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アジア未訪問国へ①モルジブ(スリランカ北部)2011年

0001. まえだまさとし 2011/09/01_16:08:17
photo1 【9月1日(木)】

とりあえずバンコクに向かいます。半年前に発券してしまったユナイテッド航空の無料航空券を無理矢理使う形でバンコク経由となります。

バンコクからはプーケットに向かいます。週末プーケットに遊びに行くという友人がいて、僕も現地で合流することにしました。
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0002. まえだまさとし 2011/09/06_00:25:23
photo1 数日前の予想では台風が出発時間帯に直撃するような感じだったのでどうなることやらと思っていた。結果として台風のスピードが遅いことに加え、ルートも西の方へと予想進路をはずれたことで出発日の今日は晴れ間も見えるような安定した天候となった。
 そんな感じで予定通り日本を出発でき、バンコクに到着したのは23時前だ。

 入国審査は比較的すいていたためスムーズに到着ロビーに出ることができた。市内へのエアポートリンク(空港鉄道)は0時まで運行されているはずでまだ十分間に合う時間だ。ユナイテッド航空利用だといつも日付が変わってしまいタクシーで市内へ向かうことになっていたのだが、今日は運がよい。宿泊先はスクンビットの西の方なのでエアポートリンクでマッカサン駅に向かうことにした。ここまでエアポートリンクを使えるとホテルまでのタクシー代がずいぶん安くなる。
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0003. まえだまさとし 2011/09/06_00:30:05
photo1 【9月2日(金)】

 この時期のバンコクは雨期で一年で一番雨が多い。
一日中雨が降ることはないが夜明け前は豪雨で目が覚めた。

 ただ雨期だと雲が多く日差しがないので気温は上がらずしのぎやすい。プーケットへの便は午後3時なのでかなり時間がある。午前中はスクンビット通りを散策した。

 ホテルに朝食は付いておらず、朝はゆっくり座って食べられる屋台が少ないので食べる場所に困る。結局ショッピングセンターのフードコートで食事を済ませることにした。
photo2  プーケットへはドンムアン空港から向かうことになる。ドンムアン空港は現在国内線の格安航空会社専用ターミナルとして細々と営業している。この空港は4月にチェンマイに行ったときにも利用している。時間があるのでドンムアン空港へはBTS(高架鉄道)とバスを乗り継いで向かった。バスでドンムアン空港に向かったのは10年以上前になる。以前から空港周辺の道路沿いには貨物ターミナルが延々と続き旅客ターミナル前で降りるタイミングが難しい。

今日は久々だったがうまく国内線ターミナル前のバス停で降りることができた。
photo3  しかし様子がおかしい。利用客が少ないのはわかるがあまりにも閑散としている。全く人がいない。

 そばにいた人に聞いたら発着便はかつての国際線第一ターミナルに移ったとのことだ。理由はわからないがあの思い出深い第一ターミナルが復活したのは興味深い。
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0004. まえだまさとし 2011/09/06_00:32:10
photo1  国内線ターミナルから依然として閉鎖されたままの第2ターミナルの前を歩いて横切り第1ターミナルに向かった。

 するとビルの前にタクシーが止まっていて人が出入りするのが見えてきた。
photo2 第一ターミナルビル。
photo3 国内線の表示が出ていた。
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0005. まえだまさとし 2011/09/06_00:34:08
photo1 ドンムアン空港を使用している航空会社はオリエントタイとノックエアのみだ。


ただこれらの航空会社は確実に路線網をのばしている。
今後の拡張をもくろんで敷地に余裕のある国際線ターミナルに移動したのだろうか。
photo2 とはいえ現時点では出発ロビーにたくさんあるチェックインカウンターのごく一部のみ使用されているだけだ。
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0006. まえだまさとし 2011/09/06_00:37:23
photo1 それでもターミナル内には銀行やカフェテリアなどが復活し、一度は廃墟になった巨大建造物は息を吹き返した感じだ。
photo2 閑散としているが到着ロビー。
photo3 かつてのパスポートコントロールは閉鎖されたままだ。
photo4 第一ターミナルの通りに面した部分はタクシーやバスを待つ人でかつてのにぎわいと取り戻しつつある。

0007. まえだまさとし 2011/09/06_00:40:14
photo1  プーケットへはオリエントタイ航空を使用する。ドンムアン空港からの大半の発着便はノックエアだがその中にオリエントタイ航空が混じっている感じだ。週末にもかかわらずプーケットまで総額往復3500バーツ(9200円)だったのが決め手だ。
photo2 空港内ではノックエアが行き交う。
photo3 今回プーケットまで搭乗するオリエントタイ航空。
photo4  オリエントタイはちゃんと機内サービスもあり、値段の安さで見劣りする部分は感じないが機体はかなり老朽化を感じがする。

0008. まえだまさとし 2011/09/06_00:45:18
photo1  プーケットには1時間半後の4時半に到着。ここでシンガポールから到着するGさんと合流することになる。シンガポールからシルクエアで17時に到着する予定だが、40分ほど遅れているようだ。プーケットの空港はかなり手狭で、すでにパンク状態だ。ターミナル内には座る場所も限られあまり居心地はよくない。新しいターミナルビルの完成が待たれるが当分先になりそうだ。

 Gさんと合流しタクシーでパトンビーチのホテルへ向かった。今夜の宿泊先はパトンビーチ地区では高級な部類の「ダイヤモンドクリフホテル」に泊まることになる。
もう一人の友人O氏が先にチェックインして待っている。O氏は昨日香港から一足先に到着している。
photo2 ダイヤモンドクリフホテルまではタクシーで40分ほどだ。斜面にへばりつくように客室が並び、全室オーシャンビューだ。客室は少し老朽化を感じるが、プーケットでは快適に過ごせそうだ。
 夕食はサボイレストランというパトンビーチ中心街のバングラ通りに近いシーフードレストランへ行くことにした。
photo3 ここで基本的なタイ料理屋を堪能することにした。3人いるのでいろんなものを適量に楽しむことができた。
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0009. まえだまさとし 2011/09/06_01:01:10
photo1 【9月3日(土)】

