぐにスタンプが押された。
photo4  さて入国したもののホテルはあるのか。またあった場合いくら位するのか。今僕が持っている情報は地震が起きる前のものしかない。また地震によって宿事情も大幅に変わっている可能性もある。明らかに宿不足になっているはずなので今まで比較的安かった宿も値上げされていてもおかしくない。結局空港のタクシーに頼るしかない。
 到着ロビーを出るとタクシー運転手が声をかけてきた。一応IDをつけているのでちゃんとしていそうだが値段は高そうだ。タクシー運転手にホテルについて聞いたら最安で空港の近くのホテルが50ドルとのことだ。震災前は比較的快適な安めの宿があった山の手のペチョンビルは安くても150ドルはするらしい。それなら空港近くの宿に泊まるほかない。

0003. まえだまさとし 2010/10/28_00:40:48
photo1 しかし場所はわからず運転手にいわれるままに20ドル払うことになった。またしても近い宿に高額を払ってしまった。地図と情報がないと高くついて仕方ない。

 道路にはUN表示の国連の車が多い。
 
 空港近くの50ドルの宿は外観は城みたいでセキュリティーもしっかりしていそうだ。部屋は広々していてファンもあり快適だがお湯は出ない。でもハイチは暖かいので問題ないだろう。
photo2 50ドル出して水シャワーというのもハイチらしい。時折断水することもあるみたいだが、このホテルは自家発電があり、周辺の家が真っ暗でもこのホテルだけは電気が止まることがないのは高い金額を出した価値はある。
 フロントでニューヨーク在住のハイチ人がいて何しに来たのかと言われ「観光に来た」と言ったらまた驚かれた。明日の朝ダウンタウンに行くなら安全だとのことだ。でも明日は日曜日だ。中南米で日曜日はダウンタウンがゴーストタウン化する。ただハイチには日曜日という概念はないだろう。でも計画通り日曜日をこの町に合わせたのは正解だったようだ。
photo3  もう4時を過ぎているので今からダウンタウンに行くのは不可能だ。ホテル周辺を散策してみることにした。空港の方に戻る途中にモールがあり、スーパーマーケットがあった。空港で両替ができなかったのでここで両替できるか聞いてみたらレジでそのまま使えるようだ。ちなみにレートは1ドル=39ハイチグー。この国にはATMもなさそうだ。お金に関しては基本的にどこでも米ドルを使えそうなので小額紙幣を崩していくのが良さそうだ。
photo4  宿周辺はあまりおもしろい場所が無くがっかりしながら戻ろうとしたら反対の方に食べる場所があると教えられた。空港から来たので空港の方にばかり目がいっていたが反対側には庶民の露天が広がり、安めのレストランも発見した。

 基本的に庶民レベルでは英語よりスペイン語の方が通じやすい。フランス語が一番通じるのが言うまでもないが。またこの周辺からはどこかに向かうタプタプ(乗り合いバス)もたくさん出ている。ホテルの場所はかなり便利かもしれないと急に元気が出てきた。

0004. まえだまさとし 2010/10/28_00:44:25
photo1  西半球最貧国といわれるハイチ。アフリカ旅行からそれほど経っていないので町の雰囲気にあまり抵抗はない。ただこの国のゴミの量は半端ではない。
photo2  夕食は近くのファーストフード風のレストランで牛肉のサイコロステーキと焼きバナナを食べることにした。サイコロステーキはジャマイカのジャークソースと似た感じの味付けでおいしい。見た目の量は少ないがちょうどいい感じだ。夕食には3ドルほど使ってしまい値段は思ったほど安くない。
 
photo3 6時には完全に日が暮れてしまった。道路沿いは街灯もなく真っ暗で歩くのは危ない。車のヘッドライトが唯一の明かりになり、交通量が多いので外出は危ないのでさけた方がいい。ただ人通りは多いので治安に関しては問題なさそうだ。
 夜間は頻繁に停電になっているようで電気が消えたあとすぐに自家発電に切り替わるが、どの状態が自家発電かわからないくらい頻繁に停電が発生する。
 とりあえずハイチでは朝早い行動が肝心だ。しかし部屋のファンが止らないのが困りものだ。動かないよりましだが。また夜中は断水してしまったのでトイレの水を流せない。
photo4

0005. まえだまさとし 2010/10/28_00:48:21
photo1 【10月24日(日)】

 今日も朝からいい天気だ。風もなく穏やかなのでハリケーンは完全に逸れたようだ。果たして日曜日は町に活気があるのだろうか。
 昨日入国したハイチ僕にとっては131カ国目の訪問国になる。ハイチは新大陸で初めて独立を達成した黒人初の共和制国家と世界史で習ったはずだ。独立したのは1804年。フランスからの独立だ。ただ独立が早かったことがよかったのかと考えるとそうとはいえない。
 独立できたのは宗主国のフランス革命直後の混乱期に乗じたに過ぎない。その独立があまりにも早かったため、それが裏目に出て現在の未成熟な社会基盤へとつながっているのも確かだ。
photo2 その後、独立した新大陸の国々は植民者によってある程度のインフラが整備されたあとの独立することになった。産業革命以前に独立してしまったハイチにはその技術やインフラを手に入れるすべはなかった。その後現在に至るまでハイチの混乱は続いている。西半球最貧国といわれ続け、ここ最近は政治的には安定していたように思う。しかし昨年1月の大地震。この国は運にも見放されてしまった感もある。そんな国に旅行者としく来る人は限られ情報はほとんどない中での訪問となった。
photo3  そんなハイチの首都ポルトープランスの観光に出かけることにした。8時過ぎにタプタプでダウンタウンへ出ようと思った。しかし地図が無く言葉も通じないので大変だ。ダウンタウンに向かっていたつもりが山の手のペチョンビルに来てしまった。ペチョンビルは山の手の高級住宅街だと聞いていたがゴミと人に埋もれた汚い町でしかない。


