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旅BBSメニュー>海外情報ノート
家族でバックパッカー⑱アウシュビッツ(ポーランド)

0001. 旅蔵 2012/01/15_22:46:42
photo1 パパ、ママ、3歳の息子の3人で2011年10月2日より3ヶ月のヨーロッパ縦断旅行を始めました。11月27日、アウシュビッツ、ビルケナウを見学。

*写真は、「ARBEIT MACHT FREE(働けば自由になれる)」と書かれたアウシュビッツ強制収容所の入り口
photo2 ここまでの経路
※滞在はクラクフで、日帰りでアウシュビッツに来ました。
photo3 クラクフからアウシュビッツは約50kmです。
クラクフの行き方は、以下の資料を入手しました。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
*バスの場合
http://web.pksoswiecim.pl/przewozy_pasazerskie.php?id_strony=18&id_grupy=1&id_dzialu=3&lang=pl
クラクフ本駅東口・PKSバスターミナル(regionalny dworzec autobusowy PKS)
G1、G2、G3番乗り場からOSWIECIM、またはOSWIECIM MUZEUM行き
チケットは出発15分前まで売り場にて、それ以降は運転手から購入。
photo4 8:25、9:30,10:05,10:35、11:20、12:45と続きます。
所要時間は約1時間40分。急行は1時間10分。ミュージアム内の駐車場に到着します。レンガつくりの建物が入場棟です。
 乗り場は違いますが、同じバスターミナルからマイクロバスも随時発車しています。ミュージアム付近の停留所で降車し、標示板に従って歩くとミュージアム駐車場が見えてきます。

*鉄道の場合
クラクフ本駅(KRAKOW GLOWNY)からOSWIECIM方面行き(所要約2時間)
7:07、8:25、10:10,10:45,11:45,12:56,13:43
OSWIECIM駅からアウシュヴィッツ・ミュージアムまで徒歩で約20分。駅前のタクシー利用で3分。

0002. 旅蔵 2012/01/15_22:58:59
photo1 オシフィエンチムからクラクフへ
*バスの場合
KRAKOW行き
ミュージアム内駐車場より
14:10,15:05(週末)、15:50、16:20,17:25,18:20と続きます。
切符は運転手から購入。

*鉄道の場合(所要約1時間40分)
12:17、13:15、14:15(平日)、15:32、16:17、17:40、
18:15,19:20と続きます。

時刻表は2011年6月1日のもの
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
photo2 歩くのは嫌なので、バスで行くことにしました。バスだとアウシュビッツ・ミュージアム入り口のほぼ手前で降ろしてくれます。大人1名13ズーリ。

尚、オシフィエンチムにもホテルがあるようなので、こちらに滞在して見に行くと言う手もあります。
photo3 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の地図です。
収容所は2つに分かれていて、アウシュビッツ(地図の赤い枠)が最初に立てられた収容所、ビルケナウ(地図の青い枠)が後に立てられた巨大な収容所です。

アウシュビッツからビルケナウへは、タクシーで移動します。片道15ズーリでした。
photo4

0003. 旅蔵 2012/01/16_00:07:08
photo1 アウシュビッツ強制収容所の見学コースです。ピンクの丸い枠が駐車場です。ここから中に入り、各棟に展示されている資料を見ながら回っていきます。
※写真はGoogleマップを拝借。左下に距離を示す尺があり、50m/200フィートとあります。
photo2 駐車場から建物への入り口です。ここには売店やトイレや書籍があります。
photo3 アウシュビッツ収容所(写真左下)からビルケナウ収容所(写真上)への簡単なルートが書いてあります。3kmなので歩いても行けます。往復6km歩く時間と消耗する体力を考えると、タクシーを使って、その分を見学に回した方が良いと思います。
photo4 アウシュビッツ収容所の見学ルートも書いてあります。

0004. 旅蔵 2012/01/16_00:26:09
photo1 最初の建物を出ました。ここは、まだ、、「ARBEIT MACHT FREE(働けば自由になれる)」と書かれた門の手前です。緑の芝生の向こうに見えるのが収容所です。前を歩いている白い服を着た団体は、イスラエルから修学旅行で来たのでしょうか?ダビデの星のマークを背中に入れた10代の学生の集団でした。
photo2
photo3 この真ん中の道を行くと強制収容所の門です。左にある道はガス室に繋がっています。
photo4 入り口に向かいます。