 天気は良好。オーシャンビューのダイアモンドクリフホテルの客室より。
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photo3 ホテルのへのゲート
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0010. まえだまさとし 2011/09/06_01:02:59
photo1 パトンビーチへ出ました。
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0011. まえだまさとし 2011/09/06_01:05:00
photo1 朝昼兼用の昼食はMKタイスキに食べにいきました。
photo2 メニューを見て少し笑ってしまいました。
32番に注目してください。
「ばかでかい」って
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0012. まえだまさとし 2011/09/06_01:42:38
photo1 バングラ通りで見かけた鱈の彫刻に色付けする職人。
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0013. まえだまさとし 2011/09/06_01:43:56
photo1 プーケットを代表するパトンビーチにて
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0014. まえだまさとし 2011/09/06_01:48:27
photo1 夕食はパトンビーチの南端にあるタイ風バーベキューの店に行くことにした。
photo2 韓国のサムギョプサル風の鉄板で肉を焼くことになる。鉄板にはスープも入るようになっていて焼き肉と水炊きを同時に食べられる珍しいスタイルだ。値段も肉やデザートが食べ放題で129バーツとリーズナブルだ。観光客はあまり来ないようで地元の客が多いようだ。
photo3 食後は再びパトンのバングラ通り地区へ。
photo4 いろんなバーに行ってみました。

0015. まえだまさとし 2011/09/06_18:44:10
photo1 バングラ通りにいたプーケットのおかまたち。
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0019. まえだまさとし 2011/09/06_23:54:45
photo1 【9月4日(日)】

 出発便は午後だが、朝から荒れた天気で一人だとすることもないのでほかの二人と一緒にホテルのタクシーで空港に向かうことにした。出発はGさんの出発にあわせて8時に予約してある。空港までは40分ほどだが、大雨のせいで途中冠水したりしていたが、問題なく空港に到着することができた。すぐにGさんは搭乗手続きを済ませ、シルクエアでシンガポールへと出発していった。
photo2  残った二人は時間があるので空港のレストランで朝食を済ませることにした。それにしてもこのところ食べ過ぎで腹の調子が悪い。写真は390バーツ(1000円)のフルブレックファースト。
photo3  11時にO氏がキャセイで香港へ出発していった。その2時間後になって僕はバンコクへ出発することになる。時間つぶしに苦慮するプーケット空港だが、最上階の吹き抜けのところにベンチがあり、チェックインカウンターを見下ろしながらのんびりできる。

 オリエント・タイ航空のバンコク・ドンムアン空港行きは13時40分発。2時間前からチェックインが始まり、荷物を預けて搭乗口へと向かった。
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0020. まえだまさとし 2011/09/06_23:57:51
photo1 ドンムアン空港に到着したのは15時。
photo2 到着ホールにはかつての入国審査場など思い出深いものが至る所に残っている。
photo3 入国審査場の後ろのエスカレーターを降りたところに荷物受け取りのベルトがあるのは当時のままだ。

到着ロビーに出ると閑散としているものの15年前初めてバンコクに来たときと同じ光景が広がり懐かしさを感じる。ここでたくさんの客引きに声をかけられビクビクしたものだ。
photo4 到着ロビーに出ると閑散としているものの15年前初めてバンコクに来たときと同じ光景が広がり懐かしさを感じる。ここでたくさんの客引きに声をかけられビクビクしたものだ。

0021. まえだまさとし 2011/09/06_23:59:00
photo1  空港からは29番のホアランポーン駅へ向かうエアコンバスに乗り込みチャトチャックで地下鉄に乗り換え、最終的にはバイクタクシーでスクンビット23の宿泊先に向かった。今夜の宿泊先はスクンビット23のサービスアパートメント「シタディーン・スクンビット23」。

サービスアパートメントなのでキッチン用品は充実しているが洗面用具関連は不十分だ。
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0022. まえだまさとし 2011/09/07_00:05:04
photo1 【9月5日(月)】


 事実上今日から旅が始まる気持ちが強い。ここまでの4日間はあまり生産性のある内容ではなかったし、そういうものを求めるつもりもなかった。


 11時にスクンビット23のシタディーンホテルからエアポートリンクのマッカサン駅へ向かった。
photo2  11時にスクンビット23の宿泊先からシタディーンからエアポートリンクのマッカサン駅へ向かった。写真は宿泊先の外観。
photo3  今日はこれからバンコクエアウェイズでモルジブへ向かうのだが、以前エアポートリンク(空港連絡鉄道)のマッカサン駅を利用した際、タイ国際航空と共にバンコクエアウェイズも駅での搭乗手続きができるようになっていた。しかし今回そのつもりでマッカサン駅まで来たが搭乗手続きができるのはタイ国際航空のみとなっていた。あまりにも利用客が少ないのだろうか。

 搭乗手続きをすると特急(90バーツ)を利用しなくてはならないが、手続きができなかったので無理に特急を使わず各駅停車(35バーツ)で空港へ向かうことにした。
photo4 シティラインと呼ばれる各駅停車に乗り込んだ。車内はロングシートになっている。

0023. まえだまさとし 2011/09/07_00:11:02
photo1  20分ほどでスワンナプーム空港に到着。これから向かう場所はモルジブの首都マーレだ。

 マーレへは片道航空券しか持っていないので搭乗手続きが心配だった。出国の航空券や滞在先を証明するものを提示させられる可能性があるのだ。出国航空券はモルジブからスリランカへの航空券を持っているが宿泊先など決めていない。でもそういったものは一切なくスムーズに手続きは終了した。

 出国審査は混雑が激しい可能性があるので早めに済ませることにした。バンコクエアウェイズはエコノミークラスにもラウンジがある航空会社として知られていて、今回利用機会に恵まれたので早速向かった。
photo2  バンコク・エアウェイズのラウンジはビジネスとエコノミーに分かれていて、エコノミークラスのスペースはあまり知られていないのかほとんど利用者がいない。ほんのわずかな軽食とドリンクがあるだけで場所がわかりづらく航空会社の専用待合室といった感じで高級感はない。わざわざ利用するメリットはない気もする。今回僕は朝食を食べていなかったのでサンドウィッチで空腹を満たすことができ、そういった意味では利用価値はあったのだが。
photo3 ラウンジの様子と軽食関係。
photo4 ドリンク類(ソフトドリンクのみ)。

0024. まえだまさとし 2011/09/07_00:13:24
photo1  軽食を食べて早々に搭乗口へ向かうことにした。
photo2  バンコクエアウェイズ・マーレ行き。客層はタイ人の観光客とインド風のモルジブ人、そして欧米人旅行者が数名。ガラガラで窓際にしか人が座っていない状態だ。
photo3  マーレまでは4時間強。眼下に珊瑚礁の島が見えてきた。
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0025. まえだまさとし 2011/09/07_00:16:17
photo1 モルディブの首都があるのは北マーレ環礁の南端にある。高層ビルがひしめくマーレに隣接するスフレ空港島(写真ミグ上)に着陸態勢に入った。