 ここから大型バスがセントロへ出ていて乗り込んだ。
photo4  海に向かった坂を下すのはキングストンと同じだ。

0006. まえだまさとし 2010/10/28_00:49:40
photo1 ペチョンビルではあまり地震で崩壊した家は目立たなかったが、海に近づくにつれ廃墟になった家や崩れたままの家が目につくようになった。失礼だがもともとこの国は廃墟みたいな建物が多いのでどれが地震で崩れたのかわからないと言うのが正直なところだ。
photo2 ダウンタウンのモニュメント前に到着した。
photo3
photo4

0007. まえだまさとし 2010/10/28_00:51:07
photo1  でもセントロ地区は明らかに地震で崩壊したと思われる建物ばかりだ。時折更地になっている場所もあるが大半の建物は崩れたり傾いたままで復興の手は全く入っていない。これだけひどいとどこから手をつけていいのかわからない状態だ。
photo2
photo3
photo4

0008. まえだまさとし 2010/10/28_00:52:31
photo1 高層建築は崩れかかり危険極まりないが、その下では人が普通に行き交う。
photo2
photo3
photo4

0009. まえだまさとし 2010/10/28_00:53:57
photo1 もちろん電気や水道はあるはずもなく、そんな中でもここではたくさんの人がたくましく生活している。
photo2
photo3
photo4

0010. まえだまさとし 2010/10/28_00:55:10
photo1 傾いた建物。
photo2
photo3
photo4

0011. まえだまさとし 2010/10/28_00:57:36
photo1  ここのところ雨が降っていないようで路面状態は悪くないが、それでも水溜まりが多く、汚水はヘドロとなり散乱したゴミに融合して悪臭を放っている。

 糞尿の臭いが鼻を突くヘドロの水溜まりばかりの道はとてもサンダルでは歩けない。


 しかし天気がよくてこの状態なので雨が降ったらどんな悲惨な状態になるのか想像もしたくない。
photo2  立ち往生した車。
photo3 廃墟と化した町の中心部。
photo4

0012. まえだまさとし 2010/10/28_00:59:13
photo1 ここはポルトープランスの目抜き通りだった場所で古い建物も多く残っていた。しかし全部壊滅してしまった。
photo2
photo3
photo4

0013. まえだまさとし 2010/10/28_01:00:37
photo1 ポルトープランスの政治の中心となっていた広場「シャンプ・デ・マール」に行ってみた。

豪華な白い建物が周りの町並みと不釣り合いだと評判の悪かった大統領宮殿がある場所だ。

大統領宮殿は「パレス・ナシオナル(国民宮殿)」と呼ばれ、名前だけを見るとルーマニアのチャウシェスクの宮殿を思い出してしまうが、この建物も地震で崩壊してしまった。大統領は幸い外出中で無事だったようだが、このニュースは日本でもよく報道されていたので印象に残っている。
photo2
photo3
photo4

0014. まえだまさとし 2010/10/28_01:03:08
photo1  大統領宮殿やシャンプ・デ・マール周辺の空き地にはマーケットが多いなと思っていたらすべて仮設住宅だったのだ。ビニールシートの中ではたくさんの人が援助を待ち続けている。

もともと仕事のない経済の崩壊していた国だ。どこから手をつけていいのか誰もわからない。こんな状態でも人々は明るく生活している。
photo2  地震からは10ヶ月以上たつが大統領宮殿も崩れたままだ。全く工事の手は入っていない。民主主義国家で住民に今だに復興の手が行き渡っていない現状でこの建物が再建されることはないだろう。それは当然のことだ。
photo3
photo4

0015. まえだまさとし 2010/10/28_01:04:43
photo1  ポルトープランスの主要な見所だったノートルダム寺院も倒壊し、原形がどのような形だったのかわからないような惨状だ。
photo2
photo3
photo4 白い壁が重厚な建物だったのだろうが今では見るも無惨な姿に変わり果てている。周辺ではユニセフの活動が行われてた。

0016. まえだまさとし 2010/10/28_01:06:05
photo1 白い壁がまぶしいポルトープランスのノートルダム寺院。
photo2  ノートルダム寺院の正面にある広場は避難民のテントが張り巡らされ周辺にはマーケットが開かれている。
photo3
photo4

0017. まえだまさとし 2010/10/28_01:07:19
photo1  町のランドマークだった元々廃墟のテレコムセンターは地震を機に取り壊され、更地になっていた。

 その周辺からペチョンビル行きのバスが出ているので乗り込んだ。
photo2
photo3
photo4

0018. まえだまさとし 2010/10/28_01:11:29
photo1  ペチョンビルはポルトープランスが崩壊してしまったので事実上の首都だ。ただペチョンビルは昔から大使館や外資系企業が拠点を置いていた。ドミニカ共和国へ向かう国際バスもペチョンビルから出発するのでバス乗り場を探すことにした。
 歩いても探せそうだったがバイクタクシーで連れて行ってもらおうとしたら全然違う場所にあるホテルに連れて行かれた。その場所はカリブホテルだった。カリブツアーと勘違いされてしまった。ホテルは町からずいぶん離れた場所になる。ちなみに1泊150ドル。