0005. 旅蔵 2012/01/16_00:40:26
photo1 地図の赤い丸印が、「ARBEIT MACHT FREE(働けば自由になれる)」の門があるところです。
photo2 門の手前に当時の模様を描いた絵が展示してありました。
photo3 強制収容所入り口の門です。よく見ると左から3番目の文字Bの文字がひっくり返ったようになっているのが、わかるでしょうか?これは、この門を作らされた囚人が、ナチスに対して見せたささやかな反抗だという話です。
あっ、書き忘れましたが、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は入場無料です。あと、入場には年齢制限がありました。3歳の息子は普通に入れましたが・・・
photo4 門を通過したところ

0006. 旅蔵 2012/01/16_00:54:59
photo1 ここから棟を一つ一つ中へ入って見学です。
photo2 地図の赤丸の所です。赤い枠の棟を一つ一つ回るわけです。
photo3 最初の棟です。
photo4 ツアー客です。クラクフからでしょうか?クラクフからのツアーは、映画「シンドラーのリスト」で有名な、シンドラー氏の工場見学ツアーなんてのもありました。
個人でやっている日本人のガイドもいます。

0007. 旅蔵 2012/01/16_00:57:54
photo1 チクロンBという毒ガスの空き缶です。これを作っていた会社は、当時、大儲けしたらしいです。まさに死の商人ですね。
photo2
photo3
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0008. 旅蔵 2012/01/16_19:41:32
photo1 ガス室〜焼却炉までの模型
photo2
photo3
photo4 焼却炉で焼却できない死体は野焼きに・・・

0009. 旅蔵 2012/01/16_19:45:29
photo1 ビビって全ての写真のピンがボケてしまいました。大量の髪の毛です。
photo2 織物などに利用されたそうです。
photo3
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0010. 旅蔵 2012/01/16_19:49:24
photo1 次の棟です。パンフには「犯罪証拠」と記されています。因みに最初に入った棟は「絶滅」
photo2
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0011. 旅蔵 2012/01/16_19:50:50
photo1 義足や松葉杖など
photo2
photo3 食器類
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0012. 旅蔵 2012/01/16_19:54:55
photo1 大量のカバン。それぞれのカバンには所有者の名前が書いてありますが・・・
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photo4

0013. 旅蔵 2012/01/16_20:03:26
photo1 大量の靴
photo2
photo3 子供の靴に、すすり泣く人もいました。
photo4

0014. 旅蔵 2012/01/16_20:10:30
photo1 何でも大量に残っているので、面食らってしまう。150万人以上が虐殺されたのだから少な過ぎるかもしれませんが・・・
photo2
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photo4

0015. 旅蔵 2012/01/16_20:14:35
photo1 3番目の棟は「囚人の生活」とパンフに書いてあります。
photo2
photo3
photo4

0016. 旅蔵 2012/01/16_20:22:10
photo1 当時を描いたパネル
photo2
photo3
photo4

0017. 旅蔵 2012/01/16_20:26:10
photo1 囚人としてIDを刺青された
photo2
photo3 手前が刺青の道具
photo4

0018. 旅蔵 2012/01/16_20:27:47
photo1 救出されたときの写真
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photo3 1日の食事
photo4

0019. 旅蔵 2012/01/16_20:29:24
photo1 当時の生活を描いたパネル
photo2
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0020. 旅蔵 2012/01/16_20:30:38
photo1 当時の生活を描いたパネル
photo2
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0021. 旅蔵 2012/01/16_20:31:33
photo1 当時の生活を描いたパネル
photo2
photo3
photo4

0022. 旅蔵 2012/01/16_20:33:33
photo1 犠牲になった子供達
photo2
photo3 双子は人体実験に・・・
photo4

0023. 旅蔵 2012/01/16_20:44:27
photo1 4つ目の棟「住居・衛生状況」とパンフに知らされている。
photo2 入所して最初の一週間は藁に寝かされた、と書いてありました。
photo3 藁のマットになっても、その上に何人も寝かされたと書いてありました。
photo4