すぐ横には要塞のように高層ビルがひしめくマーレ島(写真左上)が見える。
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0026. まえだまさとし 2011/09/13_23:11:07
photo1  モルディブ入国。モルジブは僕にとって150ヶ国目の節目の訪問国である。50ヶ国目がホンジュラスで100ヶ国目はスウェーデン。150ヶ国目はモルディブという結果になった。
 入国審査では特に滞在先を聞かれたり出国用の航空券を見せろといわれることはなかった。同じようなリゾート国家のセーシェルやバハマでは宿泊先が決まっているにもかかわらず質問攻めに遭いうんざりしたのだがモルディブはツアー客以外にも優しい国のようだ。モルディブに対して印象は良好だ。
photo2  空港からマーレへは高速船でわたることになる。15分おきに小型の高速船が首都マーレとの間を往復している。
片道100円ほど。
photo3 青い海の中、マーレへ。
photo4 マーレ港に到着。

0027. まえだまさとし 2011/09/13_23:16:16
photo1 マーレに到着後のホテル探しだが、お目当ての安宿に行ってみたがどこも満室。空室のある宿はそれなりの値段だ。マーレの宿事情はあまりよくないようだ。結局「エスカイロッジ」という59ドル(4800円)の宿に滞在することになった。

 設備はしっかりしていて朝食付きでWi−Fiフリーなので妥協の範囲内だろうか。ベランダもあるし結構快適だ。
photo2 マーレのモスク。
 モルディブの住民はインド系の顔立ちですべてイスラム教徒ということだ。この国では他宗教は存在せず信仰の自由はないらしい。
photo3 言葉はスリランカのシンハラ語に近いディベヒ語が使われ、ターナ文字という独自の文字が使われている。ターナ文字はモルディブとインド南西部のラクシャディープ諸島でわずか30万人が使用する文字だ。インド周辺にはいろんな文字があるが、ここでもまた独自の文字が存在していることに驚いてしまう。
写真はターナ文字のポスター。
photo4  夕食は南インド風のカレーとポロタで済ませることにした。食堂などは深夜まで営業しているところが多いようだ。
物価も庶民レベルのものはかなり安く1食100円くらいですむ。

0028. まえだまさとし 2011/09/13_23:21:03
photo1 【9月6日(火)】

マーレの町中は高層ビルがひしめき道路は歩道と車道が分け隔てられ石畳をを敷き詰められている。しかし歩道は狭く、やけに人通りが多いのですれ違うのも大変だ。
道路も狭いのに交通量が多くバイクの洪水で歩くだけで疲れる。
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photo3 港ではゴミ掃除が行われていた。首都の港だが透明度は半端ではない。
photo4 マーレ港を一望。

0029. まえだまさとし 2011/09/13_23:22:17
photo1 島の北にある魚市場に行ってみた。
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0030. まえだまさとし 2011/09/13_23:24:08
photo1  ここでは巨大マグロやカツオが水揚げされ、その場で捌かれていた。
photo2 モルディブの人々は刺身にしないようですべて煮込み料理や干物に使われるらしい。

もったいない気もするが文化の違いだ。
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0031. まえだまさとし 2011/09/13_23:26:02
photo1 いろんな魚が並ぶ。
photo2 バケツにつっこまれた巨大マグロ。
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0032. まえだまさとし 2011/09/13_23:30:44
photo1 マーレ島の西隣にあるビリンギリ島に渡ることにした。ビリンギリ島はかつてリゾート地だったがマーレ島の人口が過密状態になったため住宅地として開発された島だ。マーレとの船は頻繁に行き来していて終日多くの人が行き交っている。
photo2 早速、船に乗り込み10分ほどで対岸のビリンギリ島に到着した。
 
photo3 対岸は首都マーレの摩天楼。
photo4 あれだけこの島と人が行き来しているのにビーチに来る人は皆無だ。首都からこんなに近いのに誰も泳いでいない無人のビーチ。

0033. まえだまさとし 2011/09/13_23:32:21
photo1 ゴミがわずかに落ちているがそれは手入れが全くされていないのにこれだけきれいな砂浜だという証明でもある。
photo2 波打ち際は純白のきめ細かい砂。ココナッツの木が背に迫る典型的な南の島だ。
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0034. まえだまさとし 2011/09/13_23:34:24
photo1  観光客はリゾートアイランドに直接行ってしまうし、地元民はイスラム教徒なので気軽に泳いだりはしないということが身近なところにこのような穴場を生み出しているのだろう。

 モルディブまで来てこのようなビーチで満足していてはいけないのかもしれないが、首都高層ビル群を間近にした特異なビーチもモルディブらしくていいのではと思う。
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0035. まえだまさとし 2011/09/13_23:37:59
photo1 マーレ島に戻った。
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マーレ島にはバスが走っていて代金は5ルフィア(30円)だ。バスはいくつかルートがあるようだが、基本的には新旧の港を行き来しているようでどのバスに乗っても目的地は同じだ。インド製のターターバスが使われている。
photo3  夕食はモルディブ料理の店に行ってみた。カレーと魚のスープを注文していた。基本的には作り置きされたものを注文することになる。
photo4 ガルディアと呼ばれる魚のスープは冷たくて予想外だったが味は悪くない。このスープをご飯にかけ魚も混ぜて食べるらしい。魚はカツオが使われている。

0036. まえだまさとし 2011/09/13_23:39:23
photo1  基本的にマーレにいる食堂の店員はバングラディシュやインドからの出稼ぎ労働者である場合が多い。顔立ちがどことなく東南アジア系の人はたいていバングラディシュ人だと思っていい。
 
 写真の彼らもバングラディシュ人だ。ちなみに宿の使用人はスリランカからの出稼ぎ労働者だった。

 モルディブは観光産業が成功して出稼ぎ労働者に依存するような裕福な国になりつつある。しかし日本のJICAなどの技術援助を未だに受け続けつづけている国でもある。
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0037. まえだまさとし 2011/09/15_00:19:09
photo1 【9月7日(木)】

マーレの中心部。
photo2 モダンなビルが建ち並ぶ。
photo3 日本語の看板もちらほら。
photo4 竹中直人の宝石店だそうです。

0038. まえだまさとし 2011/09/15_00:21:32
photo1 そんな中チェックアウトを済ませ、モルディブの意外な一面を探るべくフルマレ島という島へ渡ることにした。
photo2 遠ざかるマレの高層ビル群。
photo3 小さな島(というより砂州)が点在する。
photo4 船内の様子。バイクも運ぶ。