とりあえず幹線道路に出たら警官がいてペチョンビルの行き方を聞くことにした。

写真はバス会社と警官。
photo2 すると警官は自分の車を出してくれ、バス会社の前まで送ってくれた。

バス会社は日曜日で休みだった。予約は明日でも大丈夫だろうということで警官にはついでにダウンタウンに向かうバス乗り場まで案内してもらった。警官にヒッチハイクさせてもらうのはなかなかできない経験だ。ハイチは観光客がいない国なのでこのくらいの甘えは許されるだろう。警官も観光客が珍しかったのかもしれない。

ハイチの警官は誠実で感心した。
photo3 ダウンタウンに戻る前にペチョンビルの町を散歩することにした。ペチョンビルもダウンタウンと同じように町中にゴミがあふれ露天がひしめいている。このあたりは地震の被害はないようで少し中心から離れると閑静な住宅街はある。とはいえハイチなのでどこに行っても道端は汚い。
 ペチョンビルのにぎやかなとおりに面した場所に安めの宿を発見した。明らかに連れ込み宿だが1泊15ドル以下だ。さすがに今泊まっている50ドルの宿は一刻も早く出たいが、今日はすでに午後になってしまった。チェックアウトするには遅いので今夜は泊まらなくてはならない。
photo4  帰りは空港の方へバスを乗り継いだ。


ポルトープランスのタプタプ(乗り合いバス)。

0019. まえだまさとし 2010/10/28_01:12:48
photo1 別角度から。

この派手さはパキスタンを思い出す。
photo2 ホテルの場所まで行くタプタプは発見できず空港からかなりの距離を歩くことになった。

でも明日はペチョンビルに出るだけなのでもうホテルに戻る必要はなく、ホテルに戻る交通機関を知る必要はない。
photo3
photo4

0020. まえだまさとし 2010/10/28_01:15:38
photo1  日が暮れる前に夕食を食べようとすると5時には店を探さなくてはならない。
日曜は昨日行ったレストランは休みなのでその近辺の露天で食べるしかないようだ。
photo2 ソーセージを卵に入れて焼いたのを挟んだサンドウィッチですませた。
photo3
photo4 購入した栄養ドリンク。怪しい中国製か?


今夜も6時前には日が暮れ、外出不可能になる。

夜、雷鳴とともに豪雨に見舞われた。ホテル周辺の未舗装道路どうなるのか。それよりセントロの被災者たちの仮設住宅は悲惨なことになっているのではないか。いろんな事を考えてしまう不安な雨だ。


でも雨は一時的なもので3時間ほどであがった。

0021. まえだまさとし 2010/10/28_01:18:03
photo1 【10月25日(月)】

昨日の雨がすごかったが今朝は一転、雲一つない天気だ。

朝のうちにペチョンビルの安宿に移動する。9時前に宿をチェックアウトした。宿周辺の未舗装道路は水溜まりがひどいが慎重に幹線道路へ向かって歩いた。
 昨日同じルートを通っているのでスムーズにペチョンビルに到着できた。
photo2 ペチョンビルへ向かう途中にあった水場。
photo3
photo4

0022. まえだまさとし 2010/10/28_01:19:07
photo1 ペチョンビルで昨日発見した宿に向かった。

途中は昨日の雨で水浸しだ。

photo2
photo3
photo4

0023. まえだまさとし 2010/10/28_01:21:48
photo1 ここが昨日発見した「ホテル・スーパーセブン」
photo2
photo3 部屋は水道はないのでバケツの水を浴びることになる。
photo4 ホテルの建物。裏はこんな感じになっていた。

0024. まえだまさとし 2010/10/28_01:23:00
photo1 しかし問題が発生した。昨日確認した値段(14ドル)は休憩の2時間の値段だったのだ。フランス語しか通じず確認不足だった。
宿泊する場合は40ドルだという。結局10ドル安い代償が電気・水道のない宿となった。

今更空港の近くまで戻るつもりもない。宿の人がこの宿が町で一番安い宿だともいう。明日のバスの出発はこの近くなので場所はいい。ただ水も電気もない宿に40ドルとは大変な国だ。今までで最悪のコストパフォーマンスといってもいい。今後もこのような宿に巡り会うことはないかもしれない。そう考えるといい経験だ。
photo2
photo3
photo4

0025. まえだまさとし 2010/10/28_01:24:28
photo1  とりあえず明日のサントドミンゴ行きのバスのチケットを購入しにバス会社へ向かった。

 サントドミンゴまでは片道40ドルとまたまた大きな出費だ。しかもこれに国境で28ドルと100グー(210円)がかかってくる。28ドルに関しては場合によって安くなる可能性もあるがどんどん金が目減りしていくことに疲労感を感じる。

一生来ない場所だし徹底的に回ろう。そう自分に言い聞かせるしかない。
photo2
photo3
photo4

0026. まえだまさとし 2010/10/28_01:26:06
photo1  昼寝をしてから町に出た。日中は日差しが強い。雨が降るよりはましだが外出は体力の消耗になる。ペチョンビルにこぎれいなファーストフード店を発見した。
photo2 店内はハイチの富裕層の客でにぎわっている。

セットメニューで3ドルと久々にまともな食事にありつけた。
photo3 ファーストフード店があるあたりはゴミも落ちておらず、同じハイチでも少しブロックを移動すると全然雰囲気が違ってくる。さすがに高級住宅街にはゴミ処理業が機能しているようだ。
photo4