0024. 旅蔵 2012/01/16_20:48:30
photo1 「住居・衛生状況」の棟です。
photo2
photo3 トイレ。第2アウシュビッツ=ビルケナウのトイレは、もっと酷い(板に穴を開けただけのもの)です。
photo4

0025. 旅蔵 2012/01/16_20:53:15
photo1 洗面所
photo2 ナチスのスパイとなっていた囚人の部屋
photo3 ベッドルーム。
photo4 ビルケナウのベッドルームのレプリカが隣に設置されていました。

0026. 旅蔵 2012/01/16_20:57:28
photo1 ビルケナウのベッドは酷い造りになっていました。
photo2 2棟飛ばすと、
photo3 棟と棟の間に壁が設けられています。
photo4 中は処刑場、死の壁があります。

0027. 旅蔵 2012/01/16_21:05:23
photo1 死の壁がある処刑場の入り口。
photo2 両方の棟の窓には木の板が張られていて、死刑執行を見られないようにしています。主にポーランド人の囚人を銃殺したと言うことです。
photo3 死の壁の下には、今でも献花が絶えません。
photo4 地図の赤い所です。

0028. 旅蔵 2012/01/16_22:07:51
photo1 死の壁の隣にある「死のブロック」という棟の前です。
photo2 銃殺される前は脱衣室で裸にさせられたそうです。銃殺される予定の囚人が少ない場合は、ここで死刑が執行されたそうです。
photo3 移動絞首台
photo4 臨時裁判による死刑判決は、2,3時間で数十から百数十を下したと言うことです。一人1〜数分ですね。

0029. 旅蔵 2012/01/16_22:17:31
photo1 うちの嫁さんはフィリピン出身で、ここに来るまでアウシュビッツも知らない無知な嫁ですが、ここに来るまでは、(第2次大戦における)日本軍が世界で一番酷い連中だと思っていた、と言ってました。ちょっと複雑な気持ちになりました。私は、やる方もやられる方も、こういう環境を人間が作れるという事自体が怖いと思いました。日本の企業で働いていると根底は同じような感じがしますから。
photo2
photo3 銃殺風景
photo4 死のブロックといわれる棟から死の壁が見えました。

0030. 旅蔵 2012/01/16_22:24:44
photo1 地下へ
photo2 地下牢へ
photo3 囚人が書いた落書きらしいですが、良く見えませんでした。
photo4 ここは立ち牢。一度に4人をこの中に入れてずっと立たせたそうです。この地下牢では、窒息で死んだりや餓死を宣告されたりしたそうです。また、他人の身代わりになって死んだポーランド人神父の慰霊碑もあります。

0031. 旅蔵 2012/01/16_22:27:47
photo1 鞭打ち台や、手を後ろに回して吊るす台などが展示してあります。
photo2
photo3
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0032. 旅蔵 2012/01/16_22:40:14
photo1 アウシュビッツの建物は、囚人の重労働によって、1階建てのものは全て2階建てになり、さらに新たに8棟を建設したそうです。
photo2
photo3 死のブロックと呼ばれる棟は一番端の棟で、その横は有刺鉄線が張り巡らされていました。
photo4 死の壁の入り口を背に、次の角まで進みます。

0033. 旅蔵 2012/01/16_22:54:25
photo1 地図の赤い●の所です。ここから青い○の方へと向かいます。向かって右側に並ぶ各棟も中に入ることが出来ますが、これらは諸国の展示となり、見切れないので飛ばしました。尚、青い○は点呼広場、集団絞首台です。
photo2 向かって右は、諸国の展示
photo3 集団絞首台が見えます。
photo4 こちらは銃殺の死の壁と違って、見せしめのための公開処刑場。

0034. 旅蔵 2012/01/16_23:17:44
photo1 点呼広場に置かれた櫓です。点呼の際、SS(ナチス親衛隊)が悪天候のときに使ったと書いてありました。点呼は、懲罰、拷問も兼ねて何時間も行われたと何処かで読んだ記憶があります。
photo2
photo3 更に直進して有刺鉄線の外へ出ます。
photo4 外に出ると、アウシュヴィッツ強制収容所所長ヘス(ルドルフ・フェルディナント・ヘス)の絞首刑も行われた絞首台が目の前に見えます。