0039. まえだまさとし 2011/09/15_00:22:21
photo1 フレマレ島に到着した船。
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0040. まえだまさとし 2011/09/15_00:24:57
photo1 フルマレ島は空港の先にある珊瑚礁を埋め立てた島で空港とは道路でつながっている。増え続けるマーレの人口問題を解決すべく埋められた新しい土地だが、モルディブが発展するにしたがい大量に生み出されるゴミ処理問題の解決策としての意味合いの方が大きいようだ。なので島の大半は空き地で徐々に工業団地や宅地が造成されつつある。
photo2 道路だけが整備され、一体は森になっている。
photo3 道路名の表示板。
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0041. まえだまさとし 2011/09/15_00:27:15
photo1  フルマレ島はいわばモルディブ版夢の島だ。人間が住み続けるには珊瑚礁を犠牲にしなくてはならない。フルマレ島にはゴミ処理場があり、大量のゴミが運ばれている。ゴミの山と周辺の白い砂浜はミスマッチだ。
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photo3 とはいえ埋め立てられた場所は浅瀬の珊瑚礁の上だったこともあり、すぐに自然の白砂が堆積して人工とは思えない美しいビーチが作りだされる。その点はさすがモルディブだと思わされる。
photo4 ゴミ処理場横のビーチ。対岸はリゾートアイランドだ。

0042. まえだまさとし 2011/09/15_00:27:48
photo1 フルマレ島には言われなければ人工だと気づかないビーチが延々と広がっている。
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0043. まえだまさとし 2011/09/15_00:29:45
photo1 港とは反対に住宅街が造られている。
photo2 島の真ん中にはショッピング街が形成され町としての形ができつつあるが全体的に無機質な味気ない町並みとなっている。
photo3 島を1系統のバスが15分おきに走り、中古ではあるが日本製の大型バスも使われていた。
photo4 とはいえまだまだ道路が整備されつつある段階だ。

0044. まえだまさとし 2011/09/15_00:32:04
photo1 午後は昨日も行ったビリンギリ島へ渡ることにした。
photo2 時間つぶしの意味合いもあるが夕方のほうがマーレの要塞のような高層ビル群が鮮やかに眺めになる。船着き場のカフェでまったり過ごすのもわるくない。
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0045. まえだまさとし 2011/09/15_00:33:19
photo1 マーレに戻った。
photo2  マーレにも人工ビーチがあり、子供たちで賑わっていたが、砂がきれいだとどんなビーチでも良質に見える。
photo3 すぐ隣にはサーファーポイントがあり、結構いい波が来ていた。コンパクトなマーレだが、一通りのマリンスポーツ環境が整っている。
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0046. まえだまさとし 2011/09/15_00:34:47
photo1 スリランカへの出発は深夜だが空港には早めに向かうことになる。

それまで宿でネットをしたりして時間をつぶすことにした。ホテルでシャワーを浴びさせてもらえたのは助かった。今日一日歩き回って体がベトベトだった。
 
photo2 空港には21時半の船で向かった。とはいえコロンボへのフライトは2時45分と当分先だ。マーレの空港には無料のシャワー設備があったので無理に宿でシャワーを浴びてくる必要はなかったようだ。

さすがにマーレ空港は深夜出発の便が多く、朝リゾートを出発してきた客が多いのでその要望に応えた結果だろう。それだけ特殊な空港であるのは言うまでもない。
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0047. まえだまさとし 2011/09/15_00:40:48
photo1 【9月8日(木)】


 0時半前にチェックインが始まり、カウンターがある建物の中に入ることになった。チェックインカウンターに入るまではオープンエアだったので不快だったのだが、ターミナル内はエアコンが効いていて快適になった。
 コロンボまではスリランカ航空を利用することになる。かつての呼び名はエアランカだが改名したようだ。それにしてもチェックインの進みが遅い。コロンボへ向かう客の行列はごくわずかだが、1組に10分位かかっている。出稼ぎから帰国するバングラディシュ人の手続きにはなぜこんなに時間がかかるのか。中国人でも旅行者なら手続きは早いのだが。
photo2  出発は2時45分。真夜中の2時半に搭乗が開始された。コロンボまでは1時間半で現地時間の4時40分に到着する。
photo3  コロンボの国際空港に到着。マーレからくるとずいぶんモダンな空港に感じる。
 朝から到着客が集中し、出稼ぎ労働者が続々帰国している。入国審査を済ませ両替を済ませて空港循環のバスに乗り込んだ。乗り込んだのは空港循環バスで市内へ向かうバスが発着するターミナルへ移動する事になる。コロンボへはエアコン付きのミニバスで1時間ほどだ。快適だったが荷物代を請求された。
 スリランカ人の出稼ぎ労働者も要求されていたので払うしかないのだろうか。
 到着したのは民間バスターミナル。スリランカの鉄道の拠点であるコロンボ・フォート駅にも近い。
photo4 この一角はペターと呼ばれる商業地で安い宿が点在している。SHALINKA REST INNという宿に泊まることにした。1泊800ルピー(600円)とやっと長期旅行の一般的な相場の宿にありつけた感じだ。昨夜寝てないので少し仮眠をとることにした。しかし日中は窓の外がちょっと騒がしい。

0048. まえだまさとし 2011/09/15_00:44:20
photo1  起きたら11時だった。少しのんびりしすぎたがコロンボで必ずしておきたいことは北部への旅行事情の情報収集だ。かつてのLTTE(タミル・イーラム解放の虎)の支配地域の中心都市ジャフナに行くためには未だ国防省の許可が必要だと聞いていた。

 なので国防省の場所も知る必要がある。とりあえず観光案内所に行って情報収集が先決だ。

 観光案内所は海岸沿いのゴール通り沿いにある。列車で行こうと思い駅へ向かった。
photo2 コロンボフォート駅。
photo3 しかし1時間以上来ないようなのでオートリキシャで向かうことにした。


バスで行ってもよかったが、早く行ってスムーズに手続きを済ませたいという思いが行動を急がせた。今回のスリランカ訪問の最大の目的は北部地域への訪問だ。
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0049. まえだまさとし 2011/09/15_00:46:15
photo1  スリランカは長年LTTE(タミル・イーラム開放の虎)との内戦状態にあり、その影響は北東部の立ち入り制限にとどまらず首都コロンボにもその影響を及ぼしていた。


 北部最大の都市ジャフナは内戦前スリランカ第二の都市だった。その人口の大半をタミル人が占めていたため、ジャフナを中心とした北部はタミル人の独立運動の拠点となった。

 かなり前にジャフナは政府軍の手に落ちたが、ジャフナへの幹線道路は依然として反政府勢力の支配下におかれたままだったでジャフナは陸の孤島状態にあった。反政府勢力の支配地域は長年激しい戦闘状態にあり、援助関係など特別な外国人しか出入りができなかった。投資を呼び込むこともできず経済は疲弊していた。そんな経緯からスリランカは常に内戦国として暗い影を落としていた。
photo2  その戦争が2009年5月、突如終結へと向かったのだ。
 終戦を機に北部への旅行も急速に開放され始めた。