0027. まえだまさとし 2010/10/28_01:28:37
photo1 ダウンタウンへ下る幹線道路沿いの露天が出ているので行ってみた。

ウミガメの甲羅が売られていた。
photo2 民芸細工を作る職人。
photo3 ペチョンビル周辺のスラムも地震で崩壊してしまった。
photo4 宿周辺に戻ってきた。いつもすごい人だ。

0028. まえだまさとし 2010/10/28_01:29:56
photo1 夕食は暗闇の中、食べるところを探すことになるのか不安だったが、ホテル周辺のジャークチキンを露天で100グー(210円)で購入。
photo2 ホテルの部屋で食べることにした
photo3
photo4

0029. まえだまさとし 2010/10/28_01:33:28
photo1 【10月26日(火)】

 ドミニカ共和国の首都・サントドミンゴへの国際バスは8時45分に出発する。でも昨日チケットを買った際、7時には乗り場に来るように言われたのでそれに合わせて宿を出発することにした。空港近くの宿では7時のバス乗り場まで来るのは大変だ。事前にペチョンビルの宿に移動しておいてよかった。ただこの宿は水は夜になって出たが夜中も電気を消せないという問題点はあった。でも比較的快適な宿だった。なにより従業員の対応がよかった。空港近くの宿は無愛想でやる気のない対応で少しうんざりしていたのだ。
photo2  ペチョンビルの町は7時前からたくさんの人が行き交っている。とにかくハイチはどこに行っても人だらけだ。
photo3 バス会社に到着したらすでにたくさんの人がバスを待っていた。
photo4 まずチェックインをすませなくてはならないようだ。チェックインの際、国境で必要なお金を支払うことになった。要求された額は28ドル。情報では日本人は入国の際ビザがいらないのでアメリカ人やフランス人より15ドル安くなるのだが、そのことを受付に話しても28ドルはすべてタックスだとの一点張りだ。聞く耳を持ってくれなかったのでそれ以上揉めるのはやめた。地震でスタッフが変わり日本人の入国に関するシステムを把握している者がいなくなったのかもしれない。

これが受け取ったボーディングパス。

0030. まえだまさとし 2010/10/28_01:34:54
photo1  8時半にはバスに乗り込むことができた。

左がそのバス。
photo2 エアコンの効いた比較的快適なバスだ。
photo3 結局バスが出発したのは9時を過ぎてからだ。バスはしばらくペチョンビルの町中で渋滞に巻き込まれ、なかなか郊外に出られなかった。

ハイチ側の道は状態が悪いので町を出たあとも舗装道路の陥没した部分や浸水した部分をさけながら慎重に走り続けた。

首都から国境までは距離的にはそんなにかからないはずだ。
photo4

0031. まえだまさとし 2010/10/28_01:36:29
photo1  ハイチ時間の11時に国境に到着した。

イミグレの事務所は湖に面した場所でずいぶん見晴らしがいい。
photo2 しかしハイチ側のイミグレの横は浸水していて悲惨なことになっていた。

ハイチの表玄関なのに何とかならないのかと思う反面、ハイチが悲惨な国だとアピールしているのではと思ったりもする。
photo3
photo4 後続の別会社のバスがやってきた。

0032. まえだまさとし 2010/10/28_01:38:40
photo1 ハイチの出国はスムーズに終わった。
photo2  ドミニカ共和国に入っても未舗装道路のほこりっぽい風景は変わらない。しかしイミグレの建物内部は小綺麗になったように思う。


 また入国審査官は黒人と白人の混血で今までの黒人だけの国とは少し印象が違う。入国審査の際、パスポート写真が僕と違うと疑われサインをさせられたり少し手こずったが問題なく入国できた。我々は黒人の顔を判別できないが黒人はアジア人の顔を判別できないのだろう。疑うと言うことはそれだけ審査官がまじめだということだろう。これで金を要求されたらアフリカの腐敗国家と同じだが中米ではそんな話は聞いたことはない。
photo3  入国審査を終えた者から昼食となった。バスは昼食付きだったようで豆の炊き込みご飯とチキンの弁当が支給された。水もペットボトルが用意されていた。
photo4  国境では2時間以上足止めをくった。ハイチ人の入国に時間がかかっているようだ。
 
 出発の際、バス会社の人がビザなし入国に関して理解してくれたようで15ドルを返金してくれた。
乗務員は本当に知らなかったようだが、ちゃんとお金を返してくれたことに感心した。
 バスはドミニカ時間の午後3時に国境を出発。ハイチからドミニカに入って時間、人種構成、言葉に至るまですべて変わる。町並みはきれいになり、道路は完全舗装。そして路上にゴミはまったくと言っていいほど落ちていない。当然の事だが、ハイチから当たり前のことに感心してしまう。ここからサントドミンゴまでは距離はあるが快適な移動になるはずだ。

0033. まだまさとし 2010/10/28_01:41:32
photo1  しかしサイトドミンゴまではずいぶん時間がかかった。サントドミンゴに近づくと片側2車線の高速道路になったが、中心部にはいると渋滞に巻き込まれた。結局夜7時にカリベツアーのターミナルに到着した。