0035. 旅蔵 2012/01/16_23:33:15
photo1 赤い丸の所です。隣の青い丸はガス室・焼却炉です。
photo2 ここは元々、ゲシュタポ(反ナチスを取り締まる秘密警察)が、反ナチスに関与したと疑いをかけられた者や脱走を試みた物を尋問、拷問して殺害した場所だと書いてありました。
photo3 その隣がガス室・焼却炉です。
photo4 焼却炉の煙突やガス室が書かれた建物内の見取り図

0036. 旅蔵 2012/01/16_23:58:22
photo1 中へ入ります
photo2
photo3 ガス室
photo4 天井には四角い穴が。ここから毒ガスを放り込まれたのかどうかは知りません。

0037. 旅蔵 2012/01/17_00:04:32
photo1 ガス室の隣が焼却炉になっています。
photo2 1台の炉には同時に2、3人の死体が入れられ、1日に350人の死体が焼かれたそうです。
photo3
photo4 外に出ました。ここから、写真右にある道を真っ直ぐ進んで出入り口まで戻ります。

0038. 旅蔵 2012/01/17_00:07:15
photo1 ガス室・焼却炉を後に出口に向かいます。この後、タクシーで第2アウシュビッツ=ビルケナウ収容所へ向かいます。
photo2
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0039. 旅蔵 2012/01/17_11:29:47
photo1 アウシュビッツ見学後は、そこから約3km離れたブジェジンカ村にあるアウシュビッツ収容所2号、ビルケナウを見学しました。移動はタクシーです。
photo2 ビルケナウの方は、鉄道の引込み線があり、広大な土地に大量の囚人を収容できるようになっています。映画「シンドラーのリスト」では、最後の方に、ユダヤ人女性の乗った汽車が間違えてここに到着します。
photo3
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0040. 旅蔵 2012/01/17_11:38:18
photo1 ビルケナウ収容所は、約175ヘクタール。当時300棟以上のバラックがありましたが、完全な形で残っているのは、今では、レンガ棟が45棟、木造が22棟。他はナチスが逃避する際、虐待の証拠隠滅の為に、焼かれたか破壊されたとの事です。
photo2 入り口です。
photo3
photo4 入り口の脇には鉄道の引込み線があり、中まで続いています。

0041. 旅蔵 2012/01/17_11:57:28
photo1 中に入りました。
photo2 恐ろしく広いです。
photo3 パンフによると最短の見学コースが地図の黄色のコース、更に回る場合はプラス赤のコースとなっていました。黄色の丸印が今、私達のいる入り口です。私達は、黄色+赤のコースを回りました。
写真左下に尺があり100m/500フィートと書いてあります。息子がいなくても結構しんどいですが、当然のことながら抱っこをせがまれるので、回りきった後はぐったりでした。
photo4 3歳の息子です。力の加減を知らないので、全力で遊んで疲れると抱っこをせがまれるの繰り返しでした。これも一種の拷問ですね。平和的拷問ですが・・・

0042. 旅蔵 2012/01/17_12:03:31
photo1 収容所内まで引き込まれている線路
photo2
photo3
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0043. 旅蔵 2012/01/17_12:30:38
photo1 地図の赤丸から鉄条網のゲートをくぐって矢印の方へ向かいます。
photo2
photo3 ゲートをくぐった所
photo4 鉄条網はあちこちに張り巡らされている

0044. 旅蔵 2012/01/17_12:39:55
photo1 ビルケナウ収容所
photo2
photo3
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0045. 旅蔵 2012/01/17_12:57:44
photo1 鉄道の引込み線からこちら左側はレンガ造りのバラックで女性の囚人が収容されていました。
※因みに“囚人”と言う表現が一般的に使われているので、そのまま引用していますが、ここではユダヤ人と言うことが罪と言う訳ですから、“囚人”と言われてもピンと来ませんね。日本人を悪人と教育する某国の国策に近いのかもしれません。
photo2 バラックの中に入りました。
photo3 トイレです。アウシュビッツのトイレに比べると酷いですね。
photo4 因みに、これがアウシュビッツのトイレです。