 現在、北部地域はまだまだ復興途上の段階で観光客は気軽に訪問することはできないとのことで陸路でジャフナに入る際はパーミットが必要だ。その申請は国防省で可能という情報を得ていた。その詳細情報を得るために観光案内所を訪問した。案内所で北部に行きたい旨を伝えると現在はパーミットなしでパスポートがあれば入れるとのこと。

 内戦終結と共に徐々に規制は解除されつつあるようだ。面倒な手続きがどんどん省略されるのはいいことだ。今後鉄道なども再建されるだろうしスリランカの未来は明るい気がする。
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0050. まえだまさとし 2011/09/15_00:47:17
photo1 バスでフォートへ戻った。バスはだいたい10ルピー(7円)。
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0051. まえだまさとし 2011/09/15_00:49:57
photo1  コロンボに北のは13年ぶりだ。前回訪問した際は毎週のように爆弾テロが起こり、首都はかなりの緊張状態だった。

 円筒状のワールドトレードセンターやセイロン銀行本店ビルは爆弾テロの標的にされ、前回訪問した際は建物は閉鎖され、周辺にバリケードや検問所が張り巡られ、歩いて近づくだけで緊張したものだ。
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0052. まえだまさとし 2011/09/15_00:50:46
photo1 当時はそれらに隣接するホテルも閉鎖されている場所が目立ち、最前戦の雰囲気さえ感じたものだが、現在は大半のバリケードは撤去され、高層ビルが建ち並ぶオフィス街はビジネスマンが行き交い都会の日常を感じることができる。
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0053. まえだまさとし 2011/09/15_00:52:17
photo1 コロンボのコロニアル建築の建物。
photo2 ハイカラなモスク。
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0054. まえだまさとし 2011/09/15_00:57:44
photo1 今朝、観光案内所に行こうと列車の切符を買ったのだが、1時間以上来ないことで乗らなかった。その切符がもったいないので夕方使うことにした。といっても10ルピー(7円)だ。
photo2 帰宅ラッシュで10両編成の列車は超満員だ。
photo3 列車で海岸線のバンバルピッティアで降りた。ここからもたくさん人が乗り込んでくる。
photo4 海岸線を走り去る列車。

バッバルピッテイアで食事を済ませ帰りはバスで戻った。

0055. まえだまさとし 2011/09/15_01:03:16
photo1 【9月9日(金)】

 北部の中心都市ジャフナへは列車で行くかバスで行くか出発直前まで悩んだ。

 列車だとジャフナまで走っておらず、途中のバブニアまで停車駅の少ないインターシティで行くことになり、比較的快適だがそのあとのバスは大変だ。

コロンボからバスだと乗り換えは必要ないがいったどのくらい時間がかかるのか不安が大きい。

 結果として列車を選ぶことにした。朝5時にフォート駅に行くとバブニア行きのチケット売り場には長蛇の列ができていた。
photo2 バブニア行きの列車に乗り込む。
photo3 二等は固定された二人がけのシートで進行方向に向いている場所に座ることにした。
photo4 インターシティはほとんど停まることもなくアヌラーダプラには定刻の11時15分に到着。ここで30分停車した。

0056. まえだまさとし 2011/09/15_01:04:15
photo1 バブニアには約1時間に到着。時間はまだ午後1時前だ。バスだとここまでこんなに早く来られなかっただろう。
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0057. まえだまさとし 2011/09/15_01:06:37
photo1 バブニアから北部のジャフナやマンナールまでは内戦で40年くらい運休し、今では線路もはがされ復旧は容易ではない。

 バブニア駅からオートリキシャでバス乗り場へ向かった。
photo2 バス乗り場がバブニアの中心になっているようだ。ここからジャフナまでの距離は160㎞ほどだ。
photo3 午後2時にジャフナ行きのバスがあり、出発まで30分以上あって客が誰も乗っていなかったので本当に出発するのか不安になりつつも近くの食堂で昼食を取ることにした。タミル人の店か南インド風のミールスでなかなかおいしかった。
photo4 食事を終えて戻ってきたらさっきのバスが超満員になっていた。短時間でどこからこれだけ集まったのか不思議なくらいで目を疑った。そんな中、一番前の席を確保できた。
 バスは定刻通り2時に出発した。

0058. まえだまさとし 2011/09/17_16:07:45
photo1 先が長いのにすでに立っている人もかなりいる。道路沿いでも人を拾い、超満員で足の踏み場もない状態のままジャフナを目指した。
photo2 道路は工事中の箇所が多く、スピードは出せない。平行する鉄道は工事が進み、すでに線路が敷かれているのがみえる。
photo3  バブニアを出て一時間。オマンタイ検問所にさしかかった。ここから先を訪問する際、外国人観光客はパーミットの提示を求められることになる。とはいえ昨日コロンボで確認したところパスポートだけで大丈夫とのことだ。兵士がバスに乗り込んできて外国人の僕だけバスを降りるように指示された。別室に連れて行かれパスポートの情報を記入されサインをさせられた。スリランカ国軍の兵士による手続きはいたってスムーズで友好的だ。この手続きは事前に取る必要があったパーミットがここで取得できるようになったためだろう。
 かつてのタミル・イーラム開放の虎(LTTE)支配地域はここから北部のエレファントパスまで続く。
photo4

0059. まえだまさとし 2011/09/17_16:10:59
photo1 この区間は政府の管理下ではなかったためインフラは遅れていた。なので終戦後、急ピッチでほとんどすべての区間が工事をしている。そんなわけで片側通行の区間も多く、距離の割に時間がかかる。
 キリノッチで少し休憩することになった。キリノッチは旧LTTE支配地域の沿道沿いで最大の都市だが、電気や水道もないような寂れた町だ。
photo2  バスは再び北を目指し、ラグーンが見えてきた。
photo3 ラグーンの先がエレファントパスだ。ここにも軍の検問所があり、ここまでが旧LTTE支配地域だった地域となる。
photo4 検問所近くの道路沿いには最近建てられたであろうスリランカ統一の記念碑がそびえていた。

0060. まえだまさとし 2011/09/17_16:13:52
photo1  ジャフナに近づくにつれ銃弾で穴だらけになった家や屋根が抜け落ちた廃屋などが目立つようになってきた。このような建物を見ていると激しい内戦がつい最近の事だと思い知らされる。
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photo3  バブニアを出てから4時間半でジャフナの中心部にあるバスターミナルに到着した。かつてのスリランカ第二の都市だが、日が暮れ街灯もなく、真っ暗の町だ。時折停電したり頼りない町だ。
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0061. まえだまさとし 2011/09/17_16:16:11
photo1  宿は町のバスターミナルの近くにVSKロッジという安宿を発見した。1泊500ルピー(350円)だ。南インド同様チェックアウトは24時間制を採用しているので明日の18時まで宿にいることができる。
 ジャフナの住民はほぼすべてタミル人だ。町中から公用語であるシンハラ文字は消えてしまった。
 タミル人はインド南部を旅行したときはもちろんシンガポールやマレーシアでも接する機会が多い。インド人といえばタミル人というくらい接する機会が多く親しみがある。