 カリベツアーは単なる民間バス会社だが、かなり大規模なバスターミナルを保有していた。ターミナル内にはレストランや銀行など必要なものはたいていそろっている。ここが首都のバスターミナルだと言われても全く違和感はない。バスターミナルから旧市街までは2キロほどだ。
photo2  さすがに日が暮れてしまったので歩いて旧市街まで行くのは難しい。昼間なら歩いたが、この時間だとタクシーに頼るしかない。この国は治安は悪くないようだが、初めての国には不安が多い。
photo3  タクシーでロンプラに載っている安めの宿に向かおうとした。しかし運転手が場所がわからず結局断念することになった。どうやらこの運転手はまだ不慣れなようだ。歩いて探してもよかったのだが運転手とは明後日空港まで乗せてもらう事で話がまとまっていた。なので運転手には僕の泊まっている宿を知っていてもらいたい。結局宿探しは断念して運転手の知っている宿に行くことになった。ロンプラに載っている宿にこだわる理由は何もないのだ。連れて行かれたのはコンデ門の近くで1泊20ドルと納得の値段で場所も悪くなく、従業員の対応もフレンドリーだ。
photo4 今までこの値段で泊まれるまともな宿はなかったので一安心だ。ドミニカ共和国に来て初めて普通の国に来た安心感がある。でもつかの間の安らぎでしかない。


 運転手には明後日空港まで送ってもらう事になるので12時半にここに来てもらうことで話はまとまった。空港までの値段は800ドミニカペソ(21ドル)と相場よりかなり安いように思う。地球の歩き方には35ドル(1300ペソ)〜と書かれている。

0034. まえだまさとし 2010/10/29_00:38:14
photo1 タクシーでサントドミンゴの旧市街を走っていると教会などがライトアップされ、エキゾチックな雰囲気を醸し出していた。この町は予想以上に美しい町並みを残している。町を歩くのが楽しみになる。
photo2 サントドミンゴの宿情報です。
地球の歩き方には安宿情報はなく、ロンプラでもドミトリーで22ドルと出ています。
でも僕が泊まった宿は20ドル(700ドミニカペソ)です。1500円くらいです。

ちなみにカードの書かれたホテルの建物はまったく別物です。
photo3 宿で一息ついたらもう9時前だ。
まだ宿の周辺は人通りも多く、ハイチのように街灯がなくて外を歩けないということもない。夕食を食べる場所を探してみた。
近くにチキンカレーの店があった。ドミニカ共和国でも米は主食になっている。
photo4

0035. まえだまさとし 2010/10/30_07:36:24
photo1 【10月27日(水)】

 快適な宿の一つの条件として洗濯をできるということがあげられる。しかもこの宿は洗濯機の脱水機を借りることができ、ずいぶんありがたい。部屋は汚いが最高の宿だ。 
photo2  ちなみに宿の外観です。

 ドミニカ共和国の首都サントドミンゴはコロンブスが新大陸に到達して以降、最初に建設された植民都市だ。コロンブスが新大陸で最初に到達した島はバハマ諸島のサンサルバドル島だが、この後も航海は続けられ、コロンブスが最も気に入った場所がこのサントドミンゴということになった。
 侵略者たちは海に面したこの地に要塞を築き、その中にスペイン様式の都市を建設した。そしてこの町を拠点にさらなる新大陸への侵略が行われることとなった。
photo3  そんな歴史の経緯を考えるとサントドミンゴはアメリカ大陸で最も重要な都市といえる。今ではこの町はカリブ海諸国で最も安定した国の一つとして発展を続けている。
 町中にはコロンブスゆかりの史跡が多く残りたいへん興味深い。この地では侵略された先住民は絶滅してしまい、現在の住人はコロンブス一行の子孫とアフリカからの奴隷の子孫の混血が大半を占め、コロンブスがこの島を侵略したという概念はなく、どちらかというと英雄として称えられている。
 午前中ソーナ・コロニアと呼ばれる旧市街を一通り歩いて回った。
photo4  写真は古びたレジーナ教会。

0036. まえだまさとし 2010/10/30_07:37:39
photo1 ソーナ・コロニアの街角にて
photo2
photo3
photo4

0037. まえだまさとし 2010/10/30_07:41:25
photo1 朝食はこのフルーツ屋台ですませた。
バナナや梨、パパイヤ、パイナップルなどの盛り合わせが50ペソ(110円)。
photo2 町中に残る修道院の遺跡へ向かった。
photo3 サン・フランシスコ修道院の遺跡。
photo4

0038. まえだまさとし 2010/10/30_07:43:02
photo1 大聖堂。
photo2 旧市街の町並み
photo3 サンイコラス病院の遺跡
photo4

0039. まえだまさとし 2010/10/30_07:46:32
photo1 昼食はメキシカンでタコス。1個40ペソ(82円)。
高い。
photo2 旧市街の建物。名前は忘れた。
photo3 メインストリートのエル・コンデ通りでは絵画が売られていた。絵画が売られている国は生活水準が高いと思う。
photo4

0040. まえだまさとし 2010/10/30_07:48:39
photo1 パンテオン。
ドミニカ共和国の歴代の大統領が眠る霊廟だ。
photo2
photo3
photo4

0041. まえだまさとし 2010/10/30_07:55:15
photo1 植民地時代は商店街だった建物がそのまま残るアタラサナ通り。
しかし今ではレストランが建ち並び観光客向けで雰囲気はいまいち。
photo2 サントドミンゴのスペイン広場にポツンとたたずむ建物。

ここはアルカサル・デ・コロンといいコロンブスの子孫が住んでいた家らしい。
photo3 アルカサルの近くにあった日時計。
photo4 夕食はシーフードづくし。全体的にしょっぱい。総額600円ほど。

0042. まえだまさとし 2010/10/30_07:57:53
photo1 サントドミンゴは久々に町歩きで息抜きができる場所にたどり着いた気がする。

大聖堂の前のコロンブス広場のベンチでのんびりするのが気分がいい。
photo2
photo3
photo4

0043. まえだまさとし 2010/10/30_07:59:30
photo1  夜は教会がライトアップされ、また街灯に明かりが灯され古い町並みが彩って見える。
photo2
photo3
photo4 サンフランシスコ修道院遺跡の夜景