0046. 旅蔵 2012/01/17_12:59:31
photo1 これは洗面所
photo2 アウシュビッツの洗面所はこれ。
photo3
photo4

0047. 旅蔵 2012/01/17_13:05:16
photo1 ビルケナウのレンガのバラックは、女性囚人用。このあたりは湿地で、殆どのバラックには基礎工事が施されてなく、多くは地面が泥のようになっていたそうです。
photo2 寝床です。写真右の天井まで突き出ているのが暖房用の煙突でしょうか。
photo3
photo4

0048. 旅蔵 2012/01/17_13:15:57
photo1 地図の赤丸の辺りに来ました。
photo2 左の水溜りは焼却した遺灰を捨てた場所です。手前に慰霊碑が4つ立っています。その奥にある残骸が、爆破されたガス室・焼却炉のガレキ。
photo3
photo4

0049. 旅蔵 2012/01/18_10:18:48
photo1 地図の赤丸の辺りが、鉄道の引込み線の終点です。
photo2 写真左の方が終点、写真中央の道を真っ直ぐ行った先が収容所の入り口
photo3 終点には花が手向けられていました。
photo4 この辺りは、広場になっており・・・

0050. 旅蔵 2012/01/18_10:26:43
photo1 国際慰霊碑があります。
photo2
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photo4

0051. 旅蔵 2012/01/18_10:32:24
photo1 近くには、ガス室・焼却炉跡
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photo4

0052. 旅蔵 2012/01/18_10:34:08
photo1 ガス室・焼却炉跡
photo2
photo3 先へ進みます。
photo4

0053. 旅蔵 2012/01/18_10:39:41
photo1 地図の青い枠辺りの風景です。パンフにこの辺りの説明が無いので何かは不明。
photo2
photo3
photo4

0054. 旅蔵 2012/01/18_10:54:55
photo1 この収容所には水は無く、鼠が大発生し・・・とパンフに書いてありましたが、貯水池に見えます。
photo2
photo3 これはシャワー室。ここで髪を切られ、番号を刺青されます。
photo4 こちらはガス室・焼却炉の残骸。殺戮の場は、虐殺の証拠隠しの為、しっかり破壊されていました。

0055. 旅蔵 2012/01/18_11:06:23
photo1 地図の青いところまできました。ここは、焼却炉で焼却しきれない囚人を野焼きにしていました。
photo2
photo3
photo4

0056. 旅蔵 2012/01/18_11:12:37
photo1 野焼きにされた原っぱを後に
photo2 この道を真っ直ぐ行くと突き当たりに司令部があります。右手には遺灰を捨てた池があります。
photo3
photo4 地図の白い矢印の先に白丸で囲った司令部があります。

0057. 旅蔵 2012/01/18_11:16:53
photo1 この辺りの林では、ユダヤの人達が死の順番を待たされたと書いてあります。
photo2 司令部が見えてきました。
photo3
photo4

0058. 旅蔵 2012/01/18_11:22:47
photo1 収容所
photo2 司令部
photo3 入り口(中央SS衛兵所)へ戻ります。
photo4 地図の青い矢印のところです。

0059. 旅蔵 2012/01/18_11:36:04
photo1 この辺りは、木造バラックの収容所です。
photo2 鉄条網の向こうは、収容所の外です。
photo3 基礎工事もされていない木造バラックです。元は馬小屋だそうです。
photo4

0060. 旅蔵 2012/01/18_13:11:51
photo1 木造バラックの中。
photo2
photo3 別のバラックには花が飾ってありました。
photo4

0061. 旅蔵 2012/01/18_13:14:34
photo1 木造バラック
photo2 トイレ
photo3 木造バラックを後に
photo4

0062. 旅蔵 2012/01/18_13:18:25
photo1 入り口に戻ってきました。ここは元々SS中央衛兵所だったところです。
photo2 冬は雪で真っ白になるようです。パジャマのような囚人服ではここの冬を乗り切るのは厳しいでしょうね。ここは最悪でした。
この後、タクシーでアウシュビッツ収容所に戻り、バスに乗り換え、クラクフに戻りました。
photo3
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