なのでコロンボから北部に来るとなぜか初めての場所に来た気がせずホッとする。
photo2 そして食事もうまい。
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0062. まえだまさとし 2011/09/17_16:20:51
photo1 【9月10日(土)】

ジャフナの中心部は比較的復興が進んでいるようで市場やマーケット、僕が泊まっているホテルの周辺は戦闘の跡はあまり見られない。一見何の変哲もない南インドの地方都市だ。


しかし町の至る所でスリランカ国軍の兵士を目にする。国軍の兵士はシンハラ人である場合がほとんどだ。タミル人を未だ監視するシンハラ人兵士を見ていると内戦が終わったとはいえ民族対立の火種が消えたわけではないんだと感じる。
photo2  路地裏に入るとまだまだ銃弾の跡が残る民家の壁や屋根が抜け落ち壁だけになってしまった廃屋が目立つ。
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0063. まえだまさとし 2011/09/17_16:22:49
photo1 共同住宅の廃墟だが人が住んでるようだ。
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0064. まえだまさとし 2011/09/17_16:28:03
photo1 町の東にかつてのジャフナ駅があり、行ってみることにした。駅への道路名はそのままだ。
photo2 かつてのジャフナ駅舎。
photo3 駅名の表示がかすかに残る。
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0065. まえだまさとし 2011/09/17_16:31:32
photo1 線路は取り除かれているが、プラットホームなどがそのまま残っている。
photo2 地下の連絡通路。水がたまっていて通行不能だ。
photo3 そして連絡橋など当時のスリランカの鉄道駅としてはかなり設備の整った大きな駅だった事が伺える。
その荒廃ぶりに時間の流れを感じるがこの駅も内戦の終結と共に復興される可能性は大きい。
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0066. まえだまさとし 2011/09/17_16:34:46
photo1 連絡橋と連絡橋の上から駅構内を見下ろしてみた。
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0067. まえだまさとし 2011/09/17_16:35:08
photo1 連絡橋と連絡橋の上から駅構内を見下ろしてみた。
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0068. まえだまさとし 2011/09/17_16:37:13
photo1 線路はさらに東に続いていたようだ。
photo2 野原になった駅構内。
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0069. まえだまさとし 2011/09/17_16:39:31
photo1  ジャフナ最大のヒンドゥー寺院であるカンダスワーミー寺院を見学に行った。この寺院は修復されたのは新しい感じがする。
photo2 そのあとジャフナフォートにも行こうとしたが政府の要人来るらしく、フォートには近づけなかった。もともとジャフナフォートは軍事施設として使用されているので中を見学することはできない。
photo3 壊れたままの時計塔。
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0070. まえだまさとし 2011/09/17_16:43:15
photo1 北部に来るとヒンドゥーなので牛が多い。
photo2 市場ではマグロの干物が売られていた。1キロ700ルピー(500円)とのこと。
photo3 昼食はおかわり自由のカレーだ。
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0071. まえだまさとし 2011/09/17_16:47:03
photo1 ジャフナで滞在したVSKロッジ。1泊500ルピー(350円)。
photo2 ジャフナはその名前のインパクトはコロンボに匹敵するくらい大きいが、町の見所は限られる。

また地形的にラグーンとベンガル湾に挟まれているジャフナだが乾季の今、日中は暑くて湿度も高いのであまり過ごしやすい町とはいえない。

そんなわけで午後移動することにした。次の目的地はマンナールだ。

 マンナールはかつてインドのラーメシュワラムと鉄道連絡船で結ばれていたスリランカの表玄関だ。現在は当時の面影はほとんど残っていないようだが、地形的に興味があり、行ってみることにした。
photo3  ジャフナに入るにはバブニアからのルートとマンナールからの二つのルートがあり、マンナールからのルートはラグーンを横切るため通行可能かどうかわからなかった。でもジャフナに来てマンナール行きのバスが頻繁に出ている事で幹線道路(A32)は通行可能なのではと思いこのルートでマンナールへ行くことにした。
photo4  13時30分のバスでジャフナを出発。

0072. まえだまさとし 2011/09/17_16:49:05
photo1 途中までは昨日と同じ道を戻ることになる。ジャフナの灌漑施設。
photo2 東に30分くらい走ったところでルートA32の分岐点にさしかかった。ここからはジャフナ半島のラグーンに通されたコーズウェイを通行することになる。
乾季の今、ラグーンの海面はすべて干上がっていて鏡のような美しい風景を作り出している。
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0073. まえだまさとし 2011/09/17_16:51:28
photo1 バスは未舗装のコーズウェイをマンナールへ向け走行。
photo2 ジャフナ半島から本土への一番水深が深い部分に橋が架けられていた。つい最近架けられたのだろうか。以前は渡し船が通っていたようだが、この橋の開通で利便性は向上した。
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0074. まえだまさとし 2011/09/17_16:53:34
photo1 しかしルートA32はほぼすべて未舗装で体中砂埃だらけになってしまった。

マンナールまでバブニア経由よりは大幅に時間が短縮できたが、結構ハードな移動となってしまった。またこのルートも旧タミル人武装組織の支配地域を通るため検問所は多い。でもこのルートを通る外国人は少ないのか全く相手にされなかった。
photo2  ジャフナからバブニアへの所要時間と同じ4時間半かけてマンナールに到着。コーズウェイを渡った島にマンナールの町がある。マンナールは海辺の穏やかな町だ。バスでこの島に入った瞬間、何ともいえない心地よさを感じた。気候もジャフナに比べ湿気が少なく涼しい気がする。

 マンナールでの宿は一番安いスターゲストハウスに泊まることにした。町の中心からは歩いていける。1泊500ルピー(350円)だ。すでに日が暮れ中心部に食事に行ったが帰りは暗闇の中を戻る事になる。
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0075. まえだまさとし 2011/09/18_18:52:57
photo1 【9月11日(日)】
スリランカ北部の移動ルートです。
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photo3 朝からバスでタライマンナールへ向かった。
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0076. まえだまさとし 2011/09/18_18:57:57
photo1 タライマンナールはインドへの鉄道桟橋が置かれていただけで町の規模は大きくなかったようだ。