0044. まえだまさとし 2010/10/30_08:07:23
photo1 【10月28日(木)】

 朝から曇り。
午前中は宿に近いコンデ門の独立記念公園に行ってみた。
photo2 コンデ門の外側が公園になっている。
photo3
photo4 記念碑の内部。

0045. まえだまさとし 2010/10/31_00:56:13
photo1 12時半に宿に戻ったら約束通り一昨日のタクシー運転手が待っていた。時間通り来ていてくれて安心した。でもタクシーは他にいくらでも走っているので立場は僕の方が上だ。

 
photo2 サントドミンゴ・ラスアメリカ国際空港。アメリカの地というネーミングが新大陸で最初に作られた町にある空港だと感じされる。空港までは海岸沿いのフリーウェイをひたすら走る感じで30分で到着した。

 サントドミンゴの空港アクセスには公共バスがないというマイナス面がある。バハマでもそうだがいくら国がまともでも空港に公共交通機関が走っていないとすべてが台無しだ。結局三流国家だという位置づけになってしまう。

写真は空港までのフリーウェイ。
photo3 タクシー運転手。
photo4

0046. まえだまさとし 2010/10/31_00:59:27
photo1  これから向かうプエルトリコは国家ではないが、アメリカから独立した地域としての位置づけになる。今回のプエルトリコ訪問で行った国の数は増えないが、次の目的地につなぐため重要な場所になる。またプエルトリコはそれなりに魅力的な場所である気がするので飛ばすのは勿体ない気がしたので少しの間滞在することにした。
 プエルトリコの首都サンファンへのフライトはマイアミ行きと時間帯がかぶり、アメリカン航空のチェックインには行列ができていた。プエルトリコはアメリカ領のため入国に際してアメリカと同様の条件が適用され面倒かと思っていた。でも珍しく出国の航空券の提示も求められず、すぐに手続き終了。
 。
photo2 ドミニカンペソを使い切り、搭乗口に向かった。カリブ諸国の国際空港の待合室はWi−Fi(無線ラン)が無料で使えることが多い。サントドミンゴもそうかもしれないと思い期待していたが有料でがっかりだ。

 サンファン行きの出発は15時30分。プエルトリコはサンファンのすぐ隣だ。本当なら高速船でも出ていればいいのだが、そのような効率的なものはなく短距離でも空路を利用しなくてはならない。ちなみに船は出ているが12時間かかり、シートクラスでも飛行機より値段が高い。
photo3  サンファンまでのフライトは1時間だ。食事はおろか飲み物のサービスもなかった。あっという間のフライトなので無駄に慌ただしくする必要はないので文句はないが。
やがて着陸態勢に入りサンファンの旧市街が見えてきた。
photo4 高層ビルが建ち並ぶサンファンの海岸線。

そして着陸。

0047. まえだまさとし 2010/10/31_01:06:32
photo1 サンファン国際空港に到着したアメリカン航空機。
B737。
ここまで頻繁にアメリカン航空を利用してきたがこの会社を利用するのはここまでだ。

 プエルトリコのサンファン空港は今までのカリブ諸国のどこよりも立派な空港で入国審査場の広さに驚いた。入国はたいした質問もなくスムーズに到着ロビーに出た。
 出発ロビーでバスを待つことにした。この空港は新しい建物ではないが、雰囲気はアメリカそのもので頻繁にレンタカーの送迎車が通過する。しかしバスがなかなか来ない。
photo2  30分待ってやっとイスラベルデ行きのバスがやって来た。このバスは空港の近くのリゾート地であるイスラベルデに行くだけでそこからさらに乗り換えないといけない。
 乗り換える場所のイスラベルデはリゾート地で高級マンションがそびえ立つハイソなエリアだ。アメリカから来るとプエルトリコは遅れた雰囲気があるのかもしれないが、周辺国から来るとこれほど洗練された町はないと感じる。プエルトリコはアメリカ人にとってはカリブ海の自国領ということで金持ちが気軽に集まることもあり、特に空港近くにこのようなリゾート地が完成したのだろう。
 そんなことを考えながら乗り継ぎのバスを待ったがまたもやなかなか来ない。再び30分近く待たされやっとオールド・サンファン行きのバスに乗ることができた。
photo3  サンファンのオールドシティーへの道路は歩道もないような狭い道を走る箇所があり、バスは家屋すれすれを走る。なんか日本の近所をバスで走っているようだ。
 またガソリンスタンドに目を向けるとガソリン料金はリットルで表示され70セントというのがずいぶん安く感じる。
photo4  オールド・サンファンのバスターミナルに到着したのは空港に到着してから3時間後の6時半だ。もう日は完全に暮れてしまった。でもバスを乗り継げたので安く来られてよかった。空港に戻るときのバスも何とか把握できたように思う。サンファンのバスは1回75セントとずいぶん安上がりなので助かる。

0048. まえだまさとし 2010/10/31_01:11:27
photo1  日が暮れているがサンファンの旧市街は洗練された町並みがライトアップされて危険な雰囲気はない。おしゃれなレストランがちらほら目につき、どこも高そうだ。