また現在桟橋付近は軍施設でその先には行けない。

軍施設の北が漁村になっていてそこがバスの終点となった。
photo2 ここから浜辺の方に出ると灯台や桟橋を眺められるポイントとなる。
photo3 桟橋は現在も使われているようだが、鉄道用の桟橋はどうなっているのか不明だ。
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0077. まえだまさとし 2011/09/18_19:03:19
photo1 インドのラーメシュワラムまでは目と鼻の先。
この間はアダムスブリッジという浅瀬になっていて小さな島が連なっている。歩いて渡れたという伝説もある。
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photo3 タライマンナール駅周辺だったと思われる場所には踏切跡が存在する。
photo4 線路の残骸も放置されている。

0078. まえだまさとし 2011/09/18_19:05:34
photo1 ただその先に軍の施設があるのであまりウロウロしないほうがよさそうだ。
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0079. まえだまさとし 2011/09/18_19:10:22
photo1 バスでマンナールへ戻った。
photo2 マンナールはクリスチャンが多いのか教会が多く目につく。
photo3 教会にいた女の子たち。
photo4 ここでもバオバブの木が見られる。マダガスカルに比べるとずいぶん太い。

0080. まえだまさとし 2011/09/18_19:12:35
photo1  マンナール島に入るための橋は日本の援助で建設された。その橋を見に行ったらここから2㎞ほど南に崩落した鉄橋が目に入った。

あそこがかつての鉄道ルートだということか。どうりで町中で鉄道跡の形跡が見つけられないわけだ。鉄道はマンナールの町中からずいぶん離れて通っていたのだ。
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0081. まえだまさとし 2011/09/18_19:16:25
photo1 ちょうど日も西に傾き涼しくなっているのでオートリキシャで鉄橋まで行ってみることにした。

すると日本語を話すリキシャの運転手に出くわした。彼の名はマンスールさん。日本で働いていたらしくお兄さんは現在も日本で働いているらしい。

インドやバングラディシュなど突然日本語で話しかけられ驚くことは多いが、ここマンナールも例外ではなかった。

コロンボだったら警戒してしまうがマンナールでは心を許してしまう。

マンスールさんの案内で鉄橋の前まで行くことができた。
photo2 しかし鉄橋周辺もまた軍事施設らしく兵士に聞くと鉄橋の撮影はできないとのこと。その周辺の盛り土や線路の残骸は撮影可能らしい。なぜ橋だけだめなのか。頼み込んだが結局だめだった。マンスールさんによると国防省で許可を取れば撮影可能ということでその事務所はここからは遠く、行くなら明日の方がいいとのこと。

そこまでしてこの橋を撮影する意味が何なのか。この存在を初めて知ったに他ならない。近いうちに撤去されるなら今のうちに記録しておくことも必要だろう。
photo3 鉄橋周辺の森土と線路の残骸。
photo4 そして夕日。

0082. まえだまさとし 2011/09/18_19:21:09
photo1  すぐ近くにはマンナール駅舎の廃屋が残されていた。

これらは明日改めて見学することにして夜はマンスールさんの家に遊びに行くことになった。

タライマンナールから10㎞ほど走ったエルクラムという町で、海辺沿いに広がる小さな町だ。

真っ暗での周辺の景色がきれいなのが見て取れるがそれらを眺めることができないのはは残念だ。エルクラムの住民はイスラム教徒ばかりのようで何軒かモスクがあり、案内してもらった。
photo2 マンスールさんの家の前に到着。
photo3 マンスールさんの子供たち。
photo4  マンスールさんの家で果物をごちそうしてもらい、日本で働いていたときの写真やお兄さんの写真を見せてもらった。
 マンスールさんには朝8時にゲストハウスに迎えに来てもらう約束をして宿まで送ってもらった。

0083. まえだまさとし 2011/09/18_19:28:03
photo1 【9月12日(月)】

 朝からマンスールさんのオートリキシャで軍の施設に許可を取りに行ったが、結局写真撮影の許可は下りなかった。だめならだめで仕方ない。どうやらスリランカ政府としては戦争の傷跡をいろんな場所に公開されたくないというのが理由だそうだ。


至近距離での橋の撮影はだめになったが、離れたところからなら問題ないだろう。
photo2  軍の施設に行く途中、鉄道の軌道跡を発見した。線路は取り除かれているが、その雰囲気から列車が走っていたのは一目瞭然だ。踏切部分には一部線路が残されていた。
photo3 鉄橋の近くにあるマンナールの廃駅を見学することにした。プラットフォームや駅舎の残骸、貨車が数量放置されている。
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0084. まえだまさとし 2011/09/18_19:31:59
photo1 ここはジャフナの駅に比べるとかなり損傷が激しく、ほとんど原形をとどめていない。
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0085. まえだまさとし 2011/09/18_19:35:17
photo1 マンナール駅構内には貨車の車輪が散らばっている。
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0086. まえだまさとし 2011/09/18_19:38:22
photo1 結局この橋は撮影できなかったが、この距離で十分だ。
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0087. まえだまさとし 2011/09/18_19:42:39
photo1 コーズウェイからマンナールに入る時に渡る橋は昨年に日本の援助によって架け替えられたらしい。それまで貧相な仮設の橋しかなかったようだ。
新しい橋に平行して戦争で破壊された橋がそのまま残されていた。
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photo3  そんな感じで日本語のしゃべれるマンスールさんのおかげで鉄橋の撮影こそできなかったが、マンナール島戦跡巡りを満喫できた。
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0088. まえだまさとし 2011/09/18_19:46:50
photo1  今日はこれからマンナールからバブニアを経由してダンブッラへバスへ向かう。

ダンブッラは有名なシーギリアへの拠点の町だ。


距離的にはそれほどたいしたことはないが、北部の埃まみれの気候から正反対の雨期真っ直中の地への移動となる。
photo2 バブニアでバスを乗り換えた。
photo3  バブニアを出たバスは土砂降りの中、南を目指した。

 ちょうど小雨になったとき、ダンブッラのバス乗り場に到着した。ここからシーギリアへのバスに乗り換える。そして4時にはシーギリアに到着した。


 今にも雨が降り出しそうな天気だ。夕方岩山に上ろうかと思ったが、その計画は諦めるしかなさそうだ。明日の朝、晴れるかも微妙だ。最悪フレスコ壁画だけでも見られればいいので天気に関係なく明日は岩山に向かうことにする。
photo4  シギリアではフラワーインという宿に泊まることになる。値段は1000ルピー(740円)。事前に電話で予約しておいたがこのシーズンオフではその必要はなかったようだ。

宿は民家風で名前の通り花の咲き乱れるきれいな雰囲気の宿だ。

0089. まえだまさとし 2011/09/18_19:48:47
photo1 一度町の中心に出たがこれといった見所もなく大雨に降られて宿に歩いて戻れなくなってしまった。リキシャも数は限られている。カフェで紅茶でも飲みながら降りしきる雨と岩山を眺めることにした。
 
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photo3 土砂降りの中、ちょうどやってきたダンブッラ行きのバスで宿まで戻ることができたが、ホテルから出るのはやめた方が良さそうだ。幸いホテルの周辺には商店もあり、人の生活があるのが救いだ。また宿の人が感じがいいのもこの宿にしてよかった。部屋は蚊帳もあり、熟睡できそうだ。ここにきて北部で全く目にしなかった欧米人観光客を目にすることになった。
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0090. まえだまさとし 2011/09/18_19:52:02
photo1 【9月13日(火)】

 昨日とは一転、青い空が広がっている。とはいえこの天気も一日もつとは思えない。湿度は高く風も強いのでいつ雨雲が発生するかわからない。
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photo3 頂上には王宮跡がある。
photo4  7時に岩山はオープンするのでそれにあわせて正面ゲートへ向かった。入場料は30ドル。高いがそれなりの価値はある場所だと思いはるばる来たのだ。

周辺には猿も多い。

0091. まえだまさとし 2011/09/18_19:56:20
photo1 シギリアは岩の上にある王宮跡もすごいが、岩の中腹にある絶壁の窪みにレリーフがあることで有名だ。

そこへは仮設の階段で上る。早朝は観光客がまだ来ないのでゆっくり観光できる。
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0092. まえだまさとし 2011/09/18_19:59:14
photo1 美女が描かれたフレスコ壁画「シギリアレディ」。


宿に戻った。
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photo4 岩山の中腹から見た下界。

0093. まえだまさとし 2011/09/18_20:02:56
photo1  岩山を登り切るとそこには王宮跡がある。

この王宮が使われていたのは5世紀後半のわずかな11年だが、王宮が放棄されたあと今世紀に入るまで千五百年もの間、誰にも見つけられることはなかった。
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photo4  今世紀になってイギリス人の探検家に発見されてからは修復されかつての王宮を忠実に再現されている。しかしこんなところによく造ったものだと思う。壁画にしてもあんな崖の窪んだ場所によく描かれたものだと不思議で仕方ない。
 岩山の頂上にある王中は終始湿った強い風が顔に吹き付ける。見晴らしはいいがあまりさわやかな場所ではないので岩山を降りることにした。
 

0094. まえだまさとし 2011/09/18_20:05:48
photo1  入場券に博物館の代金も含まれていたのでせっかくなので見学に行ってみた。博物館は日本の援助で建設されたらしく、発掘された土器などが展示されていた。またフレスコ壁画のレプリカも展示されていた。


 宿に戻り、チェックアウトしたあとバスでダンブッラへ出た。そしてこのままコロンボを目指す。
photo2 しかしダンブッラからコロンボへは北東部から通過する長距離ローカルバスを拾うことになるのだが、どのバスも超満員で乗り込むのをためらってしまう。ちなみにコロンボまでは4時間以上かかる。そんなとき客があまり乗っていないクルネーガラ行きのバスが通過したので乗り込むことができた。クルネーガラはコロンボとタンブッラの中間地点にある都市だ。


クルネーガラでバスを乗り換えればスムーズにコロンボへ戻れるだろう。
 
photo3 まだ昼前だが、ダンブッラを出たあたりで黒い雲に覆われ、大雨が降り出した。この時期のスリランカ中部の山岳地帯は午前中しか天気が持たないようだ。いずれにせよスムーズにシーギリヤ観光を済ませコロンボに向かえたのはいい。
photo4  クルネーガルでバスを乗り継いだ。しかしコロンボまでは割高なエアコンバスを選んだ。しかしエアコンの効きはいまいちだが、停留所も少なく所要時間は早いはずだ。

0095. まえだまさとし 2011/09/18_20:12:07
photo1  しかしせっかくのエアコンパスだと思ったら10㎞くらい走って故障して動かなくなってしまった。乗客全員その場でおろされた。
photo2 しかもまた雨が降り出して最悪だ。お金は戻ってきたが、ここを通る次のバスに乗れとか言う。
photo3 こんな場所を通過するバスなどどれも超満員だ。いつまた土砂降りになるかもわからず、もたもたしていても仕方ないので満員のコロンボ行きのバスに強引に乗り込んだ。もちろん席などないので2時間以上立つ羽目になる。
 でも10分ほど走って前の席が空き座ることができた。幸運としかいいようがない。結局コロンボには5時半に到着した。シーギリアから半日がかりの移動だったが、精神的にけっこうハードだった。でも明るいうちにコロンボに到着できてよかった。
photo4  コロンボではこの前にも泊まったペターの安宿に泊まることにした。

0096. まえだまさとし 2011/09/18_20:17:09
photo1 【9月14日(水)】

 朝5時のバスがあり、空港へ向かった。

空港まで1時間半かかる。
空港に着く前、現地通貨ルピーが余っていたのでバス停付近の飯屋で朝食と紅茶を飲み、空港の無料シャトルバスは使わずオートリキシャでターミナルビルへ向かった。
photo2  ターミナルビルの中に銀行があり、最両替しようとしたら同じ銀行のバンクシートが必要とのこと。空港で両替していたので準備できたが危うく50ドルを無駄にしするとこだった。


 その後のチェックインもすごい行列だ。コンピューターを使っているのがインド系の人種だと本当にペースが遅い。しかも割り込みする輩が時折現れるのでさらにイライラする。そういう輩の神経は理解不可能だが、注意すると「ここはあなたの国じゃないから」とか「あなたの後ろでいい」とかワケわからない言い訳して言っても聞かない。
photo3 これから乗る飛行機が民度が低そうな乗客が多そうなLCCのエアアラビアだということもわきまえて我慢するしかないのだろうか。とにかくインド文化圏はイライラする。


 コロンボの国際空港ターミナルも日本の援助で建設されたらしい。搭乗口付近には無料でインターネットが使えるパソコンがあったり、至れるつくせりだ。ここにたどり着くまでの要領の悪い手続きや行列のアンバランスに違和感を覚える。
photo4  9時35分のエアアラビアでシャルジャへ向かう。シャルジャはドバイに隣接する首長国の都市で両都市間はタクシーやバスで移動可能だ。


 シャルジャまでは所要4時間。エアアラビアは機内食はもちろん水まで有料だ。さすがに到着が午後2時なので腹が減ると思い食料と水を持ち込むことにした。ペットボトルは機内持ち込みOKの地域は多く存在し、湾岸諸国では問題なしだ。食事は今朝のロッティの残りを持ち込んだ。

0097. まえだまさとし 2011/09/20_13:58:10
photo1 「アジア未訪問国へ①モルジブ(スリランカ北部)2011年」は以上です。

続きは「アジア未訪問国へ②アフガニスタン2011年」
を参照してください。

【お わ り】
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