 サンファンの宿はあらかじめ予約してきた旧市街にあるフォルタレーザ・ゲストハウスだ。
photo2  フォリタレーザ・ゲストハウスは土産物屋の二階にある安宿でサンファンではここしか選択枠はなかった。それでもシャワー・トイレ共同で40ドルもする。しかもエアコンはない。でも清潔でスタッフはアメリカンナイズされたフレンドリーな対応で居心地は良さそうだ。
photo3  食べるところを探していたらマクドナルドが7時で閉まっていた。いったいどんな町だここはと驚いた。結局サブウェイで夕食をすませることにした。
photo4  夜のサンファンは建物がライトアップされ、すべての建物に手入れが行き届いている。古い町並みがここまで洗練されていると少し味気ないものを感じる。少し薄汚れた雰囲気が旧市街の醍醐味だと勝手に思っている。同じスペイン様式の町でもアメリカの支配下に入るとこうも周辺国と違いが出てくるものなのかといろいろ考えさせられる。


写真はサンファン大聖堂。

0049. まえだまさとし 2010/10/31_01:14:49
photo1 【10月29日(金)】
photo2 宿泊しているフォルタレーザゲストハウスはこの建物の二階だ。
photo3 洗練された旧市街の町並み。
photo4

0050. まえだまさとし 2010/10/31_01:16:13
photo1 アルマス広場周辺の建物。
photo2
photo3
photo4

0051. まえだまさとし 2010/10/31_01:19:03
photo1 海に突き出た岬にある「エル・モロ要塞」。
photo2
photo3 芝が整備されなだらかな丘陵地帯になっている。
photo4

0052. まえだまさとし 2010/10/31_01:22:00
photo1  プエルトリコには鉄道があるらしい。鉄道といっても最新式の高架鉄道だ。旧市街の港から駅に船が出ているようなので向かった。
photo2 船から旧市街を眺める
photo3 ハト・レイ港に到着した船。料金は1ドルと安い。
photo4 ハトレイ周辺には屋内スタジアムがあり、アメリカ国旗とプエルトリコの旗が掲げられていた。

アメリカにいることが実感です。

0053. まえだまさとし 2010/10/31_01:23:57
photo1 船です。
photo2
photo3
photo4

0054. まえだまさとし 2010/10/31_01:27:46
photo1 ハト・レイの港から駅に向かいました。

ここからサンファンの衛星都市であるバヤモンまで鉄道が走っている。2005年に開通したらしく最新式のアメリカ製の車両が走っていて基本的に高架を走るが一部地下を走るので地下鉄のような感じになる。プエルトリコに地下鉄とは驚きだ。滞在中で最大の驚きとなりそうだ。
 
photo2 メトロは1回75セントと格安でとりあえず終点まで行ってみた。
photo3 車内はシートにクッションがあり、本国アメリカより快適だ。
photo4 終点の駅の手前にショッピングモールがあったのでここで下車し、不足気味のTシャツを購入した。旧市街でも購入できたがデザインや値段を考えると庶民が買い物をする店の方がいいと思ったからだ。


再び鉄道とバスを乗り継いで旧市街へ戻った。



今日は朝から雨が降る時間帯が長く、あまり町を歩くことはできない。

0055. まえだまさとし 2010/10/31_01:29:14
photo1 再び旧市街
photo2
photo3
photo4

0056. まえだまさとし 2010/10/31_01:32:36
photo1  旧市街で地元の郷土料理である「モフォンゴ」を食べてみることにした。

 プエルトリコではレストランの値段が高いのであまり食事にお金をかけられないが、少しは現地の食を味わいたい。そんなわけで地元民向けの比較的安めのレストランに入ることにした。モフォンゴはドミニカ共和国でも食べられる料理でバナナをこねてニンニクやスパイスを入れたものに豆のソースをかけて食べる。具として中にエビかチキンが入っている。僕はエビが入ったものを注文してみた。出てきたプレートにはご飯と焼きバナナが添えられていた。

 値段は約10ドルだ。ボリュームがありけっこう胃にもたれる。
photo2 大聖堂に行ってみた。
photo3 礼拝堂の天井
photo4 礼拝堂

0057. まえだまさとし 2010/10/31_01:39:27
photo1 サンセバスチャン要塞の方に行ってみた。天気が悪いので見晴らしも今ひとつだ。
photo2
photo3
photo4

0058. まえだまさとし 2010/10/31_01:47:59
photo1  夕食はサブウェイのサンドウィッチで安くすませたが、カリブのラムを試してみたいのでスーパーで見かけたバカルディ(1.49ドル)とプエルトリコのDONQというラム(2ドル)のミニボトルを購入することにした。

バカルディーはカリブ諸国で頻繁に見かけるがキューバが発祥らしい。
ラムはサトウキビを原料とした蒸留酒。
いずれもアルコール度数40度だ。
photo2
photo3
photo4

0059. まえだまさとし 2010/10/31_01:54:02
photo1 【10月30日(土)】

今日プエルトリコを出発することになる。
でも夕方まで時間がある。
photo2 今日は朝から青空が広がって蒸し暑く、真夏の気候だ。
写真はエル・モロ要塞。
photo3
photo4 サンファンの表玄関だった「サンファンゲート」。

0060. まえだまさとし 2010/10/31_01:55:00
photo1 アルマス広場に面した市庁舎の建物。
photo2
photo3
photo4

0061. まえだまさとし 2010/10/31_01:56:12
photo1 サンファン旧市街はどこを歩いても絵になる風景がある。
photo2
photo3
photo4 サンセバスチャン要塞。

0062. まえだまさとし 2010/11/02_08:46:16
photo1  午後3時に宿に荷物を取りに向かった。宿のリビングのテレビにはハリケーン情報が映し出されていた。プエルトリコの人もこれからのハリケーンの進路が気になるらしい。

 宿の人にこれからサンマルティンへ行くことを話すと哀れみの目で見られた。最悪のタイミングだと。
photo2  宿を出発して市バスで空港に向かった。あいかわらず空港近くのイスラベルデまでは本数が少なく、しかもすぐに満員になる。
photo3  イスラベルデで空港に乗り継ぐのだが、ここで食事をする場所を探した。空港に行ってからだと高いかもしれないからだ。イスラベルデのバスターミナル前にファミレスのデニーズがあるので入ることにした。アメリカにもファミレスがあるのは知っていたが、どのようなシステムなのか、メニューや値段はどうなのか興味がある。
photo4 メニューボードは日本と同じような感じのもので値段は10ドル前後が相場だ。イタリア料理のミナレサにライスが付いているものを注文してみた。テーブルに注文を取りに来てくれるのでもちろんチップが発生する。結局12ドルほどかかったが円高なので我慢しよう。

0063. まえだまさとし 2010/11/02_08:49:23
photo1  食後、空港行きのバスを待った。しかし1時間待ったが来ない。延々とバスを待ち続ける中、ハリケーンの不穏な風が木枯らしを吹き上げ空の黒い雨雲が気を重くさせる。

 それにしても他に空港行きのバスを待っている人はいないので土曜日はもうバスはないとかいうオチなのか。しかしプエルトリコのバス事情は最悪だ。30分に1本が基本でしかも超満員。そして来ない。

 空港には結局タクシーで行くことになった。12ドルだ。今日は時間に余裕があったのでのんびり空港に迎えたが結局最後の最後でタクシーを使うことになりよけいな出費をしてしまった。
photo2  近代的なサンファン・ルイス・ムニョン・マリン国際空港に到着した。

 これから向かう先はアンティグア・バブーダのアンティグア島にある国際空港だ。利用するのはLIATというアンティグアとバルバドスに拠点を持つ航空会社だ。基本的にプロペラ機ばかりのコミューター航空でカリブ海諸国に豊富な路線網を持っている。今日からしばらくの間頻繁に利用することになる。
photo3  さてハリケーンの影響はどうなのか。もし欠航なら今夜はサンファンの空港で夜明かしすることを覚悟はできている。広々とした出発ロビーのモニターに目をやるとアンティグア行きのLIATは「On Time」の表示。
 チェックインカウンターがオープンしていて搭乗券が発券された。さらに乗り継ぎ先のサンマルタンまで搭乗券が発券され、荷物はサンマルタンまで預けることになった。アンティグアでは荷物を受け取ることはできないが、イミグレーションの外へは出られるらしい。ということは予定通り訪問国にカウントされることになる。

 アンティグア・バーブーダに入国できれば133カ国目の訪問国となる。
photo4  しかし搭乗券は発券されたが本当に飛ぶのか。まだまだ予断を許さない。現時点で欠航や遅延の表示が出ていないということはアンティグアからは無事出発できるのだろう。飛行機がこちらに飛んでくれば欠航になることはないはずだ(相手国籍の飛行機は自国に戻る)。大幅な遅延は予想されるが少し安心感がある。

 とりあえず今夜はアンティグアに着きたい。明日のサンマルタン行きは欠航でもいいが、今日のアンティグア便に乗れないと訪問国を増やす計画が狂ってくる。もしサンマルタンに直行する便に振り返られたらアンティグアに入国できるタイミングをなくしてしまう。それだけが心配だ。

0064. まえだまさとし 2010/11/02_08:54:11
photo1  出発時刻が過ぎてもいっこうに搭乗の案内が始まらない。その理由が到着地アンティグアの気象条件によるものなのだろうか。
おそらく今アンティグアの近くに渦があり、ハリケーンが通り過ぎたあとに着陸しようとするつもりなのだろう。
結局1時間遅れで飛行機に乗り込んだ。
photo2  アンティグアまでのフライトはボンバルディアのダッシュ8(DHC8)というプロペラ機だ。

 所要1時間半。機内は1割ほどの乗客しか乗っていない。途中スナックとジュースが出た。
photo3  安定したフライトでアンティグアに着陸態勢に入った。天候は安定しているように思ったが高度が下がり、着陸寸前になり豪雨が降り出した。
 本当に着陸する気なのか不安になるような大雨だ。着地したあと車輪がスリップして横転するんじゃないかと恐怖を感じた。でも何とかスピードを抑え、無事成功したようだ。

日本の航空会社ならまず運行はしないだろうというような気象条件だったが、予定通り移動できてよかった。
photo4  飛行機は駐機場に到着したようだが風雨が強くて外に出られないので15分ほど待機するという機長のアナウンスが流れた。外に出られない雨の中よく着陸できたものだ。風はすさまじく機体を揺するほど強烈なものだ。
 暴風雨は周期的にやってくるのでしばらくすると風はやむはずだ。その隙に飛行機を降りることになる。

0065. まえだまさとし 2010/11/02_08:59:42
photo1 15分ほど機内で待っていると風も雨も収まり飛行機から降りることができた。そしてアンティグア・バーブーダに入国。今夜は空港で夜明かしすることになる。

本来は首都セントジョーンズに真夜中の深夜観光にタクシーで出ようと計画していた。でもこの雨でその意気込みは完全に失せてしまった。
photo2  
photo3
photo4 空港内はオープエアで吹きさらしだが、他にも明日まで夜明かししている仲間がいるので安心だ。2階には清潔な床があり、横になって休むことができた。


このあとオランダとフランス領のセントマーチンへ向かいます。

続きは「カリブ海の独立国をめぐる③(小アンティル諸国)」を参照してください。

旅BBSトップ旅BBS(テキスト版)スレッド一覧